2008/08/22 - 2008/08/31
192位(同エリア508件中)
目黒警部さん
中国雲南各地の少数民族の民居・村落を移築、中国雲南の少数民族の村落そして文化を集中展示している、中国雲南民族村に出かけた。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 航空会社
- 上海航空
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2008年8月
西山森林公園の中腹よりゴンドラに乗り、テン池(昆明湖)を横断し湖の畔にある雲南民族村の入口へとやって来た。 -
ロープウェイの駅を降り立つと、民族村の電気自動車が待ち受けていた。
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電気自動車の運転手から民族村の入場券を購入すると電気自動車の乗車賃は無料になるというので、70元の入場券を買うことにした。
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民族村の西門に10分もたたずに電気自動車は到着。
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入口を入ったすぐのところには、モンゴル民族の村があった。
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一緒に電気自動車に乗車してきた中国人が、弓をひいてさっそく遊んでいる。
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民族衣装が鮮やかですね。
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民族村の看板を見る。
この広大な公園をすべて見て回るには、1日ではたりないだろな〜 -
1987年オープンした中国雲南民族村は、昆明の風光明媚なテン池の畔に位置し、8.3万km2の敷地に中国雲南25ケの少数民族うち、タイー族、ペイ族、イー族、チベット族など13ヶの少数民族村が完成しています。
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つり橋か〜
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渡ろう・・・・
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民族村の看板に大きく表示されていましたペー族(白族)の村に入ります。
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ペー族の女性たちは、絹のスカーフ、エプロン、両側が長く前後が短い長袖シャツに赤や黒の短い袖なしの上着、幅広のズボンに刺繍の布靴という格好をしている。
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白壁と青い瓦が特徴のペー族の民族建築。
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各家には色鮮やかな彫刻が施された“門楼”がある。(白族民族館)
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白族民族館の中庭です。
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1fでお茶と舞踊鑑賞券を売っていましたので20元にて購入。
2fへと階段を登ります。 -
ぺー族の既婚者は藍色か黒のシャツにエプロン、幅広のズボン。
洋服のどこかに必ず黒、赤、白の3色が入っているので「カササギ」に例えられている。 -
白族民俗館2fからの眺めです。
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白族の女性にエスコートされて個室に入ります。
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個室の茶室にてお茶をいただきます。
ペー族には「乳扇」というチーズがあって、油で揚げたり、刻んで「三道茶」に入れて食べます。
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「三道茶」はもともと大理王国の宮廷の茶法だったが、現在では一般 のペー族の間にも広がった。
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「一苦二甜三回味」といわれ、苦い、甘い、スパイシーと3種の味のお茶を楽しむことができる。
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少しの間お茶を飲みながら、漢字メモにての会話タイムです。
『独身ですか?』
『はい』
穏やかな顔が少しこわばり彼女は言った。 -
2fの舞台がある大部屋に移動しました。
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ペー族でよく食べられているのは『拉皮』という麺で、白菜、羊肉、香菜、唐辛子、にんにく、酢が入っている。
来客のあるときには、表面だけを火であぶった皮付きの豚肉を薄切りにして、しょうが、ねぎ、にんにく、酢であえたご馳走が振舞われる。 -
その他には牛乳にヨーグルトを混ぜて火にかけ、固まらせたものを油で揚げて食べる、『乳扇』というチーズのようなものがある。
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ステージに一人の女性が現れました。
舞踊の始まりです。 -
ペー族は、古代羌人を祖先に持つ。
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蒼山・アルカイ湖遺跡、海門口遺跡によって、新石器時代以前からアルカイ湖地区で生活していたことが明らかになっている。
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研磨石器を使い、簡単な農業、牧畜業、漁業、狩猟にたずさわり、穴居生活をおくっていた。
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2000余年前から金属の道具を使い始め、農業、牧畜業を発展させた。
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西暦2世紀に、漢の武帝が蒼山・アル海湖地区に郡県を置いた。
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8世紀頃、この一帯には前後して彝族、ぺー族の先住民を主体とする奴隷政権「南詔国」とぺー族を主体とする封建領主制政権が現れ、フビライ率いるモンゴル軍に滅ぼされるまで300年間「大理国」として栄えた。
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現在の居住地域は、雲南省の大理州周辺や昆明市、元江県、四川省、貴州省、湖南省など。
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人口は159万人(1990年) 言語は チベット語に属するぺー族語を話す。
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ぺー族の代表的な行事は”火把節”。
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火把節は旧暦6月25日に行われる。
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村で大松明を立てて燃やし、その火で先祖や田の神を迎えて豊作を祈願する。
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火把節の時、若者たちが覇王鞭と八角鼓を持って踊る、テンポの速い「覇王鞭舞」が演じられる。
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ぺー族の文化はチベット族の牧畜民的要素と白蛮系の稲作民的要素が融合し、さらに漢文化が加わった複合文化である。
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ぺー族はぺー族の言語を使用し、この言語は漢・チベット語系、チベット・ミャンマー語派、イ族語分支に属し、南部、中部、北部の3つの地区の方言がある。
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大多数のぺー族の人たちは自民族の言語を使用し、漢語にも精通している。
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ぺー族の人たちは唐代の頃から漢字を基礎とする四角形のぺー族の文字を使いはじめ、それによってぺー族の言葉を記録していた。
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漢民族とぺー族との往来により、ぺー族の人々は長期にわたって漢民族の進んだ文化を学び、その結果、ぺー族の言語の中に数多くの漢語の語彙が吸収され、漢語はずっと前からぺー族の人たちの間で通行する文字となっていた。
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ぺー族は村社の神に相当する本主を崇拝し、仏教を信仰している。
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90%以上のぺー族の人たちは農業に従事し、農業の発展レベルはかなり高いものであった。
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ぺー族の人たちは自分たちのことを「白子」、「白カ」、「白尼」と呼び、その意味はぺー族の人たち、ということである。
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1956年にぺー族の人たちの願いによって、呼称は正式にぺー族と定められた。
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ペー族は花と虫を信仰し、自然の中のもの、例えば、風、雪、花、月などをとても大切にする民族です。
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女性の頭飾りにはその部分ごとに色々な意味があり、飾りの一番上の部分は雪を表しています。
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横に垂れる白のヒモは風のイメージです。
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独身の女性の付けるヒモは長く、既婚者は短めになっています。
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飾りの赤の部分は花のイメージになり、飾り全体の形は月を表しています。
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ペー族の若い男女はたいてい夜に行われる映画の上映の日に結婚相手を探す。
互いに気に入ればよく、仲人を立てて農閑期に結婚式が行われる。 -
花嫁衣裳が変わっていて、赤、ピンク、黄色などの色鮮やかなポンポンを積み重ね、ビーズで飾り立てた帽子のようなものをかぶる。
ドレスもショッキングピンクで、その上、サングラスをかけ首からは鏡をぶら下げている。 -
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白族のお茶と美人舞踊を堪能しました。
そろそろ次の民族の村へと移動します。
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