2005/02/19 - 2005/02/19
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近鉄バッファローズさん
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ミュンヘンから郊外電車(S-Bahn)で20分ほどで着くダッハウの町。そこからさらにバス(726系統)に乗って10分足らずの場所にあるのが旧ダッハウ強制収容所です。鉄条網や一部の建物が再建され、また追悼記念のモニュメントがいくつかあります。再現された建物の中にはたくさんの展示物や解説が並び、非常に充実した内容となっています。ただ、ここにたくさんの文字情報を並べても仕方がないので、控えめに載せておきます。御自身で実際に現場で見て頂きたいと思います。
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ダッハウの地図です。「Dachau-Ost」の少し左側に目的地があります。
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バス停からの道すがらに案内板です。
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入り口にある見張り塔です。左には鉄条網が続きます。
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この収容所跡地以外にもいくつか史跡があるようでしたが、時間の都合で行けませんでした。
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この年は寒い冬で、ドイツ南部に大雪が降っていました。寒さは北海道並みだったと記憶しています。
鉄条網が延々続き、所々に見張り塔があります。 -
再現された建物が建ち並びます。
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逃げられないように堀が掘ってあります。
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濃い色が再現された建物で、たくさんあったバラックは基礎部分だけが再現されています。
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鉄条網についての説明です。逃げようとして撃たれたであろう女性の写真もあります。
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見張り塔をもっと近くから撮ってみました。
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バラックが建ち並んでいた場所は、基礎だけを残して何もありません。大変広大な土地です。一番手前には音声ガイドのレンタルや記念品を販売する場所があります。一部だけバラックが再現されています。
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再現された収容所を管理する人々の宿舎や事務所の棟です。
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同じ棟の続きです。その右には、収容者が入るときにくぐってきた門があります。
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再現されたバラックの中には、再現されたベッドが立ち並びます。
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別タイプのベッドです。
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手洗いの場所だと思います。
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これはトイレです。プライバシーも何もありません。
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収容所の反対側には、追悼のモニュメントがあります。
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この裏に「聖血教会」と言うのがあるそうです。
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この奥にあるそうです。
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空撮です。
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ちょっと中へ入ってみました。
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西側にある記念モニュメントです。教会関係の寄付で出来たそうです。
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火葬施設へ続く道です。川を渡っていきます。
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火葬場の地図です。元々3.の小さな火葬施設だけだったそうですが、足りなくなり4.の大きなものを作ったそうです。
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「火葬場 我々がここで如何に死んだのか記憶しておいて下さい」と言うようなことが書かれています。
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大きい方の火葬施設です。
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火葬施設の中です。
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いわゆるガス室です。上から毒ガスが出て来たそうです。
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火葬装置です。どんどん死体を焼いたそうです。
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収容者が入ってくる門です。門扉には有名な「働けば自由になれる」との標語が書いてあります。
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外の方から撮ってみました。
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管理棟にはずらっと展示品と解説が並びます。棟内の地図です。ここから200枚以上の写真を撮りましたが、文字が多いのでかなり端折っていきます。
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SSの依頼で描かれた「バイエルンの踊り」。
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ナチスが台頭するきっかけからずーっと収容所が開放されるまでが解説されていきます。
まずは、第一次大戦での敗戦から始まります。 -
ワイマール憲法下での選挙ポスターです。
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失業者の列と「我らの最後の望み ヒトラー」と言うポスター
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ナチスへの反対勢力のポスター(1930年)
これはドイツ社会民主党によるものです。 -
ナチスへの反対勢力のポスター(1928年)
これはドイツ民主党によるです。 -
ナチスへの反対勢力のポスター(1932年)
これはドイツ共産党によるです。 -
国会放火事件を報じる新聞です。この後共産党を非合法化するなどして、ヒトラー独裁が進んでいくと説明されています。
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ダッハウへ連れてこられてた収容者の出身国です。
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ヒトラーが政権を奪取した1933年頃に解説されたダッハウ収容所の様子。ここは元々ナチスへの反対者の収容所として作られました。
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当初州警察が管理していた収容所も、やがてSSが管理することとなりました。
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ダッハウの収容者の数とその理由による分類です。
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様々な人々が収容者として送られてきました。政治犯、エホバの証人、ホモセクシャル、移民、ユダヤ人、ジプシーなどだそうです。
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収容者を区別する腕章の一覧です。収容者は全て番号で呼ばれていたそうです。
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この台で収容者を痛めつけたそうです。
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ダッハウ収容所の模型です。
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人体実験の写真らしいです。
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終戦により収容所が開放されたと書いてあります。
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戦後、責任者達はニュルンベルグ裁判に掛けられ、収容所は貯蔵庫や旧ドイツ領からの避難者むけ住宅などになっていたのを現在の姿へと変えたとのことです。
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犠牲者を悼むレリーフがいっぱい飾られていました。
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