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インド旅行記<1>

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2007/01 - 2007/03

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おちょこの裏さん

今日から、旅行記を書こうと思います。

なぜか。

理由は3つ。

?旅行関係のコミュ二ティにいる人たちがみんな書いててなんか楽しそうだから。

?忘れないうちに記録として残しておきたいから。

?トラベルライターの仕事と繋がりがありそうだから。


で、おれが今まで経験した旅らしきものは、一昨年の夏の「関東一周チャリの旅」と、去年の冬の「インド1ヵ月の旅」の2つのみ。

前者は友達と二人だったし、楽しかった思い出しかないのでやめといて、後者のインド1ヵ月の旅について書きます。

書き始めたらかなり長くなりそうだし、今は就活でこんなもん書いている場合ではないような気もしてるので、なかなか更新できないかもですが、最後までお付き合いくださいますよう、よろしくお願いします。


では、スタート。


まず、なんでインドに行こうと思ったか。

理由はただ1つ。

世界を旅するバックパッカーに憧れていたから。

アホですね。


去年まではサッカーの練習の関係で長い旅行ができるのは2月だけだった。
一昨年の2月にもオーストラリアに1ヵ月語学研修に行ったりしてた。
で、今年の2月はどこかでバックパッカーしよう、となったわけ。

さて、どこに行こう。

・・・・・・。

・・・・・・・・バックパックならやっぱりアジアだろう。
ヨーロッパとかに行ける金もないし。
ってことでアジアに決定。

アジアのどこへ?

悩んだのが言葉。

オーストアリアに行ったときは全て英語だったので、何とか生活できた。でもアジアって英語通じるのか?

で、アジア調べてたら「第二公用語・英語」と書いてある国がある。
しかも物価はアジアの中でも1,2位を争うほど安いらしい。
一体どこだ。この超イケテル最高にイケメンな国は。

・・・それが他でもない、India だった。

これがおれのインドとの出会い。
別名、最高に後悔してる出会い。
全ての不幸の始まり。


即決でインド行きのチケットを取った。

ビザも必要、ということなので九段下にあるインド大使館まで取りに。

そこでビックリ。

予想外に混んでたから。

そうか・・やっぱりホントはみんなインドに行きたかったんだな・・・と勝手に解釈し、ビザを取得。

そしてヒロカズさん(牛角赤塚の店長。韓国人風)にこの事実を告げ、1ヵ月バイトに入らないことを許可してもらい、インドのガイドブック読んだりネットで調べたりしてモチベーションを上げ、1月末、ついに出発したのである。
それが悪夢の始まりだとも知らずに・・・。



ちなみにご存知の方もいるかと思いますが、おれはインドに持ってったデジカメを荒川の土手でSDカードごと紛失してるので、写真が一枚もありません笑
だから写真ナシのサブい旅行記になりますのでご了承を。


出発当日、誰からも「行ってらっしゃい」的メールが来てないのを確認し、ヘコみつつ、おれは成田へ向かった。
ただ一人、母親だけは「死ぬなよ」と言ってくれた。それが最後の会話になるとは知る由もなかった(ウソ)

出発時刻は確か12時半で、夜21時半くらいに着く感じだったと思う。
利用した航空会社はエアインディア。
インドへ唯一直行便を飛ばしている世界一うさんくさい名前の航空会社だ。

チェックインを済ませ、搭乗ゲート前のたまり場へ。

さっそくインド人だらけだった。日本人は皆無に近い。みんなおれのことを見てくる。
「そうか・・・すでに戦いは始まっているんだな。」
そんなことを思いつつ、スカした顔で携帯(音楽聞くために持ってきてた)に入れてあったミスチルを聞き、モチベを上げた。

そして搭乗。

機内の入口にはさっそくキレイなサリーを着たインド人女性が。
彼女「ナマステー」
おれ「あ・・・ナマステ」
「ナマステ」はインドの「こんにちは」である。インドに行ってから知ったのだが、かなり堅苦しい宗教的挨拶らしく、日常ではあまり使われないらしい。

機内に入ってビックリ。
スッチーさん全員サリー姿!
なんてフランクな職場なんだエアインディアは!
雰囲気重視なのか。それとも宗教上仕事中もサリーを着なきゃならないのか。

まあいっかそんなことは。さあ早くおれをインドへ連れて行け。

で出発。
と同時にサリー姿のスッチーさんが機内中に変なスプレーをまき始めた。
「おいおい勘弁してくれよ・・・」と不安になったが、どうやら消臭剤らしい。逆に臭くなったが、そんくらい気にしない気にしない。

機内ではビールを大量に飲み、スナック菓子などは無駄に多くもらいカバンに詰め込み、エアインディアの毛布もカバンに入れといた。あとで使おうと。

寝たり本読んだりして、あっという間にデリー(インドの首都。正確にはニューデリー)に到着。でもおれが降りるのはデリーではなくインドの左端っこにあるインド経済の中心都市、ムンバイ。デリーで降りると旅行者を狙った詐欺がモノスゴイと聞いていたのでムンバイIN、ムンバイOUTのチケットを取っといたのだ。
デリーで降りる人が多いのでしばらく待たされ、再度出発。
一時間ほどでムンバイに着いた。

そんときすでに夜22時。しかもムンバイ空港は市街から離れていることで有名。
今から空港の外に出て宿探しをするのは危険すぎる。完全にノープランだった。

・・・今日は空港の中で寝よう。それしかない。

そして人生初の野宿らしきことを実行したわけだ。インドの空港で。
税関を出ちゃうとベンチがなさそうだったので、税関の前(ベルトコンベアーでぐるぐる回る荷物を取るとこ)のベンチをつなげてベッドを作り、荷物はベンチの足にチェーンで固定し、機内から持ってきた毛布をかぶって眠りにつこうとした。
が、なかなか寝つけない。やはり落ち着かない。
周りにポツポツいるインド人たちの視線と、孤独感にさいなまれて。

それでもまあ寝たり起きたりを繰り返し、気づけば深い眠りについていた。

・・・・・。

どれくらい寝ただろう。
誰かがおれの肩を叩いた。
目を開けると、警備員っぽいインド人3人に囲まれていた。

終わった・・・。
おれは今日、ここで死ぬ。
空港で野宿した罪により、インド人グループにリンチされて。

と思ったら、その中の一人が毛布を指差して言った。
「#%I>+*`CR%$&%#>+>*`>#$#%&ブランケット」と。
たぶん英語だったと思うが、聞き取れたのは「ブランケット」のみ。
空港の警備員っぽかったので、毛布を返せってことだったのだろう。
リンチはされたくなかったので、素直に毛布を渡すと、彼らはすぐに去って行った。
寝るのはOKみたいだ。
で、時計を見る。
まだ夜中の3時。
もう一眠りするか・・・と思ったが、警備員のせいで完全に目が冴えてしまっていた。

よし。
おれは決意した。
空港を出よう、と。
夜中の3時に。

税関を抜け、アメリカドルのT/Cをインドルピーに両替し、空港出口まで行くと、警備員にパスポートの提示を求められた。
見せると、なぜか彼は斜めに首をかしげた。
「え!? だめなの!? おれ出れないの!? ここまで来たのに!?」
おれがそんな顔をして立ち尽くしていると、彼は言った。
「OK」
なんだよいいのかよビックリさせんなよこのカレー野郎・・・。
のちに出会った日本人に聞いたのだが、首を斜めにかしげる仕草はインドでは「OK」の意味らしく。
まあそんな感じでおれはついにインドの地に足を踏み入れたわけだ。しつこいようだけど夜中の3時に。


そこで、早くも衝撃を受けた。
あまりにも多い人の数と、おれに浴びせられる圧倒的な数の罵声(タクシー!?とかリキシャー!?とか。いわゆる勧誘)とガメツイ視線。淀んだ空気。灰色の空。犬の死体。

これがインドか・・・。


おれは思った。

「今すぐ日本に帰ろう。」と。
正確には、「おれが甘かったよ。だから今すぐ日本に返して。お願いします。マジで。」と。

しかし、帰りの飛行機は1ヵ月後。 
絶望。

仕方ないので、とりあえず街に出ようと思った。
街に出ればきっと日本人もいるだろう。彼らに話を聞いて、これからの身の振り方を決めよう、と。
地球の○き方には「プリペイド(前払い)タクシーならボッタくられる心配はない」と書いてあったので、受付っぽいところに行ってとりあえずムンバイ随一の大きい駅、チャトラパティシバージー駅(以下CST)までのタクシー代を払った。
で、怪しすぎるオジサンに連れられ、ボロボロのタクシーに乗せられた。
ホントに連れてってくれるのかよって感じだったが、おれはもう半ば投げやりだった。
「どうにでもなれ」と。
この「どうにでもなれ」精神はインドではとても重要なのである。

そして車内では運ちゃんの意味不明なヒンドゥー語に適当に相槌を打ち、30分くらいでCST駅に着いた。途中勝手に美術館の前まで行ったり、でかいホテルの前まで行っていろいろと説明してたみたいだが(観光バス的な)、おれはとりあえず「CST」と言い続けていた。

降りようとしたら運ちゃんに金を請求された。

いろんなとこに案内したのだから、と。

意味不明である。
勝手に寄り道したくせに、案内したから金を寄こせと言うのである。


ああ、インド人。

おれはシカトして車を降り、ドアを閉めた。
運ちゃんは淋しそうな顔でおれを見てたが、しばらくすると去って行った。

のちのち分かることなのだが、インドではこのようなことが当たり前なのである。こんなことにいちいち目くじら立ててたらインドでは生きていけないのだ。日本の常識など一切通用しない。悪いのは彼らではなく、よそ者の僕ら日本人の常識。彼らは自分が生きていくために必死なだけ。生きるために必要ならば観光客から金をボッタくる。そこに善悪という概念は存在しない。だから大切なのはこっちの気の持ちよう。インドでは、金を多く取られても、「騙された」とは思わずに、「妥当な金を払った」と思える気持ちが大切。そういう「諦め」みたいなのがないとインドでは絶対やっていけない。同じ金を取られても、騙されたと思うか、思わないかはその人次第ってこと。まあおれはもっと安く、もっと安くって感じで交渉したりケンカしたりしてたけど。それが楽しかったし。

さて、時刻はまだ早朝5時。
どうしよう。
日本人などどこにも見当たらない。
お店も全部閉まってる。
ってか道端で人が寝てる。なんかよく分からない動物も寝てる。

とりあえず歩こう。
朝が来るまで。


さて、朝5時のムンバイの街を歩き出したおれは、インド放浪初日にして、完全に途方に暮れていた。

CST駅前ではギラギラした目つきのインド人たちが、大きな鍋を囲んで得体の知れない液体を飲んでいる。

のちのちその液体がインドの大衆的飲料、チャイ(ミルクティー)であることが分かるのだが、そのときのおれは彼らの目つきからして何か危ない薬物を溶かした液体を飲んでいると信じて疑わなかった。


目を合わせず、しばらく南へ歩くと、とあるカフェ?のような店の前に出た。

まだ外は暗かったけど、店は営業しているようだ。

外をふら付いていても埒が明かないと思ったおれは恐る恐る店のドアを開けてみた。


店の中には結構客がいて、なかなか騒々しい。

とりあえず空いているテーブルに慣れてる振りして座ってみる。


すると店員らしきインド青年がメモ片手に迫ってきた。

ショーケースの中に食パンらしきものが入ってたので、指を指すと、首を斜めに振った(OKの仕草)。

食パンだけじゃ味気ないので、勝手にカレーはあるだろうと考えたおれは、
「アンドカリー」とこれまた慣れた振りして注文。


すると30秒くらいで食パンとカレーらしきものが運ばれてきた。

値段がいくらなのかは見当も付かなかったけど、とりあえずインド初のオーダーを成功させたおれは、満足してインド初の食事に食らい付いた。


あっと言う間に平らげ、とりあえず荷物置きたいし、今日の宿はどうしようと思いを巡らせていると、隣から視線を浴びせてきてたオジイサンが、

「コリア、オア、ジャパン」

と聞いてきた。


「ジャパンさ」と返すと、

「アー」とオジイサン。

そのあとも質問攻めかと思いきや、オジイサンはいきなり席を立って帰っていった。


興味ねえなら最初っから聞くんじゃねーよ・・・と憤慨したけど、そんなジジイの相手をしてる暇はない。

とりあえず繁華な場所に行って宿を探そうと決めたおれは、たったの20ルピー(約50円)という食事代金を払って再び外に出た。


外は結構明るくなっており、人通りもかなり増えていた。

てか人いすぎ。

さすが人口数世界第二位。


なんの当てもないので、とりあえずガイドブックに載ってる安宿に行ってみようと歩き出した。


しかし、さっきまでの閑散とした街並みとは打って変わって、半端じゃない交通量と、洪水のようなクラクション、ガンガンに照りつける太陽、どいつもこいつも襟付きの汚いシャツを着てる膨大な数のインド人(インド人男性は襟付きのシャツを着るのが常識らしい。ただ、汚い。カレー色。)の中を大きなサックを背負って歩くのはなかなかシンドイ。

これが沢木耕太郎さんが言うアジアの喧騒ってやつか・・・と感慨に耽っていると、いつのまにかガイドブックに載っていた宿にたどり着いた。

定かではないが、確かサルベ二アン・アーミーとかいう宿だったと思う。

軍人用の宿らしく、記載されている値段はかなり安い。


早いとこ荷物を置きたかったおれはさっそく中に入ってカウンターらしきとこに座っているサリーを着た女性に、部屋は空いてるか、とカタコトの英語で尋ねると、

「ノー」と一言。

ドミトリーでもいいよ、粘ったが、ドミトリーも明日の朝までいっぱいだと言う。


なにか愚痴を言いたかった僕は、とりあえず日本語で「まじかよ」と言ってから、外に出た。

すると、どこかで見たことがあるジジイが宿の前に立ってこちらを見ているではないか。


そう、さっきのオンボロカフェで話しかけてきたジイサンだ。


何の用だクソジジイ・・・と睨み付けると、いきなり

「オテル?」

と意味不明な言葉を発してきた。


オテル?オテルってなんだ?ケンカ売ってんのか?と思いきや、


「ユーワントオテル?」

とジイサン。


オテルが欲しいだと? んなもんいらねーよ! つかオテルってなんだよ! 
と言いかけたところで、ハっと気が付いた。


ホテル。


ジイサンは「ホテル」を「オテル」と言っていたのだ。

つまりホテルを探しているのか?と聞いていたわけだ。


「イエス、オテル。」

とジイサンの発音に乗ってあげると、付いて来い、という仕草をして歩き出した。

どーせ他に当てもないし、騙されたらそのときはそのときだ、と腹をくくったおれはとりあえず付いていった。

ただ値段が心配だったので歩きながら「チープ?」と聞くと、

「アー。」とジイサン。


五分ほど歩き、ボロッボロのビルの前でジイサンは足を止め、中に入っていった。

黒い鎖でできたアジア特有のエレベーター?で4階に上がると、そこは大量のベッドが並ぶドミトリーのみの宿だった。

ジイサンはカウンターの店主と何やら言葉を交わすと、おれのとこに来て、

「オーケ。」

怪しい雰囲気は特になかった(インドは全部怪しいけど)のでカウンターに行って一泊いくらか聞くと、150ルピー(約400円)だと言う。

大都市にしては安いのかなと勝手に予想して、泊まることを決意。

宿泊者表みたいなヤツに記入していると、ここまで案内してくれたジイサンが隣から手を伸ばしてきた。

その必死そうな顔から、金をよこせってことだと瞬時に判断できた。

まあ案内してもらったし、これが当たり前なのかなと思ったおれはとりあえず10ルピーを渡してみると、ジイサンは一瞬「まじ!?こんだけ!?」みたいな顔をしたが、諦めて去っていった。

ありがとよ。ジイサン。



とりあえず荷物を置き、身軽になったおれは、街散策&情報収集をしようと宿を飛び出した。


屋台でインド式ジャガイモの天ぷら、サモサを食ってみたり、スーパーみたいなとこでお水買ってみたり、露天でオジサンと値段交渉してみたり、楽しんでるつもりだったけど、次々と沸いてくる物乞いの多さに気が滅入った。


スーパーとかにあるカートに乗って近づいてきて、自分の足を指差して、手を差し出してくる両足の無い青年。

物乞いを強要されているのか、母親に背中を蹴られ、仕方なくおれのとこに来て手を出してくる子供。


物乞いに対して金をあげるのが正しいのか、あげないのが正しいのかなんておれには判断できなかったので、とりあえず「何かをしてもらったら金を渡そう」と旅に出る前から決めていたおれは彼らを全て無視した。どんなにしつこく付いてきても、逃げ続けた。


そのうち日が暮れてきた。


ムンバイの街は意外と狭い。

一日中歩き回れば大抵のところへは行けるようだ。


すると急に不安になってきた。

明日からどうしよう、と。


こんなとき、日本人というのは、無意識のうちに日本人を探してしまうんだろう。
おれもその例外ではなく、必死に日本人を探し出した。


しかし、なかなか見つからない。

とにかく人が多い通りを歩き回ってみたけど、いない。


もう宿に帰るか・・・と諦めかけたそのとき、


「日本人の方ですか?」と後ろから声を掛けられた。

振り返ると、おれと同じ年代と思われる若い日本人が立っていた。

その風貌はいかにもアジアの旅人といった感じで、旅慣れている雰囲気が漂っていた。(名前は忘れました。)


とりあえず彼から情報を得ようと決心したおれは、

「そうですよ。」と答え、インドでの旅について様々な質問をした。

どうやら彼は友達と2人で3ヶ月間インドを旅しているフリーターらしく、ムンバイへは日本に帰国するために来たという。


しばらく立ち話をしたのち、

「他にもきのう日本人夫婦と、男の子に会って、今日夕食を皆で一緒に食べる約束してるんだけど来る?」と彼。

これで一気に情報が得られると思ったおれは喜んで付いて行くことにした。


一度宿に戻り、水しか出ないシャワーを浴び、ベッドに戻ると、隣の隣のベッドに日本人のようなタイ人のような男性がいた。

急いでいる様子だったので話掛けずに夕食の約束の場所まで急いだ。


約束のメシ屋に着くと、先ほど会った男性とその友達、若い夫婦、そしてなんとさっき隣の隣のベッドにいた男性がいた。

つい、「あ・・・やっぱり日本人だったんですね。」と漏らしてしまったおれ。


ともあれ僕達6人はタイ人風の男性のお薦めだというメシ屋に入った。


本当に日本人の集団主義、その仲間意識の強さというのは面白いもので、異国の街にいると自然と日本人は集まってしまうものなのだ。

オーストラリアに行ったときに思ったんだけど、海外に来て日本人同士でつるんでいる人たちをやたら馬鹿にする人がいる。
「何しに来たんだ。」とか「だっせー。」とか。

でもおれはその人たちがそうしたいのなら、それでいいと思う。

それを他人がとやかく言う問題ではないし、日本人とつるまないのがカッコイイと思って、日本人集団を馬鹿にする自称旅好きを見ると、虫唾が走る。

旅のスタイルはあくまで自由であって、日本人同士でいたほうが安心できて楽しいのであれば、それも立派な旅のスタイルでしょ。

むしろそういった日本人の仲間意識の強さは他の国にはない素晴らしいものなんじゃないか。

まあヒンドゥー語を学ぶことが本来の目的でインドに来て、日本人とばかりつるんでいるとしたらそれは良くないのかもしれないけど。


話が反れたので戻すと。


若い夫婦は新婚旅行で、世界一周を敢行中なのだという。

タイ人風の男性はかれこれ2年もアジアを回っており、次の国の拠点にとインドを訪れたらしい。


しばらくお互いの生い立ちについて話しメシを食い終わると、若い夫婦が、僕らの部屋でビールでも飲まないか、と提案してくれた。

無類のビール好きであるおれは当然OKで、お邪魔することに。


ヒンドゥー教は飲酒を嫌うと聞いていたのでビールは飲めないのかなーと思ってたけど、意外と酒屋はある。

ただ、あまり露骨に飲むものではないらしく、酒を購入すると、新聞でぐるぐる巻きにして渡される。

マリファナや、バングラッシー(気持ちよくなるお薬が入ったヨーグルトジュース)は当たり前のように出回っているくせに、おかしな宗教だ。


ともあれ、縁あってムンバイで集まった日本人6人の酒盛りが始まった。


おれの質問は当然、「次はどこに行けばいいか。」だった。


すると皆口を揃えて言うのが「バラナシ」だった。

バラナシはガンジス川の流れるインドのホーリープレイス、聖地であり、この地で「死ぬため」に多くのヒンドゥー教信者が集まる場所らしい。


いわば、インドの中のインド、だそうだ。


特に若い夫婦はバラナシの魅力に取りつかれているらしく、その魅力を夜通し語ってくれた。


酒盛りが終わる頃、おれは決めていた。

明日、バラナシ向かおう、と。



そう決心した僕は、ビールの礼を言って、タイ人風日本人男性と宿に戻った。


最初はどうなるものかと思ったけど、その日の夜は完全にテンションが上がっていた。


ワクワクして眠れない。


悪乗りした僕は隣のベッドで寝ていたイカついナイジェリア人男性に「やあアフリカ君。おれは明日、バラナシに行くんだ。すげーだろう。しかし君はイカついねー。」と説明を始める始末。

心優しいナイジェリアンはおれの話をニコニコしながら聞いてくれた。



満足して眠りにつき、朝気持ちよく目覚めた僕は、チェックアウトを済ませると、日本人夫婦が泊まっている宿へと急いだ。

荷物を置かせてもらうためだ。

バラナシ行きの列車は夜発らしいので、昼間は荷物を置かせてもらって最後のムンバイ観光を楽しもうという魂胆で。



身軽になった僕はさっそく切符を買いにCST駅の外国人用切符売り場へと向かった。


面倒くさそうに応対している女性駅員に「今晩、バラナシに行きたい。」とハイパー丁寧な英語で告げると、


「フル(満席)」と一蹴。


わざとらしく「マジ!?」という顔をすると、


「But,ウェイティングリスト、OK」と駅員。


そーいえば地球の歩き方に、「インドの長距離列車は満席の場合、ウェイティングリスト(キャンセル待ち)に登録することできる。つまり、切符は発券されるが、乗れるかどうかは出発時刻直前にならないと分からない。ただ、ウェイティングリストの人はほとんど他の列車のウェイティングリストと掛け持ちしているので、大抵キャンセルが発生し、乗れる場合が多い。」と書いてあるではないか。

乗れるんならいーや、と、23:00ムンバイ発のウェイティングリストの切符を購入した僕は、ムンバイの町を歩き出した。



メインストリートにずらりと並ぶ露天で値段交渉をしてみたり、屋台で怪しげなFOODを食べてみたり、フレッシュジュースを飲んでみたり、物乞いの子供と写真を撮ってみたり。


調子に乗っていた僕は、昼過ぎにある異変に気がついた。






・・・腹が、痛い。




ついに来たか、とインドではお決まりのウンピー下痢パターンが到来したことに若干テンションが上がったが、普通に冷や汗が止まらないので、日本人夫婦の宿に戻った。


しかし夫婦は外出中らしく、部屋には入れない。

夫婦との約束は夜7時に宿の前。


仕方がないので宿の入口前にあったウンコ色のベンチの上でしばらく横になることに。




そのgeriは結構ヒドイものだったらしく、起きたらすでに18時だった。

腹痛はとりあえず治まっていたので、ちょいと外をふら付いたのち、宿の前に戻った。



そしてムンバイで奇跡的に集まった日本人軍団の最後のディナー。

確か肉を食った気がするけどあんま覚えてない。


互いの生い立ちや、将来のことなどを語っているうちに、出発の時間がやってきた。

みんなで写真でも撮ろう、ということになり、宿の店主に撮ってもらった。

すると、店主がおれも写りたいと言い出し、なぜか送られるはずのおれが写真を撮らされた。 

まさに king of KY。



みんなに温かく送られた僕は、重い荷物を背負い、夜のムンバイをCST駅に向かって歩き出した。



駅に着くと、夫婦のアドバイス通り、ウェイティングリストの確認をしに窓口へ。


ここでも一苦労なのが、インド人には列を作る(並んで待つ)という概念がないことだ。

ウェイティングリストの確認をしたがるインド人はウンコ多いので、カウンターの前には人がごった返す。


なのにヤツラは、カレーの食いすぎで頭がおかしくなってしまったのか、決して列を作らない。

力づくで人混みを押しのけて、カウンターのおっちゃんに切符を渡した者だけが、確認をしてもらえるのだ。


こんなんじゃ力のないオジイさんとかオバアさんじゃ絶対無理じゃん・・・と甘い考えが頭をよぎったが、そんなこと言ってたら列車には乗れないので、僕も思いっきり野郎共を押しまくって何とかカウンターの前まで身を乗り出した。

すると、カウンターのおっちゃんはおれを見て珍しがったのか、優先的に切符を受け取ってくれた。


そして

「OK」と一言。


よし、これで乗れるぞ、と教えてもらったプラットホームに向かうと、大量のインド人たちが地べたに寝そべって列車を待っていた。


これが世界遺産にもなっているインド一の駅の実態か・・・と驚いていると、すぐにバラナシ行きのオンボロ列車がホームに流れ込んできた。


さっそく切符を見ながら自分の席を探したが、なかなか見つからないので、近くにいたカレー君に切符を見せて案内してもらった。


そして見つけた僕の席。

僕が予約したのは二等寝台(一番安い寝台)。




どー見ても寝台じゃない。


きたねー青いシート席が向き合っており、一応上にも青いシートがあったが、とにかく固いし、足がはみ出してしまうほど狭い。


ここに寝んのかい!と隣のインド人青年に訊ねると、嬉しそうな顔で首を斜めに振ってきた(しつこいようだけど、Yesの仕草)。


荷物は座席の下にチェーンでくくりつけるらしい。

インドでは列車内での盗難がクソ多いらしいので、チェーンで頑丈にくくりつけ、バッグのポケットのファスナーにも全て南京錠をかけ、パスポートとT/Cはお腹のマネーベルトへ。


そんな感じで初めてのインドの列車にかなり敏感になってる僕をニコニコしながら見てくる隣のインド人青年。

そのヤラシイ笑顔にはイラっとさせるものがあったが、長い列車の旅を窮屈なものにしたくなかった僕は笑顔で「ウェアアーユーゴーイング?」と訊ねてあげた。

どうやら彼はバラナシに行く途中、だいたい中間くらいの場所にある町に働きに行くらしい。

「あーそう。大変ねー。」

と相槌を打ち、会話を終えた。



2時間ほど遅れて(インドではこれくらいは当たり前)、列車は出発した。

時刻表によれば、バラナシには翌々日の朝6時、つまり約30時間で着く予定。


切符によると僕のベッドは下の座席だったけど、何となく上のベッドに寝てみたかったので、隣の青年に交換してくれないか、と頼むと、快くOKしてくれた。


寝心地はサイコーに悪かったけど、日中のgeri症状のせいかサイコーに疲れていたのですぐに眠りについた気がする。





深夜、寒さ&尿意にさいなまれて目覚め、車内にあるトイレに向かった。


これがまたサイコーに汚い。


そして便座の奥、つまりブツが入っていく穴をのぞくと、そこは下水ではなく線路。

そう、我々の言う「toilet」という代物とは程遠い、完全垂れ流し制の便所。



初めて線路に向かって小便をした僕は、まだまだ寝足りなかったのでベッド?に戻り、バッグの中のありったけの衣服をまとい、再び眠りについた。




翌朝、おそらく8時くらいだったと思うけど、目を覚ますと、電車はどこかの荒地に停車中だった。

寝てるときから思ってたけど、インドの列車はやたらと止まる。

すでに起きていた隣の青年に聞くと、すでに3時間ほど遅延が発生しているという。



とりあえず起きて、青年の隣に座り、ムンバイであらかじめ買っておいたバナナを食う。

隣からガンジーばりの視線を感じたので、優しい僕はバナナを一本あげた。



しばらくすると、どこからか不思議な声がする。



「・・・ィ・・・・・・ァーィ・・・・・チャーィ・・・チャーイチャーイチャーイチャーイチャーイ。」



ヒンドゥーの礼拝でも始まるのかと思ったが、目の前に現れたのは大きなやかんを持ったヒゲおやじ。


なんだこいつは!?と度肝を抜かれていると、


「チャイ?」とオヤジ。


何言ってんだこのオヤジ・・・薬のやりすぎじゃねーのか・・・と睨みつけると、隣の青年がいきなりオヤジに4ルピー(約10円)を差し出した。

するとオヤジは小さな陶器にやかんに入っている液体を入れ、青年に渡した。



チャイ(ミルクティー)売りだ。




バナナに合いそうだと思った僕は、4ルピーを払って一杯飲むことにした。


するとまた

「チャーイチャーイチャーイチャーィァーィ・・ァーィ・・−ィ・・・・」と呪文を唱えながらオヤジは去っていった。



インドの列車ではその道中にさまざまな物売りが車両を行き来するのだ。

その後も、ビスケットなどを売る人や、ミネラルウォーターを売る人、チェーンを売る人、本を売る人など、物売りがやって来ては去っていった。


また、途中駅に停車したときも凄い。


ホームで待ち構えていた物売り達が一気に車内に流れ込み、出発までのわずかな時間でセールスをかけてくる。

また、窓から物を売ってくるやつもいる。



そして忘れてはならないのが、物乞いだ。


物乞いはチャイ売りと同じ頻度で現れ、手を額に当て、その手を差し出してくる。

また、途中駅に停車したときは、窓の隙間から小さな手を伸ばしてくる子供も。



本当に、気が滅入る。



他にも、無断でいきなり僕の足元を掃除して、手を差し出してくる青年なんかもいた。

出発前に決めた、何かをしてもらったら金を渡そう、というルールに従って、こういった人にはチップとして金を渡した。



そしてもう1つ、面白いのが、ゴミの問題。


僕が食い終わったバナナの皮と、飲み終わったチャイの陶器をどーしようかとキョロキョロしていると、隣の青年がいきなりそれを取り上げ、窓の外の線路に放り投げたのだ。

そして青年はこれまたニコニコしながら首を斜めに振った。


日本じゃ完全にマナー違反だけど、インドではゴミ箱にゴミを捨てる、という概念はないらしい。

のちに会ったインド通に聞いた話によると、ゴミをゴミ箱に捨ててしまったら、ゴミを拾う人の仕事がなくなってしまう、という考え方らしい。



なんという屁理屈。


そしてチャイを入れる陶器に関しても、壊して捨てないと、陶器を作る人の仕事がなくなってしまう、という考えらしいのだ。

チャイ売りに陶器を返却することは逆にマナー違反なのだという。



インドの経済事情と、世界二位の人口を考えれば、一人一人が「仕事」を持つことは非常に困難だというのは想像がつくが、わざとゴミをそのへんに捨て、わざとせっかく作った陶器を壊す、という行為にはやはり抵抗があった。


まあ彼らにとっては屁理屈でもなんでもなく、理に適った行為なのだろう。




そんな感じで驚きの連続だった午前中はあっという間に過ぎ、午後からは日本から持ってきていた本を読んだり、外を眺めたり、日記をつけたりして過ごした。



夜になり、ある駅で列車は停車していた。


時刻表と停車中の駅の名前を照らし合わせてみると、すでに5時間の遅れが出ているようだ。



夜メシは途中駅で買ったサモサとまだ大量に残っているバナナとチャイ。

隣の青年と仲良く食事をし、それなりのお喋りもし、写真を撮ったりした。

とにかくインド人は写真に写りたがる。  うぜー。




寝台の利用が可能なのは21時から。


だいぶインドの列車に慣れてきた僕は寝る準備をし、目を閉じた。




どのくらい寝ただろう。

急に窓の外から肩を叩かれて、僕は目を覚ました。


そこにはさっきまで下で寝ていたインド人青年が大きな荷物を持って立っていた。

どうやらこの駅が彼の目的地だったらしい。


彼は笑顔で手を振って去っていった。



意外と律儀だ。



良いヤツだった。




ちょっと淋しくなってしまった車内を眺め、時計を見ると、午前6時。


本当だったらすでにバラナシに着いてるはずだけど、昨日の時点で5時間も遅れていたのでまだまだなのだろう。



朝っぱらからうるさいチャイ売りからチャイを一杯もらい、最後のバナナを口にした。



そこからはあんまり覚えてない。


とにかく寝たり起きたりして、昼の13時くらい、7時間も遅れて、ついに列車は聖地バラナシへと到着した。


約37時間の列車の旅だった。





ついに着いた、バラナシ。


ホーリープレイス、バラナシ。



列車を降り、1つ伸びをして、駅を出ると、そこにはムンバイ以上の喧騒が待っていた。


物凄い量のオートリキシャ(三輪自動車)とサイクルリキシャ(人力三輪車)の勧誘が待っていたのだ。


ムンバイのような都会ではリキシャはなく、タクシーが主流なのだが、バラナシのような下町?ではリキシャが主流。


東京駅付近ではタクシー多くて、浅草には人力車が多いのと同じ?ようなもんだ。


とりあえず、バラナシで最も有名な沐浴(ガンジス川に浸ること。聖なる行い。ちなみにインドではガンジス川のことをガンガーと呼ぶ。)場があるダシャーシャワメードガート(ガンガー川沿いにはガートと呼ばれる溜り場のようなものが点在している)に向かおうと、人の良さそうなリキシャを探した。


するといきなり背後から英語で、

「シェア?」

と声をかけられた。


そこには太ったヨーロッパ人女性が立っていた(国は忘れた)。

リキシャをシェアしないか、との提案だ。


料金も半額で済むし、とりあえずヨーロピアンと行動するのも面白いと思った僕は快く了解し、一緒に近くにいたリキシャに適当に値段交渉をし、乗りこんだ。


リキシャは今にも壊れそうな音を立てながらも、物凄い人混みを器用に縫って進んでいった。


聖なる川、ガンガーへ向かって。


同行者
一人旅
一人あたり費用
5万円 - 10万円
航空会社
エアインディア

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