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さてさて、アジサイの季節なのでまたもやアジサイと関連した寺社に行ってきました(&#39;-&#39;*)<br /><br />茨城県の下妻市にある大宝八幡宮です。ここもアジサイの名所として有名です。学生時代に友人と来た事があるのですが、アジサイの時期は初めてだと思います。ここは狛犬がズラッとならんでいます。ここまで数が並んでいる神社はみたことがない(笑)<br />鳥居をくぐって車を走らせると左手になべやさんと右奥にえびすやさんというお茶屋さんがあります。えびすやさんの前が大きな駐車場になりますが、なべやさんのおばちゃんが呼び込みをしていて置いていいよ〜というので店の前に。どちらのお店も親切ですが、個人的にはなべやさんの団子が赤福みたいに柔らかいので好きです(^∇^)<br /><br />で、雨もぱらついていたので急いで境内へ。。。お店のおばちゃんも言っていましたが、ここでもアジサイの花づきが悪いそう。。。どうやら虫食いがひどいそうです。奥にあるアジサイ苑は土塁の山肌一面にアジサイが咲くので綺麗なのですが、この日はやっぱりというか場所場所に咲いている感じでした。<br /><br />それでは・・・。<br /><br />大宝神社の主祭神は、誉田別命(ホンダワケノミコト)・足仲彦命(タラシナカツヒコノミコト)・気長足姫命(オキナガタラシヒメノミコト)です。<br /><br />創建は、大宝元年(701)に藤原時忠が宇佐八幡宮を勧請したものと伝えられ、その後に源頼義が奥州征伐の折に祭祀田を寄進、源頼朝も奥州征伐の折に鎌倉八幡宮を勧請したもの境内の若宮八幡社と伝えられています。<br />下妻氏が滅びた後には多賀谷氏がこの地を納めました。八幡宮本殿は天正三年(1575)に焼失しましたが、二年後の天正五年に下妻城主であった多賀谷尊経(たがやたかつね)によって再建されました。<br /><br /><br />今では近隣の小学校校舎や宅地になってしまい面影はあまりありませんが、八幡宮表境内からあじさい苑にむかう右手にも土塁が残っています。境内脇には保育園がありますがそちらが高台になるので、土塁の上から子供達のはしゃぐ声が境内に降りてくる様なちょっと不思議な感じ。奥のあじさい苑には拝殿と社務所の間を抜けて入ります。<br /><br /><br />

下妻市・大宝八幡宮とアジサイ2008。

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2008/06/19 - 2008/06/19

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フロッガー

フロッガーさん

さてさて、アジサイの季節なのでまたもやアジサイと関連した寺社に行ってきました('-'*)

茨城県の下妻市にある大宝八幡宮です。ここもアジサイの名所として有名です。学生時代に友人と来た事があるのですが、アジサイの時期は初めてだと思います。ここは狛犬がズラッとならんでいます。ここまで数が並んでいる神社はみたことがない(笑)
鳥居をくぐって車を走らせると左手になべやさんと右奥にえびすやさんというお茶屋さんがあります。えびすやさんの前が大きな駐車場になりますが、なべやさんのおばちゃんが呼び込みをしていて置いていいよ〜というので店の前に。どちらのお店も親切ですが、個人的にはなべやさんの団子が赤福みたいに柔らかいので好きです(^∇^)

で、雨もぱらついていたので急いで境内へ。。。お店のおばちゃんも言っていましたが、ここでもアジサイの花づきが悪いそう。。。どうやら虫食いがひどいそうです。奥にあるアジサイ苑は土塁の山肌一面にアジサイが咲くので綺麗なのですが、この日はやっぱりというか場所場所に咲いている感じでした。

それでは・・・。

大宝神社の主祭神は、誉田別命(ホンダワケノミコト)・足仲彦命(タラシナカツヒコノミコト)・気長足姫命(オキナガタラシヒメノミコト)です。

創建は、大宝元年(701)に藤原時忠が宇佐八幡宮を勧請したものと伝えられ、その後に源頼義が奥州征伐の折に祭祀田を寄進、源頼朝も奥州征伐の折に鎌倉八幡宮を勧請したもの境内の若宮八幡社と伝えられています。
下妻氏が滅びた後には多賀谷氏がこの地を納めました。八幡宮本殿は天正三年(1575)に焼失しましたが、二年後の天正五年に下妻城主であった多賀谷尊経(たがやたかつね)によって再建されました。


今では近隣の小学校校舎や宅地になってしまい面影はあまりありませんが、八幡宮表境内からあじさい苑にむかう右手にも土塁が残っています。境内脇には保育園がありますがそちらが高台になるので、土塁の上から子供達のはしゃぐ声が境内に降りてくる様なちょっと不思議な感じ。奥のあじさい苑には拝殿と社務所の間を抜けて入ります。


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  • 拝殿も堂々たる物ですが、狛犬の数が凄い(&#39;-&#39;*)<br /><br />1338年、陸奥国へ向かって伊勢を船出した南朝方の北畠親房が、嵐によって常陸国に漂着しました。南北朝時代、下妻城主は四代目・下妻政泰にあたります。政泰は常陸国において小田氏・関氏・伊達氏・益戸氏・真壁氏らと共に南朝方の中心勢力となっていましたが、北畠親房を小田城に迎え入れることによって興良親王も保護し援護、後に春日顕国(あきくに) も合流することによって常陸の国は北朝方と戦う東国中心の場所になります。足利尊氏は重臣であった高師冬(こうのもろふゆ)に武蔵・相模の軍勢を持たせてこの地に攻め入ります。<br /><br />1341年(南朝は興国二年・北朝は暦応四年)頃には高師冬は南朝方の武士の切り崩しを行い始め、同年11月には小田城主・小田治久が北朝方に下ってしまいます。小田城が開城された後に、北畠親房は関城へ。興良親王・春日顕国は大宝城に迎え入れて、幕府軍と戦います。<br /><br />当時の大宝城の北、大宝沼を挟んで約1キロの場所に関宗祐・宗政父子率いる関城がありました。大宝城・関城の2つの城は船を使って連携をとりながら北朝方幕府軍と2年を越す戦いを繰り広げました。そして食料が底をついたことによる内争等によって落城(1343年11月12日)することになります。政泰はこの時に自刃して果て(討死にとも)、関宗祐・宗政は討死。北畠親房は脱出して大和吉野へ戻りますが、春日顕国は混乱の最中に城を抜けだし逃げ延びます。 1344年、春日顕国は挙兵し大宝城を奪い返しますがすぐに捕らえられ斬殺されることになります。<br /><br /><br />本殿の左側には下妻政泰の碑が建ててあります。アジサイ苑では花菖蒲が綺麗に群生していたので、三脚を取りに車へ戻りましたがお店のおばちゃんに休憩を勧められ・・・店内にNHKで紹介されたという、一輪に綺麗に真っ二つに白と紫の花が咲いた菊の写真が飾ってあってその話で盛り上がり、お団子買ってつい帰ってきてしまいました(爆)<br /><br />アジサイ祭が行なわれ、参道では流鏑馬も行なわれるそうです。その頃にはアジサイもかなり咲いているのではという話なので、また行って見ようかと思いました。実は、雨のせいもあって境内の写真はあまり撮っていません(;´Д`A ```

    拝殿も堂々たる物ですが、狛犬の数が凄い('-'*)

    1338年、陸奥国へ向かって伊勢を船出した南朝方の北畠親房が、嵐によって常陸国に漂着しました。南北朝時代、下妻城主は四代目・下妻政泰にあたります。政泰は常陸国において小田氏・関氏・伊達氏・益戸氏・真壁氏らと共に南朝方の中心勢力となっていましたが、北畠親房を小田城に迎え入れることによって興良親王も保護し援護、後に春日顕国(あきくに) も合流することによって常陸の国は北朝方と戦う東国中心の場所になります。足利尊氏は重臣であった高師冬(こうのもろふゆ)に武蔵・相模の軍勢を持たせてこの地に攻め入ります。

    1341年(南朝は興国二年・北朝は暦応四年)頃には高師冬は南朝方の武士の切り崩しを行い始め、同年11月には小田城主・小田治久が北朝方に下ってしまいます。小田城が開城された後に、北畠親房は関城へ。興良親王・春日顕国は大宝城に迎え入れて、幕府軍と戦います。

    当時の大宝城の北、大宝沼を挟んで約1キロの場所に関宗祐・宗政父子率いる関城がありました。大宝城・関城の2つの城は船を使って連携をとりながら北朝方幕府軍と2年を越す戦いを繰り広げました。そして食料が底をついたことによる内争等によって落城(1343年11月12日)することになります。政泰はこの時に自刃して果て(討死にとも)、関宗祐・宗政は討死。北畠親房は脱出して大和吉野へ戻りますが、春日顕国は混乱の最中に城を抜けだし逃げ延びます。 1344年、春日顕国は挙兵し大宝城を奪い返しますがすぐに捕らえられ斬殺されることになります。


    本殿の左側には下妻政泰の碑が建ててあります。アジサイ苑では花菖蒲が綺麗に群生していたので、三脚を取りに車へ戻りましたがお店のおばちゃんに休憩を勧められ・・・店内にNHKで紹介されたという、一輪に綺麗に真っ二つに白と紫の花が咲いた菊の写真が飾ってあってその話で盛り上がり、お団子買ってつい帰ってきてしまいました(爆)

    アジサイ祭が行なわれ、参道では流鏑馬も行なわれるそうです。その頃にはアジサイもかなり咲いているのではという話なので、また行って見ようかと思いました。実は、雨のせいもあって境内の写真はあまり撮っていません(;´Д`A ```

  • 手水舎には河童やら蛙やらが回りにいます。<br /><br />右手には手前から二荒神社・道祖神社・浅間神社・開郡神社・八坂神社・愛宕神社・水神社。

    手水舎には河童やら蛙やらが回りにいます。

    右手には手前から二荒神社・道祖神社・浅間神社・開郡神社・八坂神社・愛宕神社・水神社。

  • 拝殿左手には、七福神が。。。「YATTAー!!」と見えますが(笑)

    拝殿左手には、七福神が。。。「YATTAー!!」と見えますが(笑)

  • 社務所と拝殿の脇からあじさい苑への道が続きます。奥に見える社には願い石を。。。

    社務所と拝殿の脇からあじさい苑への道が続きます。奥に見える社には願い石を。。。

  • 本殿。

    本殿。

  • 祖霊殿。大宝寺の本殿だったものです。<br />

    祖霊殿。大宝寺の本殿だったものです。

  • そしてアジサイ坂?

    そしてアジサイ坂?

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