2008/08/28 - 2008/08/28
904位(同エリア1486件中)
山菜迷人さん
昔、伊予の国浮穴郡荏原の郷に衛門三郎という強欲な長者がいました。ある日、門前にひとりのみすぼらしい托鉢の僧が訪れましたが、僧の持っていた托鉢を取りあげて投げつけました。その托鉢僧こそ弘法大師だったということです。
そんなことがあってから、8人いた男の子が次ぎ次ぎと亡くなるという事件が起こります。これには強欲非常な衛門三郎も恐ろしくなって邪見をひるがえし、家を捨て、托鉢僧を訪ね四国巡拝に旅立ったということです。これが四国遍路のはじまりといわれています。
しかし、いくら四国の霊場を回っても弘法大師にお会いすることができず、遂に21回目の巡拝を続けているうちに天長8年(831)阿波国焼山寺の麓で病に倒れ、明日をも知らぬ身となってしまいました。その時、弘法大師が突然枕元に現れて、三郎の手に衛門三郎と刻んだ1寸8分の石を授けますと、三郎は安心してそのまま息を引取ったのでした。
その後、地方豪族河野息利に男子が生まれましたが、何日たっても右の手を握ったままで開きません。そこで、寺に願をかけたところ、手の中から衛門三郎と書かれた石が出てきたのです。この子こそ衛門三郎の生まれかわりだと、石を伊予の51番札所安養寺に納めました。それにちなんで、安養寺の寺号を石手寺と改めたということです。
そんな、伝説の残っている四国八十八カ所巡りの第一番札所が霊山寺である。霊山寺には、非核の政府を求める徳島県の会が献燈した原爆の火がともり続けているのである。日本酒党の僕は、平和じゃないと酒が飲めないと考えており(実際に、第二次世界大戦中、贅沢は敵だという文化が醸成され、一部の大商人や軍部高官しか酒を楽しむことはできなかったのだ。)、平和な日本を守り続けたいと願っているので、ぜひ見ておきたいと考えたのだ。
原爆の火の由来は写真で見ていただきたいと思うが、宝塔への登り口のところに原爆の火は捧げられていた。その赤い火は平和の尊さ、原爆の悲惨さ、戦争の愚かさを語りかけているように僕には思えたのだった。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
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霊山寺の寺門
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門に向って右手の植え込みの中に、
『うたた寝の
ときも
手に持つ遍路杖』
という木村閑流の句碑がある(1973年春建立)。 -
仁王像
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霊山寺は水が豊かな寺である。
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原爆の火
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原爆の火の由来が書かれている
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泉水池と大師堂
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多宝塔
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本堂
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本堂その2
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天平年間(七二九〜七四九)に、行基が聖武天皇の勅願により開基。
その後、弘仁六年(八十五)、弘法大師は「人の持つ八十八の煩悩をなくそう!四国霊場を開創しよう!」と考えこの地に訪れた。その時、彼の目に映った光景は、インドの霊鷲山で釈迦が説法していた様子とよく似ていた。そこで弘法大師は、インド(天竺)の霊山を日本(和国)に移すという意味から、山号を竺和山、寺号を霊山寺と名付け、四国霊場第一番札所に定めたとの事。
今現在では、発願の寺、一番さんなどと親しまれている。 -
不動明王像
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本堂から水が湧き出ている。
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本堂へ向かう道
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鐘楼
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仏像と多宝塔
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多宝塔
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