2008/09/07 - 2008/09/07
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kokonoさん
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九州陶磁文化館第三展示室に展示されている 古陶磁器を観てきましたのでご紹介します
【沖縄陶器】【鹿児島磁器】【大分・宮崎陶磁器】【長崎陶磁器】【福岡陶磁器】【熊本陶磁器】・・・
九州各地の特色ある容や色彩が楽しめました
付録としてデンマーク・中国・京都の製品も掲載しました
◆途中追記です
・(宋胡禄手)薩摩焼について掲載しましたが、9月11日午後にチェンマイのジンさんから、うれしい便りがありました。
ジンさんはスワンカローク焼のコ・ノーイ窯の遺跡を訪ねられスワンカロークの町では現在も製造されていて見学も可能、との情報を頂きました、ありがとうございます。
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- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
-
が盛んになりました
色絵や釉下彩で文様を描き施釉した食器中心の
上焼、甕類や擂鉢などを焼いた無釉の荒焼があります。
◆褐釉御殿形蔵骨器(厨子甕)(じーしーがみ)
琉球・壷屋窯 18世紀後半
我知焼、
中部に喜名焼・知花焼、南部の那覇市周辺に宝口・
湧田・壷屋焼などの陶窯があり
1682年に知花・宝口・湧田の三窯に統合され、首里城に近い壷屋を中心に陶器生産
やはり、沖縄の屋根にもありましたねぇ?
付記
前回に、4トラのマイゴさんからコメントをいただきました、
屋根の上にいる鯱は防火の守りなんでしょうねぇ沖縄には、本島北部に作場焼・古 -
・呉須絵線彫蓮花文瓶
琉球・壷屋窯 19世紀
・鉄釉分輪繋文渡名喜瓶
琉球・壷屋窯 18世紀後半〜19世紀前半
・褐釉台付瓶
琉球・壷屋窯 18世紀前半
◆壷屋窯は、無釉か泥釉・マンガン釉の荒焼(
焼締陶器)と生掛け施釉の上焼、さらに化粧掛けに
呉須絵や赤絵も加わり、沖縄を代表する窯場になりました
・壷屋とは窯場のことで、沖縄特有の器形や
【油甕(あんだーがみ)】【渡名喜瓶(となきびん)】【厨子甕(じーしーがみ)】
などの名称があるそうです -
・褐釉緑釉掛分筒花生
琉球・壷屋窯 18世紀中葉〜後半 -
・色絵巴紋碗
琉球・壷屋窯 19世紀前半
・灰釉碗
琉球・壷屋窯 18世紀前半
・鉄絵草文碗
琉球・湧田窯 17世紀後半〜18世紀前半
◆湧田窯は1616年薩摩の朝鮮陶工を招いて始まるいわれますが、その時代の
製品はよくわからないそうです
16世紀には瓦などを作り、17世紀後半からは陶器も焼き、18世紀まで続いたそうです
◆碗(わん)・・は (まかい・まかり) と沖縄独特の呼び名だそうです -
・宮古式土器壷
琉球・宮古島 13〜16世紀 -
・染付富士鯉文輪花皿
薩摩・平佐窯 19世紀
◆薩摩の陶器窯は1596〜1615年頃に朝鮮陶工が開窯した
苗代川焼(串木野)、磯御庭焼、龍門司焼(加治木)、などである
藩主用の「白物」を焼いた竪野系の窯以外は、日常品の「黒物」が主流だそうです
18世紀末以降は、平佐窯(薩摩川内市)や苗代川の窯で、磁器も焼いていたそうです -
・染付桜花文瓶
薩摩・平佐窯 1847年
◆陶器の印象が強い鹿児島ですが、天草陶石を使った磁器も焼いています
1776年に始まる平佐窯(薩摩川内市ほか) 1846年に始まる苗代川の
南京皿山窯(市来市)などでは白磁や染付を作ったそうです -
・色絵金彩菊牡丹文香炉
薩摩・竪野窯系 19世紀末 -
・黒釉藁灰釉流し瓢形瓶
薩摩・龍門司窯 18世紀後半
・象嵌簾文水注(三島手)
薩摩・龍門司窯 18世紀後半〜19世紀
・鉄絵幾何文耳付瓶(宋胡禄手)
薩摩・苗代川窯 19世紀
・胴部に膨らみを持たせ、長い首部をもつ瓶で首部の両側に獅子形の耳がつく
口部から首、胴部までそれぞれに格子文などの幾何学文様を描く、いわゆる宋胡緑手、
宋胡緑写といわれる陶器で、薩摩焼でも竪野窯や苗代川窯で盛んに作られたそうです
タイ国の陶器を日本では宋胡緑といい、スワンカローク窯からきた呼称で独特の鉄絵で
知られているそうです
注記(宋胡禄手)
・2008年9月に 4トラジンさんから情報がありました。
スワンカローク窯遺跡と当時の展示品もあり現在も
陶磁器の生産が行われているとのことです -
・鉄釉水指
薩摩・竪野窯系 17〜18世紀 -
・褐釉肩衝茶入
薩摩・竪野窯系 17〜18世紀 -
・黒釉龍文甕
薩摩・苗代川窯 17世紀後半〜18世紀
・半胴甕(はんどうかめ)
九州と中国地方では口が広く胴が張った甕を半胴甕と呼んでいるそうです
「飯胴」「飯銅」とも書き、地方によって「はんず」「はんど」とも呼ばれます
この甕は、一説に甘酒をいれたもの「甘酒半胴」といわれているそうです -
・灰釉茄子形茶入
薩摩・竪野窯系 17世紀前半 -
・刷毛目飴釉蓋付壷
豊後・小鹿田窯 19〜20世紀
・流し掛釉蓋付壷
豊後・小鹿田窯 19〜20世紀
◆大分・宮崎の陶磁器
大分県の小鹿田焼は小石原(福岡県)の陶工が1705年に開窯
19世紀には、小規模な磁器窯、小宛焼、末広焼もあった
宮崎県では小峰焼、庵川焼などが江戸後期に操業し
他に、佐土原窯、丸山焼などがあるそうです -
・染付吉祥文小椀
肥後・天草 高浜窯 19世紀前半 -
・染付梅花氷裂文壷
肥後・天草 高浜窯 19世紀前半
◆高浜焼
熊本県天草市で焼かれた磁器です
肥前大村領から陶工山道喜右衛門を招いて1762年に開窯しました
輸出向けの食器や長崎の亀山風の磁器を作り1900年まで続きました
染付小椀の高台内の銘は、窯のある「天艸(草)」と記したものだそうです -
・流掛釉俵壷
肥後・小代窯 17〜18世紀 -
・灰釉簾文水指
肥後・小代窯 牝小路窯 18〜19世紀前半
◆熊本の陶磁器
肥後焼は加藤清正 一族時代に始まるそうです
1632年上野焼の祖 尊楷は八代焼をはじめる、同年上野系の牝小路家・葛城家
が小代焼を興す、また天草陶石を使い 高浜焼や網田焼などの磁器も
作られたそうです -
・黄灰釉藁灰釉流皿
◆小代焼
1632年豊前上野の牝小路から陶工源七(牝小路家初代)
加津羅木山から八左衛門(葛城家初代)が小岱山麓に移り小代焼の窯を
築きました
八代焼のきめ細かな土に対して、荒削りな土を使った小代焼は野趣あふれる
茶器を造る一方、日用品、花生、火鉢など様々な器を作っているそうです
肥後・小代窯 19世紀 -
・象嵌竹文平水指
肥後・八代窯 18世紀後半〜19世紀
・八代焼
1632〜1868年まで細川忠興の御用窯として続いたそうです
上野喜蔵が八代市奈良木町に築いた窯に始まり、その子二人が平山窯を開窯して
発展しました、茶碗や水指などを作り、巧みな白土象嵌の技法による製品が多く焼成されました
高田焼・平山焼とも呼ばれるそうです
・平山窯
1658年に築かれたとされる八代焼の窯跡で平山窯では巧みな象嵌技法による
製品が多く焼成され、奥上野家を興した喜楽は白土の象嵌文様を得意として
多くの自作銘のある作品を残しているそうです -
・象嵌明和・喜楽銘茶碗
肥後・八代窯 平山窯 喜楽 1765年 -
・灰釉彫文茶碗 銘【玄海】
肥前 飯洞甕下窯 1580−1600年代
佐賀県重要文化財 (工芸品)
・大振りな半筒形の茶碗で厚手に作られ、長石質の釉が高台際まで厚く掛かっています
【彫唐津】と呼ばれ、よく似た陶片が唐津市北波多村から出土しています
銘は冬の玄界灘を思わせる彫文に由来するのでしょう -
・染付鷺文三脚付皿
肥前・鍋島藩窯 1690〜1710年代
重要文化財 -
・青磁染付菊流水文三脚付皿
肥前・波佐見窯 長田山窯 1680〜1700年代
◆長崎の陶磁器
有田とほぼ同じ 17世紀初頭に始まる波佐見焼(大村藩領)
17世紀前半に平戸の中野窯に始まり、後に三河内へ移った平戸焼
18世紀前半頃の現川焼 (諫早家領) 1804年開窯の亀山焼 (天領) 長与焼 (大村藩領) などがあり
陶器も磁器もそれぞれに個性的で多様性があるそうです
・波佐見焼
有田町の隣にある長崎県波佐見町は、現在も長崎県最大の陶磁器産地です
江戸時代は大村藩領でしたが、有田と同じように1610年代ころから磁器生産が
始まりました、17世紀の三股窯では青磁の優品を生産しています
18世紀から幕末にかけて【くらわんか】と呼ばれる国内向けの安価な染付の碗や皿を
大量に製造して、日本中に普及しました -
・飴釉飛鉋文茶壷
肥前・波佐見窯 白岳窯 18世紀末〜19世紀 -
・刷毛目薄文四方手塩皿
肥前・現川窯 1690〜1740年代
・ロクロ成形した丸皿などの口縁を様々な形に切り取る、現川焼に特徴的な成形法作られた
小皿でやや深めの丸小皿の四方を半木瓜形に切り取り手塩皿に作る
見込に渦状の刷毛目を施しそれに薄文を細線で描く、竹垣は鉄絵の茶色、薄文を呉須絵の
青で、いづれも線描のみで表した上品な一組です -
・刷毛目梅花文長皿
肥前・現川窯 1690〜1740年代
・丸皿の口縁の二方を切り取り、長皿に作る、皿のほぼ斜め半分に打刷毛目による波状文を
白化粧土で表し、他方は白土で手描きの梅花文を入れ、口縁部にわずかに刷毛目文を施す
裏面にも梅花文を配す
現川焼は長崎の諫早領で焼かれた陶器で、総じて器厚が薄く瀟洒な造りだそうです
◆現川焼
長崎市現川町は、江戸時代には佐賀藩鍋島家の親類同格であった諫早家の領地でした
有田に駐在していた諫早家の被官、田中刑部左衛門によって1691年に開窯
1749年まで続き廃窯になりました
きめ細かな素地を用い、陶器でありながら磁器製品のように薄く精巧なつくりの
型打成形の皿類が作られ、有田南川原との技術交流を物語っているそうです -
・染付蒲公英文蓋付碗
肥前・三川内窯 1730〜1780年代
◆三川内焼
平戸藩主松浦鍞信が文禄・慶長の役で連れ帰った朝鮮人陶工 巨関らは現在の平戸市
山中町で中野窯を開きました、後に窯場は佐世保市の三川内へ移転します
江戸時代の三川内産の磁器は、平戸焼と呼ばれました 繊細で端整な染付製品で知られ
19世紀には精巧な細工を施した磁器の製作で有名です
また、日用品を焼いた江永、木原の産のものも含めて三川内焼と呼ぶ場合もあるそうです -
・染付菊花蝶文蓋付細首瓶
肥前・三川内窯 18世紀後半〜19世紀初頭
・丸い胴に細く長い首が伸び、栓蓋が付き、胴部に菊、蝶などの文様を表す
染付で枝葉を描き陽刻で菊の花弁を表現している
三川内焼は1668年に御細工所が設けられ、平戸藩の磁器生産の中心であったそうです -
・染付唐花唐草文段重
肥前・亀山窯 1820〜1860年代
・二段重ねの容器であり全面に唐草文を染付で描く
底部に楷書で【亀山製】の銘が入る
菓子鉢として使われたのか器内に塗物の半月皿が入る
染付の発色が良く、亀山焼を代表する作品
亀山窯は長崎市にあった窯で1807年にオランダ船向け水甕製作のため
始まり1814年以降天草陶石を使った磁器窯に転じ、染付磁器の優品を焼いたそうです
◆亀山焼
長崎市亀山で焼かれた陶磁器で、1807年長崎奉行所の貸付金を借用して
町人大神甚五平らが開窯したとされます
中国の文人趣味の色濃い上質な染付磁器が、天草陶石を使って作られました
中国蘇州の土を用いたという蘇州手と呼ばれる製品や、まれに色絵製品もみられるそうです -
・三彩茶碗
豊前・上野窯 上野皿山本窯 18世紀
◆福岡の陶磁器
小倉藩主 細川忠興のもとで朝鮮陶工 上野喜蔵が開窯した上野焼、高取八蔵が始めた高取焼いずれも
1596〜1615年に始まり茶陶の評価が高い
後に開窯した小石原焼や筑後の星野焼などでは陶器で
生活の器を作った、また黒田藩御用の須恵焼や朝妻焼
朝田焼などの磁器窯もあるそうです -
・藁灰釉茶碗
豊前・上野窯 釜ノ口窯 1600〜1630年代
・鉄絵筒茶碗
豊前・上野窯 釜ノ口窯 1600〜1630年代
◆福岡の陶磁器
上野喜蔵が開窯した上野焼、福岡藩主 黒田長政の保護下、朝鮮陶工
高取八蔵が始めた高取焼 いずれも1596〜1615年に始まり茶陶の評価が高い
後に開窯した小石原焼や、筑後の星野焼などでは陶器で生活の器を作ったそうです
また、黒田藩御用の須恵焼や、朝田焼などの磁器窯もあるそうです -
・刷毛目波文小瓶
豊前・上野窯 18世紀〜19世紀
・胴下部に膨らみを持つ小形の瓶
主部と胴部に白化粧土を帯状に施し、波文の櫛目を入れる
口部に黒褐釉を掛けるが、一部首部にまで流れている
底部は平底・無釉で【木】と巴の印刻銘が入る
この印は上野皿山本窯を経営した十時家・渡家から分かれた吉田家で
使用したものだそうです -
・掛分釉結文形向付
筑前・高取窯 内ケ磯窯 17世紀前半
◆内ケ磯窯
福岡県直方市頓野にあった高取焼の窯です
1614年に朝鮮人陶工八山が永満寺宅間窯から移って開窯したとされます
さらに、二代藩主忠之によって唐津の五十嵐次左衛門も加わり
藩主や小堀遠州の指導によって白旗山窯が開かれる
1630年頃まで続きます、すぐれた茶陶を焼成した窯として知られているそうです -
・藁灰釉茶碗 銘【玄峯】
筑前・高取窯 内ケ磯窯 1610〜1620年代 -
・褐釉肩衝茶入
筑前・高取窯 白旗山窯 17世紀前半 -
・鉄釉黄灰流水指
筑前・高取窯 白旗山窯か 17世紀前半 -
・三彩耳付水指
筑前・高取窯 17世紀前半 -
・染付馬文菱形水指
筑前・須恵窯 18世紀後半〜19世紀初 -
付録?
・紅彩人物犬文小坏(銅版転写)
オランダ・マーストリヒト ベトゥルス・レグゥート窯
19世紀後半
・カップ&ソーサーの碗でしょう
大きさは小坏程度で無銘
同じデザインの【紅彩人物犬文小皿(銅版転写)】があり
これには、ベトゥルス・レグゥート窯の王冠と紐のマークと意匠名の
PRETTYLONDON の文字が入る
・藍彩人物文徳利(銅版転写)
オランダ・マーストリヒト ベトゥルス・レグゥート窯
19世紀中葉
・オランダ南部のレグゥート窯の製品は幕末の天保期頃から日本に輸入された
日本独特の徳利形は、日本からの注文で作られた
旧約聖書の登場人物 ルツとボアズの寓話と、ブランコに興じる ロココ様式の
貴族の図柄が銅版転写で表裏に表されている
イギリスで開発された銅版転写絵付けには藍・赤・紫・緑・セピアなどがあるそうです -
付録?-1
・色絵唐人物文大皿
中国・景徳鎮窯 1630〜1640年代
・中国明時代末期のいわゆる芙蓉手の大皿であるが染付製品にさらに、
赤と金で絵付けがされためずらしいものです
赤や金の上絵付けがいつの時点で施されたものかはわからないそうですが
ヨーロッパで加えられた可能性もあるそうです
芙蓉手とは、皿の縁の区画文様の花弁に見立てでた呼び名だそうです -
付録?-2
・青磁唐花文三足盤
中国・龍泉窯 14世紀
・龍泉窯は中国浙江省龍泉市にある青磁の産地
青磁製品は碗を中心に大量に日本へ輸入された、この製品は明時代の典型的な三足盤で
浅い鉢形の器形に鬼面の三足が付き、中央には牡丹と思われる花文様が印刻されている
水辺に自生するサトイモ科の植物【石菖】を植えるのに用いられ、石菖鉢とも呼ばれるそうです -
付録?-1
・色絵婦人文羽子板形硯
京都・京焼 1690〜18世紀前半
・羽子板にのる毬を持ち上げると蓋が開き、内部の無釉が硯面になっている
長さが13cm の可愛らしい硯です
金彩で文様を縁取り、内を緑と青で塗る
婦人の顔と髪は黒で描き、口は赤で彩る、硯面には墨を磨った痕跡がある
蓋裏には【清】の字が陰刻されている 練り香入れ(香炉)として茶席を楽しませたものだそうです -
付録?-2
・色絵笛吹童子牛香炉
京都・京焼 野々村清兵衛 19世紀
・横たわる牛の背に童子が乗り笛を吹いている、底部には鉄絵で「野々村清兵衛造」
童子の背後に小穴が2つ空いた笠があるが、これは香炉の蓋となっている
童子の衣服や背負い籠には透明釉が掛けられ、さらに色絵の青と金で彩色されている
旧高取邸には、よく似た造形の幕末の唐津焼【褐釉笛吹童子置物】(1830〜1880年代)
もあるそうです
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この旅行記へのコメント (2)
-
- ginさん 2008/09/11 12:19:32
- スワンカローク焼き。
- 先日周ってきたタイのスコータイから北へ60km程行くとシー・サッチャナライと言う遺跡公園があります。ここにスワンカローク焼きのコ・ノーイ窯の遺跡が残っています。
1277年に即位したラームカムへーン大王が現中国の元朝から漢人の陶工を呼び寄せ生まれた陶磁器がスワンカローク焼きの始まりだそうです。シー・サッチャナライの手前の町スワンカロークで焼き物が作られたのでこの名前が付いたそうです。
スワンカロークの町では現在も製造されていて見学も可能、ワット・スワンカラムの近くにサワンウオラナーヨック国立博物館が在り陶器が展示されています。
日本にも江戸時代初期に宋胡録焼きとして入ったそうです、こちらはココノさんの分野なので余計な出しゃばりは控えます。
と、以上受け売りですが。
勉強熱心なGinです。
- kokonoさん からの返信 2008/09/11 14:45:55
- RE: スワンカローク焼き。えぇっ 現存してありましたかぁ〜♪
- スワンカローク焼のコ・ノーイ窯の遺跡や現状をお知らせいただきありがとうございますっ 感謝 !!
"只今工事中に"追記いたしましたのでご了承ください
よろしければ、貴重な現地の有様を掲載されることを私としては切望します
江戸初期から現代までの変遷と 薩摩の宋胡録焼にどのような影響を及ぼしたのか知りたいものです
ビデオ鑑賞の"海のシルクロード" 全12巻も2ヶ月かけて観終え ローマから西安までの陶磁器の旅も
終わりました
逆周りの 西安からローマへの"陸のシルクロード"の観賞を昨日より観始めました 砂漠と渡河と駱駝です
人種雑多な中国大陸からアジアの端まで始まりました
ビデオによると出発から帰着まで9年の歳月を要したとあります 天安門の表札が毛沢東からボディビルの
表札に変化していたそうです 現在は如何様な表札になっているんだろうかなぁ〜
図書館ベンキョウの kokono より感謝のお便りです
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