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さあ、歌舞伎ファンの私が目指すものは?成田山新勝寺!<br />ピンポンと、成田駅に降り立つ私。<br />が、お店の前で、目にしたお店の紹介の英文の中に?<br />「GOD FUDO」、これ、これ、瞬時に、マイブームに<br />点火、お店の人に聞きながら、一目散にお店の中を通り抜け、<br />羊羹資料館そして、ご不動様へ直進!<br />まさに、カルチャーショク、和菓子ワールドへ、<br /><br />いや、そこには、とっても、こわ〜い、結末が?<br />お楽しみ下さい。<br />また、私のコンセプト『一歩人』もご紹介させて<br />頂きます。

日本和菓子紀行(GOD FUDO!を祀る、和菓子屋さん、なごみの米屋さんの巻)

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2005/02/24 - 2005/02/24

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15

一歩人

一歩人さん

さあ、歌舞伎ファンの私が目指すものは?成田山新勝寺!
ピンポンと、成田駅に降り立つ私。
が、お店の前で、目にしたお店の紹介の英文の中に?
「GOD FUDO」、これ、これ、瞬時に、マイブームに
点火、お店の人に聞きながら、一目散にお店の中を通り抜け、
羊羹資料館そして、ご不動様へ直進!
まさに、カルチャーショク、和菓子ワールドへ、

いや、そこには、とっても、こわ〜い、結末が?
お楽しみ下さい。
また、私のコンセプト『一歩人』もご紹介させて
頂きます。

同行者
一人旅
交通手段
JRローカル

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  • 01 羊羹資料館<br />ふ、ふ、ありました。<br />お店の裏を出ると、おお!歴史物に弱い私。<br />木造建築の古い建物。懐かしさも込み上げ中へ。<br />(撮影2005年2月24日、以下同じ)

    01 羊羹資料館
    ふ、ふ、ありました。
    お店の裏を出ると、おお!歴史物に弱い私。
    木造建築の古い建物。懐かしさも込み上げ中へ。
    (撮影2005年2月24日、以下同じ)

  • 02 創業者の肖像画<br />諸岡長蔵様、明治32年に成田山門前に羊かん店を<br />開業。ご幼少より、成田山を尊崇(そんすう)し、<br />広く社会への奉仕活動を続けられ、昭和39年に<br />成田市名誉市民に。と。

    02 創業者の肖像画
    諸岡長蔵様、明治32年に成田山門前に羊かん店を
    開業。ご幼少より、成田山を尊崇(そんすう)し、
    広く社会への奉仕活動を続けられ、昭和39年に
    成田市名誉市民に。と。

  • 03 長蔵語録<br />「信用は資金より貴き」<br />「儲けることのみ先にするから・・<br /> 己を犠牲として、顧客の利益を計ればやがて儲かる・・」<br />「掌を合わせ礼拝が出来 掌を仰向けてお頂戴できるのは、<br /> 人間のみに与えられた天の恩寵である」<br />と、数々の戒め。はい。

    03 長蔵語録
    「信用は資金より貴き」
    「儲けることのみ先にするから・・
     己を犠牲として、顧客の利益を計ればやがて儲かる・・」
    「掌を合わせ礼拝が出来 掌を仰向けてお頂戴できるのは、
     人間のみに与えられた天の恩寵である」
    と、数々の戒め。はい。

  • 04 長蔵の居間<br />真っ先に目に飛び込む、そろばん。

    04 長蔵の居間
    真っ先に目に飛び込む、そろばん。

  • 05 日本の各地の羊羹とその本店<br />おお!ここは、まさに、『日本』羊羹資料館。<br />ふ、ふ、たまりません。

    05 日本の各地の羊羹とその本店
    おお!ここは、まさに、『日本』羊羹資料館。
    ふ、ふ、たまりません。

  • 06 羊羹の歴史<br />(1)平安時代に遣唐使により伝来。<br />亀羹(かめかん)、猪羹(いのししかん)、海老羹(えびかん)、<br />羊羹(ひつじかん)など四十八羹が伝わるが、仏教伝来(552年)、<br />日本では肉食をしない習慣のため、赤小豆、山芋、葛粉などを練り、<br />羊の形にして羊羹としたと。<br />(2)鎌倉時代<br />茶道の進展により羹(あつもの)は茶の点心として、汁がなくなり、<br />蒸し菓子として珍重される。と。<br />(3)江戸時代<br />万治元年(1658年)寒天の発明により、練り羊羹が誕生!<br />(4)明治時代<br />成田山新勝寺の栗かんをヒントに、日本初の本練羊羹誕生!<br />(米屋栗羊羹)<br />

    06 羊羹の歴史
    (1)平安時代に遣唐使により伝来。
    亀羹(かめかん)、猪羹(いのししかん)、海老羹(えびかん)、
    羊羹(ひつじかん)など四十八羹が伝わるが、仏教伝来(552年)、
    日本では肉食をしない習慣のため、赤小豆、山芋、葛粉などを練り、
    羊の形にして羊羹としたと。
    (2)鎌倉時代
    茶道の進展により羹(あつもの)は茶の点心として、汁がなくなり、
    蒸し菓子として珍重される。と。
    (3)江戸時代
    万治元年(1658年)寒天の発明により、練り羊羹が誕生!
    (4)明治時代
    成田山新勝寺の栗かんをヒントに、日本初の本練羊羹誕生!
    (米屋栗羊羹)

  • 07 なごみの米屋の歩み<br />創業明治32年から大正、昭和の歩みが、成田と日本の<br />出来事を対比されながら、説明されておりました。

    07 なごみの米屋の歩み
    創業明治32年から大正、昭和の歩みが、成田と日本の
    出来事を対比されながら、説明されておりました。

  • 08 芥川龍之介の羊羹好き<br />紀行文『佐原行』で成田山新勝寺の好物の栗羊羹のことが<br />つづられていると。

    08 芥川龍之介の羊羹好き
    紀行文『佐原行』で成田山新勝寺の好物の栗羊羹のことが
    つづられていると。

  • 09 十一代海老増襲名披露<br />垂れ幕左下の「なごみの米屋」と

    09 十一代海老増襲名披露
    垂れ幕左下の「なごみの米屋」と

  • 10 素材へのこだわり<br />ここから、最後まで、砂糖、小豆、寒天の百科事典と<br />なりました。詳細な写真と説明が、サンプルとともに、<br />ふ、ふ、これ、これ、素材が命。<br />(1)砂糖は、塩とならぶ基本調味料で、サトウキビや<br />サトウダイコン(天采)などの植物を原料につくられると。<br />(2)十勝小豆の王様「とよころ豆」、<br />松崎農場の今年の生育状況が6月から10月にかけて、<br />丹念に写真付きで紹介されておりました。驚愕!<br />(3)寒天<br />糸寒天生産工程、粉末寒天生産工程と続きます。

    10 素材へのこだわり
    ここから、最後まで、砂糖、小豆、寒天の百科事典と
    なりました。詳細な写真と説明が、サンプルとともに、
    ふ、ふ、これ、これ、素材が命。
    (1)砂糖は、塩とならぶ基本調味料で、サトウキビや
    サトウダイコン(天采)などの植物を原料につくられると。
    (2)十勝小豆の王様「とよころ豆」、
    松崎農場の今年の生育状況が6月から10月にかけて、
    丹念に写真付きで紹介されておりました。驚愕!
    (3)寒天
    糸寒天生産工程、粉末寒天生産工程と続きます。

  • 11 羊羹のできるまで<br />昭和初期と現在の対比です。自動化が進んでいました。

    11 羊羹のできるまで
    昭和初期と現在の対比です。自動化が進んでいました。

  • 12 羊羹の三大要素<br />とっても、深い!<br />この第一歩が楽しくもあり、ワールドへ踏む込む、<br />怖さでもあります。だって、この深遠な世界。<br />第一歩踏み込んだ先は、プラネタリウムに放り込まれた<br />ようで、天空に浮かぶ、ひとつひとつの星へロケットを<br />打ち上げて探検するかと思うと、何年かかるか、<br />とってもこわ〜い。命(帯?)短し、たすきに長し。

    12 羊羹の三大要素
    とっても、深い!
    この第一歩が楽しくもあり、ワールドへ踏む込む、
    怖さでもあります。だって、この深遠な世界。
    第一歩踏み込んだ先は、プラネタリウムに放り込まれた
    ようで、天空に浮かぶ、ひとつひとつの星へロケットを
    打ち上げて探検するかと思うと、何年かかるか、
    とってもこわ〜い。命(帯?)短し、たすきに長し。

  • 13 お不動様旧庭園<br />大本山成田山新勝寺は、今より一千年前に東国鎮護の<br />道場として開山され今日に至っている。と。<br />その最初にお堂が建てられたのは成田市に南方公津<br />(こうづ)ヶ原と呼ばれる場所で、そこから室町中期に<br />成田村の名主諸岡三郎左兵衛門がご本尊不動明王の<br />ご尊像を自分の屋敷内にお遷(うつ)すすることとなり、<br />永禄9年(1566年)までの間、ご奉仕致して<br />おりました。と。<br />諸岡三郎左兵衛門は米屋の遠祖に当たり、その屋敷が<br />この地であり、お不動様旧庭園として、保存。と。

    13 お不動様旧庭園
    大本山成田山新勝寺は、今より一千年前に東国鎮護の
    道場として開山され今日に至っている。と。
    その最初にお堂が建てられたのは成田市に南方公津
    (こうづ)ヶ原と呼ばれる場所で、そこから室町中期に
    成田村の名主諸岡三郎左兵衛門がご本尊不動明王の
    ご尊像を自分の屋敷内にお遷(うつ)すすることとなり、
    永禄9年(1566年)までの間、ご奉仕致して
    おりました。と。
    諸岡三郎左兵衛門は米屋の遠祖に当たり、その屋敷が
    この地であり、お不動様旧庭園として、保存。と。

  • 14 お不動様旧庭園続き<br />そして、<br />諸岡三郎左兵衛門は米屋の遠祖に当たり、その屋敷が<br />この地であり、お不動様旧庭園として、保存。と

    14 お不動様旧庭園続き
    そして、
    諸岡三郎左兵衛門は米屋の遠祖に当たり、その屋敷が
    この地であり、お不動様旧庭園として、保存。と

  • 15 不動明王<br />最後に、不動明王です。<br />和菓子紀行が、うまく、締めくくりました。<br />長々のおつきあい、ありがとうございました。<br />おしまい。

    15 不動明王
    最後に、不動明王です。
    和菓子紀行が、うまく、締めくくりました。
    長々のおつきあい、ありがとうございました。
    おしまい。

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  • さすらいの食いしんぼうさん 2010/03/10 00:43:42
    歴史や文章。「よー噛ん」で味わいました。
    一歩人さんのブログはとっても、深い!
    この第一歩が楽しくもあり、一歩人ワールドへ踏む込む怖さでもあります。
    だって、この深遠な世界。

    ......どこかで見たような文ですが、これが今のボクにぴったりの気持ち。
    130冊の旅行記(まさに江戸文化の浮遊空間への旅)はどれも見ごたえ、読み応えあり。
    この深遠の世界をちらり垣間見ただけで、おやまぁもうこんな時間。

    (歌舞伎調で)「まだも此の先読みたいけれど、ヘタな長居は先生にご無礼。帰れ帰れの声なきうちに、ここらあたりで切り止めまして、またの訪問たのしみにいたす。」

    一歩人

    一歩人さん からの返信 2010/03/10 12:52:38
    RE: 歴史や文章。「よー噛ん」で味わいました。
    > 一歩人さんのブログはとっても、深い!
    > この第一歩が楽しくもあり、一歩人ワールドへ踏む込む怖さでもあります。
    > だって、この深遠な世界。
    >
    > ......どこかで見たような文ですが、これが今のボクにぴったりの気持ち。
    > 130冊の旅行記(まさに江戸文化の浮遊空間への旅)はどれも見ごたえ、読み応えあり。
    > この深遠の世界をちらり垣間見ただけで、おやまぁもうこんな時間。
    >
    > (歌舞伎調で)「まだも此の先読みたいけれど、ヘタな長居は先生にご無礼。帰れ帰れの声なきうちに、ここらあたりで切り止めまして、またの訪問たのしみにいたす。」

    さすらいの食いしんぼうさんへ
    ふ、ふ、江戸東京博物館の展示ガイドで培った、歴史と史跡めぐりの成果です。
    ガイドの時は、A4写真を披露してご案内していました。
    え!もちろん、伝統工芸工房で培ったノウハウも
    ドラえもんバッグにつめて、工芸素材を解説。
    やりすぎちゃって今は、引退の日々。
    ご訪問、ありがとうございました。
    失礼しま〜す。

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