2007/12/05 - 2007/12/05
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SUR SHANGHAIさん
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前日は雨になったメテオラから、ギリシア北部にある中央マケドニア地方で一番大きい街テッサロニキに到着。
どこも一日中雨だったけど、途中のオリンポス山は普段でもその全容を現すことは稀らしく、白く雪を頂いた峰々が雲の切れ間から見えたのはラッキーだったらしい。
さあ、今日は? と言うと、テッサロニキにも古代の遺跡は数あれど、せっかく車があるんだし、聖地アトス山の姿を拝んでみようと言うのが目論見。
とは言っても、SUR SHANGHAIは一応女なので、女人禁制の聖地アトス山へは入山不可。
旦那もなにやら難しそうな許可を取ってまでとは思っていないので、俗世と聖地を区切るそのぎりぎりの境界線を目指す事に。
地図を見てみると、テッサロニキの南東には、カッサンドラ半島、シトニアン半島、アトス半島が3本の指のようにほぼ平行に並んでいる。そのうちテッサロニキから一番離れたアトス半島のほぼ全体が、ギリシア正教最大の聖地、アトス自治修道士共和国。
先に行くほど急峻になるアトス半島の先端にあるのがアトス山で、ギリシアで買った地図によると標高2030m。他の資料だと全部2033mと書いてあるのが不思議だ…。
アトス半島の付け根近くにはアトス自治修道士共和国との境界線も引かれて、その外側にはOURANOUPOLIという町の名が出ているなあ。少なくてもここまでは車道もあるし、部外者でも行けるみたい。
そのあと、境界線のある場所まで細い道も付いているようだけど行けるかな…?
考えても仕方ないし、よし、陸路で行ける所まで行ってみよう!
そのアトス山との境界線あたりをご紹介します。
表紙の画像は、アトス半島の付け根の浜辺から見たアトス山。ここから境界線まではまだまだ先。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 3.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
前日、奇岩と修道院で有名なメテオラから辿り着いたテッサロニキのホリデイ・イン。
シーツを通した毛布の肌触りがチクチクする感じで、疲れていたのに今ひとつよく眠れなかった気がする…。
でも、ロビー階にある朝食スペースはこうして見ると結構立派に見えるから不思議。
ここでもまたギリシアのおいしいヨーグルトと蜂蜜だけは欠かさず食べたSUR SHANGHAI。
さ、今日はアトス山を拝みに出発だ〜。
出発したのは午前9時頃。
-
テッサロニキの市街地から、アトス山のあるアトス自治修道士共和国の境界線までは、内陸のVASILIKA、PALEOCHORA、ARNEAと言う町を経由して行ったSUR SHANGHAIとその旦那。
結論から言うと片道120km足らずの道でしたが、高速道路ではなく、SUR SHANGHAIたちはテッサロニキ市街地を出る時に迷ったり、途中では休憩や寄り道をしながら行ったので、片道4時間くらいかかりました。
テッサロニキ市街地から南に抜けると、この画像のようにAGION OROSと言う標識が出ているので、それに従って行くといいですよ。
そのAGION OROS(アギオン・オロス、またはアヨン・オロス)と言うのは≪聖なる山≫の意味で、つまりはアトス山のこと。 -
テッサロニキ市街地から南に抜けて、上記の通りにアギオン・オロス(聖なる山=アトス山)の標識に従っていく内陸部の道は片側一車線で舗装は出来ていました。
途中は農村風景が続いたり、小さい町をいくつも通り抜けました。
要所要所には、アトス山方向を示すAGION OROSの標識が出ているのでお見逃し無く。
ナビゲーターがあれば、こういう心配もしなくてすみそう。 -
途中にあった町のカフェでコーヒー休憩。
たまたまカメラを向けた方向に、この女性が現れたのでパチリ!
ギリシアの人たちは黒髪が多いですが、あちこちの民族との混血も多くて、金髪碧眼という人もけっこう見られます。
それともこの女性はファッションで染めているのかな。
これから行くアトス山があるアトス半島の近くにはカッサンドラという名の半島があるせいか、この女性から悲劇のトロイア王女、カッサンドラを連想してしまったSUR SHANGHAI。 -
テッサロニキから内陸部を横切って、STRATONIという海辺の町が近づくと、レリソス湾の向こうにアトス半島とアトス山らしき山が見えてきた。
この画像だと、右手に見えている陸地部分をこれから通ってアトス半島に入って行きます。
この画像で見えている未舗装道は、SUR SHANGHAIたちが通って来たのとは違う地方道。 -
テッサロニキの市街地からちょうど3時間で着いたSTRATONIの町は、レリソス湾に面した小さい町。
距離にして90km足らず。
道が高速道路でなかったこと、それにSUR SHANGHAIたちはテッサロニキを出て来る時に迷ったり、途中で休憩したので結構かかりました。
実際にはもう少し短縮できるのだと思います。
このレリソス湾の浜辺からも見えるアトス半島とアトス山の影。 -
イチオシ
アトス半島やアトス山の青い影が遠くに見えるレリソス湾。
寄せては返す波の音が耳に心地いい。
さ、このSTRATONIの町から、アトス自治修道士共和国との境界線手前にあるOURANOUPOLIの町まではあと30kmくらい。 -
STRATONIの町からは、しばらく眺めのいいレリソス湾に沿って走ったあとは、アトス半島の細い付け根に入って行きます。その道の向こうにも見えるアトス山の影。
アトス半島までの道の途中には夏の行楽客を当て込んだような浜辺の町もあって、夏場は賑わいそう。
でも、アトス半島に入れば、部外者が行き来できる部分もとたんに厳粛な雰囲気になるんだろうと思っていたら…、 -
…間違いだった。 (^^ゞ
アトス半島に入っても、アギオン・オロス湾(聖なる山の湾)沿いの道の町には、夏の行楽客を迎え入れる大小の宿や貸しアパートがズラリ。民家より多いんじゃない?
ちょっと意外な光景。
ただし、SUR SHANGHAIたちが行った時には12月初めでどこも閑散。たいていが冬季休業に入っていました。 -
アトス自治修道士共和国との境界線手前にあるOURANOUPOLIの町はまず素通りして、先にその境界線へと行ってみます。
町を通り過ぎたあとは未舗装になりますが、確か2kmほどの一本道でした。
道の脇にはオリーブ畑がある部分も。
上の画像は、もう境界線が目の前の道。
境界線手前にはきちんとした駐車場があるわけではありませんが、空き地があって無料で駐車できるようになっていました。奥に車が停まっている場所がそう。
上の方で、浜辺で休憩したSTRATONIの町からここまで約1時間。
やっと着いたね。ここが俗世と聖地の分け目かと思うとちょっとドキドキ…。
そして、境界線のすぐ手前では、ZYGOUという名の修道院の修復作業中。
おじさん、お疲れ様。 -
車を停めた空き地の向こうに見えるのが、アトス自治修道士共和国と俗世を分かつ境界線。低い塀の上にフェンスが張ってありました。
注意事項を書いた看板があちこちに出ています。
あとでこのフェンスの前で記念写真を撮ってみたら、塀の高さは身長が160cmあるかないかのSUR SHANGHAIの胸くらい。フェンスを合わせた高さは、SUR SHANGHAIよりちょっと高いくらいでした。
空き地と境界線の間にあるのは、涸れ川?
雨が降る時期には水の流れが出来るのかも、という感じ。 -
アトス自治修道士共和国との境界線のフェンス手前にあったのは、ユネスコの世界遺産の碑。
MOUNT ATHOS(アトス山)の名で、1988年に自然と文化の複合遺産に指定されたようです。
アトス自治修道士共和国という名前はあまり耳慣れませんが、アトス半島の大部分がギリシア正教最大の聖地であるこの宗教国家に属しています。アトス山はそのアトス半島の先端近くにある聖なる山。
ギリシアの国内にあるのですが、治外法権が認められていて、修道院による自治が行なわれている共和国。
ちゃんと首都もあって、カリエスと言います。
≪アトス自治修道士共和国≫のキーワードで検索するといろいろと出てくるので、詳しく知りたい方はそちらでどうぞ。 -
アトス自治修道士共和国との境界線。
この塀の向こう側はすでに聖域。
何の変哲も無く見えるSUR SHANGHAIはやはり凡人。(^^ゞ
この通用門(?)は、向こうに見えるアトス自治修道士共和国側の建物で働いている人が使うのかな?
押せば開きそうな門で、ちょっと無用心な気がする…。
アトス半島の周囲を航行する船は、女性を乗せている場合は岸辺から500m以内に近寄ってはいけないという規則があるらしいんですが、この場合のSUR SHANGHAIは許される?
さっきZYGOUという修道院を修復していたおじさんは、挨拶ついでに「塀を乗り越えなきゃ大丈夫。」と言ってくれたからOKということにいたします。 -
アトス自治修道士共和国の聖域とギリシアを分ける塀。
だ〜れもいなくて寂しいくらい。
フェンス部分に出ている注意事項を書いた看板を見てみると…、 -
…看板には2種類あって、これはその一つ。
この画像で十分読めるかと思いますが、必要な方は画像をクリックして元画像でご覧ください。
趣旨は:
警告 進入禁止
聖山アトスの境界線。 入山はOURANOUPOLIからDAPHNE/KARYESへのボートでのみ可。
境界線を越えるのは違法。違反者は法律によって罰せられる。境界線は監視下にある。
注: OURANOUPOLIは境界線に着く前に素通りした小さい港町。この旅行記の後の方でご紹介します。
DAPHNEはアトス自治修道士共和国への入口のダフネで、アトス半島のアギオン・オロス湾側の沿岸にあります。
KARYESはアトス自治修道士共和国の首都のカリエス。これはアトス半島の山間にあります。 -
フェンスに出ている注意事項を書いた看板にはもう一種類あって、こちらは王冠と双頭の鷲らしい紋章付き。
こちらはギリシア語、英語、ドイツ語のほか、フランス語とイタリア語らしき言葉で書いてありました。
くれぐれも違反しないように気をつけましょう。
この画像では文字が見えませんが、画像をクリックして元画像で見るとだいぶはっきりすると思います。
内容の趣旨は:
アトス山 禁止事項
●女性の入山
●許可無しに乗り物(船)で近づく事
●滞在許可の無い滞在
上記に違反すると刑事制裁を受ける -
さっきから塀の向こうに見えている建物が気になるので、涸れ川のような場所を通って近寄って行くと…、
-
…その建物手前には、これがアトス自治修道士共和国の国旗なのかなと思わせる旗が掲揚されていた。
黄色地に王冠と双頭の鷲らしき紋様。
さっきの警告看板に付いていたのと同じ紋様だあ。
で、ここは境界線の管理人と警備隊が常駐してるのかな、という雰囲気なんですが、だ〜れも見えないし、物音もしない境界線の塀向こう。 -
ギリシア側の塀のそばには警察の車輛も置いてあるんだけど、これってまだ動くのかな?
警告の意味で置いてあるだけかも。
フェンス付きの塀はまだ続いているので行ってみます。 -
フェンス向こうにあった石積みの建物の壁にも古い看板が出ていた。
ギリシア語と英語の二本立て。
内容はかすれてよく見えませんが、最初に見た赤と白の看板の警告内容と同じ。
これも、画像をクリックして元画像で見てみると大きく表示されます。 -
フェンス越しに見たアトス自治修道士共和国側の建物。シ〜ンと静まり返ってなんかちょっと不気味。
まだ日が高い時刻でよかったけど、夕暮れに行ったら怖いかも。 -
塀の上にフェンスを張った境界線の終点は浜辺だった。
車を停めた空き地から500m無いくらいかな。
来た方向を振り返る。
このあたりは塀もグッと低くなっていて、その上のフェンスは天候が荒れた日の波風で壊されたみたい。
旦那が「おい、ちょっと跨いだらアトス自治修道士共和国側に入れるな。」
SUR SHANGHAIは断固拒否。旦那も断念。
誰もいないように見える建物に誰がいて見ているか分からないし、刑事問題なんかになるのは真っ平ごめん。
でも、手だけはちょっと越境させて、あちら側の石を撫でてきましたが…。(^^ゞ 罰当たりなSUR SHANGHAIとその旦那でございます。m(__)m -
イチオシ
壊れた塀やフェンス向こうのアトス自治修道士共和国の風景。
あの建物も境界線警備の人たちが使うんだろうか。
アトス半島は、地図で見ると先に行くほど険しくなって、先端近くに2000mを超えるアトス山がある。
ここから見える海岸の崖もどんどん高くなるに違いない。 -
この浜辺は、境界線の手前のギリシア側。
せっかくだから、向こうに見える岩場まで行ってみようか。
ザクザクと小石を踏む足音と、波の音だけの冬の午後。 -
イチオシ
こんな岩もある浜辺が、SUR SHANGHAIの実家近くの海岸に似ていて、一瞬日本に戻ったかのような錯覚。
-
岩場で浜辺が途切れた所から引き返す。
オブジェのような形の岩が小石の浜に立っている。
ここで拾った流木のかけらは今、机の上の飾りになってます。
向こうに見えるのは、さっき見たのと同じアトス自治修道士共和国の建物。
もし、SUR SHANGHAIたちの行動を監視している人がいたとしたら、「東洋人の女と黒ずくめの格好の男がこんな場所に来て何をしてるんだろう。」と思ったかも。(^○^) -
また、戻って来たアトス自治修道士共和国の境界線管理人さんや警備隊が常駐しているような建物前。
この木戸も押せばスイッと開きそうなのが無用心に思える。車を停めたあたりで最初に見た門もずいぶん簡単だったし…。
塀やフェンスも簡単な造りだし…。
もっと厳重に囲い回してあるんだろうと想像して行ったら外れてしまった。
あちこちに出してある警告の看板だけで威力があるのかも。それとも神様のご加護があるから大丈夫? -
アトス自治修道士共和国境界線手前にあるOURANOUPOLIの町に戻って来た。
この小さい港町からはアトス自治修道士共和国への船が出ているので、海を楽しむためにやって来た行楽客のほかにアトス山巡礼者も受け入れています。桟橋近くの通りには小さい宿や食堂が多数。
この12月初めの時期は観光客はほとんどいなくて冬季休業している所が多かったのですが、お腹も空いたので開いている食堂を探してみます。 -
冬季休業で閉まっているお店が多い中、ちょっと感じのいい食堂が営業中。
ここの店番のギリシア人のおばあさんはドイツ語が出来る。
昔、ドイツにガスト・アルバイター(出稼ぎ労働者)で行っていたのかも。
そう言えば、トルコでもそういう経験を持っている人は多いなあ。
ドイツでは、ギリシア系やトルコ系のガスト・アルバイターやその子孫が住み着いて、将来はドイツ系住民より人口が多くなるんじゃないかという懸念もあるらしいし、都市部では実際に人口の割合が逆転している地区もあるようです。 -
まずは甘くないソーダ水とコカコーラで乾杯。
まだ車を運転しなきゃいけないしアルコールはご法度。
SUR SHANGHAIはどっちにしてもアルコールは受け付けない体質ですが。
いつも思うんだけど、コカコーラって本当に世界中の津々浦々に浸透してるんだなあ。
アトス山をすぐそこに控えたこの小さい港町にもあった。
ひょっとして、アトス自治修道士共和国にもあるのかも?
ペットボトルを見慣れてしまった眼に、ガラスの瓶がとても懐かしい。 -
「メニューはあるけどね、お客さんがいない時期だし、今日出せるのはサラダと魚だけだよ。」と言ったおばさん。
あれ、トマト+キュウリ+タマネギ+オリーブの酢漬け+フェタ・チーズが入っているはずのギリシア風サラダにキュウリが入っていない。
キュウリも品切れだったのかな。
別の所で頼んだサラダにもキュウリが入っていない時もあったし、冬のせいもあるのかも。
フェタ・チーズは羊か山羊の乳から作られる白くてしょっぱいチーズ。メーカーによってちょっとボソボソした食感のものがあったり、滑らかなものがあったりするみたい。
メインは白身魚のフライとトマト味で煮込んだ野菜の付け合わせ。
おばさん、おいしかったよ、ありがとう。 -
そのおばさんが経営していたお店。
気候のいい時期にはこのテーブルにも座れるんだな。
日中の陽だまりなら外でも座っていられるけど、日陰はジッと座っていられない12月初めのアトス半島。
あたりには似たような食堂が並んでいましたが、上の方でも言ったように冬季休業中でガラ〜ン。 -
さて、これも上の方で言ったように、OURANOUPOLIの町からはアトス自治修道士共和国への船が出ています。
小さい桟橋にそれらしき船がやって来る。
手前に見えている人たちはこれからその船に乗り込むのかも。
修道士の服装と髭のおじさんも混じったそのグループ。
アトス自治修道士共和国では、20のギリシア正教修道院や修行小屋があって、二千人ほどの修道士が今も中世と同じ厳格な修行生活を送っているのだそう。 -
上の桟橋脇の祠のそばに停まる黒い車。
何の変哲も無い波止場風景のようですが…、
ん? あのナンバー・プレートは?
ひょっとして、あのプレートに出ている≪M A≫って、アトス山MOUNT ATHOSの略じゃない?
MとAの間には、さっき境界線の看板や旗でも見た双頭の鷲の紋様が付いてるし。
ねえ、ねえ、これはちょっと珍しいかも?
(珍しくない物だったら、お騒がせして失礼いたしました〜。m(__)m+(^^ゞ)
この画像だと見えにくいですが、画像をクリックして元画像で見てみるとはっきり分かります。 -
桟橋に着いた船から降りて来た人々はギリシア正教の修道士の服装と髭のおじさんたちが多かった。
カメラを向けるのはちょっと躊躇われるような雰囲気があったなあ。
で、この左の人はまだ修行中? それとも巡礼者?
宿の客引きさん(?)と町角に消えていきました。 -
桟橋そばにあった石造りの建物。
中が見学できるようでしたが、この日はもう見学時間が過ぎたのか、お客さんが少ないからここも休業しているのか閉まっていた…。
もうすぐ夕暮れの空の色と木のシルエットが初冬の雰囲気。 -
しつこいようですが、この建物と冬枯れの木のシルエット、空の色の取り合わせが気に入ったのでもう一枚。
-
イチオシ
OURANOUPOLIの町の桟橋のあたりには小さいお土産屋さんも並んでいました。
いい絵柄のイコンが多数あったので寄ってみるといいですよ。
プリントされた絵のものはお値段も安いですが、せっかくなら手描きのものにしてみては?
SUR SHANGHAIは、S.DROSINOSというお店で11cm×9cm、板の厚さが1.5cmの聖母子像が描かれた小振りのものを選んで40ユーロでした。
大きさや題材の絵柄は他にもいろいろありました。
イコンのほか、一般的なお土産やアトス山関連の書籍などもありました。
S.DROSINOSのサイト http://www.s-drosinos.gr (最初に出てくるギリシア語版の画面をスクロール・ダウンすると英語版、ドイツ語版もあります。) -
さて、上記のお店ではイコンを買うと、密かにアトス自治修道士共和国へ連れて行ってくれる
…わけではなく、 (^^ゞ
アトス山に点在する修道院の絵葉書をプレゼントしてくれました。
これはそのうちの2枚で、上の画像はアトス半島のアギオン・オロス湾側にあるアギウ・パンテレイモン。(パンテレイモン修道院)
下の画像は同じくアトス半島のアギオン・オロス湾側にあるオシウ・グリゴリウ(グレゴリー修道院)。
どちらも知らずに見たら、海辺のお城と思ってしまいそう。 -
本当はそのままアトス半島に泊まりたかったのに、次の日はテッサロニキからフランクフルトに飛ぶ予定。
アトス半島よりテッサロニキに近いシトニアン半島に泊まる事にして移動。
シトニアン半島も夏には大勢の行楽客で賑わうらしいのに、この12月初めのホテルはどこもかしこも休業中。中には町全体がゴーストタウンのようになっている所も。
で、この画像は、シトニアン半島からアギオン・オロス湾を隔てて見たアトス半島。
画像奥の右寄りにアトス半島の先端付近の聖なる山、雲をちょっとかぶったアトス山の姿も見えています。 -
シトニアン半島の先端を回り込んだあたりで日が落ち始めた。
振り向いたら、夕日が手前の山の上だけを赤く染めているのが見えた。
アギオン・オロス湾向こうのアトス山は雲の影で暗いけど、このままちょっと待ったら、夕日に照らされる赤いアトス山が見られるかも! -
しばらく待ってみたのに、う〜ん…。
光の具合が今ひとつ。
それでも、夕日でピンクに染まるアトス山の眺め。
手前の山の下に白く見える道は、SUR SHANGHAIたちが通ってきた道。また通ることはあるだろうかと思うと、感傷的になってしまうこの夕暮れ。 -
シトニアン半島の先端を今度はカッサンドラ湾に回り込む峠らしきあたりに立っていた祠。
ギリシアでは行く先々の道端に大小の祠があって、旅する人の無事を祈っていてくれるかのよう。
てっぺんに十字架を乗せた夕日の中のシルエット。 -
夜になる前の青い闇が降りてくる時間。
-
イチオシ
祠の窓から、落ちていく太陽のこの日の最後の輝きを見つめた数分間。
-
ああ、この日も終わりのギリシアの落日。
-
…なんて感傷にふけっているのもここまで。
今夜泊まる宿を探さなくっちゃ、と俗世の心配事にとらわれるSUR SHANGHAIとその旦那は、アトス山を拝んだ後もやはり凡人なのでありました。
さて、今夜の宿は見つかるや否や?
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この旅行記へのコメント (2)
-
- belleduneさん 2008/09/04 11:40:23
- 秘境アトス山を見てみたい!
- SUR SHANGAIさん、ギリシャの旅行記読ませていただいています。
アトスの境界まで行かれたのですね。
アトスは女人禁制なので、どんなに年を取っていても、男性しか許可が下りないのは残念です。
しかも、修道院巡礼の条件は頑強な肉体が第一条件、一日1、2回の慎ましい食事等など、また、修道院以外で断崖絶壁や山中の小屋で、自給自足で修行する人も多いそうです。
修行と名の付くものは、全て厳しいものですね。
写真が良く撮れているので、説明を読みながら、そこに居るような気がします。
また、お邪魔します。
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2008/09/05 20:45:45
- RE: 秘境アトス山を見てみたい!
- お久しぶりです。ご訪問、ありがとうございます。(^0^)
そうですね。性別のように、自分ではどうにも変えられないことを条件にされてはどうしようもありませんよね。
で、私はその俗世と聖域との境界線を目指した偏屈者(笑)ですが、これはこれで楽しめました。
この21世紀の世の中で、中世から続いていると言う厳格な修行の生活は想像もつきません。
一歩境界線を越えると、そういう世界が今も存在する。−−不思議なものですね。
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