2008/10/03 - 2008/10/03
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riverwillさん
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2008年9月23日~10月6日までのトルコ・シリア・ヨルダンの中近東3ヵ国をバス・タクシーを駆使して渡り歩いた放浪記です。今回は念願のヨルダン世界遺産、インディージョーンズ最後の聖戦の舞台、ペトラを訪問した第11日目編です。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー
- 航空会社
- カタール航空
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-
6:30 起床、7:00に当直の青年をたたき起こして、出入り口扉の鍵を開錠してもらう。
昨晩、ホテルのオーナーにバスターミナルまでの行き方を伝授され、流しのタクシーを呼び止めて交渉するも3JDを提示され、「2JD以上を提示されたら他のタクシーをあたれ」という指示に従い、そのタクシーはパス。
すると、突然通行人に声をかけられ、安く行きたいならミニバスで行きなさい、とミニバスの停留所に連れて行かれ、訳も分からず、そのバスに乗せられる。
そのバスは、見る見る間に手持ちの地図のエリア外に突入し、自分の向かっている先が読めず、一気に不安が急上昇。
突如、車掌さんに、ここで降りてあっち方向に歩いて行け!と降ろされる。
しかし、どこまで歩いても一向にターミナルは見えず、予感的中。不安が渦巻く。
道端に腰掛けていた地元の人たちに片言のアラビア語で何とか話しかけ、バスターミナルが確かにこっち方向にあることが分かり、少し一安心。
歩くこと15分、7:50にようやく「ムジャンマ・ワヒダート」というバスターミナルに無事到着。
ペトラ行きのミニバスは現在ここから出発しています。地球の歩き方の情報は古いので要注意。
ところが、ミニバスは人が集まってはじめて出発するシロモノ。結局、人が集まるまで1時間半も待たされ、早起きしてきた意味なし。
そして、ペトラの物価はアンマンの2〜3倍という情報から、ミネラルウォーターなどの食材をここで買い置きしていきました。
そうして、3時間後、12:30 ようやくペトラに到着。 -
随分と町外れで急坂の下でバスは停まり、宿を決めていなかったわたしは、重い荷物を背負ってあちこち歩き回るのはしんどかったので、すぐに目に止まった「ペトラゲート・ホテル」にチェックイン。
シングルで朝食付15JDと、またしてもガイドブックより高めの料金を提示され、もう、帰国直前でお金がないからまけてくれ!と泣きついたけれど、聞き入れられず、結局1JDしか負けてくれませんでした。
一泊シングル朝食付14JD(約2,200円)
ここでも、ガソリン代や公共料金の高騰によるホテル料金改定の窮状を訴えられました。物価高騰は世界的なんだなぁと実感。
用意された部屋はツイン部屋、ホットシャワーは24時間使用可。
ただ、シリアもヨルダンもそうですが、基本的に、ユニットバスにはシャワーカーテンがない。
そのせいで、トイレは水でビチャビチャ、季節的にすぐに乾くでもなく、トイレットペーパーはなく、扱いにくいバスルームでした。 -
荷物を部屋に置き、さっそくペトラへGo!
その前に、残り少ない現金を補充するため、いよいよ、人生2度目の海外キャッシング。ドキドキ。
地元の少年2人が、日本人というだけでしつこくつきまとい、ATM操作を無邪気に覗き込むので、さすがにキレて、「近づくな!見るな!」と怒鳴ってしまいました。
ひとまずキャッシングが完了し、お金に余裕が出来たので近くの商店で紙パックのバナナミルクとプレッツェルのお菓子を購入。
しかし、聞いていた通り、おそるべしペトラ物価!やはり、アンマンの2倍ぐらいしました。
ホテルのあるワディ・ムーサのまちから徒歩30分、13:15にようやくペトラ・ビジターセンターに到着。たくさんの観光客で大賑わい。
行きはよいよい帰りは怖い、帰りはずっと下ってきた坂を今度は登ると思うと、それだけで憂鬱。 -
ペトラの入場料は大人シングル(1日券)で21JD(約3300円)。べらぼうに高い。
これといった産業のないヨルダンが、数少ない収益源として重宝する観光名所。
「インディ・ジョーンズ〜最後の聖戦」の舞台として一躍有名になって以来、観光客が激増、それに相乗りして入場料を高騰させ、国家の貴重な財源となっています。
ペトラはかなり広く、全部を見るには一日二日がかり。
そのため、二日券や三日券があります。
午後にスタートしたわたしは、この時点で全部回れないのは覚悟の上。足に多少自信はあるものの、連日の蓄積した疲れを考慮して断念。結局、見所のポイントだけまわることにしました。
これは、ペトラ遺跡へとつながるシークSiqの入り口。 -
ペトラのゲートをくぐる際に、遊牧民ベドウィンの青年から声をかけられ、今日はラマダン終了のお祝いだからタダで馬に乗せてあげると誘われ、本当にタダかとしっかり確認して、シーク入り口まで乗せてもらうことに。
シークの入り口まではビジターセンターから砂利道を1.5km。結構遠い。しかも日陰ナシの炎天下。気が萎えます。
馬の乗り心地は、ラクダよりまだマシ。とはいえ、やっぱりお尻が痛い。居心地は、良くない。でも、馬はとてもカワイイ。
つい最近まで日本で中古車の商売をし、大阪・東京などでの滞在経験も豊富で日本語も多少話せたベドウィンの青年は、例のごとく日本人ということで気に入ってくれて、ペトラ観光後、ベドウィン族がよくバーベキューをするというリトル・ペトラ(ガイドブックではスモール・ペトラ)を案内してくれることになりました。 -
ペトラはギリシア語で「岩」を意味する語。
ペトラの町は紀元前6世紀頃、アラビア半島から移住してきたナバテア人によって岩を穿って作られたと言われています。
シークSiqとは狭い岩の裂け目という意味。
気の遠くなるような長い年月をかけて、鉄砲水が作り出した自然の造形。
シークはペトラへ続く唯一の道。
ナバテア人はシークを天然の要塞として、住居として活用したそうです。
細く狭く、頭上に迫り出した崖の高さは60〜100m。道幅はところによっては約2〜3m程度。
地層が織り成す縞模様と流線型の崖はとても美しいです。 -
水路跡。
ナバテア人は、シークの道路脇に水路を掘り、水源から都市へ水を引いて生活していたそうです。高度な生活の知恵に驚きです。 -
古代の水路は延々1km以上も続きます。
遺跡は水路だけでなく、石畳やダムの痕跡も残っているそうです。
狭い道を、多くの観光客、そして観光客を乗せたロバが駆け抜けます。
ロバ使いの少年が、しょっちゅう「ロバに乗らないか?」と声をかけてきます。あまりにしつこいので少々うんざりです。 -
道中には、ナバテア人が信仰していた主神ズゥ・シャラー神を祭る祭壇(壁がん)レリーフが所々に刻まれていました。風化して、だいぶ岸壁となじんでいましたが。
-
砂利道なので、歩きづらく、疲労がたまった足腰にはこたえます。乾燥して炎天下だし・・・
この時間はさすがに向かう客よりも戻ってくる客が多い気がしました。 -
狭い狭い道幅のときは、ロバで進入をふさがれて一方通行になるときもあります。
とにかくここでの移動手段は馬よりもロバがメイン。映画のように馬をかっこよく走らせる人たちは少ない。
そして、道すがら、お約束のロバの糞の山。
生み立ては結構臭います。 -
ナバテア人の像。
5頭のラクダとナバテア人によるキャラバンの像だったそうです。今は上部が失われ、下半分しか残っていません。 -
この辺で、天然のモアイ像(に似た岩)があったそうですが、気づきませんでした。
残念。
日本人の観光客は欧米に比べて少なかった気がしますが、ここでも日本人は大人気。日本人は、よほど他の外国人より気前よく、そして笑顔で礼儀正しいのか。
どこへ行っても人気者。 -
岩層の縞模様は、アメリカのアンテロープ・キャニオンにとてもよく似ています。
アンテロープも鉄砲水で出来た滑らかな流線型と光の筋が織り成す美しい赤い砂漠の渓谷です。
機会があったら是非比較してみて下さい。ここよりは規模が小さいですが、とても美しいです。 -
もう少しでペトラの象徴的建造物「エル・ハズネ」です。
-
シークの入口からひたすら歩いて約30分。
ようやく光の指す方向から、バラの神殿「エル・ハズネ」が姿をあらわす。
渓谷の隙間から垣間見えるこのポイントは、観光客にとって絶好の撮影ポイント。デジカメ構えた観光客がたむろっています。 -
いよいよ登場、エル・ハズネ Al Khazneh
とうとうここまでキタ━━━(゚∀゚)━━━━━!!!!!
崖を削り、彫り抜いた神殿風正面を持つ霊廟で、幅30m、高さ約43m。紀元前1〜後2世紀のものとされている。
これこそまさに、キリストの聖杯で死闘が繰り広げられた、インディ・ジョーンズ 最後の聖戦の舞台、岩窟の霊廟。
感動です。本当に心打たれます。
よくここまで来たと自分で自分を褒める。 -
宝物殿と呼ばれるその名の由来は、2階の一番上の彫刻に乗っている壷の中に宝物が隠されていると信じられていたことからきている、とのこと。
その壷は、かつて宝物を狙ったベドウィンによって銃で撃たれた弾痕があるとか。
現在ではきれいな形で残っていますが、発見された当初は天井を支えていた6つの柱のうち1本は折れていた状態で、後に修復されて現在のような姿になっているそうです。
外観の各女神像のレリーフは、風化や地震の影響で随分崩れていました。 -
エル・ハズネの入り口手前にある地下入り口。2箇所入り口が発掘されていました。
現在も発掘中のようで、網で覆われていて一般の人は進入禁止。いつになったら公開されるのでしょう。 -
エル・ハズネの入り口を見上げる。
精巧で華麗で巨大な造りにただただ圧倒されます。
正直なところ、トルコの遺跡よりもシリアの遺跡よりも、何故か圧倒的なスケールを感じました。 -
入り口、右手の岩窟とレリーフ。
中は薄暗く、特に何もありません。
正面1階の左右には、戦士と馬の像が彫刻されています。
これは、双子の兄弟の騎手ディオスクロイ(ギリシャ神話におけるふたご座のカストルとポルクス)を表しているそうです。 -
エル・ハズネの内部。
外観のゴージャスさとは一変して、内部はかなり狭く暗くひどく質素で、何の変哲もない、四角い小部屋という感じ。
ナバテア人は文字の記録を残さなかったと言われ、そのため、いまだにこれらの建物が建てられた目的などは謎に包まれているそうです。 -
二階中央の女神像は古代エジプトの女神イシス、その上の丸屋根は太陽を表しているそうです。
屋根のてっぺんには脚付きの大壺がかつて彫刻されていたそうですが、地元の人がライフルで射撃して壊れてしまったそうです。
イシス像の左右にある二対の像はギリシャ神話に出てくるアマゾネスの像といわれ、その上の屋根の部分には鷲の像が彫刻されています。 -
エル・ハズネの裏手にある、ファサード通り沿いの岸壁。
ここも、ところどころに穴やレリーフが掘られています。
ここがペトラでもっとも赤い壁をしているそうです。 -
これも、ファサード通りの祭壇?跡。
エル・ハズネのすぐ裏手にあります。
ここにも岩窟が掘られていますが、やはり中身は何の変哲もない洞穴。
何故か、ロバが休憩していました。 -
王家の墳墓。
エル・ハズネを裏手に廻ると、岩窟の墳墓がずっと連なります。
ペトラの砂岩は割と削りやすいらしいですが、とはいえ、あまりに広大で規模がでかい。
いったい何千人の民が建設に携わって、どれだけの年月をかけて地味に彫り続けたかと想像すると、気が遠くなりますね。 -
ローマ円形劇場。
2〜3世紀のもので、ナバテア人がまず造り、後世、ローマ人が拡張したそうです。約5000人の収容能力。
劇場の前には生贄を捧げた祭壇があったらしく、神聖な儀式が営まれていたと考えられています。
砂岩で出来た赤土の円形劇場は、風化や地震の影響で、今回の旅で見たどの円形劇場よりも保存状態は悪く、形が崩れていた気がします。 -
王家の墳墓。
この手前にはカフェや土産物屋が並んでいます。
遺跡の中では、やはり水もジュースも高かった気がします。
土産物屋には、ある画家が発見当時のエル・ハズネの逸話を描いた素敵な画集が並んでいて、メジャーな土産のひとつのようでしたが、ちょっと高かったので、持ち金の少ないわたしは躊躇してしまい、結局買えませんでした。 -
ネクロポリス。
円形劇場の向かいにある岩窟墳墓群。
ここには、一般の民のための小さな無数の墓地が広がっています。 -
これは王家の墳墓の一部。
どこをどう登ったか、ありえない高台まで登って記念撮影をする観光客がたくさんいました。
チャレンジャー、というか無謀と言うか、元気な方々がいっぱいいます。
日本人は控えめなので、ルートから外れたところではあまり見かけませんでした。 -
王家の墳墓のひとつ、アーンの墓(壷型墳墓)。
エルハズネほどではないですが、巨大な岩窟墳墓が立ち並びます。
穴の中はやっぱり何もないですが。
たどり着くまでに階段を登るので足腰に来ます。
階段の途中にはやはりベドウィンの子どもたちによる土産物屋が並んでいます。 -
アーンの墳墓から眺めた広大な遺跡群。
果てしなく岩窟墳墓などの遺跡が続く。
昔の人はこんな山奥によくこんなすごいものを造ったなと感心します。 -
列柱回廊の先にある、凱旋門。
保存状態はとてもよいようです。
この辺に、土産物売りのベドウィンの女性がチラホラいます。
また、子どもはロバ使いが多く、少々うんざりするほどに乗らないかと声をかけてきます。
ここで、突然、アラブ人の一家に声をかけられ、子どもたちとの記念撮影を求められました。アジア人が何だか珍しかったようです。
こんなにあからさまに記念撮影を求められる事は、他の国ではあまりないですね。 -
大寺院跡(The Great Temple)とガイドでは記載されていますが、実際はCourtとも書かれていたので、裁判所関係の遺跡も含むのかもしれません。
列柱遺跡や側溝などが残っています。
さらに奥には神殿のような立派な建物がありましたが、足がすでにヘトヘトで登る気が失せました。
列柱回廊を挟んで、この大寺院跡の向かいに「翼を持ったライオンの寺院」があったようですが、どうしてもそこにたどり着けず、疲れもあって断念しました。 -
凱旋門の少し先に行ったところにある、「カスール アル ビント」。
后の神殿という意味でナバテア人がドシャラ神を祀った神殿と言われています。
なぜか遺跡前の説明プレートが取り除かれていて、建物名は後で分かりました。
ペトラでは、建物名などの説明プレートが非常に分かりずらい場所に設置されています。土ぼこりかぶってたりとか。
なので、ガイドブックとの照合がとても大変です。 -
これは博物館。3時にしてすでに閉まっていました。
ここは、もう一つのペトラの目玉「エド・ディル(Ed Dier)」、別名モナストリーと呼ばれる霊廟遺跡に向かう道の分かれ目にあります。
この向かいには大きなレストランと休憩所があります。夕方には閉まるようなので要注意。
この近くにあるライオンのモニュメントがどうしても見たくて、レストランの従業員の男性に行き方を尋ねると、ここからかなり歩くから今日は諦めたら、と言われ、結局断念。
ついでに、仕事が終わったら車でリトル・ペトラに連れて行ってあげるよと熱心に誘われましたが、ベドウィンの青年と約束していたので丁重にお断り。
というか、仕事サボってナンパしないように。 -
約束の時間をとうに過ぎ、もはや約束はどうでもよくなっていたわたし。
とはいえ、「エド・ディル」まで行って帰ってくるには往復2時間はかかるらしく、時すでに3時半過ぎ、体力的に困難と判断し、結局引き返すことにしました。
写真のためならどんなに疲れていても目的地まで到達するわたしでしたが、もう年でしょうか…こんなにあっさり諦めるなんて。
再びエル・ハズネに戻り、しばらく感傷に浸りつつエル・ハズネを眺める。ああ、とうとうペトラまで来ちゃったんだなぁ、と。 -
メインゲートとシーク入口までの間にある「オベリスクの墳墓」。
行きに撮り忘れたので。
上部は7mもの高さの4つのオベリスクが並んだ岩窟墓、下部は葬祭殿と言われるエル・シーク・トリクリウム。
エル・シーク・トリクリウムは、内部に石の座席(トリクリウム)があり、ここで葬儀が執り行われていたと言われています。 -
約束の時間を破ったにもかかわらず、ベドウィンの青年はゲート外にいて気づかれてしまい、バツ悪く挨拶。
少し責められましたがすぐに許してくれて、その後、同じベドウィンの友人を携帯で呼び出し、その友人の四駆車で、約束のリトル・ペトラへ向かってくれました。
これは、リトル・ペトラまで行く途中の、高台から眺めたペトラ。 -
リトル・ペトラは、ペトラ遺跡とはまた違った魅力のある、無数の岩窟住居跡のある巨大な岩山群が広がります。
大地は四駆でないと走れない砂地です。
なんだか、カッパドキアを彷彿とさせます。
ここはあまり観光客が訪れないところらしく、地元のベドウィンの人々がよくバーベキューをする場所だと教えてくれました。
週末なのもあり、多くの家族が四駆で訪れ、バーベキューで歌って踊って騒いでいました。
電気はないのでろうそくや焚き火であたりを照らす。
また、遊牧民の子どもらしく、彼らは馬で競争したりして、何だかカルチャーショックを受けました。
そして、リトル・ペトラの日没。実際はもっと荘厳で美しかったです。 -
バーベキューをするというので、地面でやるのかと思いきや、この岩の上にある、昔の人が掘った岩窟によじ登り、その洞穴でろうそくをつけシートを引き、穴そばでバーベキュー(というか、単なる野菜と鶏肉の炭火蒸し焼き)。なんて斬新。
あたりは真っ暗。ろうそくの灯りだけが頼り。
空は満天の星。天然のプラネタリウム。
シューティングスターに願い事。
途中、青年の友人がおもむろに3人やってきて、一気に大所帯に。でも、ひとしきり話して、食事が出来る前に帰ってしまった。なんだったんだ?
バーベキューはあっさり味つけで塩とライムだけ。ホブスはヨーグルトにつけて頂く。いたってシンプル。
美味しいかどうかはともかく、残念なことにこのとき胃が痛くてあまり食べられませんでした。
胃が痛いって言ってるのにやたら食べ物を勧める青年。デリカシーないな。こいつ。
と思っているそばから愛の告白。やっぱり、オチはこうかと、ドッと疲れが出る。当然、断固お断り。
基本いい人だったので、紳士的にちゃんとホテルまで送ってくれました。めでたしめでたし。
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この旅行記へのコメント (3)
-
- ピエタさん 2008/11/30 16:19:27
- 最新情報で参考になります。
- riverwillさん、初めまして。
今年の年末・年始にレバノン・シリア・ヨルダンの中東三国を訪れます。riverwillさんのペトラ・パルミラ・クラックデシュバリエが私の訪問地と重なります。数ヶ月前の最新情報ですからとても参考になります。
私もアンマンからペトラまではバスで移動します。riverwillさんはミニバスに乗られていますね。私はジェット社の早朝バスに乗るつもりですが、同じバスなのでしょうか。発車場所が変更されているようで気になったのですが。
ペトラでは、riverwillさんと同じでペトラゲートに二泊します。ネットで25ドルくらいでしたから、riverwillさんが提示された料金は妥当かなと思います。
帰りは死海経由でアンマンまで帰られたのですね。最初の料金提示が25ドル、当日になって35ドルですか。おかしいですね。私もこの死海経由コースでアンマンまで帰ることを考えていましたが止めることにしました。ペトラゲートホテルに警戒心がでてきましたね。
ところで先日シリアビザを国内で個人取得したのですが、そのカードの固さに閉口してしまいました。riverwillさんも苦労されたのでしょうね。ヨルダンは現地で日本人には二週間の観光ビザが下りるようで気が楽です。
- ピエタさん からの返信 2008/11/30 16:44:42
- 訂正
- > riverwillさん、初めまして。
25ドルではなく25JD。35ドルではなく35JDでしたね。
「地球の歩き方」には3人以上で1人20JDと書いてありましたので、ちょっと…という感じですね。
- riverwillさん からの返信 2008/12/01 03:36:18
- RE: 訂正
- ピエタさん、
はじめまして。
このたび、わたしの旅行記に関心を持っていただき誠にありがとうございます^^
年末年始にかけてご旅行に行かれるとのこと、
だいぶ寒いと思いますので防寒着・ホッカイロ等は抜かりなく。
アンマンからぺトラまでの交通ですが、ジェット社の発着所はあいにく未確認です。運賃が高かったし、確か一日早朝1便ぐらいしかなくて大変不便だという印象でした。
その点ミニバスは一日何便もあってとても便利。宿の人もこちらを薦めてくれました。
人数が集まらないと発車しないというデメリットがありますが、料金的にもジェット社の何分の一だった(はず)なのでバックパッカーには非常にありがたい乗り物です。
ぺトラから死海経由のタクシーツアーも、値段がつり上がっていたのは世界的な原油高の影響らしく、やむを得ないという感じでした。
いずれにしましても、本年度版の地球の歩き方に掲載されているあらゆる料金は古いものなのでほぼ100%当てになりません。
予算的には、特に交通費、宿泊費、レストランなどは、掲載されている料金の2〜3倍を目安にしたほうが無難です。
以上、参考になれば幸いです。
またご質問等ございましたらお返事下さい。
良い旅を!!ボンボヤージュ!
> > riverwillさん、初めまして。
>
> 25ドルではなく25JD。35ドルではなく35JDでしたね。
> 「地球の歩き方」には3人以上で1人20JDと書いてありましたので、ちょっと…という感じですね。
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