2009/03/27 - 2009/03/29
290位(同エリア390件中)
ひま人さん
11月以来(12月から2月は降雪のため中止していた)の山陰道だが、今回が実質最終ルートとなる。出雲から大田ー江津ー浜田と下ってきた街道は、益田から山間部へ入って津和野ー山口、そして小郡で山陽道と合流して終点となります。
今回は浜田から出発し、世界こども美術館、聖徳寺、三保三隅宿、三隅神社、人麻呂終終焉地の鴨島跡を見てホテル入りした。
2日目は益田町並みを散策、主な見所は、七尾城通りー内堀跡ー暁音寺の枡形ー益田歴史民俗資料館ー徳川無声生誕地に寄り、医光寺、万福寺、雪舟の郷記念館と大喜庵、柿本神社、扇原の関跡、高城神社、青原の宿場跡散策し、津和野へ向い旅館に入った。3日目は津和野町並み散策、藩校・養老館ー永明寺ー安野光雅美術館ー葛飾北斎美術館ー弥重庄屋屋敷ー太鼓谷稲成神社ーリフトに乗り津和野城址へと登った。昼食後、森鴎外記念館、鴎外旧居、鷲原八幡宮、野坂峠関所跡を巡り山口へ入り、新山口駅から帰路に着いた。途中、28日からJR山口線のSLが運転され、その懐かしい雄姿に遭遇しラッキーだった。
今年は桜が早く開花したので、各地で満開の桜が我々を迎えてくれ、恰好の花見になった。
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 観光バス 新幹線 JRローカル 私鉄
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世界こども美術館、平成6年に、子供たちのための美術館として、海の見える文化公園の一角に誕生した。館のイメージは「日本海に漂う創造と美の船」だそうで、果てしない想像という海を、この船に乗って子供たちに元気よく冒険して欲しいという想いが込められています。
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聖徳寺本堂、曹洞宗。開基は593年聖徳太子。
歴史的には寺の裏山には周布城があり、益田氏から周布氏を名乗り、その後毛利氏に降伏、その臣となる。
幕末の「石州口の戦い」で幕府兵が聖徳寺へ逃れてきている。 -
三隅神社、桜並木の参道。祭神は三隅氏4代目三隅兼連です。
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柿本人麻呂終焉の地、鴨島跡記念碑。
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暁音寺、浄土宗。山門と鐘楼は江戸時代の遺構として益田市指定文化財になっている。山門前の道が<枡形><鍵曲り>という凸型になっており、城を防御する構えが備わっている。
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益田市立歴史民俗資料館。大正10年(1921年)美濃郡役場として建てられ、その後益田警察署、益田総合事務所となり、昭和58年(1983年)5月に益田市立民俗資料館として開館した。平成8年国登録文化財に認定された。
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万福寺本堂(国重要文化財)、応安7年(1374年)益田七尾城主・益田兼見により建立、益田家の菩提寺となる。文明11年(1479年)雪舟を招き、堂後に石庭を造らせた。
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万福寺雪舟庭園。
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医光寺、臨済宗東福寺派。総門は島根県指定有形文化財。益田七尾城の大手門を関ヶ原の合戦後移築。
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医光寺雪舟庭園の枝垂れ桜。
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雪舟の墓、雪舟は応永27年(1420年)備中生まれ、幼くして相国寺に入り、周文から画法を学び、応仁元年(1467年)明に渡り中国の画法も学んだ。
益田氏の招聘によって、石見を二度も訪れ益田で死没したと言われる。 -
戸田柿本神社、創建時期は不明。連綿として宮司職として神社を守っておられる綾部氏の先祖が人麻呂が鴨島で亡くなった後、その遺髪を持ち帰り祀ったのが起こりのようです。
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扇原の関門の跡記念碑。浜田藩と津和野藩の境で、番所があった所です。
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扇原の関付近の旧山陰道。
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高城神社、国常立命、菅原道真、大山祇命、柿本人麻呂の四柱を祀っている。柿本人麻呂が合祀されているのは、この辺りに人麻呂の妻が住んでいたという言い伝えがあるからですが、その妻の名も、どういう素性の人かも分かっていないということです。
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津和野藩校・養老館。天明6年(1786年)創建。現在残っている門より左が剣術教場、居合柔術教場、右が槍術教場、正面の土蔵は御書物庫であった。
森鴎外もここで学んだ。 -
永明寺、歴代の津和野城主の菩提寺。石見人「森林太郎」と彫られた森鴎外の墓もひっそりと佇んでいる。
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安野光雅美術館、世界の絵本作家、安野光雅の作品を展示。漆喰の白壁と赤色の石見瓦を葺いた、酒蔵を思わせる和風建築の美術館。
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太鼓谷稲成神社(日本五大稲荷)、安永2年津和野城主が伏見の稲荷大神を勧請し、太鼓谷に創建。
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津和野城址、石垣。築城は弘安5年(1282年)と伝えられ、当時は土塁だけの原始的な山城だった。
慶長6年(1601年)坂崎出羽守が石垣を強化し、出丸を増築するなど本格的な城づくりを行った。標高367mの急峻な山頂にある。 -
森鴎外旧宅。往時のままの旧宅が保存され、庭園には鴎外遺著「うた日記」の中のぼたんを刻んだ詩碑が建立されている。
旧宅の裏手に森鴎外記念館が見れる。 -
鷲原八幡宮、鎌倉時代城の守護神として創建された八幡宮。神社の前が鎌倉の鶴岡八幡宮を模した流鏑馬の馬場が当時の原型をとどめている。これは流鏑馬の馬場としては唯一現存するものとされている。周辺は桜の名所としても知られている。
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