2008/12/05 - 2008/12/05
2549位(同エリア4337件中)
一歩人さん
浅草神社の祭神は、三社様(僧の土師氏像と浅草寺本尊の観音像を網で
拾い上げた檜前兄弟)と東照宮とあります。東照宮とは、権現様すなわち
家康公です。
慶安二年(1649年)に合祀されました。以来、三社大権現といい、
明治元年(1686年)三社明神、同六年浅草神社と改称したと。
現在の社殿は、慶安二年12月、家光公が再建した。と。
建築様式は、本殿と拝殿との間に「石の間」を設け、屋根の棟数の
多いいことを特徴とする権現造り。と。つまり、東照宮にして、東照宮と
呼ばれておりません。なぜ?なぜ?なあ〜ぜ????????
(参考:図説浅草寺ー今むかしー、編集・発行 金龍山浅草寺、東京美術刊、
1996年11月21日初版他)
(二天門の画像を追加2008年12月10日)
-
01 石橋
元和四年(1618年)浅草寺に東照宮
(現存せず)が造営された際、参詣のために
神橋として、造られた。と。
寄進者は、家康公の娘振姫(ふりひめ)の婿、
紀伊国和歌山藩主浅野長晟(あさのながあきら)
、広島浅野家藩祖。と。
昭和23年文部省より、重要美術品に認定。 -
02 二天門(修理工事中)
すみません。来年9月まで修理工事中でした。
本来は、東照宮の「随心門(ずいしんもん)」。
元和四年(1618年)東照宮を浅草寺に
勧請(かんじょう)した際、新たに構えられた。
と。
浅草「東照宮」は、寛永19年(1642年)に
消失。つまり、石橋とこの門だけが残った。 -
03 設計監理
ちょっとだけ覗きました。土台しかありません。
設計監理は、(財)文化財建造物保存技術協会。
発注は、もちろん、浅草寺。 -
昭和20年(1945年)頃、関東大空襲で
焼け残った二天門だそうです。
江戸博の今昔展で展示されておりました。
(追加2008年12月10日) -
屋根瓦に葵の御紋が散りばめられております。
寛永19年の消失後、幕府は、東照宮の再建を
見合わせ、その後、家光公は、藤堂家の造営した
上野の東照宮を慶安4年(1651年)に、現存の
社殿に造替、もってこれにかえようとした。と。
推察として、浅草寺が庶民の参詣寺だったこと、
逆に寛永寺が幕府の官寺だったからではないかと。
(参考:江戸学事典、弘文社刊、昭和59年
3月10日発行)
三社祭りとちがう切り口をお楽しみ
いただけましたでしょうか。
ふ、ふ、次回は、紅葉山東照宮なんて。
おしまい。
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