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2009年も明けました。<br />今年はどんな年になるのでしょうか。<br />元日は実家でゆっくりおせちをいただきました。<br />実家へ行く途中、伝通院でまずは初詣です。<br />「でんずういん」と読みます。<br /><br />http://www.denzuin.or.jp/<br />

2009年お正月 伝通院

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2009/01/01 - 2009/01/01

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旅行記グループ お正月

2

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M-koku1

M-koku1さん

2009年も明けました。
今年はどんな年になるのでしょうか。
元日は実家でゆっくりおせちをいただきました。
実家へ行く途中、伝通院でまずは初詣です。
「でんずういん」と読みます。

http://www.denzuin.or.jp/

旅行の満足度
3.5
観光
3.5
交通
3.5
同行者
家族旅行
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
高速・路線バス JRローカル

PR

  • 伝通院前という都バスのバス停で降ります。<br />交差点から、文京区役所がよく見えています。<br />我々の血税で作られました。<br />上に椿山荘のレストランが入っています。

    伝通院前という都バスのバス停で降ります。
    交差点から、文京区役所がよく見えています。
    我々の血税で作られました。
    上に椿山荘のレストランが入っています。

  • 福聚院(ふくじゅいん) 大黒天です。<br />伝通院の入り口にあります。<br />江戸時代から有名で、甲子の日にお参りすると、お金が儲かるそうです。<br />鎌倉時代の作と伝わる大黒天像があります。

    福聚院(ふくじゅいん) 大黒天です。
    伝通院の入り口にあります。
    江戸時代から有名で、甲子の日にお参りすると、お金が儲かるそうです。
    鎌倉時代の作と伝わる大黒天像があります。

    福聚院大黒天 名所・史跡

  • こちらが伝通院の入り口です。<br />1415年(応永22年)開祖。<br />徳川家康の生母於大の方の菩提寺になってから徳川家の庇護の下、大伽藍が整えられたそうです。<br />尼寺と聞いてます。

    こちらが伝通院の入り口です。
    1415年(応永22年)開祖。
    徳川家康の生母於大の方の菩提寺になってから徳川家の庇護の下、大伽藍が整えられたそうです。
    尼寺と聞いてます。

    伝通院 寺・神社・教会

  • 桜の木に囲まれているので、冬しか撮れないと思っていたのですが、枝が生い茂りすぎていて、冬でもうまく撮れませんね。<br />門の外から中を写しました。

    桜の木に囲まれているので、冬しか撮れないと思っていたのですが、枝が生い茂りすぎていて、冬でもうまく撮れませんね。
    門の外から中を写しました。

  • お大の方の墓所の他、昨年のNHKドラマでも登場した「千姫」のお墓もあります。

    お大の方の墓所の他、昨年のNHKドラマでも登場した「千姫」のお墓もあります。

    伝通院 寺・神社・教会

  • お正月は静かなお寺ですが、実は除夜の鐘のころは大混雑になります。鐘をつかせてくれるからです。子供の頃は、紅白歌合戦が終わるとすぐに出かけたものでした。108人までに入れないと、除夜の鐘ではなくなってしまうので、必死でした。

    お正月は静かなお寺ですが、実は除夜の鐘のころは大混雑になります。鐘をつかせてくれるからです。子供の頃は、紅白歌合戦が終わるとすぐに出かけたものでした。108人までに入れないと、除夜の鐘ではなくなってしまうので、必死でした。

  • 指塚です。<br /><br />年配の方は「指圧の心は母心。押せば命の泉涌く」と<br />言いながらテレビに出ていた波越徳治郎氏を覚えていらっしゃるでしょうか。<br /><br />波越指圧学校も、伝通院から50メートルぐらいのところにあり、この像も浪越氏の寄贈です。<br /><br />除夜の鐘をつきに行くと、焚き火にあたりながら、ニコニコとしていた波越徳治朗さんがいたものです。

    指塚です。

    年配の方は「指圧の心は母心。押せば命の泉涌く」と
    言いながらテレビに出ていた波越徳治郎氏を覚えていらっしゃるでしょうか。

    波越指圧学校も、伝通院から50メートルぐらいのところにあり、この像も浪越氏の寄贈です。

    除夜の鐘をつきに行くと、焚き火にあたりながら、ニコニコとしていた波越徳治朗さんがいたものです。

    伝通院 寺・神社・教会

  • 桜の時期には是非訪れてみてください。<br /><br />柴田錬三郎氏、佐藤春夫氏のお墓もあります。<br />幸田文さんの家もすぐそばです。<br /><br />最後に幸田文さんの思い出。<br />子供の頃、この写真の道の右側を毎日竹箒でお掃除している年配の女性がいました。<br />グレーっぽい着物に白い割烹着。<br />頭は上に高く結った感じ。<br />私が通ると必ずじろっと見られました。<br />当時小学生のくせに、制服姿だったし、女の子なのに黒いランドセルという珍しい存在だったので、それで見られているのかなとか思っていました。<br />でも今考えると、毎日顔を合わせるのに、絶対に挨拶しない変な女の子と思っていたのかもしれませんね。<br />とにかく私が通ると一瞬箒を止めて、黙ってこちらを見るので、内心、怖そうだなあとびくびくしていました。<br />右側にはへいが続いていたので、そのおうちのお手伝いさんかな、とか勝手に想像していました。<br /><br />大人になったある日、テレビを見ていたら、幸田文さんのお嬢さん青木玉さんがお母さんの思い出を色々語っている番組でした。そして写真も…<br /><br />初めて過去に見ていたその風景の彼女が、「幸田文」という、有名な幸田露伴のお嬢さんだったと気づきました。<br /><br />「あとみよそわか」という言葉があります。そんな彼女から見れば、たらたらと暗い顔をして帰ってくる女の子には、自分の子なら「活」を入れたかったのかもしれません。母は時々立ち話をしたこともあったようなので、観察されていたのかもしれません。文さんも母も亡くなってしまった今となっては、知る由もありません。結構、人が通るので、埃を舞い上げないように、手を休めていただけかも知れません。<br /><br />文豪を身近に感じた一瞬でした。<br /><br /><br />

    桜の時期には是非訪れてみてください。

    柴田錬三郎氏、佐藤春夫氏のお墓もあります。
    幸田文さんの家もすぐそばです。

    最後に幸田文さんの思い出。
    子供の頃、この写真の道の右側を毎日竹箒でお掃除している年配の女性がいました。
    グレーっぽい着物に白い割烹着。
    頭は上に高く結った感じ。
    私が通ると必ずじろっと見られました。
    当時小学生のくせに、制服姿だったし、女の子なのに黒いランドセルという珍しい存在だったので、それで見られているのかなとか思っていました。
    でも今考えると、毎日顔を合わせるのに、絶対に挨拶しない変な女の子と思っていたのかもしれませんね。
    とにかく私が通ると一瞬箒を止めて、黙ってこちらを見るので、内心、怖そうだなあとびくびくしていました。
    右側にはへいが続いていたので、そのおうちのお手伝いさんかな、とか勝手に想像していました。

    大人になったある日、テレビを見ていたら、幸田文さんのお嬢さん青木玉さんがお母さんの思い出を色々語っている番組でした。そして写真も…

    初めて過去に見ていたその風景の彼女が、「幸田文」という、有名な幸田露伴のお嬢さんだったと気づきました。

    「あとみよそわか」という言葉があります。そんな彼女から見れば、たらたらと暗い顔をして帰ってくる女の子には、自分の子なら「活」を入れたかったのかもしれません。母は時々立ち話をしたこともあったようなので、観察されていたのかもしれません。文さんも母も亡くなってしまった今となっては、知る由もありません。結構、人が通るので、埃を舞い上げないように、手を休めていただけかも知れません。

    文豪を身近に感じた一瞬でした。


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この旅行記へのコメント (2)

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  • のうりかさん 2009/01/21 15:16:08
    あとみよそわか
    Mさん、いまごろはジェットラグをものともせず、北米担当エリアを
    移動中でしょうか?

    「あとみよそわか」に反応しました。
    そうそうお目にかかれる言葉ではないので。
    この系統は実は飼主の専門です。国文科なので。中学校の国語教諭という
    こともありますが、正しい日本語を使う点ではMさんと同じだと敬意を
    払っています。

    この伝通寺ですが、学生の頃、小石川界隈を親友Yと逍遥または徘徊した
    ときに、伝通寺の前を通過した記憶があります。
    Mさんの旅行記で今回初めて「千姫の墓」があることを知ったのですが、
    高校のとき京都の知恩院で「千姫の墓」を記憶していたので、調べて
    みました。

    「千姫の墓」は3つあるそうです。

    ?東京都文京区小石川「伝通院」
    ?茨城県常総市豊岡町「弘経寺」
    ?和歌山県伊都郡高野町「高野山奥の院」

    そして、それぞれ
    遺体が伝通院
    髪を弘経寺
    爪は知恩院に葬られた。

    が、弘経寺の平成9年度の保存修理の際に、千姫の遺骨の一部が納め
    られていることが判明した。
    とありました。

    今では交通量の多い白山通りですが、神保町からずっと北に不思議な
    界隈が続いていますね。御茶ノ水女子大や護国寺あたり。
    根津や東大本郷も40年前と違わない空間だと思うことがあります。

    恥ずかしながら、幸田露伴も幸田文さんの小説を読んだことがない僕には
    とても新鮮な旅行記でした。
    紺の制服に帽子をかぶったMさんの幼少時も、まるでポジフィルム
    (スライド)の一コマを大切にビューアーで覗いた気持ちになって、
    とてもうれしくなりました。

    では、極寒の五大湖地区でのご奮闘をご祈念もうしあげます。

    nourika




    M-koku1

    M-koku1さん からの返信 2009/01/24 12:32:08
    RE: あとみよそわか
    > Mさん、いまごろはジェットラグをものともせず、北米担当エリアを
    > 移動中でしょうか?

    はい、昨夜真夜中にトロントのダウンタウンのホテルにチェックインしました。今日は夕方までお客さんとあったり食事をしたりしていましたが、
    そのあとは、もちろん4tr用の写真撮影に出かけましたよ。
    あとでアップするつもりです。


    > この系統は実は飼主の専門です。国文科なので。中学校の国語教諭という
    > こともありますが、正しい日本語を使う点ではMさんと同じだと敬意を
    > 払っています。

    私は日本語の使い方がでたらめです。昔は本を読みまくっていましたが、途中から外国文学に移ってしまったので、今ではとてもとてもひどいものです。常識すらなくしそうです。
    飼主さんのように、学習した専門をいつまでも生かせる生き方が羨ましいです。


    > この伝通寺ですが、学生の頃、小石川界隈を親友Yと逍遥または徘徊した
    > ときに、伝通寺の前を通過した記憶があります。
    > Mさんの旅行記で今回初めて「千姫の墓」があることを知ったのですが、
    > 高校のとき京都の知恩院で「千姫の墓」を記憶していたので、調べて
    > みました。
    >
    > 「千姫の墓」は3つあるそうです。
    >
    > そして、それぞれ
    > 遺体が伝通院
    > 髪を弘経寺
    > 爪は知恩院に葬られた。

    まるでキリストかお釈迦様みたいですね。
    3箇所ですか。
    なんだかバラバラにされてかわいそうな感じがしてきました。
    大人になってからは墓地の奥まで入っていっていないのでわかりませんが、
    子供の頃は千姫のお墓も子供たちの遊び場所で、3つの古い大きなお墓が、
    ひっそりと建っていました。周りは草ぼうぼう…
    いつ崩れてもおかしくない感じだったので、大人達からは入らないようにと言われていました。今思い出しても、
    苔蒸した石が積み上げられたタイプのお墓で、
    お化けが出てきても不思議でないような感じでした。
    残りの2つがどなたの物であったのかはわかりません。
    多分一つは於大の方のものだったのではと思います。

    >
    > 今では交通量の多い白山通りですが、神保町からずっと北に不思議な
    > 界隈が続いていますね。御茶ノ水女子大や護国寺あたり。
    > 根津や東大本郷も40年前と違わない空間だと思うことがあります。

    白山通りもバイパスができて、かつての白山通りはすっかり廃れた感じになってしまいました。
    本当にあの界隈を良くご存知ですね。(^_^)

    もしかしたら、かつてどこかですれ違っているかもしれませんね。


    > 恥ずかしながら、幸田露伴も幸田文さんの小説を読んだことがない僕には
    > とても新鮮な旅行記でした。

    興味を持って読んでくださる方が一人でもいてくださるとうれしいですね。
    有難うございます。
    のうりかさん型旅行記のように、その特徴が確立されてくると、
    作風がはっきりしていて面白いんですけれど、
    私の旅行記は気紛れで、一貫していなくていけません。

    > 紺の制服に帽子をかぶったMさんの幼少時

    こういう書き方をしてくださると悪いイメージではないのですが、
    実際は「女の子は赤」という時代でしたから、
    スカートをはいているにもかかわらず、
    よく、「そこの坊や」と言われてムッとしたものです。

    > では、極寒の五大湖地区でのご奮闘をご祈念もうしあげます。

    のうりかさんも、極寒の韓国を、どうぞお楽しみください。

    M

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