2004/10/29 - 2004/10/29
16691位(同エリア33406件中)
一歩人さん
いよいよ、大本命の久能山東照宮へ。
家康公は元和二年(1616年)75歳で薨去(こうきょ)
せられ御遺名(ごいめい)によってこの地に埋葬し
奉った。と。
今回も、権現造の社殿は、お蔵入りで、
神所一点に絞って、展開する次第。
お楽しみ下さい。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル
-
01 鐘楼
御前に鐘楼がありました。
久能山の頂上にあります。
ここに通ずる門として、下に
廟門(以前は御宝塔門)と称えた廟所に
通ずる門があります。
(撮影2004年10月29日、以下同じ) -
02 御宝塔
西向きとなっており、関が原の戦いの西軍に睨みを
利かせているとか。
廟の高さは、6mだそうです。
葵の紋の下に、法輪が並んでいますね。 -
03 金の成る木
おや、おや、どうゆうことでしょうか。
家康公にまつわる遺話となっております。
三代将軍家光公当時に植樹されたものと。
由来は、
家康公が諸人たちに「金の成る木」を問わせられた
これには誰も知らず、公は自ら筆を取られて、
三本の木を描き、
(1)よろづ程の木:万事のよき
(2)志ひふかき木:慈悲深き
(3)志やうぢ木:正直
と書かれて、これを常々信用すれば必ず
富貴を得られようと仰せられた。と。 -
04 久能山東照宮俯瞰図
由来には、
徳川家康の死後、その遺言によりここに葬られ
二代将軍秀忠によって社殿が造営された。
日光東照宮へは、ここから御霊の一部を
移したといわれている。と。 -
05 久能山全景
由来には、
永禄11年(1568年)駿府へ進出した武田信玄は、
久能寺を清水市(今の鉄舟寺)に移し、この要害の
地に久能城を築いたが、武田氏の滅亡とともに、
徳川氏の領有となった。
徳川家康は、大御所として駿府に在城当時
「久能城は駿府城の本丸と思う」と、
久能山の重要性を説いた。と。 -
06 東照宮の塔
静岡駅南口にあります。
横に、東照公御遺訓が刻まれています。 -
07 東照公御遺訓
人の一生は重荷を負て遠き道をゆくが如し
急ぐべからず不自由を常と思えば不足なし
心に望みおこらば困窮したる時を思ひ
だすべし
勘忍は無事長久の基怒は敵と思へ
勝事ばかり知りて負くる事を知らざれば
害其の身に至る己を責めて人をせむるな
及ばざるは過ぎたるよりまされ季
慶長八年正月十五日 家康(花押)
人はただ身の程を知れ草の葉の
露も重きは落ちるものかな。
と。
はい、おしまい。
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