2009/05/01 - 2009/05/05
197位(同エリア308件中)
きっちーさん
ことしのGWは、埼玉特集でっす☆
いやもう、スゴかったですよ!
遺跡ありまくりですよ!
そんな中でも、特にインパクトの強かった、『吉見百穴』をご紹介致します!!
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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-
高麗神社から、タクシーで高麗川駅へ戻ります。
-
丁度よく来た電車に乗り込み、のんびり列車の旅。
駅弁は出ませんけど。←そこかい -
トラベラー城壁フェチさんの、お膝元・・縄張り・・庭?でございます(笑)。
鴻巣駅から一気にタクシーで吉見百穴へ。
マミー・・豪快な・・。
今回は、交通費がかさむ旅じゃの〜。
バスもあるようですが、「待ってる時間がもったいない」とのたもう、母上。
しょせん、ゆとりの旅とやらが出来ない、せっかちな母子です。 -
こちらが、入口。
とくに重文指定とかにはなっていないらしく、入場料も300円と結構リーズナブル?
「大人2枚」
チケットを買いながら、
「すみません、ロッカーってあります?」
尋ねます。
着替えが入った荷物が、ちょっと邪魔。
高麗神社でずっと肩にさがっていたので、肩が痛いだ。
すると、
「あ、いいですよ。こちらで預かりますよ」
チケット売り場の女性が申し出てくれます。
やーさーすぅいィ〜。
感激です。
「それと、帰りのバスの時間を教えてほしいんですけど〜」
ずうずうしいです。 -
埼玉の高麗神社へ母が行きたいと言い出した時に、付け焼刃で探しだした遺跡のため、予備知識がまったくございません(笑)。
なので、入る前に解説をチェック!
――200年前の文献にすでに『百穴』との記載が見られるこの吉見百穴。
1887年の調査で、住居がのちに墓として再利用されたものとされてきましたが、その後、各地で確認された横穴との比較調査の結果、百穴は古墳時代後期の墓穴として造られたものであることが、明らかになりました。
こうして、史跡にも指定された吉見百穴ですが、戦時中、横穴群のある岩山に工場建設がおこなわれ、数十基の横穴が破壊されました。
敗戦後、吉見百穴保存会と吉見村の尽力と管理によって、現在の形となります――
尚、熊井啓監督『ひかりごけ』(三國さんヤバすぎ)で有名なヒカリゴケも見られるとか!
能書きは、もうよい!
行くぞーッ! -
ゲートをくぐると、奇相の岩肌が目に飛び込んできます。
なんじゃありゃーっ! -
すごい、すごい!
ぜったい、本物を見て頂きたい!
お墓〜と思うとアレですが、見た目的に面白いというか、可愛いというか。
とにかく、インパクトがすごいv
蜂の巣みたい・・。 -
吉見百穴には、階段が整備されており、うえに登っていけるようになっています。
行くぞ、マミー!
横穴のうがたれた岩壁のふもとに、ウチらのような親子連れや、シニアご夫妻、ご近所から来たようなラフなスタイルの方たちまで、幅広い世代が憩っています。
埼玉のポピュラーな観光地といった雰囲気です。 -
横穴の周辺にはポイントごとに、解説板が立ててあります。
墓穴の数からいって、近くに相応の集落の存在が窺われますが、案の定というか、市野川が流れています。
水場がある場所じゃないと、人も住みずらいでしょうし。
あ。
松山城っていうのもある。 -
これは、おもてにあった解説と同じ、かな?
それにしても、『土蜘蛛人(コロボックル)』って・・・(汗)。
アイヌ伝承に登場する小人伝説ですが、この穴だけで実証するのは難しいかと。 -
さっそく中へ・・・v
墓穴の中へ〜・・vv
吉見百穴のすごいポイントは、なんつっても入れるトコでしょうねv
「お母さんも、おいでよ〜」
と、誘ったら入ってくる母。
せまっ。
ふたり入るとせまっ。 -
入口を外から見ると、こんな感じ。
奥が、更にワンサイズ狭くなっています。
頭ぶつけました(笑)。 -
中には、もう何もありません。(骨とかあったら怖いが)
-
現代人からすると、やや小さいように思えますが、壁際に寝台のような、凹凸があります。
・・・土葬・・?? -
人さまの終の棲家に、楽しく出入りして写真撮っていていいのかって話ですが・・・まあ、いいんじゃない?
骨も残ってないし。
そんな罰当たりな見学者。
いつ穴が崩れてきても不思議ではないかも知れませんので、頭のうえも見とかないとね!
天井には、むかしの削り跡までくっきり残っています。 -
これは・・イタズラだろうな。
合格、の文字。
墓を削らんでも・・。 -
よし。
出よ。
せまかった。 -
今度は、「玄室の形」の解説板です。
やっぱり穴の中にあった凹凸は、遺体の安置場所じゃった〜。
触っちゃった・・(汗)。
しかも、家族墓もあるそうなので、母上ともぐっていた墓穴には、複数体入っていたかも・・。
うむむむ・・。 -
懲りずに、またもぐり込もうとする、罰当たりです(笑)。
しかし。
入り口が成人お断りの、ちぃーちゃっい子くらいしか入れないよな墓穴も!
それでも、チャレンジしようとして、また頭をぶつけました・・。
つーても、だいたいの横穴が、大人がしゃがんで入っていくようなサイズ。
内部は中腰くらい。
油断すると、ゴチンッとなります。
あだだ・・。 -
墓穴の入り口のみぞが気になっていたのですが、入場者が多くて磨り減っていたわけじゃなくて(笑)、排水設備でした〜。
-
続いて、『横穴に葬られた人々』。
吉見百穴の埋葬者が、特権階級であったことを示唆する中身。
う〜ん。
そうなのかなぁ〜。
古墳までいくとそれも納得ですが。
江戸時代の村八分じゃないけど、葬儀についてはこの地域の村人が支配関係無しに手を貸していたと、思えちゃうのは現代的な見方なのかな。 -
玄室の壁に!
不思議な彫り物が!!
文字でしょうか?
絵なのでしょうか?
それとも、祭儀に関係があるのでしょうか?
いずれにしろ、これが古墳時代のものなら、誰が何のためにと考えて、それだけでワクワクしてきます。 -
時代がくだると埋葬様式のも、変化が起こってきたそうです。
徐々に様式が整えられてきた、ということでしょうか。
残念なことに、信仰の中身そのものはわかりませんが、方位に関係してくるということは、中国や朝鮮半島などの渡来の思想も取り込まれてきたということかも知れません。
古墳内部の装飾が、あきらかにユーラシア大陸のデザインが持ち込まれていることは、すでに周知ですが、こういった横穴式墓穴の研究も、もっと進めば思いがけない発見があるかも〜vv -
穴から穴へ、出たり入ったり覗いたりしながら、岩山の頂上へ登ります!
けっこう急な場所もあるので、雨降ったあとは気を付けた方が宜しいかもしれませんよ〜(笑)?
頂上からは、別ルートで降りられますので、今度はそちらから。 -
木陰や、草の生い茂った部分にも、穴が!!
-
崩れそうなところは、補強してあります。
-
人が登るための足場ような、凹みも!
大昔の人の、足跡かしら〜?? -
本当かどうかは分りませんが、解説板によると吉見百穴は現世を離れた死者が別世界へ行き、現世同様の生活を送るのだ、という思想に基づいて造られているものだそうで・・。
ふーむ。
だとしたら、今のようなボコッとあいた穴倉系の設計ではなく、製作当初は扉があったり、派手派手ゴーカに飾り立てられていたのかも?
最初はどんな感じだったのか、CGなんかで再現してくれたら面白いな。
古代の人って、仏像なんかもそうだけど、意外と派手っつーかケバイし。
すっごいものが見られそうな・・(笑)。 -
ぞろりと広がる吉見百穴の岩壁に、隠れるようにしてちいさな入口があります。
-
奥からは、冷たい風が吹きあがっています。
この光景、どこかで見たような・・・。
そう!
長野の松代大本営あとにそっくり。 -
案の定というか・・・。
やはり、戦跡。 -
『GWも仕事だぜッ!上(タイムオーバー!長野・松代大本営)』
http://4travel.jp/traveler/need/album/10236779/
↑ご紹介した、松代大本営と酷似した空間が広がっています。 -
松代では、軍関係者の証言によると朝鮮人労務者だけで6500〜7000人が危険な突貫工事に駆り出されていました。
劣悪な環境と人権を無視した作業工程の中で、死亡する労務者が続出したため、火葬場4ヶ所が稼働したという記録も残っています。
そんな、松代大本営跡にくらべれば、吉見百穴の軍事工場跡は、かなり規模の小さいものですが・・。 -
軍事工場建設のために、極秘に駆り出され、軍事機密として記録も残されずに死んでいった人たちが、ここにもいるのではないか?
そんな考えが、頭をよぎります。 -
軍事工場の支柱が、墓所を破壊し突き立てられています。
-
そこかしこで通気口のように、壊された墓穴が見て取れます。
腹の底で、軍事力にどろりとした怒りを感じるのは、いつもこんな時です。
「軍事力は国民を守るために欠かせないもの」と気楽に信じることが出来たらきっと楽なのかも知れません。
けれど、近代を超えた現代では、国民を守る軍事力同士がぶつかるというのは、絵空事です。
つまり、戦場で兵士同士が闘い、市民はそれに参加することは無い、というのはありえない、ということです。
実際には、「戦意をくじく」という「作戦」から、非武装市民をターゲットにした攻撃がつづけざまに行われ、一度火ぶたが切られればエスカレートこそすれ、軍事力にそれを抑止する力はありません。
上海・南京・重慶・イラク・パレスチナ・水原・広島・長崎・ゲルニカで起きたのは、軍事力同士のぶつかり合いだけではなく、非武装市民への空爆や虐殺でした。
一度、戦場化してしまうと、もはや非武装市民であっても守るべき対象ではなく、スパイのまぎれ込んでいるかもしれない、軍隊外の人間――。
「あやしき者は殺せ」になってしまうのです。
それが、自国民であったとしても、変わりません。 -
軍隊は市民を守らないし、作戦遂行の障害となれば、逆に攻撃することも厭わない組織である、というのは、沖縄・アウシュヴッツ・アメリカで、その国の国籍を有する「国民」であっても、隔離・遺棄・殺されていった人々が存在していた事からも、明らかだと思います。
その根底には差別もありましたが、被差別の枠の中に囲われれば、誰もが容易に暴力に晒されていきました。
彼/彼女達が掲げる錦の御旗、吉見百穴のような「伝統」的で「文化」的な史跡も、軍事力の前には無価値に破壊されています。 -
軍事力による問題可決という選択肢を放棄し、本気で人命を守る方法は、戦場や戦闘状態をつくらせない状況を作り続ける事しか、ないのではないか。
そう信じます。
もちろん、平和を謳歌する人々の背後で、放置され貧困のなかで遺棄される人たちがいるのなら、それは本当の平和とは言えません。
私に知的な刺激をくれる方が、掲示板でおっしゃられていたように、低価格の裏で製造工場の労働者が酷使されるようなアンフェアは、やはりまっとうではないと思います。
すべての人が満足し、だれもが納得する社会は無いと思いますが、すべての人が基本的人権を脅かされない社会づくりをしていく努力はすべきだし、可能だと思います。
貴族だろうと、庶民だろうと、死んでしまえばタテヨコ同じ穴の中なら、生きているときに人を不幸にしない方向を歩むのは、悪くない生き方なんじゃないでしょうか。 -
死者の眠る(眠った)場所というのは、なぜか生について考えさせられます。
ぼんやりしていると、子どもたちのはしゃぐ声やお年寄り夫婦の明るい笑顔に、沈んでいた気持ちがすこしづつ浮上してきます。 -
お。
あれが、ミクニーの(注:三國連太郎)ヒカリゴケだ! -
墓穴の一ヶ所に自生しているらしく、見学者の人垣ができています。
-
お母さんと、次に覗こうとしている人(笑)。
「どうぞー」
「あ、すみませーん」
という会話をしております。 -
これが、ヒカリゴケ?
え?
光ってないよ??
「暗い方、見てみなさい。暗い方!」
そういわれて、奥の方に目を凝らすと・・・・。
あ!
ホントだ!
光ってるよ!!
うすぼんやりとしたプチプチが、きらきらと張り付いています。
すっごーい。
でも、写真では写らんかった。
残念。
本物をご覧になりたい方は、ぜひ吉見百穴(埼玉)へどうぞ〜。 -
あー、面白かった!
帰る前に、お土産でものぞくかと、それらしき建物に近寄ると・・・。 -
どんだけハニワを売りたいんだ・・。
3回書かずともよかろうに。
何か違いがあるのかと、じっと見つめてしまいました(笑)。 -
「200円〜」って書いてなかったけ?
けっこう、エクスペンシブなハニーたち。 -
お土産屋さんだけじゃなくて、出土品も少数展示されておりました。
-
後頭部(笑)。
自分でも、なんで撮ったのか分からない。 -
真面目に、面白い展示もありました。
-
ガラスケースにライトが当たってしまい、ゲキ見にくいんですけど(汗)。
吉見百穴を描いた、1888年のスケッチです。
現在とは地形が異なり、市野川がぐっと近くを流れています。
そうなると、集落は対岸だったのでしょうか?
発掘調査が行われないかと、やきもきしてしまいますが、やはり古代世界は歴史ロマンですね。
いつか、心躍る発見があるかも知れません。 -
縄文時代の衣服。
先住民アイヌのデザインによく似ています。 -
学校で習った歴史は、かなり断片的な記憶になっていますので、こーいう展示って新鮮だったりして(笑)。
-
吉見百穴は、墳墓が変化していく、過渡期の埋葬スタイルのようです。
-
てか、古墳時代っていつごろなんじゃろ〜(滅)。
いや、暗記学習なんで時代の順番は覚えていても、西暦を忘れとります。
終わった・・。 -
ちなみに、『吉見百穴』といわれていても、実際はもっと多い。
219基!!
吉見219穴じゃ、語呂が悪いですもんね。 -
そんな、吉見百穴周辺に住まわれていた、古代人のお台所をチェック☆
ひとり暮らしだと、野菜サラダ関係は自分で真面目に作りますが、たいてい標準メシ・タイムに仕事で帰れない事が多い(泣)。
職場でテキトーに済ませちゃうので、気がつくと台所が放置プレイになってたりしますが・・。
昔の人の台所は、どうだったんでしょう?
お。
ちゃんと、屋内にあったんだ。
しかも、コレすごいすよ!
蒸し器だ、蒸し器! -
土器を二重にかさねて、水蒸気で蒸すんですから、まさにセイロ!!
むかしの人の生活って、歴史上の有名人を中心とした、王朝とか御殿生活みたいのはわりと記憶に残っていて、逆に庶民の暮らしってあまり学習した記憶がないんですが、こうやってみるとなんか親近感が。
特に、いまの調理器具と構造が同じものを知ると、ぐっと身近に感じます。 -
これが、蒸し器のうえの方の土器ですね。
-
この出っ張りが、下の鍋に引っかかるのだ。
現代にも通ずる土器に、原理を発明した人はどんな人だったんだろーと、あれこれ想像して楽しんでいる私の横で、マミー大興奮です。
「これ!こないだ読んだ、朝鮮半島で発見される土器の特徴よ!!」
「どれ〜?」
「この出っ張り!」
鼻息も荒く、眺めまわす母上。
・・・ヲタクだ。
世の中、カッチョイイ韓流アクターにどっぷりハマる女性が多いのは、映画好きとして十二分に理解できます。
不安な時代に、戦国武将にドリームを感じる歴女が溢れるのもアリでしょう。
なのに、そんな潮流も無視して、ウチの母君はアジア通史歴女です。
同じ朝鮮半島でも俳優とかどうでもよくて、このような土器や瓦を見て興奮している姿に、どう対処していいものか・・・(笑)。
しかも、こういう興奮は伝染するんだよなあ〜。
だんだん、なんでもナイ土器が、すんばらしいものに見えてきた・・・。 -
さきほどの、回答が記載されていました(笑)。
「古墳時代って、西暦何年?」
と、思う人が私だけじゃないんだな。 -
吉見百穴のある吉見町地域は、大昔の主要幹道をつなぐ、要所だったんですね。
-
吉見町を通っていた道の名前は、東山道?
-
幹線道をつないでいるだけでなく、東西をつないでいたんですね。
ずいぶん長距離ですが、どんな道だったんですかねー? -
山形や秋田まで!?
軍事道路でもあったそうですが・・。
へえ〜。 -
このイラストが、再現図ですかね。
ホントに道路ですね!
馬は、渡来の高級品だから、そんないなかったと思いますが、こういう道路が貫いていたとしたら、古代のイメージが変わっちゃいます。 -
うわっ。
また、ピンボケ写真(汗)。
すんまちぇん。
東山道の解説です。
やっぱ、中央政権の支配のための軍事街道としての、側面がつよかったんですね。
「群馬」って記載されてると、ドキッとしちゃう群馬びいきです(笑)。 -
さきほど、イラストで紹介されていた、古代の道路がどんなだったかの、発掘成果が紹介されています。
場所によって道路の作り方に若干違いが見られるそうですが、昔の人も道路に砂利とかしてたんだー。
へえ〜。 -
こちらは、石室からみた吉見百穴の位置づけですね。
初期の古墳の石室は、縦穴式。
いっかい出来上がって被葬者が埋葬されてしまうと、古墳を壊さないと追葬などは困難でした。
やがて、中国大陸から新たに、横穴式の石室構造が伝来します。
それが、古墳時代後期、吉見百穴に結実します。
以上のことから、吉見百穴の被葬者は「豪族」、「渡来系」、そういった人々と考えられているそう。
もともと、古墳自体、その壁画から中国・朝鮮半島の様式であることが解明されてきています。
ただ、中国大陸や朝鮮半島との交流というと、九州や近畿の方にスポットが当たることが多くて、自分もどちらかといえば、関東よりこっちは、先住民アイヌ系統の影響しか見ていなかっんですが。
関東地方にまで、広大な範囲に渡って、定住していたってことですもんね。
先ほどの土器といい・・。
日本列島全体に、中国・朝鮮半島の血脈がしずかに染み渡っているのを感じます。 -
コチラの解説を読むと、やはり当初、吉見百穴にはフタが存在していたそうです。
百穴がつくられた時代の特徴は、大きく分けてふたつ。
①仏教の伝来
②中央集権国家の誕生
①によって、既存の生死観に新たな思想が入り込んできたわけですから、埋葬スタイルが変わってくるのも頷けます。
②大和朝廷の支配の拡大とともに、埋葬スタイルにも支配者の意思が加わってきます。
死んだあとの墓まで口を出されるのは、感情的にはうっとおしい事このうえないですが、まあ、庶民にはそんな影響も無かったのかなー? -
おう・・っ!
先ほどの軍事工場あとの、詳しい解説みっけ!
規模が小さいと油断しておったのですが、やはり松代大本営と同様、見学できる部分が少ないだけで、未公開スペースを加えると、そうとう大きな施設だったということが分ります。 -
そして、これも案の定というか・・。
予想はしていたんですけど・・・。
削掘工事に駆り出されていたのは、朝鮮人労務者の人たちですね。
3000人〜3500人というと、松代の約半数。
数字にしてしまうと、実態が読めないのですが、ここに書かれている『突貫工事』がどのようなものであったか・・・。
松代大本営での事例を考えると、寒気がしてきます。
http://www.matsushiro.org/index.html
日本の歴史には、重層的に近隣諸国の人々の悲惨な歴史が下敷きにされていて、調べていくと辛くなってくることも多いですが、知らないことのほうが、どこかで乖離していく気がして怖いので、やっぱり知っておくことは基本だと思います。 -
そんな感じで!
一見、不思議な遺跡に、
①朝鮮半島から渡来の、それなりの規模を持つ集落の存在が、確認できる事。
②遺跡そのものに、大陸および半島からの影響が見て取れる事。
③日本の侵略戦争下で、再び遺跡に朝鮮半島の人たちが関わっていた事。
近代の植民地支配や強制連行・徴用の歴史は、許しがたい思いがありますが、古代においても、移住の憂き目に遭いながら、どっこい生きていた人たちの足跡をみました。
遺跡自体は、まだまだ将来的に何か出てきそうなところが、楽しみですv
勉強になる展示と、墓穴に入場オーケーな、最高にスリリングな吉見百穴でした!
受付の人に荷物を返してもらって、バスの時間を確認。
こちらもチケット売り場の女性が、「次に来るのはですねえ~」と、これまた時間までアドバイスしてくれます。
至れり尽くせりじゃのう。
最後に、お母さんと入口? -
さて、吉見百穴からバス停へ向かう途中、山に張り付くようにして、こげなお寺さんが。
まだバスが来るまで時間があるし、のぞいてきましょうか〜。 -
お。
長野の善光寺にもあったやつだ。
けっこう、怖いんですよね。
「崩れて生き埋めとか、なにかあったら困るから」と、やめておく度胸のない母子(笑)。 -
2階へあがれるようなので、そっちに行ってみることに。
-
なにが祀られているのかわかりませんが、やったら看板が目につきます。
-
梁もお札だらけ。
まるで耳なし方一のよう。 -
弘法大師とか観音とか読めますが、何が書いてあるんだかよう分かりません??
-
同じく、頭の周りに?????が飛んでいる、マミー。
まあ、よく信仰されているっていうのは、伝わります。 -
これがご神体。
岩?? -
「床が抜けると怖いから」
と、さっさと降りてしまう母上。
いや、それは大丈夫でしょ? -
由来が張ってありやシタ。
弘法大師がこの地を訪れたおり(水戸黄門みたいですね〜)、この岩窟用に観音像を彫ったと。
そんでもって、秀吉の城攻めの時も、寺は焼けれども観音像は焼けなかったと。
その後、再建されたこのお堂は、懸崖(けんがい)造り。
有名なのは、京都・清水寺の本堂です!
ふーん。
清水寺っつーと、なんだかありがたく思えてきたぞ。
ネームバリューに弱いのだ(笑)。 -
あの岩穴が弘法大師ゆかりの、ですかね?
ちょっと、せまそうですが。 -
舗装されいるから、行けそうかなーと思うのですが、『この先、危険』の看板に鋭く反応したマミーが、背後で首を横に振っています。
ちっ、ひとりなら行くのに〜・・。 -
無難に、周辺のほこらをのぞくと、石地蔵がズラッとならんでいます。
-
「この穴も、百穴利用だったりして」
「まさか。さっきの場所がお墓だったんでしょ?」
などと話しながら、再び道路へ出ると・・・。 -
お寺の周辺の岩に、百穴発見。
え・・。
ひょとして・・・? -
うーん。
お墓の再利用は、エコと言って良いのか・・。
そんな、哲学的な思索にふけりつつ、バス停へたどりつきます。
ガッコのすぐそばなのね。 -
バスの運行表をみると、休みの日はとくに本数が少ないので、ウチらのように公共機関を利用される方は、計画的に来られることをお勧めします。
ハイ。 -
「思ったより、楽しかったねー!」
「そうね。埼玉にこんな所があるなんて、知らなかった。
あんた、どこで見つけてきたの?」
「え?ネット・・」
「遊んでばっかいないで、仕事しっかりしなさいよー」
「してるじゃん・・っ!!」
なんとなく、うしろめたい今日この頃(笑)。
行動が筒抜けのようです。
重い車体を揺らして、バスがゆっくり近づいてきます。
おっし!
今宵の宿へ向かいますかなっ。 -
次回!
それどこ下編は・・・。
古墳大集合!!
こんなにあったの!?って、ビックリするくらい古墳だらけですよ、埼玉!いやさ、さきたま!!
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この旅行記へのコメント (4)
-
- 裏山の探検隊さん 2009/08/08 06:17:49
- すごい遺跡ですね
- こんにちははじめまして
ここはすごい遺跡ですね。こんなところが日本にあるなんてびっくりしました。
聞けばここは嫁さんの実家の近く・・・。帰省したときにでも行ってみたいと思います。
- きっちーさん からの返信 2009/08/08 10:40:03
- RE: すごい遺跡ですね
- 裏山の探検隊さん、こんにちは!
遺跡というと、宗教関連の山深〜いところとか、豪族や宮廷が都を置いた付近にしか無いようなイメージだったのですが、埼玉という近場に古墳群や吉見百穴のような、文字通り穴場が驚くほどありました。
とくに、吉見百穴は江戸時代から、学者さんたちがチョコチョコ調べに来ていたようですが、あのインパクトは一度見たら忘れられません。
面白いので、是非行ってみて下さい!
戦時中は軍事工場を置いたため、貴重な遺跡が壊されている部分もあって、非常に頭にきました。
人のお墓を壊して、武器を作ってるんですから。
などといいつつ、中に入っちゃいましたが。
他に同じ穴のひとつで、「ひかりごけ」も見学する事ができて、なんだかお得な所でした。
地元の人以外に、あまり知られていないのが不思議です。
まだ、旅行記は書き終わっていないのですが、とてもお勧めです。
-
- 城壁フェチさん 2009/07/14 12:50:39
- 通行税戴きそびれました!
- 今年のゴールデンウィークは我が家の軒先を通過してたんですね〜。
吉見百穴まで車で5分、行田古墳まで車で10分、知っていたらご案内いたしましたのに!
小金井公園も8年くらい前に行き、とっても気に入った所です。
高麗神社もやはりその頃行きました。主人の骨格がどう見てもコリアの血が入っている顔なので(笑)
埼玉は意外と古代の歴史に通じるものが多いです。
埼玉に住み着いて30年、此処に来たから大陸の風を感じてしまったのかも。
まだ大陸行きが実現しない今日この頃です(; ;)
- きっちーさん からの返信 2009/07/14 19:20:52
- 脱税越境(笑)?
- そうなんですか!
j城壁フェチさんのパワーに引き寄せられたのかな(笑)??
吉見百穴!すっごい面白かったです。
まだ、旅行記は書けてないんですけど、崖にポッカリ穴があいているのは壮観でした!
蜂の巣じゃないですけど、「なんでこんな・・??」と不思議なのと同時に、どこかユーモラス。
さきたま古墳群もスゴかったですが、個人的には百穴が一番お気に入りですv
ご主人、ひょっとしたら遠いご先祖が、そうかも知れませんよ??
東北地方はややびみょーですが、列島の西方面はかなり渡来人の足跡が残っていますし。
母から事前学習で渡された本を読むと、高麗神社付近には列島の他の地域にいた渡来系の朝鮮半島技術者・住民が、大量に移住させられたそうです。
ながらく埼玉にいた半島出身の人々はともかく、強制移住者は生活圏を引き剥がされたわけですから、大変だったと思います。
ネイティブアメリカンの歴史みたい。
それでも、多くの人が暮らし、神社という形で半島亡命貴族の足跡が残ったのですから、地域史的にはとても面白いなあと思いました。
夏休みは、またひとり旅に行こう!ウッシッシ・・と航空券だけおさえたのですが・・。
退職者が出てしまったせいで、体制的に行けるか・・暗雲が起ち込めてきています(泣)。
行くったら、行くんじゃーっと、職場カレンダーに書き込んであります(笑)。
どうなるでしょうか。
j城壁フェチさんも、この頃の凶悪な暑さに負けずに楽しい夏を!
また、ブログへお邪魔します!
そんではっ☆
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