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1).旅の始めに<br /><br />                                                                   一人行く 旅の中空 蜀葵(からあおい)<br />                                                                                                    <br />           <br />  『河姆渡遺跡』は、中華人民共和国の浙江省に、紀元前5000年頃から紀元前4500年頃にかけて存在した新石器時代の遺跡である。その地域は、杭州湾南岸から舟山群島にかけてのかなり広い地域であったようだが、余姚市にある『河姆渡村』から発見されたことから、『河姆渡文化』とも、呼ばれている。<br />  『河姆渡遺跡』が発見されたのは、1973年であり、その後、2回にわたり発掘作業が行われている。それによって、水稲のモミが大量に発見されたため、人の手による、大規模な稲作がなされていたのではないかと、考えられたのである。<br /><br />2).『河姆渡遺跡』へ<br /><br />   その日、『河姆渡遺跡』に向かうため、前日到着した「寧波南駅」から、旧式の乗合バスに乗り込んだまではよかったのだが、路上に出るや、エンスト。同時にエアコンが切れ、体中の汗が一気に出始めてきた。運転手は、慌てる様子もなく、むしろ手馴れた感じで、修理し始め、2、30分後に再び動き始めた。やがてT字型に交差する山道で、降ろされ、『この坂道をまっすぐ下りて行きなさい』と、車掌に言われるまま坂を下りていくと、河淵へ出て来た。その脇の木陰に、年配の男女が座っており、私に、そこに座るよう席を空けながら、話かけてきた。その話から、目の前の河は「余姚江」で、その対岸までの渡しが、「河姆の渡し」であり、向こう岸に広がる一帯が『河姆渡遺跡』と、言うことが分かった。対岸を眺めると、写真で見たことのある『河姆渡遺跡』の石碑が見えていた。時間が来たのか、男は立ち上がり、小舟の準備をし始め、女は、自分の自転車の荷台に僕の荷物を載せるや、そのまま小舟に乗り込んで行くので、僕も続いて乗り込んだ。日差しの強い中、艪を漕ぐ音に些かの涼を感じながら、向こう岸には4,5分で到着した。丁度お昼であったので、舟着き場の前にある小さな食堂に入り、昼食を食べた。『河姆渡遺跡』の真っ只中での野生料理であった。 <br /><br />3).我が『河姆渡遺跡』物語<br /><br />              夏草や 河姆渡五元の 渡し舟<br /><br />   僕が、『河姆渡遺跡』に、些かの興味は持っていたが、それは単なる古代ロマンへの、憧れに過ぎない。以前、「揚子江」中流の遺跡で、9000年前の炭化した稲が発見されたと聞いたが、ここ『河姆渡遺跡』でも、7000年程前の炭化した稲が発見されている。 「日本へは、何時、稲作技術が渡来したのか?」には、諸説はあるようだが、「2300年程前」だと、聞いたことがあるが、何となく、此処『河姆渡遺跡』と関係があるとの思いがあった。当時の状況から見て、稲作技術を持って、日本に渡ることのできる中国大陸の地域は、極めて限られていた。『河姆渡遺跡』の発見により、ここには水田技術があり、しかも海での漁業もしており、その目の前の海に出て、海流に乗れば、九州へは2日間で着いたと言う話もあるようだ。<br />  「長江文化圏」の下流で平和に過ごしていた『河姆渡』の民が、天候の不順による食糧難からか、または、南下してきた黄河文化圏の異民族の勢力に追われ、大挙して海に逃れ、潮に導かれて日本に流れ着いたという想像も、面白いのではと、僕の妄想は、次第に拡大して行くのである。<br />  太湖の辺りにいた倭人達が、村長の娘「卑弥呼」の予知能力を頼りに、後漢の騒乱期に、一族で九州に逃れてくる小説を、読んだことがある。その影響か、この『河姆渡遺跡』に立ち、我ら日本人の先祖の極めて可能性のある渡来物語への妄想が、更に拡大して行った。(完)<br /><br /><br />  表紙写真:寧波市「三口江」にある「道元」禅師の『入宋記念碑』<br /><br /><br />* Coordinator: Gu Hong                                           <br /><br /><br /><br /><br />        <br />

【浙江省】 余姚 *  「河姆渡遺跡」を 旅する

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2008/07/24 - 2008/07/30

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彷徨人MU

彷徨人MUさん

1).旅の始めに

             一人行く 旅の中空 蜀葵(からあおい)


  『河姆渡遺跡』は、中華人民共和国の浙江省に、紀元前5000年頃から紀元前4500年頃にかけて存在した新石器時代の遺跡である。その地域は、杭州湾南岸から舟山群島にかけてのかなり広い地域であったようだが、余姚市にある『河姆渡村』から発見されたことから、『河姆渡文化』とも、呼ばれている。
  『河姆渡遺跡』が発見されたのは、1973年であり、その後、2回にわたり発掘作業が行われている。それによって、水稲のモミが大量に発見されたため、人の手による、大規模な稲作がなされていたのではないかと、考えられたのである。

2).『河姆渡遺跡』へ

  その日、『河姆渡遺跡』に向かうため、前日到着した「寧波南駅」から、旧式の乗合バスに乗り込んだまではよかったのだが、路上に出るや、エンスト。同時にエアコンが切れ、体中の汗が一気に出始めてきた。運転手は、慌てる様子もなく、むしろ手馴れた感じで、修理し始め、2、30分後に再び動き始めた。やがてT字型に交差する山道で、降ろされ、『この坂道をまっすぐ下りて行きなさい』と、車掌に言われるまま坂を下りていくと、河淵へ出て来た。その脇の木陰に、年配の男女が座っており、私に、そこに座るよう席を空けながら、話かけてきた。その話から、目の前の河は「余姚江」で、その対岸までの渡しが、「河姆の渡し」であり、向こう岸に広がる一帯が『河姆渡遺跡』と、言うことが分かった。対岸を眺めると、写真で見たことのある『河姆渡遺跡』の石碑が見えていた。時間が来たのか、男は立ち上がり、小舟の準備をし始め、女は、自分の自転車の荷台に僕の荷物を載せるや、そのまま小舟に乗り込んで行くので、僕も続いて乗り込んだ。日差しの強い中、艪を漕ぐ音に些かの涼を感じながら、向こう岸には4,5分で到着した。丁度お昼であったので、舟着き場の前にある小さな食堂に入り、昼食を食べた。『河姆渡遺跡』の真っ只中での野生料理であった。

3).我が『河姆渡遺跡』物語

              夏草や 河姆渡五元の 渡し舟

   僕が、『河姆渡遺跡』に、些かの興味は持っていたが、それは単なる古代ロマンへの、憧れに過ぎない。以前、「揚子江」中流の遺跡で、9000年前の炭化した稲が発見されたと聞いたが、ここ『河姆渡遺跡』でも、7000年程前の炭化した稲が発見されている。 「日本へは、何時、稲作技術が渡来したのか?」には、諸説はあるようだが、「2300年程前」だと、聞いたことがあるが、何となく、此処『河姆渡遺跡』と関係があるとの思いがあった。当時の状況から見て、稲作技術を持って、日本に渡ることのできる中国大陸の地域は、極めて限られていた。『河姆渡遺跡』の発見により、ここには水田技術があり、しかも海での漁業もしており、その目の前の海に出て、海流に乗れば、九州へは2日間で着いたと言う話もあるようだ。
  「長江文化圏」の下流で平和に過ごしていた『河姆渡』の民が、天候の不順による食糧難からか、または、南下してきた黄河文化圏の異民族の勢力に追われ、大挙して海に逃れ、潮に導かれて日本に流れ着いたという想像も、面白いのではと、僕の妄想は、次第に拡大して行くのである。
  太湖の辺りにいた倭人達が、村長の娘「卑弥呼」の予知能力を頼りに、後漢の騒乱期に、一族で九州に逃れてくる小説を、読んだことがある。その影響か、この『河姆渡遺跡』に立ち、我ら日本人の先祖の極めて可能性のある渡来物語への妄想が、更に拡大して行った。(完)


  表紙写真:寧波市「三口江」にある「道元」禅師の『入宋記念碑』


* Coordinator: Gu Hong




       

同行者
一人旅
交通手段
鉄道 高速・路線バス タクシー 飛行機
航空会社
JAL

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  • 河姆渡の渡しの対岸の舟着場から、河姆渡遺跡を眺める。

    河姆渡の渡しの対岸の舟着場から、河姆渡遺跡を眺める。

  • 秋瑾女史が処刑された軒亭口にある、秋瑾烈士記念碑(奥の碑)と白玉の立像(手前)。

    秋瑾女史が処刑された軒亭口にある、秋瑾烈士記念碑(奥の碑)と白玉の立像(手前)。

  • 『瓜姜桂魚糸』

    『瓜姜桂魚糸』

  • 『黄?河鰻』(?の字は、火偏に、旁は悶で、ぴったりと蓋を閉め、とろ火で煮込む料理方法),日本の鰻と同じ系統の鰻料理である<br />

    『黄?河鰻』(?の字は、火偏に、旁は悶で、ぴったりと蓋を閉め、とろ火で煮込む料理方法),日本の鰻と同じ系統の鰻料理である

  • 木瓜&#28822;雪蛤

    木瓜炖雪蛤

  • 口当たりは仄かな甘口、余韻に酸味を微かに残しながらの喉越しの感触を楽しみ、如何なる料理とも張り合わず、殺さず、控えめで、まろやかな老酒“十年陳稽山清”

    口当たりは仄かな甘口、余韻に酸味を微かに残しながらの喉越しの感触を楽しみ、如何なる料理とも張り合わず、殺さず、控えめで、まろやかな老酒“十年陳稽山清”

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