2006/11 - 2006/11
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そうたくさん
26歳の時にインドへ行った。一番のきっかけは23歳のころ、一人暮らしの部屋の近所の本屋でたまたま買った「深夜特急」だった。素直に「こんな人生もあるんだ」と感じた。それから旅に関する本をを読み漁るようになった。それは今も変わっていない。その著者がどんな人で、どんな価値観を持っているのかを知るにつれ、多分知らず知らずに影響を受けていたんだと思う。
そして、本の中で旅をする人、自分と同じように本を読んで影響を受けた人たちが大勢いることを知った。それは今まで普通に日常生活を送っていた自分には新しい「世界」のような気がした。
僕らが日常を送っている同じ時間軸でそのような日々旅をしている人がいることを想像すると本当に世界が広がってくるような気がしてならなかった。そこから、インドへ行ってみたいと漠然と思うようになり決心がつかないまま想像だけしていた。想像しているだけでもけっこう楽しかった。
…今、ここで、当たり前の生活を送っている中で、多様な価値観で生きている人たちを想像すると不思議な気がしてきた。
26歳は大学6年、つまり最後の自由な時期だったから、これを逃すと二度と「自分の想像していた」インドへは行けなくなると思い、決心した。格安チケットだけで、自分の力で旅する。自分ができる旅をしてみる。本に影響され過ぎている自分が少し恥ずかしい気もしたけど、まあ、よしとした。
単純にひとり旅といっても社会生活を送っているとそれすら結構ままならない気がする。好奇の目、要は「なんで一人なの?」「なんでインドなの?」ということだ。自分の中で確固たる答えはなかったけど、当時はそれなりに必死で色々考えた末での決心だったように思う。
今、28歳でたかだか2年前のことだけど、ずいぶん昔のようにも感じてしまう。恐らく、どこへ行ったとかはいつまでも覚えているだろうけど、その時何を感じていたか、何を考えていたかってことはきっといずれ忘れてしまうだろうから今のうちに、忘れないうちに文章に残せしておければいいかなと。
あの時、自分が必死で考えようとしていたことは、答えを探そうとしていたことは今でも明確には答えられないけれど、要するに「自分の道を歩く」みたいなことだった。自分の中にある言葉にできないようなものを自分で認めてやること、理解してやること、で、その先にある道を実際に歩いてみること。インドへの旅はその歩き始めの第一歩だったような気がする。今にして思うと。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 航空会社
- アシアナ航空
-
一度は夜明けまで空港にいようと考えていたけど、思い立って深夜の最終バスに乗ってニューデリー駅へ。メインバザールはホテルが立ち並び24時間やっているというから行ってみればなんとかなるかと…。バスに乗り込んでしまった時の写真。自分の指が写ってしまっている。
飛行機は成田→ソウル→インドだった。韓国での乗継待ちの時、偶然韓国の男にハングルで話しかけられた。自分が日本人とわかると、そのまま英語でおしゃべりした。彼は高校へ行かず、ずっと音楽の勉強をしているとのことだった。どれくらい本格的に音楽に取り組んでいるのかは知らなかった。彼にとってインドは2回目で今回は2週間程度いるみたいなことを言っていた。話している最中に彼がよくいっていた言葉は”that is india”だった。”have a good sleep”でお互いのシートへ。
で、飛行機からインドの都市の光が散らばっているのを見た。光が整然と並んでいないことに、アジアというか、発展途上国というか、を感じた。
実際、インドに到着したのは深夜。空港に降りると、乗り物の騒音と排気ガスのにおいと大きなバックを背負った旅行者達、中には超軽装の日本人2人組ありからみはなかった。
韓国の男とはその後一緒に行動はしなかったのでそれっきり。 -
実は夜中のバスでニューデリーについた時点でヤバいかなとうっすら思った。ニューデリーは首都だから、東京駅・新宿駅みたいなものでとにかく夜中でも明るい場所だと。着いたら、真っ暗だし、どこがメインバザールかもわからない。インド人がこっちに走り寄ってきたところから始まった。
「ここで一人ではやばいよ!!」
「荷物をしっかり持ってろ!!」。
「どこに行くんだ。連れてってやるから乗れ!!」
「メインバザールはもうしまってるよ!!」
「ホテルか?じゃ、連れてってやるよ」で、乗ってしまった。
深夜のニューデリーをリクシャーに乗り込み、連れ去られた。
夜中、初めて乗ったリクシャーから、道端でところどころ、焚き火をしている数人のインド人が集まってる。野犬もちらほら。
でも、心が躍り、不安と相まって高揚していることを実感した。
旅が始まったって感じだ。ホテルに到着するまでは。 -
初めてのインドの宿は思いっきりぼったくられた。2万くらい。それでも値切って紹介された部屋の写真。
ホテルへつくと5階建くらいのまあまあのホテル。だいたい3000円くらいかなと思い、中に入ると人相の悪いインド人が現れた。今は(11月1日くらい)祭りだからホテルはどこも満杯なんだと。部屋はなんとかあいてるから。値段と尋ねると「US300$」。
はじめは「この部屋しかないんだよ。」とすまなそうに。
「じゃ、違うホテルを紹介してくれ」
「この時期はどこも一杯だよ」
「ニューデリー駅に戻ってくれ、空港でもいいよ」
「空いてる部屋はここしかないんだよ!」だんだん相手が怒りモードに。
ここで、さっきの「旅が始まった」感はもう消えうせた。
どこへ逃げるかもわからず、野宿で野犬やら火を囲むインド人に襲われたくはなかった。強引に交渉するだけの立場でもないし、語学力もなかった。とにかくアウェー。
結果20000円程度払って部屋へ。悔しい。生まれて初めての「ぼったくり」だった。この無力感と安堵の入り混じった感情が、「ぼったくられた感情」だと知った。
鍵をかけて、念のため、侵入防止でテーブルをドアに立てかけベッドへ。しかし寝れず。 -
ニューデリー・初めての朝・外に穏やかそうなインドの女性が。
朝はさわやかだった。
あとは…どうやってこの宿から抜け出すか。こいつはぼったくれると思ったらカサにかけてくるだろうと。
色々想像しながらいざフロントへ。
鍵をフロントに渡そうとするとフロントの男は「ちょっと待ってくれと」で現れたのが昨日の悪人面の男。
「朝飯くってけよ」
また ぼったくるつもりだと直感。
帰ろうとしても「食ってけ食ってけ」、しきりに
「サービスサービス、フリーフリー」。
で、結局、その男とおしゃべりしながら食べた。確かにフリーだった。日本のこと、インドの観光のこと、いかにインドが危険な地域かってことをだらだら喋った。こんなに疑いながら食べる朝食は初めてだった。
俺には、ぼったくるけど朝飯はサービスをすることが理解できなかった。
”This is india”ってことか?? -
再度気を取り直してニューデリー駅へ!!
朝、人々とロバと、出店と、舗装されていない路に朝日が。と、すこし、汚水と排ガスのにおいが。
初めての光景だった。ガイドブックには親切に「ロバもいます」ってことは書いてなかったから。何年前にタイムスリップしたんだろうと、何時代だと。
昨日寝れなかったせいか、今が現代で、ここがインドで、ってことをよく実感できなかった。 -
ニューデリー駅メインバザール方面。
夜中わからなかったリクシャーの全貌が明らかに。
ここを歩くだけでインド人男性数人に取り囲まれることに…。「どこへ行くんだ!?」「俺が連れてってやる!!」と。昨日のこともあり、慎重に。 -
ニューデリー駅メインバザール方面を少し上空から撮った1枚。
これもやっぱり "This is India" なんだなと。
この不衛生さ。
人も、牛も、ロバも、犬も、猿も、ネズミも、虫も共存している。そしてこんな場所に泊まってたんだと改めて実感する。 -
メインバザールから一本横にそれたところ。
泊まった安宿がすぐそこに。
よくテレビの旅番組をやるとヨーロッパやアジアのこのような路地のきれいなショットが出てくる。
実際この路地を奥へ奥へ進むと、どこまでいっても路と住宅が続く。日本人が紛れ込むとなんだかヒンシュクを買いそうで、引き返した。 -
買い物をするにも、リクシャーに乗るにも妥当な値段がわからない!!
インド人はよってたかってくるし、リクシャーに乗れば旅行代理店へ連れてかれるし…。何がなんだかわからない!!
通りを歩いているだけで「ここは危険だから」という人間も一人や二人じゃなかった。
旅立つ前に「自分のできる限りで(=自分の許容できる危険の範囲内で)旅をしよう」ということのつもりだったけど、もしかすると、「ずっと安宿の周りをうろついて旅、終了」の可能性も…。
水を買うにも、食事をとるにも交渉・交渉さらに交渉。初日は大変だった。
…空港を降り立った時に2人組の超軽装の二人組はしっかり旅ができているのかな…。 -
なんで街中に象がいるんだ?と。周りの人間も像がいることにたいして驚いていないことからすると、これが日常生活の一部になっているってことか…。
像に乗る少年は飼い主か?金持ちなのか?
ここでも、"This Is India "を感じる一枚。 -
写真を写る人たちは極めて普通なインドの人達。
実はこの写真の外に唸りながら地面に突っ伏している人や、片足がなくなり、右手を突き出して"Give me money"と呟きながら、ゆっくりゆっくりこちらを見据えて、杖をついて向かってくる青年などが…。
圧倒されて写真に撮るどころではないような人たちが、インドでは普通に生活している。
…その後も、彼らの写真を撮ろうとはこれほども思わなかったし、恐らく、これからも撮らないと思う。 -
旅をする時に大切だと思うことは、なるべく自分の価値基準をフラットにすることではないかと。
自分の経験に基づいた浅い価値観がすべてではないということ。自分が好きなもの、安心するもの、望んでいるものだけがすべて自分が好んでいるものではないということ。もしかすると自分の中にないものを受け入れるまで少し苦痛みたいなものがあって、受け入れて初めて好きになれるものもあるかもしれない。 -
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ここがニューデリーの拠点とした安宿。確か1泊500円くらいだったかと。初日20000円(?)の宿から一気に格下げしてしまった。はじめの1、2日は本気でこの宿から出られないと思ったけど、少しずつ宿から出て、駅まで歩こう→メインバザールを歩こう→コンノート・プレイスを歩こう、と段階を踏んで行った。本当に日中歩くだけで何かしらに出くわしていたから。
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ホテルの屋上から。
旅に少し慣れてきた。
自分の東京での生活を振り返り自分を省みる。
「慣れてくる」ということは僕の中ですこし厄介な感情でもある。
「慣れる」と毎日がどれだけ大切かがわからなくなってくる。
誰かとの出会いとか別れるとか節目節目があって、その都度感じるものがあったはずなのに、その感情はいつの間にか遠いものになることが結構多い。自分にとって本当に大切な人や、インドへ来たときの自分を忘れてしまうってことかもしれない。
自分の中でケリをつけなければならないこととか、受け入れなければならないこととか。たくさんのこと。
今でも忘れたくないこと、感じていたいこと。上手く表現できないけど、そういう感情があって少しずつ今の自分ができあがっているんだろうなと。やむを得なかったこと、避けられなかったこと。本当に望んでいたこと。今も望んでいること。それが自分を形つくっていると思うと、少し運命みたいなものを感じる。自分の「縁」みたいなもの。 -
少し慣れたところでまた騙されてリクシャーに乗る。
何回か騙されたところで少しずつ「彼らのルール」が
わかってくる。それは、交渉が曖昧な時に強引に代理店に連れてったり、品物を吹っ掛けてくる。しかし、こちらがしつこく念を押して確認したことに対して十中八九言うことを聞いてくれる。そして、彼らは決して暴力はしない。交渉が少しずつ慣れてきた。 -
インド3日目の午前・レッドフォード場にて、ある兄妹の写真。
城というより、整備された公園だった。芝生がありがたかく、寝っ転がることができた。11月初旬のインドは気候がとてもさわやかで気持ちがよかった。
彼らは遠巻きにこっちを見ていて、こちらが気がつくと寄ってきてデジカメに興味を示していた。写真を撮って彼らに見せるととても喜んでいた。
本当なら写真を送れればよかったのだろうけど。 -
さらにお姉さんが登場した。写真を撮ってくれと。写真がこんなにも人気があるとは思わなかった。向こうの人にとって写真に撮られることはある種の遊びのようなんだろう。僕にとってもこんな形で写真がとれるとは思わなかったから嬉しかった。
…恐らく、この旅で「現地の人を撮る」という楽しさを少し知ったような気がする。彼らを撮らせてもらうことで少し自分がその土地に入り込んでいけるような気がするし、なんとなく、景色や、建物にはない感情を感じられる気がする。 -
好きな一枚。
この子はネパールから家族で遊びにきたとのこと。
インドではこのように鮮やかなサリーをまとっている子供たちもちらほら。特に有料の観光地の中では多かった気がする。(偉そうには言えないが)ある程度のお金に恵まれている家庭ってことだと思う。 -
この子の手に書かれた紋様。
後でなにかで調べようと思う。 -
さっきの女の子のお母さんと赤ちゃん。後ろは…親戚かな?お母さんがむりやり赤ちゃんを写させようとしている。お母さんの笑顔が印象的。
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さっきの女の子と赤ちゃんの家族。実は一番写真を撮られてがっていたのは一番右のお父さんだった。女の子もお父さんにけしかけられ、おずおずと近寄ってきたようなもの。だから、さっきの写真の女の子もちょっと照れくさそうにしていたのが写真からもわかると思う。
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男3人組。恐らく兄弟?
やっぱり日本人ってことでよく集まってくるのか。興味の対象はデジカメ。写真を撮ってくれということで、構えると、にこやかな顔が一変してりりしくなってしまった…。インド人もかっこよく撮られたいんだなと感じる一枚。
…、この後、彼らがデジカメで撮ってやると言ってくれた。撮られた自分の顔が疲弊しきっていることにショックを受けた。まだ数日しか経っていなかったのに。考えてみると、食事もままならないでいたからしかたがないと言えば、仕方がなかったのかも。 -
少年達。お金をくれと走り寄ってきた。先のデジカメに興味を示してきた彼らとは少し着ている物や雰囲気が違った。もしかしたら物乞いだったのかもしれない。あまりに無邪気だったので言われるがまま渡した。写真を撮ってもいいかと聞くとポーズを取ってくれた。
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ジャマー・マスジット(Jama Masjid)からの帰りの名も知らない道。だけどここの通りが一番強烈だった。数十センチ隣を同じサイクルリクシャーが幼稚園の女の子を5人位のせて走り、リクシャーもトラックもクラクションを鳴らしながら文字通り縫うように走っている。もしこの運転手がワルで、この場で降ろされたら、どこかもわからず、身動きも取れず、途方に暮れていたと思う。ガイドに載っていない場所。
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ジャマー・マスジットの展望台からの写真。
展望台から降りて塀のところでぼんやりと町並みを見ていた。店番を適当にしていたり、相変わらずリクシャーを乗り回していたり、近くの路地で子どもたちがクリケットをしていたり、建物の裏で大きい子どもが小さい子どもをビンタしていたり…。
少しだけ自分の小さかった頃を思い出す。外で遊んだり、先生に殴られたり、喧嘩をしたり。今は喧嘩もしないし、殴られもしない。外で遊ぶこともままならない。
自分の中で「古き良き時代」ができつつある。単に自分が年を取っただけの気もすれば、今ってゆう時代の、人の在り方みたいのが、過渡期にあるような気もする。 -
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Agraへの列車の中で。ゆっくりと座り、チャイを飲みながら風景をぼんやりと眺める。少しだけ落ち着く。
数日し、だいぶ慣れた。ここでの立ち居振る舞いがわかってきた。ニューデリー駅に行きAgra駅行きの特急券を買った。
外国人用のブースで並んでいると一人のイギリス人のバックパッカーが。時刻表の見方を聞くと色々教えてくれた。どれくらい旅しているのか尋ねると、インド中を、2年間かけてとのこと。親切だった。
実は、到着した翌日にニューデリー駅でうろうろしていた。同じ20才代くらいの日本人男性がいたので、すがる気持ちで話しかけた。インドを周ったら陸路で香港まで行き日本に帰るとのこと。なんとなくお荷物と感じられたようだった。
とにかく、実際に旅する人に会えたことが嬉しい。 -
Agraへ到着した後。
景色が一変し、ニューデリーがやっぱり都会だったと今更感じた一枚。やっぱりここでもリクシャーの勧誘が。しかしニューデリーほどではなかった。しばらくは歩くことにした。 -
Agra駅からのんびり歩いていると広場を見つけた。子ども達が遊んでいるところをぼんやりと眺めていると、子供たちが俺に興味を示してきた。
それと、遠くから後ろから走り寄ってくる子ども達。 -
なぜか、一気に人気者になった気分にさせる一枚。
なぜ、自分にこんなに興味があるのかと思う間もなく、写真を撮る。子どものテンションが上がる。 -
ふざけてポーズを撮る子ども達。なぜか、こっちの気持ちもわくわくしてくる。こんなことは、自分にとって生まれて初めての体験。
…インドへ行こうと決意してよかったと改めて感じた。なんとなく彼らの中に自分の子どもの頃を見つけてしまいたくなる。 -
タージ・マハル到着。観光地。
確かに綺麗だった。
ここは別だけど、日本でも海外でも「観光名所」となっていると、それに興味がなくても、なんとなく見ないと損な気がしてしまう自分が少し嫌いだ。
ここで日本人の夫婦に出会った。写真を頼まれたので撮影した。お返しに写真を自分のデジカメでとってくれた。自分の写真はあのインドの子どもに撮ってもらったのと今回とで2度だけだった。顔が少し穏やかになってた。 -
タージマハルを見て日帰りでニューデリーへ帰ろうと駅へ行ったところ、走り寄ってくるおじさんが。カーン。日本語がやたら上手く、日本人にボランティアで案内をしているとのこと。財布から日本語で書かれた手紙がたくさん。内容は「カーンさんはとても親切です。」「この人のことだけは疑わないでください」と。インドに慣れてきたこともあり、少しだけ騙されてみようかなと思い、ボランティア案内で連れて行ってもらった大理石工芸専門店にて。この赤いおばさんがここの主。面白かった。ここで妻への土産も買えた。
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職人さん。ここの職人さんたちの先祖がタージマハルを作った人たちだそうだ。確かに細工は丁寧だった。ペンのようなもので大理石を彫っていくのだが、指がペンの後で変形していた。
ちなみに俺の持っていたアディダスのバッグが痛く気に入ったようで彼の作品と交換してくれとせがまれた。思い入れの多いバッグなだけに断った。 -
実はこれ、Agraでのホテルの写真。泊まるつもりは全くなかった。カーンが工芸展の後で友達のところへ連れて行ってくれた。大豪邸に隣接した部屋だった。旅行代理店もかねているとのこと。なんでもそこの若旦那が宝石商の一族で日本にも店舗があるとのこと。日本語はペラペラで近々日本の女性と結婚する予定。広末良子の「とっても、とっても〜」とか歌いだすからちょっと信用してしまった。「俺は日本にはとても親切にしてもらい、日本人へ恩返しをさせてくれ、今日は泊まってけ」と。みんなで地べたに座ってビールを飲んだ。本当に楽しかった。「俺達は仲間だ!!」みたいなノリだった。みんなと飲んでその後で気持ち良くなってホテルまで連れて行ってもらったところ。自分も下着姿で写ってしまっている。カレーまで用意してもらってしまった。日本へは明日帰らなければならない。
明日朝早く出発すればいいか。
就寝。幸せな夜だった。
今でもこの夜はよく覚えている。
翌朝、宝石の運び屋を頼まれ、走って逃げだすことになるとはまだ想像もしてなかったけど。 -
ここからはソウル。
もともとトランジットで韓国に一泊する予定だった。正直帰ってこれたことに安心したかったが、初日にぼったくられお金がなかったから、仕方なく空港のベンチで寝ることにし観光へ。
実はソウルへ向かうバスの中でたまたま(英語で)声をかけた女性が日本人だった。
その女性との出会いも僕の中では思い出深い。
その方は広島で会社をしている女社長。昔バブルの時に中国茶を韓国経由で日本に輸入していた。それから「ハン流ブーム」が到来し韓国と日本の橋渡し的なお仕事を始めた。山あり谷ありの人生で、共感が持てた。インドの話や韓国のアイドルの話で盛り上がり、一緒に食事もさせてもらった(お金がないからと断ると「おごってやる」とうれしい一言…内心ガッツポーズ)
その時食べた焼肉の味は格別だった。
場所はロッテホテルの裏の小さな路地。
これから明洞へ。 -
日が暮れて、少し肌寒かった。
通りを歩きながら、日本へ戻ってきたような錯覚を覚えた。でもすれ違う人の顔やファッションをみるとやっぱり日本じゃないと気付く。
振り返るとわずか2週間もない旅だったけど多くの人と出会えた。
写真には写せた人たちはほんの一部で、しかも写真に残ってない人たちの方が思い出深い。
出会いがよいものである程、写真に取る余裕もなかったのかもしれない。
それ以上に、なんとなく撮らないでもいい、いや、撮らない方がいい気がしてならなかった。
出会った彼らの、その後の詳細はもちろん知らない。
あれから2年。なんとなく今の彼らを想像すると、懐かしくなる。 -
この韓国での夜の写真を見ていると、今でもあの時、インドから帰ってこれたという安堵の気持ちがよみがえってくる。
恐らく、旅をしている人、旅と真摯に向き合おうとしている人にとって、たかだか2週間足らずの旅で(しかもデリー)、何をたいそうな事を書いているのだと。自分でもそんな気がしてならないけれど、恐らく、自分にとってこれが最初で最後なんだなという気持ちだった。
賭ける気持ちが大きかった分、今回はたまたま旅が応えてくれたのだろう。
空港へ向う。
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