2005/10/28 - 2005/10/28
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一歩人さん
いよいよ、安土城へ!石曳きの秘密大公開。
築城図屏風の一シーン。石曳きの図、いいえ、正式名は、修羅引き。
え?修羅って?古代の運搬具のことだそうです。
つまり、古墳を作るために大きな石を運ぶときに、下に敷いていた木 の船が
由来とか。
何トンもあるわけだから、木の車では、無理だよね。そこで、引くための
仕掛けがこれ。
屏風としての記録性は、すごい!
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01 安土城の復元図
織田信長の発想は、すばらしいですよね。
その後の豊臣政権、徳川政権の見取り図を
造りましたよね。そう、安土桃山文化。
バックグランウンドは、南蛮文化では。 -
02 安土城の天守閣復元1
金色に輝く天守閣の復元。 -
03 安土城の天守閣復元2
角度を変えてみました -
04 築城図屏風のジオラマ1
はい、おまたせしました。
私が注目した、築城図屏風のジオラマ。
これって、天下普請。土木工事のこと。
手伝う大名に石高で割り当てられた工事区域。
安土城の石は、地元の近江を含む12ヶ国の
侍たちが近辺から運んだ。と。 -
05 築城図屏風のジオラマ2
ちょっと、近づいてみました。
とても、関心するのは、築城図屏風から
ここまで、再現する考古学的力。
これまで、歴史、歴史って言ってたけど。
考古学の裏づけがなければ、できません。 -
06 築城図屏風のジオラマ3
はい、いよいよ、石曳き、いや、修羅曳きの秘密。
修羅の下は、ころと、「あらめ」?
え?「あらめ」って?こんぶのことだそうです。
後ろで押すのは、手子木(てこぎ)。
つまり、修羅に大石をのせ、手子木で押しながら、
ころを大勢の人で曳いたりしながら、運ぶそうです。
上の南蛮風衣装の数人が鐘や太鼓で音頭とり。 -
07 築城図屏風のジオラマ4
潤滑油に「あらめ」、こんぶとは。
天下普請でなければ、実現できませんよね。
信長という人は、すごくない!!
え?築城の名手、秀吉が考えたのかもね。 -
08 築城図屏風のジオラマ5
普通の石は、牛車やべかぐるまで運び、
石垣の裏につめる小石(裏ごめ石)は、
もっこや、石負子で運びました。とさ。
背中に籠をつけ小石を運ぶ人がそう。 -
09 築城図屏風(名古屋市博物館蔵)
はい、築城図屏風全体図です。
これだけのために、江戸博から飛び出し、
江戸城、大阪城、安土城まで来ちゃった。
ふ、ふ、おしまい?
いいえ、明日は、稲取温泉へGO!
あさっての、石曳き祭りへ行きます。
次週をお楽しみに。
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