1982/02/15 - 1982/03/06
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ちびのぱぱさん
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目覚めると汽車の中でした。
昨晩、雪深いスイスのベルンを出た国際夜行列車は、川から立ち上る朝霧の中を静かに走っていました。
暗闇の中アルプスを越え、全長1233㎞のライン川の3分の2を下り、もう終点のケルンが近づいているようです。
ここを夜走り抜けたとは、もったいない話だと思います。
スイスからドイツに移動しようと思って時刻表を見いているうちに、物価の高いスイスの宿代を浮かすために夜行に乗って、ライン川沿いに一度ドイツのケルンまで行き、今度は逆方向に昼の列車で「ラインのぼり」をしようと思い立ちました。
トーマスクックの時刻表を片手に、若いというのはしかたのないものだと思います。
当時ヨーロッパを縦横無尽に走っていた国際特急TEEの一等車は、個室六人掛けをフルフラットにするとちょっとした座敷の趣があります。すでに一度乗って、ガラガラであることが分かっていたのでそういう発想が生まれました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 航空会社
- キャセイパシフィック航空
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
早朝のライン川には朝霧が立ち上り、川面は静まり返っています。
-
早起きの乗客が、コンパートメントの通路側に腰掛けたり壁に寄りかかったりして、窓の外の景色をぼうっと眺めています。
ゆうべ少しだけ立ち話をした若い女性の、美しくも眠そうな顔にラインの川霧を透過した陽光がきらきらと輝いて、金色の睫毛が朝日のように光を放っている。
私と目が合うと、覚えていてくれたようで、ニコッと会釈をしてくれました。
この女の子は二十歳前後で同い年の彼氏と一緒でした。
「私の彼、とってもバカなの」
と、本人を目の前にすごいことを言う。
すると彼氏も頷いて、両目をぐるぐる回しあほのふりをする。
どちらも美形でした。
ライン川の左岸を走っていたはずがいつしか川を渡ったようで、東側の右岸線をゆっくりと進んでゆきます。
ケルンが近づくにつれて、朝霧の中にあの異様に巨大な、骨ばった大木のようなゴシック建築物が黒々と姿を現します。
音に聞くケルンの大聖堂は157mもある尖塔を従え、この町を代表するかのように辺りを睥睨していました。 -
かまぼこの形をした巨大な温室のようなケルン駅に、汽車が静かに到着します。
駅舎のドームには、今汽車が入ってきた方向の上のほうに「4711」のロゴがでっかく掲げられていました。
実家の母の鏡台の上で見たのと同じロゴです。
フォーセブンワンワン。
「オーデコロンとはフランス語でケルンの水と言う意味なんですよね。」
かつて誰かが教えてくれました。
駅を出ると、ますます圧倒して迫る大聖堂のほうへ歩いてゆきました。 -
本当にまじかで見ると巨大です。
-
ゴシック建築の粋を極めている。
これを眺めていると、コートを着込んだ老人がドイツ語で話しかけてきました。
「日本人?」
「そうです」
「そのカメラは日本製ですね」
「そうです」
私は兄のペンタックスの一眼レフを首から下げていたので、よくカメラについて尋ねられました。
日本製のカメラは、とても人気でしたからどこで売っているのか聞かれることもありました。
このときもそう。
「シンジュク、ヨドバシ」
と答えることにしていました。
1982年当時、戦争経験者がまだまだ現役で社会を動かしていましたから、今とは少し違った戦争観を持っている方が多かった気がします。
老人は突然話題を変え、
「ワールドウォーでイタリアと組んだのはまずかった。今度はイタリア抜きでやろうな」
なんて、真顔で言ってきます。
それからニヤッと笑って、肩をたたかれました。
こういう人がどのくらいいるか知りませんが、戦争については冷静に考えなければならないと思いました。
私の父も元軍人で、陸軍の航空部隊にいました。
戦争は絶対に避けなければならないが、始まってしまうこともある。
始めた戦争を終わらせるのが一番難しい、と言っていました。
相手が殴り掛かってきそうなとき、うまく乗り切れるかどうか。
今の時代は、戦争きらい、ということは声高に話すのに、相手をどうなだめるかについては今一つ実効性のある論議がなされていないような気がします。
たぶん、相当大きなものを捨てる覚悟でないと避けるのは難しいこともあるでしょう。
政治家がそういう決断をしたとき、激高するのもまた国民です。
あの時の老人を思い出すにつけ、本当に戦争を避ける覚悟について考えさせられます。 -
老人が立ち去った後、少しほっとして再びこの建物を眺めます。
まるで立往生を遂げた巨人のようだ、と学生だった自分は思ったものです。 -
がらんとした教会内には、礼拝出席者用のおびただしい数の木製の椅子が整然と並んでいます。
そのところどころに、腰の曲がった老婆や、鼻水をすすっている白髪の老人やらが座ってなにやら祈りを捧げています。
彼らよりもずっと人数の多い無言の観光客たちが、その祈りを邪魔しないよう静かに歩き回っています。 -
まだ二十代初めのわたしは、大木の内部がすっかり枯れてうろになったかのようなこの建物に、死にゆく宗教組織の行く末を見るような気分になりました。
平日の朝でなければきっと別の印象があったのでしょうが、重苦しい空気を感じて早々にその場を辞し、再び列車に乗るために駅に向かいました。 -
ライン川沿いのところどころに現れるお城は、実にロマンチックです。
特にコブレンツ周辺に多い。
写真のストルツェンフェルス城は、ケルンから100キロほど川を遡ると忽然と姿を現しますが、反対側にもお城があるのは川の通行税を取るためにあるとのこと。
税金を取るからには治安維持やら、それらしい役割は果たしていたのでしょうか。
こういうことは、ナポレオンがライン川の自由航行を宣言する19世紀まで続いたようです。
そういう歴史を知ると、お城もロマンチックな存在とばかりは言えない気分になりますが、いつしか大事な観光資源になっているわけです。
汽車は、川の両側を走っていますから、右岸と左岸の両方の路線を明るいうちにケルンとハイデルベルクを往復するのも良いと思いました。
当時、トーマスクックの時刻表という本を持ってユーレイルパスなる国際パスで縦横無尽にヨーロッパを走ることが学生に流行していたものです。
1等車用15日間で5万6千円くらい。 -
汽車はコブレンツの手前で左岸にわたり、ライン川の支流、モーゼル川の鉄橋を走る。
するとすぐ隣に実に美しい石橋が見えました。
バルドゥイン橋と言い、その向こうに聖カストア教会の尖塔が立っています。
隣のコンパートメントにいたドイツが昨晩ビールを飲みながら話しかけてきました。
トラックの運転手でしたが、「ドイツという国は、すっかりアメリカナイズされて、見てもつまんない国になっちまった。そう思いませんか。」
「そうですか。とても素敵だと思いますけど。」
「いや、昔はもっと素敵だった。くだらない発展の仕方をしたものだと思います。」
当時の私には彼の言う意味はよく分かりませんでした。
「そういえば、日本だって、なんだってあんなにアメリカナイズしちまったんですか。」
「日本はそんなにアメリカナイズされていますか?」とわたし。
「してるでしょう。」
日本に帰ってからもしばらくこの方の言ったことを考えていました。 -
プファルツ城は、文字通り川の真ん中の中州にデンと構えて、通行税を取る気満々です。
まるで上流に向かう船のような形をしていますが、14世紀前半に建てられて今なおその姿を保っているとはよほど堅固に造られているのでしょう。
旅の前半で出会ったかのドイツ人の言葉が時折頭をよぎります。
美しいものを認識する素養と教養をもって自分の住んでいる国を眺め、その美しいものを損なわないように生活を営んでゆくのはその国の民度でしょうか。
文献を読むと、江戸末期や、明治初期に日本を訪れた異国人は、その町並みの美しさを口をそろえて讃えています。
そして、面白いことに、この独特の美しさが程なく損なわれてゆくことを嘆いている人までいるのです。
日本の近代化、と、日本の失われた景観。
できることなら、江戸時代の日本に行ってみたいと思うのでした。 -
ちらりと見えるのはシュターレック城で、ユースホステルとして宿泊することができる。
昨晩、スイスグリンデルワルトのユースでやらかした失敗が頭をよぎる。
いい気分でシャワーを使っていたら、
「誰か使ってる?」
と女性の声。
「あっ、使ってます。」
「ええー!ここ女子専用よ。信じらんない!」
とあきれて去って行ったので、慌てて出ました。 -
ローレライの岩も、物語や歌を知らなければ変哲のない岩の塊です。
ただし、その場で大きく湾曲する川の流れを見て、きっと難所だったのだろうと言うことは想像できました。
あの遊覧船で行くのが王道でしょうね。
いつかやってみたいものです。
「なじかは知らねど、心侘び……」
ちょっと口ずさんでみます。 -
ハイデルベルク中央駅で汽車を降り、写真のハイデルベルク大学の前を通ります。
現存するドイツ最古の大学。
アルトハイデルベルクの物語で、美貌のカール王子がやってきた大学です。
この建物は趣のある大学図書館。 -
ハイデルベルク城を見上げる広場。
この広場の一角に公衆電話のボックスがありました。
この当時、国際電話というのはまったくもって一般的ではないのですが、さすがドイツの公衆電話、500円ほどのコインで日本まで電話を掛けられるようになっています。
時計を見て計算すると日本は午後9時ころになります。
電話をかけるには理想的な時間でしょう。
たしか、日本の実家には妹が一人でいるはず。
ほんの数十秒ですが、地球の裏側と話してみたくなりました。
数コールして女性の声がしました。
「ああ、ぼくだけど」
「は?どちら様ですか?」
全く予想していない反応の上、妹の声とどこか違うような気がします。
動転して、あー、とか、うーとか言っているうちに終了ー。
後で知った真相は、高校生の妹が一人で留守番は物騒と知り合いの女性が泊まりがけに来ていたのでした。
妹を守る気ギンギンのお姉さまは、男からの不審な電話に敵意むき出しだったわけです。
こうして、私の初国際電話体験ははかなく終わりました。 -
16世紀にたてられた城門塔トーアトゥルム。
ドイツ語でトーアは門、トゥルムは塔の意味があります。
騎士の彫刻が、仁王像のように城の入り口を守っていてその上の方に時計が設置されてます。
ここからハイデルベルク城に入城。 -
城の中庭に進む。
-
すでに壁一面だけになった城の建物の一部。
こういうの、マカオにもありますね。 -
世界一でかいというワインの樽が地下にあります。
王様が家臣のために造らせたのだとか。
どんだけ飲んでも大丈夫ですね。
こちらは、それより少し小さいもので、飲ませていただけます。
学生時代は、酒に全く興味がなかったので飲みませんでした。
まだ昼前ですしね。
スタッフの女性が手持ち無沙汰に私を見ていました。 -
城壁の上から旧市街地を臨む。
-
ハイデルベルクといえばアルトハイデルベルク、と判で押したように有名です。
この町に留学した公国の王子様が、地元の居酒屋の娘と恋に落ちる話。
もちろん、悲恋です。
ちょっとほろ苦くて甘いやつ。
大学ではドイツ語を第二外国語として学びましたので、多少の意思疎通は可能です。
ただ、ドイツ国内でドイツ語を使うと聞き返されることが多々あります。 -
だいたい英語が通じるのでそっちの方が楽です。
旧市街地がネッカー川に沿って伸びる。
今も変わらない眺めなのでしょう。 -
街で見かけたビールジョッキ。
酒に関心はなくとも、これはかなり心惹かれました。
もちろん、買いませんよ。
ドイツは三日ほど時間をかけて回りましたが、くだんのトラック運転手
「ドイツにはどれくらい居るんだい?」
「えーと、三日ですね」
「何、たったの三日??たったの三日でドイツの何が見れる?」
ごもっともです。
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