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1).  旅の始めに<br /><br />                                        兵(つわもの)の 儚き夢や 花蘇芳<br /><br />  安徽省の省都「合肥」は、「淮河」と「長江」の間に位置する街で、嘗て「蘆州」と呼ばれ、三国時代の古戦場として有名な「三国故地」ある。<br />  清朝末期、この街出身の政治家に、「李鴻章」と言う人がいた。「太平天国の乱」を鎮圧し、「日清戦争」の終結のため、山口県で締結された「下関条約」の、清国代表を務めた政治家である。中国版新幹線の開通により、上海から比較的短時間で行くことが出来るようになったのを機に、「李鴻章」の生まれ故郷の「合肥」への旅を、思い立った。<br /><br />2).安徽省「合肥」へ<br /><br />  午前7時10分「上海」発D478列車で、安徽省の省都「合肥」に向かった。「南京」までは、在来線に並行し、上海・南京間の高速鉄道(滬寧際鉄路)と、北京・上海間の新幹線(京滬快速火車)の工事が、始まっていた。<br />  南京駅を発車して間もなく、列車は「長江」に架かる「南京大橋」を渡り、所謂「江北」に入るにつれ、次第に両側の風景が、変化してきた。『江南の橘(たちばな)、江北の枳殻(からたち)となる』との喩えからも、「長江」を挟んだ南と北では、環境がかなり異なるようだ。この日は、全体に霞み懸っていたが、「江北」に入るにつれ、菜の花畑が、広がり、車内も、次第に、花明かりの晴れやかな気分へと、変わって来た。<br />  「江北」に入り、最初の停車駅の「全椒」駅あたりまでは、菜の花畑が広がっていた。途中転寝を重ねていた僕は、気が付けば、両側の風景は いつの間にか麦畑に変わっていた。やがて、その先に、疎らに集落が見え隠れしてきたが、次第に、工場や集合住宅群などが点在し始め、やがて、住宅などが密集する市街地の中を、列車は、速度を、更に落としながら、定刻の午前10時41分に、終点「合肥」駅に到着した。<br /><br />3).清朝末期の宰相 「李鴻章」故居へ<br /><br />  街の中心地である「淮河路商店街」に向かった。そこは、歩行者天国になっており、その入り口付近に、「李鴻章故居」があった。「李鴻章」は、「日清戦争」の終結のため、山口県で締結された「下関条約」の、清国代表を務めた政治家である。この時、講和に反対する日本人暴漢に襲われ、負傷した。李鴻章は、講和条約を締結するや、直ちに国に戻っている。<br />              <br />  「李鴻章故居」は、嘗ては、敷地2500㎡、建築面積1900㎡であったが、現在は、嘗ての規模の12分の1に過ぎない。大門を入ると、黒地の上に朱色で「福」と、書かれた塀に沿い、奥へと入って行った。<br />                 <br />4).旅の終わりに<br /><br />  「李鴻章」は、1901年、北京の「賢良寺」で亡くなっている。「李鴻章享堂」と「墓地」が、故郷の合肥市合裕路の南側に、1902年建てられ、翌年北京から故郷に迎えられ、ここに埋葬されたのである。現在では、西には「墓地」、中央は「享堂」、そして東は「倉庫」の3つに分かれている。         <br />  中央の「享堂」に入ると、「前堂」には、血の付いた黄色の「馬褂」が置いてあった。下関で暴漢に襲われた時に着ていた「馬褂」である。これが、この場に、今も置かれているのは、「歴史を忘れてはならない」と、言う、李鴻章の想いを、次の世代に伝えるためなのであろう。(完)<br /><br />表紙写真:近代的な合肥駅の駅舎と駅前広場<br /><br /> * Coordinator:  H. Gu                                        <br /><br /><br />

【安徽省】 合肥 * 清末の政治家 『李鴻章』の 故郷を 旅する

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2009/03 - 2009/03

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彷徨人MU

彷徨人MUさん

1).  旅の始めに

              兵(つわもの)の 儚き夢や 花蘇芳

  安徽省の省都「合肥」は、「淮河」と「長江」の間に位置する街で、嘗て「蘆州」と呼ばれ、三国時代の古戦場として有名な「三国故地」ある。
  清朝末期、この街出身の政治家に、「李鴻章」と言う人がいた。「太平天国の乱」を鎮圧し、「日清戦争」の終結のため、山口県で締結された「下関条約」の、清国代表を務めた政治家である。中国版新幹線の開通により、上海から比較的短時間で行くことが出来るようになったのを機に、「李鴻章」の生まれ故郷の「合肥」への旅を、思い立った。

2).安徽省「合肥」へ

  午前7時10分「上海」発D478列車で、安徽省の省都「合肥」に向かった。「南京」までは、在来線に並行し、上海・南京間の高速鉄道(滬寧際鉄路)と、北京・上海間の新幹線(京滬快速火車)の工事が、始まっていた。
  南京駅を発車して間もなく、列車は「長江」に架かる「南京大橋」を渡り、所謂「江北」に入るにつれ、次第に両側の風景が、変化してきた。『江南の橘(たちばな)、江北の枳殻(からたち)となる』との喩えからも、「長江」を挟んだ南と北では、環境がかなり異なるようだ。この日は、全体に霞み懸っていたが、「江北」に入るにつれ、菜の花畑が、広がり、車内も、次第に、花明かりの晴れやかな気分へと、変わって来た。
  「江北」に入り、最初の停車駅の「全椒」駅あたりまでは、菜の花畑が広がっていた。途中転寝を重ねていた僕は、気が付けば、両側の風景は いつの間にか麦畑に変わっていた。やがて、その先に、疎らに集落が見え隠れしてきたが、次第に、工場や集合住宅群などが点在し始め、やがて、住宅などが密集する市街地の中を、列車は、速度を、更に落としながら、定刻の午前10時41分に、終点「合肥」駅に到着した。

3).清朝末期の宰相 「李鴻章」故居へ

  街の中心地である「淮河路商店街」に向かった。そこは、歩行者天国になっており、その入り口付近に、「李鴻章故居」があった。「李鴻章」は、「日清戦争」の終結のため、山口県で締結された「下関条約」の、清国代表を務めた政治家である。この時、講和に反対する日本人暴漢に襲われ、負傷した。李鴻章は、講和条約を締結するや、直ちに国に戻っている。
              
  「李鴻章故居」は、嘗ては、敷地2500㎡、建築面積1900㎡であったが、現在は、嘗ての規模の12分の1に過ぎない。大門を入ると、黒地の上に朱色で「福」と、書かれた塀に沿い、奥へと入って行った。
                 
4).旅の終わりに

  「李鴻章」は、1901年、北京の「賢良寺」で亡くなっている。「李鴻章享堂」と「墓地」が、故郷の合肥市合裕路の南側に、1902年建てられ、翌年北京から故郷に迎えられ、ここに埋葬されたのである。現在では、西には「墓地」、中央は「享堂」、そして東は「倉庫」の3つに分かれている。         
  中央の「享堂」に入ると、「前堂」には、血の付いた黄色の「馬褂」が置いてあった。下関で暴漢に襲われた時に着ていた「馬褂」である。これが、この場に、今も置かれているのは、「歴史を忘れてはならない」と、言う、李鴻章の想いを、次の世代に伝えるためなのであろう。(完)

表紙写真:近代的な合肥駅の駅舎と駅前広場

* Coordinator:  H. Gu  


  • 合肥の駅に到着した動車組列車

    合肥の駅に到着した動車組列車

  • 市の中心、淮河路の歩行者天国にある李鴻章故居『李府』の正面である。嘗てはこの歩行者天国の半分が『李府』であったが、今では、往時の12分の1の大きさに過ぎない。

    市の中心、淮河路の歩行者天国にある李鴻章故居『李府』の正面である。嘗てはこの歩行者天国の半分が『李府』であったが、今では、往時の12分の1の大きさに過ぎない。

  • 李府正門、入り口の衝立には、「福」という字が書いてある。

    李府正門、入り口の衝立には、「福」という字が書いてある。

  • 李府正面入り口付近にある「李鴻章家族住宅」と、彫ってある石碑

    李府正面入り口付近にある「李鴻章家族住宅」と、彫ってある石碑

  • 「李府」内部(中庁)

    「李府」内部(中庁)

  • 「李府」外観

    「李府」外観

  • 「李府」内部(小姐楼)

    「李府」内部(小姐楼)

  • 「李府」内部

    「李府」内部

  • 歩行者天国と、「李府」正面

    歩行者天国と、「李府」正面

  • 「李府」の隣にある「明教寺」。ホコテン道路から5mほど高い壁があるが、これは「教弩台」の跡で、三国時代魏の曹操が、部下の将軍たちを指名して任務につかせた場所と言われている。曹操は、この地を、弓の名手に守らせ、呉の孫権の水軍に対抗したところである。

    「李府」の隣にある「明教寺」。ホコテン道路から5mほど高い壁があるが、これは「教弩台」の跡で、三国時代魏の曹操が、部下の将軍たちを指名して任務につかせた場所と言われている。曹操は、この地を、弓の名手に守らせ、呉の孫権の水軍に対抗したところである。

  • 「明教寺」内にある「鐘突き堂」、

    「明教寺」内にある「鐘突き堂」、

  • 「明教寺」

    「明教寺」

  • 「逍遥津公園」

    「逍遥津公園」

  • 「逍遥津公園」にある、魏の曹操の部下、「張遼」将軍の像。ここで、「張遼」は、800人の兵士で、呉の「孫権」の、10万の兵を破った。

    「逍遥津公園」にある、魏の曹操の部下、「張遼」将軍の像。ここで、「張遼」は、800人の兵士で、呉の「孫権」の、10万の兵を破った。

  • 「逍遥津公園」の池の付近で、結婚写真を撮っている新婚夫婦。

    「逍遥津公園」の池の付近で、結婚写真を撮っている新婚夫婦。

  • 「逍遥津公園」で大きなスポンジの筆に水をつけて、地面で習字の練習?をしている市民

    「逍遥津公園」で大きなスポンジの筆に水をつけて、地面で習字の練習?をしている市民

  • 「逍遥津公園」で、棒の先に大きなスポンジの着いたの筆2本を持ち、水をつけて、地面に文字を書く市民

    「逍遥津公園」で、棒の先に大きなスポンジの着いたの筆2本を持ち、水をつけて、地面に文字を書く市民

  • 都心より南東方、合裕路にある、李鴻章の「享堂」(お墓)の正面入り口。

    都心より南東方、合裕路にある、李鴻章の「享堂」(お墓)の正面入り口。

  • 李鴻章の享堂<br /><br />梁啓超による李鴻章の評価:<br /> 「李鴻章の才能を敬い、李鴻章の知識を惜しみ、李鴻章の巡り合せを悲しむ」

    李鴻章の享堂

    梁啓超による李鴻章の評価:
     「李鴻章の才能を敬い、李鴻章の知識を惜しみ、李鴻章の巡り合せを悲しむ」

  • 李鴻章の「享堂」

    李鴻章の「享堂」

  • 李鴻章の「享堂」

    李鴻章の「享堂」

  • 李鴻章の「享堂」

    李鴻章の「享堂」

  • 李鴻章の「享堂 」

    李鴻章の「享堂 」

  • 李鴻章の「享堂」 <br /><br />墓地

    李鴻章の「享堂」

    墓地

  • 李鴻章の「享堂 」<br /><br />墓地

    李鴻章の「享堂 」

    墓地

  • 合肥市内のグルメ街にある、「盛臣好世界」での夕食。<br />    海木耳(ピータンの感触だが辛い)

    合肥市内のグルメ街にある、「盛臣好世界」での夕食。
        海木耳(ピータンの感触だが辛い)

  • 合肥市内のグルメ街にある、「盛臣好世界」での夕食。<br /><br />白灼基尾蝦(蝦の蒸し物)<br />

    合肥市内のグルメ街にある、「盛臣好世界」での夕食。

    白灼基尾蝦(蝦の蒸し物)

  • 合肥市内のグルメ街にある、「盛臣好世界」での夕食。<br />   鉄板空芯菜

    合肥市内のグルメ街にある、「盛臣好世界」での夕食。
       鉄板空芯菜

  • 合肥のレストラン「盛臣好世界」<br /><br />文蛤蒸蛋(蛤を入れた茶碗蒸し風)

    合肥のレストラン「盛臣好世界」

    文蛤蒸蛋(蛤を入れた茶碗蒸し風)

  • 合肥のレストラン「盛臣好世界」<br /><br />春筍焼肉(春筍と豚肉を一緒に煮たもの)

    合肥のレストラン「盛臣好世界」

    春筍焼肉(春筍と豚肉を一緒に煮たもの)

  • 上海の老舗「上海老飯店」(昼食)<br /><br />冷たい前菜3品と蟹粉豆腐

    上海の老舗「上海老飯店」(昼食)

    冷たい前菜3品と蟹粉豆腐

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