1978/12/03 - 1978/12/08
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アンタライさん
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ベナレスから、バスを乗り継いで、2日目の昼に、段々畑の谷が望めるネパール国境事務所を通過し、ギリシャで、購入した東京行き航空券の出発点のネパールに入る。
いよいよ、日本に近くなり、旅も終わりに近づきつつある。
インド人、ネパール人、チベット人がミックスしている様な顔つき、まるでアフガニスタンと同じ様に、違う顔つきの人々が同じ生活をしているのが、不思議に感じる。
しかし、ネパールは美人が多い。
バスは道が悪く、大揺れである。
緑の溢れる山々に、上の方まで続く段々畑、昔の日本の農家と同じ様な家が点在し、まるで、四国の田舎を旅している様な気にさせられる。
ポカラまで、それ程、距離はないはずなのに、悪路と山道でスピードが出ないのか、暗くなった夜8時にポカラに到着する。
真っ暗な中、ホテルの多い、湖に向けて歩く。 値段が安かった(1泊 4RP=約60円 1Nrp=約15円)子供の客引きに付いて行くと、普通の農家に連れて行かれる。
よっぽど腹が減っていたのか、2人共夕飯(5RP=約75円)をたらふく、かっ食らう。
牛舎の2階であろうか、ベッドのない赤土に、直にシュラフを敷いて寝る。 小窓から、冷たい風が、ビンビン入ってくる。
ネパールのポカラに入ったのが、 もう、冬の1978年12月3日であった。
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ポカラ
快晴である。さすがに12月の山間部、午前中は寒くて、なかなか起きられない。
子供がガンチャを売りに来る。農作業をしていたお母さんが、「買ってあげなさいヨ!」と言って、一致協力、思いっきり営業努力して勧められる。
せめて、ベッドのあるホテルに変わろうと、湖に戻り、沢山のホテルの客引きの中から1泊6RP(1RP 約15円)のホテルに決める。
6000m以上8000m級の山々を、近くで見る事が出来るって、凄い事だよね〜!! -
ポカラ
泊まっていたホテルの少年従業員とKawaM氏
毎夕に夕陽で赤く焼けた山々を見るのが日課であった。
ピーナツバターが美味かった。 -
ポカラ湖
ポカラ湖の周辺を歩いてみる。
道端の、朝市のような土産物屋の中に、数多く、それも堂々と、ガンチャを売っているのである。
そして、試煙と言う事で、幾らでも吸わせてくれるんだな〜。
こんなに、大っぴらに、堂々と売っていた場所は、今まで無かったし、初めてである。
多分、これが、ヒッピー天国と言われる由縁なんだな〜。 -
ポカラ湖
日本の田舎の景色に似ている、湖と段々畑の素敵な風景。
BABAと言う名の美味いヨーロピアンフードレストランもあり、崩れきった毛唐や日本人が多い。
あちこち旅行しないで、ポカラとか、ゴアだけに長く居ると頭がいかれちゃうヨ!! -
ポカラの町並み
ポカラが高度が高いのか、目の色が黄色っぽく成ってきたと脅かされる。
肝炎になっている旅行者の多いインド、ネパールだし、まともな病院のあるはずの、カトマンズに早く行こうと思い、飛行機を予約する。
KawaMさんは軽くトレッキングに行き、まだポカラに残ると言うので、この地で別れる。
気が合うのか、長く一緒にいる事がお互いに、不思議と苦にならないタイプなのか、1ヶ月に渡って、行動を共にした旅を、一旦終える。
しかし、カトマンズのホテルで、バンコクのバス停で、再会する腐れ縁は続くのである・・・。 -
ポカラの町並み
予約していたカトマンズ行きの飛行機が欠航になり、電話なしのホテルに泊まっている私だけが、取り残されたり、
インド人のナンダ君と一緒に旅行していた日本人の女の子2人と遅くまで話をして、夜中に空港ホテル近い裏道を、道の角々で数匹の犬(一番怖いと言われていたのが狂犬病)が吠えていて、ドンドン細い道に追い込まれ、石を握り締めて、水溜りに足を取られながら、ズボンをドロドロにして逃げ帰った事もあった。
カトマンズで、またいつものHoriMさん、MastuOちゃん、KaneKちゃんにバッタリ会う。
カトマンズでタイのビザを取ったり、自転車(1日3RP =約45円)で観光したりで5日程滞在する。
ネパールでひいた強烈なカゼ気味のまま、これまた、クソ暑いバンコクへ飛ぶ。
バンコクでは、この頃でも、こ汚なかったチャイナタウンの楽宮大旅社(バンコク楽宮ホテル)に泊まっていた。 -
カトマンズの街並み
タイ航空の東京便が年末に取れず、所持金から、計算して、当初は、デンパパサール・バンコクの航空運賃が$100ならば、バリ島までスマトラをバスの陸路で行くつもりであった。
しかし$200だったので、バリ島は諦める。
なんだか航空券も値が下って来ているし、日本も近いし、アジアは何時でも来れそうだし、旅も長すぎるし、感じる度合いも自分なりに変化してきたし、と長旅にも多少疲れていた。
旅自体は、帰りの便を待っているだけで、もう、バンコクに来る前に終わっていた様でもあった。
余裕を持ってビーチ巡りでもして、のんびりしようと決める。
一人では楽しくないが、プーケット、ハジャイからマレーシアのペナン島、毛唐のカップルに勧められたコサムイ島を廻ってバンコクに戻り、1979年1月20日に、1年7ヶ月振りに帰国した。
帰国前日の興奮は忘れられない。
飢えていた日本語のテレビ、本が自由に見れる喜び、あまりにも知らない東京、帰ったら先ず、東京観光だ!とかも思っていたが・・・・・。
帰国当日は、打って変って、あれっ〜! 昨日の興奮は何処へいっちゃったの?
何だか、数日間、関西にでも行って帰って来る様な、当たり前の気持ち、なんら、嬉しい訳でも、興奮する訳でもなく、1年7ヶ月がまるで夢で、存在すらしてなかったような気分で、淡々と東京便に乗る。
夜の山手線で、酔っ払いと、久々に見る沢山の化粧の濃い女性、容赦なく耳に、また勝ってに入り込んで来る理解できる大量の日本語。
ああっ〜! こんなスケールの小さい日本なんかに帰って来なけりゃ良かった!!
友人と話してみても、海外にそれ程興味がないのか?話をしても、盛り上がらず、楽しくない。
また、私の日本での1年7ヶ月は存在していない様でその頃の日本の話が付いていけない。 夢だったの?
なるべく早く、また、旅に出ようと決意したんだが・・・。
自分の年齢も時代も環境も変り、同じ旅は出来ないのは当たり前である。
しかし、この長い旅が、自分の人生で、かなりの部分を占めているのも事実である。
今でもこの頃のの自分が羨ましい程、色んな出来事が、感情が、凝縮され、記憶に刻み込まれて行く日々を過ごしていた。
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