2009/04/29 - 2009/04/29
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Johnnieさん
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G.WはETC1,000円を利用して遠出しようということになったのですが、西は混みそうなので東北を選びました。
平泉→盛岡→角館→秋田→弘前→青森→八戸→松島→仙台
という、4泊5日の盛り沢山ルートです。
1日目、平泉観光終了後、本日の宿泊地である盛岡へやって来ました。
観光目的は盛岡城跡です。
夕方になってしまったので東側はかなり暗くなってしまいましたが、それでも西側は鮮やかな石垣を見ることができ、盛岡南部藩の底力を感じることが出来ました。
今日は城の完成を前に病死した、南部氏中興の祖である信直のことについて考えながら歩きたいと思います。
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平泉から盛岡へ移動し、城跡に着いた時には既に薄暗くなりかけていました。
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【帯曲輪】
建造物は残っていないので、明るい内に石垣を見て回りたいと思います。 -
【帯曲輪】
盛岡城は南部氏の居城で、江戸初期の1615年に完成しました。
完成には40年ほどかかったと言いますが、この石垣の規模を見れば納得ですね。 -
【腰曲輪南西部の石垣】
北東北の近世城郭と言えば弘前城くらいしかイメージがありませんでしたが、ここまで立派な石垣の城郭が盛岡に存在していたとは本当に驚きです。
南部氏のことは余り知らなかったのですが、確かな実力があったことが想像できました。 -
【腰曲輪南西部の石垣】
南部氏の起源は源氏の流れを汲んでいるらしのですが、この後、さらに古い南部氏の城郭を訪ねるので、そこで触れたいと思います。
この稿では、築城主である南部氏中興の祖である信直から始めたいと思います。 -
【腰曲輪南西部の石垣】
天文15年(1546年)3月1日、南部家の第22代当主・南部政康の次男・石川高信の庶長子として岩手郡一方井で生まれました。
中興の祖で第22代ということは、本当に歴史が長い家柄なんですね。 -
【腰曲輪北西部の石垣】
決して直系とは言えないものの、時の当主である第24代晴政が男子に恵まれなかったため、晴政の娘の婿養子になりました。
次の当主の第一候補となったわけです。 -
【腰曲輪北西部の石垣】
ところが信直24歳の1570年、晴政に息子・晴継が産まれました。
すると当然、実の息子に跡を継がせたいのが人情というもの、信直は晴政に疎まれるようになります。 -
【腰曲輪への入口】
何度か晴政の襲撃を受けたとも言われており・・・1576年に妻(晴政の娘)が亡くなると信直は養子の座を辞退しましたが、それでもなお、命を狙われていたそうです。 -
【腰曲輪】
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【本丸】
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【本丸】
御末御門 -
【渡雲橋】
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【二ノ丸】
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【本丸北西部の石垣】
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【渡雲橋】
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【三ノ丸】
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【三ノ丸】
烏帽子岩 -
【二ノ丸東の石垣】
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【三ノ丸の石垣】
岩盤露出部 -
【本丸東の石垣】
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【本丸東の石垣】
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【本丸東の石垣】
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【本丸東の石垣】
冠木御門 -
【榊山稲荷曲輪】
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【二ノ丸北西部の石垣】
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