2008/08/13 - 2008/08/13
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ka-keikoさん
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クラクフ(Krakow Glowny)7:00発---オシフィエンチム(
Oswiecim)8:17着。アウシュビッツ1から。その後無料のバス(10:30発)でビルケナウに向かった。ビルケナウからオシフィエンチム駅までは徒歩(10分〜15分位)で戻った。オシフィエンチム12:38発、来る時と同様trzebinia で乗り換え(trzebinia13:31着)。時間待ちがあると思ったがホームにKrakow Glowny 行きの列車がとまったいたので乗ったら13:40分発だった。夏期の臨時列車かな?予定より早くクラクフに戻ったので路面電車19番に乗り川を越えてマンガ館へ行った。
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列車から。
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駅を出てバスの運転手にどのバスに乗ったら良いか尋ねたのだけれど私が理解できていないと分かったのか車庫まで乗せてくれた(無料)。前の青年2人は私達の後からバスの運転手にアウシュビッツのバスを同様に訊いていたので私達が途中まで乗せてもらうので一緒に行くよう誘った。車庫からはひたすら歩いてアウシュビッツの駐車場。
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アウシュビッツの資料は日本で調べて沢山コピーしていたのでそれを見ながら見学。建物内は写真禁止の所が多かった。
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「働けば自由になる」と書かれた入り口。もし指導者が違っていれば、もし誰かがこの方針に反対していたら、もし他国が何か処置していれば---本当に自由は得られたかも知れない---考えが甘すぎるかな?なぜ何も変えられなかったのだろうか?
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初めの捕虜達によって1940年に作られた「二重の電気仕掛けのフェンス」とネットで調べた時にあったが二重フェンスは敷地を取り囲むように張り巡らされていた。
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捕虜達が木に縛られていたのはこの木と思いながら---犬に噛みつかせたりして非人道的行為がなされた木---木に罪は無いが睨んでしまった。木は色々見てきたと思う。
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木を見るたびにこの木には縛られていなかったのかな?などと思ってしまう。
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クレマトリウム。煙突の下のドアはガス室への入り口。軍需品の倉庫だった古い建物は1940年7月に火葬場に変わった。
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二重になった電気仕掛けのフェンス。
捕虜達の病院。捕虜達が病気だったり弱ったりしているとこの病院に連れてこられ心臓にフェノール注射をされるかガス室へ送られる---それまでの待合室---病院とは程遠い。 -
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建物10と11の間。この奥に「Death Wall]いわゆる「死の壁」があった。1941年〜1943年にかけてこの死の壁で何千人もの人が銃殺された。ここで死んだほとんどの人がポーランドの政治的捕虜だった---地下組織のリーダーやメンバーだったり---逃亡や脱走計画に関与した人々だったり---外部と接触していた人達。他のキャンプからのポーランド人も連れてこられ銃殺された。占領しているドイツ軍に対してポーランド人のレジスタンスの動きもあったので、その報復として捕まえられた人質も含まれた。
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建物10と11の間。建物11(当時は建物13であった)には地下室があり他の所から隔離されていた(
独房)。独房での話しにこの収容所で恋に落ちたエドワードとマーラーが有名。ポーランド人エドワード(キャンプナンバー531)と、ポーランド系ユダヤ人のマーラー(キャンプナンバー19880)はベルギーから連れて来られた。エドワードは番号から見ても早くからアウシュビッツに来ていることが分かるが1940年6月14日である。マーラーは流暢なドイツ語を話すので通訳として重宝されていた。しかし、彼女は危険を承知で食べ物やメッセージその他を仲間の捕虜のために持ち込んでいた。1944年6月彼らは脱走したが2週間後見つけられ残忍な取調べの後処刑された。独房にはエドワードが彫った彼らの名前がある。建物11ではもう一つマクシミりアン・コルベ神父の話がある。彼は建物4の中から15名が選ばれて餓死によって殺されそうになった時、家族のある人の身代わりを申し出て建物11の独房に入った。2週間生存した後にフェノール注射で殺されたが、戦後ローマカトリック教会は彼を聖人として崇めた。 -
建物10と11の間。私はこれ以上近寄れなかった。右の建物の下は独房、独房は地下にあり、窓はふさがれていて、コンクリートの壁が天井まで届く。建物10ではDr.Carl Clauberg (ドイツ人の婦人科医)が1943年4月から1944年5月まで女性に対して避妊手術や他の実験を行ったとされる。何百人ものユダヤ人女性がこれらの実験に使われた。何人かは実験中に死亡し、何人かは殺されそして解剖が行われたとされる。生き残ったものには永久的な障害が残った。そして婦人科医のみならず他の内科医などもこの建物10で人体実験を行った。
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外に出たらホッとした。別世界から戻れた感じ。アウシュビッツ1はアウシュビッツ(オシフィエンチム)に初めてナチチャンプができた所、初めて人々にZyklon B (ガス)を使って死に至らした所、初めてユダヤ人の大量殺人をした所、捕虜に対して犯罪的実験を実施した所、多くの人を銃殺した所。アウシュビッツ2はすべてにおいてスケールが拡大した所、ナチが組織的に大量抹殺をするために建設した所、そしてヨーロッパにいたユダヤ人のおよそ100万人を殺した所。当時ビルケナウは最も大きなナチキャンプで木製の約300のバラックがあった。そして一度に10万人以上の捕虜がここにいた(ユダヤ人、ローマその他)。
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アウシュビッツ1からの無料バス。ビルケナウに到着した所。乗客は私達2人のみだった。ここを出る時にまたこのバスが来るのが見えたが乗客はそれ程多くはなかった。
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入り口を抜けると---。広い!
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正面からの道がここで分かれる。
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この広い敷地をどうまわるか主人が訊きに来る。私達は左折してそれから右折し奥に進み線路沿いに戻ってくることにした。最後に入り口付近の建物も見学することに。
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分かれ道から入り口のいわゆる「The Death Gate」を見て。遠い!
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ここも二重のフェンス。広大な敷地に延々と続くフェンス作りも当時捕虜達の仕事の1つだったのだろう。
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仕事場の保存のため中には入れないが今は草が多い茂っている。ここへ送られた人々はいつも屋外で仕事をした、いつも重労働。
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屋外で冬も夏も重労働させられていた場所。時には腰まで水に浸かって仕事、そして隔離されたB1b、建物6、B2dに住んでいた。冬も夏もソックス無しで薄い服を着て働いていた。寝る所はベッドも無く、床にマットもなく,彼らの服は規定された指示通り廊下に残して、暖房も無いのに。こういう状態に置かれると多くの病人が出ることは明らかである。しかし、1943年までここで働いた人が病気になっても病院に入れる事は許可されなかった。医者に診てもらえず重症者は建物6で死ぬことになったが、死亡の最も大きな割合を占めるのは建物の指揮官の手。彼は収容者を壁に並べ拳骨で顎や頭を殴ったり、頭を壁に強打した。
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女性用のバラック、B1b。1人に1つ必要として1段に3つのマットが必要だが現実には1つのマットに2人かそれ以上。6人から9人が1段に。寝たり座ったり自分の所有物も入れて1人の人間の私的空間は大きめの棺の大きさか、浅い墓の容積となる。もともとはソ連の捕虜のために作られたバラックだったが後に女性収容所の一部となった。
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女性用バラック。離れた所にトイレがある。B1a の収容者であった1人が自分の本に収容者が直面した状態をこう述べている---「3万から3万2千人の女性に1つの便所、しかも使うことが許されるのは1日のうち限られた時間だけ。私達はこの小屋に入るため並んで立っていた---私達が赤痢になった時には自分の番が来るまで待てずボロボロの服を汚してしまい体に染み付き気持ち悪いほどの臭いが立ちこめ生存していることが嫌になった。」---自分なりに訳してみたが女性としては耐え難い。ネットで色々調べていた時にも涙が止まらなかったが---実際体験した人が本に自分の置かれていた状態を述べる事には勇気がいると思った。
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爆破され残った屋根。
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ロシア軍が近くにやって来た時、ナチの犯罪を隠すため爆破した。
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大きな建物の破壊。ここで大量殺人が行われた(1943年3月31日から1944年11月27日まで)。衣服を脱がせガス室に入れ、死体はリフトで火葬場へ。クレマトリウム2と3は共に1日に1440の死体を焼却できる収容力があった。
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地下にガス室。
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この長い敷地がガス室。かなりの人数が入りそうに見えた。
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クレマトリウム。
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ガス室は地下なのでこの階段からガス室へ行かされたのか?
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説明文。ガス室と焼却場3では何十万人ものユダヤ人男性、女性、子供達がガスで殺され死体は焼かれた。焼却場は収容所の捕虜の死体処分としても使われた、ユダヤ人もユダヤ人でない人も、他の原因で死んだ人も。このガス室と焼却場は1943年6月から1944年11月まで機能していた。戦争終結近くになってアウシュビッツでの残虐行為の証拠を取り除きはじめた。そして1944年11月に軍事施設は取り壊された。1945年1月20に残存するものを破壊するためにダイナマイトが使われた。
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爆破してもこれらの残骸までは取り除けなかった---これが立派な戦争犯罪の証明になる。爆破しなければならないほど酷いものだったのをナチ軍自体が認めていると思う。
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線路の端から「The Death Gate」を見て、というよりほとんど見えないが。
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これ以上線路は無い。
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入り口付近に戻って。
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入り口付近の建物。男性用のトイレがそのままあった。
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男性用のバラック。16のバラックがあったがトイレがあるのは3つのバラックだけ。プライバシーも無いし水も少ししかなくて清潔にできなかった。収容者はよくチフスや病気を引き起こす下痢に苦しんだ。Terrence Des Pres は著書の中で「どれだけ人は自分を尊重し続けられるか---必要に迫った他の人にどれだけ快く返答できるか---もし両方とも悪臭を放ったら---もし両方とも糞便で塗りたくられたら」と述べている。訳は少し間違っているかもしれないが許容範囲と思う。Terrence Des Pres は生存者。
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徒歩で駅へ戻る途中、振り返ってビルケナウを見た。
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車でビルケナウへ来る人の何人かがここで立ち止まり写真を撮っていた。
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駅へ戻る途中。向こうの橋を右に進めばビルケナウ。私達はバスに乗せてもらってアウシュビツ1に行く時ここを左折した。アウシュビツ1とビルケナウはこの道から反対方向にある。どちらかと言うとビルケナウの方が近い。
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オシフィエンチムの駅。
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乗り換えの駅、trzebinia 駅にて。待ち時間が随分あると思ってホームの端から見える教会を写していたらピーーー。私への合図か---見ると誰もホームにいないので慌てて乗車。「馬鹿だなお前は!」と言われてしまったが調べた時間は14:09発だったのに、13:40発になった。14時9分発の列車はどうなるのだろうか?これは臨時列車かな?クラクフに戻った。
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