2006/03/18 - 2006/03/21
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Medinaさん
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大連編の続きで今回は南京の旅です。この画像はAPSフイルムをフジカラーでCD ROMに変換して貰いました。自分でスキャナーで吸い取るより画像は綺麗だと思います。
今回の旅の最大の目的である南京は、南京博物院に行来たい為に寄りました。なんといっても南京博物院は、北京の故宮博物院と並ぶ中国最高峰の博物館であり、中国では博物院と呼ばれるのは北京と南京のこの2箇所のみです。
1933年、日中戦争の戦火を避けるために、北京の故宮から大量の貴重な収蔵品が南京博物館(当時は中央博物院)に運ばれてきました。1933年2月から5月までの間、13,427箱と64包の文物は五つに分けられ、上海、そして南京に運ばれ文物倉庫を建て、故宮博物院南京分院を設立しましたが、1937 年、盧溝橋事件が勃発し、抗日戦争が全面的に始まりました。
南京に置かれた文物はこの場所において置くと危険なので、再び運び出され三つのルートでそれぞれ四川省の巴県、峨嵋山、楽山に送られました。
抗日戦争勝利後、南遷文物は重慶を経て、南京に戻されましたが、中国人民解放軍が揚子江を渡る直前の1948年末から蒋介石が率いる南京国民党政府は南京の倉庫から 2,972箱の文物を選んで台湾に運び込みました。その後、台北市士林外双溪で博物館を建て、一般公開を始めこれが、台湾の故宮博物院なのです。蒋介石が一説によると高価な国宝級の物を知っていて、台湾に逃げる時に持ち出した?言われております。
1949年以後、故宮博物院は一万箱余りの南遷文物を南京から少しずつ取り戻した。残った2,221箱は南京博物院に頼んで保存してもらったそうです。その一部が現在公開されております。
以前TBSで南遷文物特集をしてました。その一部を日本の伊勢丹で公開され、それを見た時感動しました。いつか必ず行きたいと願い実現させました。個人的には台湾の台北の故宮博物院の方が凄いですが、南京博物院も負けじと凄まじいです。行きやすさでは台北ですが南京は個人で行くのには少し乗り換えがある為大変かと思います。
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー ヒッチハイク
- 航空会社
- JAL
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空港から市内に着いてまず、タクシーの運ちゃんに南京博物院まで案内して貰い、場所を確認してからホテルに荷物を置いて再度博物院に行く計画をしていたら。。(@_@)
なんと降りたはいいがタクシーが30分待っても捕まらなく
南京博物院が5時で閉館の為時間がなく困り果て、しょうがないからヒッチハイクをしました。 -
南京博物院の前の通りでタクシーが捕まらなくこの写真の車をヒッチハイクすることにしました。もちろん数台以上は無視されましたが。。。右の緑色の車はタクシーですが。。。
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何時も中国を旅するとき一緒に同行している友人が、道端でヒッチハイクを試みてみます。結果はOKで南京博物院からホテルへ行き、また戻りで博物院まで交渉を試みました。この車で南京シェラトンホテルまで行かせてロビーの手前で待機させたら、ドアボーイに凄い目で見られました(@_@)、かなり驚いた様子でしたが。。。。まあ..いいか!ちょうどこの年、私がSPGの上級会員の時、ホテルの人はたぶん?不思議な会員だなあ?と思われたでしょう。。
個人的には余りお薦めは致しません。。。 -
南京市内です。余り高層ビルはないです。
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こちらも南京市内。日本の大阪の梅田の信号機と同じように待ち時間が出ます。この街の人間はそんなにせっかちなのか???不思議でした!
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今回の旅のハイライト。南京博物院の正面から見た写真です
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正面左側の建物ですが、こちらの地下から見学になります
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南京博物院の入り口から撮影してます
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戦争中、故宮の大量の文物は困難な道を辿ったが、故宮職員の粘り強い努力で紛失や損失が一切なかった。しかしながら、今日に至っても完全に故宮に戻ることなく、別々の状態になっている。この状態はいずれ終わると思われる。というのは、故宮コレクションは本来分割できない統一体だからであり、それらは紫禁城建築と分離できるはずもないのである。
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この手前の白磁の花瓶は日本にも来ました。1つ1億円以上の価値があるそうです。絵柄は乾隆帝の竜の絵柄です
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こちらの皿もかなり大きく乾隆帝の象徴の竜の絵柄が書かれておりました。
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この花瓶は縦に漢字が書かれており、凄まじく見事に書かれ、曲がったり斜めになって書かれていなくまじかで見るとお見事につきます!もちろん値段のつかない国宝です。
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乾隆帝が着てた衣装ですべて金糸で編みこまれていました
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南京長江大橋の入り口でタクシーで渡ります。
南京長江大橋(なんきんちょうこうおおはし)は、中国が独自に設計、施工をした自動車、鉄道両用橋梁。南京市の長江北岸にある浦口区と、長江南岸の南京城側にある下関区とを結ぶ。1960年に建設開始、1968年に完成。 -
南京長江大橋の中間地点
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道路橋は全長4589m、幅19.5m、長江にかかる主な部分は長さ1577mであり、上部が道路、下部が鉄道(中国人民鉄道京滬線)と2階構造となっており、橋の両端には4つの橋頭堡があり、各橋頭堡の高さは70mである。鉄道橋は全長6772m、幅14m、長江にかかる主な部分は道路橋同じく長さ1577mである。
車で約15分くらいは掛かりました。 -
南京長江大橋の橋の上から撮影した、長江の夕日
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夫子廟の入り口。南京の繁華街。
夫子廟は明清代の風格ある建物の並ぶ繁華街に建つ廟。市の中心の南に位置します。
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夜の夫子廟入り口付近。
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南京夫子廟の中
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