2007/08/26 - 2007/08/27
2332位(同エリア3035件中)
かりんさん
家と職場を往復するだけの生活が続いてました。
このままじゃダメだ〜。
趣味とか、そういう類のものがない果林。
気分転換できずにいたんです。
誕生日を目前にしたある日。
今までにやってないこと経験したら、視野が広がるかも知れない…
買い物もひとりじゃ行かない。
それなのに、思い立ったのが「ひとり旅」
今ではデジカメ片手にぶらぶらしています。
そんなきっかけになった、広島の旅です。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 新幹線 徒歩
-
新幹線に乗って約2時間で広島に到着です。
初めてづくしの旅が始まりました。
まずは荷物を預けるために、ホテルへ向かいます。
実は乗り物は車が一番得意。
新幹線や電車は大勢の人がいて落ち着かない。途中で息苦しくなってしまいます。
果林にとって、この旅は自分で作った試練でもあります。
そんな試練を楽しむことが出来るかが今回の課題。
新幹線やホテル予約の時点でドキドキしていたんですが、何とかなるわ〜と広島電鉄に乗り込みます。
ホテルでは部屋の準備が出来ているとのこと。
リラックスして、緊張感から少し開放されました。
休憩してから目的地である平和記念公園へ向かいます。 -
ホテルから歩いてすぐの所に平和記念公園があります。
まずは広島平和記念資料館に入りました。
総合案内には音声ガイドの案内があったので、借りてみることにしました。
日曜ということもあってか、館内は大勢の人。
人波にもまれながら、被爆前後の広島を知ります。
写真は原爆ドームの模型です。
この模型の周囲には、広島市長が核実験が行われる度にその国に送り続けている抗議電文がコピーしてありました。
電文の数だけ核実験が行われているのかと思うと、何だか切なくなりました。 -
ひとり旅デビューの地を広島にしたのは、久しぶりにお盆休みを取ることができて、実家で平和記念式典を見たことがきっかけです。
何不自由なく生活していることのありがたさを改めて感じたのですが、何にも知らないということに気づきました。
中学の修学旅行で長崎の資料館に行った記憶はあるのですが、行かなきゃいけないから行くという感覚。できれば怖いから見たくないというのが本音でした。
それなら行ったことがない広島にしようと決めたのでした。 -
館内は2時間ほど見て回りました。
写真や遺品が伝えるメッセージは大きい。
でも言葉にしようとすると、軽く聞こえるような気がします。
ここには来なきゃいけない、一度は行くべきだというのが果林の感想です。
写真はアオギリの木。
資料館の休憩所を出た所にあります。
当時は広島逓信局の中庭にありましたが、遮るものが無かったので熱線と爆風をまともに受け、枯れ木のようになりました。75年は草木も生えないといわれていた広島で、春になって芽吹いたそう。
昭和48年に移植され、今でも毎年種子をつけています。隣にはアオギリ2世もしっかり根付いていました。 -
原爆死没者慰霊碑。
犠牲者の霊を雨露から守りたいという思いから、この形になったそうです。
この前を通る人は、みんな手を合わせていました。
遠くに原爆ドームが見えます。 -
こちらは追悼平和祈念館にありました。
時計のモニュメントは8時15分を指しています。
周囲の瓦礫は、当時のもの。 -
ぐるっと回って、資料館が見える所まで来ました。
こちらは「平和の灯」。
手首を合わせ、手のひらを空に広げているように造られています。
その中央で「平和の灯」は核兵器の廃絶を訴え灯されています。 -
こちらは「折鶴の塔」。
2歳のときに被爆した佐々木貞子さんは、小学生のとき白血病を発症し治療の甲斐なく亡くなりました。
療養中、思いを託し折鶴を折り続けました。
その折鶴は、資料館に展示されています。
そして原爆で亡くなった全ての子どもたちのためにと貞子さんの同級生が立ち上がり、この塔は完成しました。 -
向かいにあったレストハウス。
こちらには大阪の呉服店がありました。
当時では珍しい鉄筋コンクリートの建物。
昭和18年、繊維統制令によって呉服店は閉鎖され、燃料会館として利用されました。
地下室を除いて全焼しましたが、形状は残ったそうです。 -
いよいよ原爆ドームが見えてきました。
背後に見えるビルが、戦後の歩みを象徴しているような気がしました。
今では想像できない惨状がここにあったのかと思うと、何だか切なくなります。 -
こちらは「広島県産業奨励館」と呼ばれていた当時の姿。
-
「平和の鐘」です。
国境の無い世界地図が描かれています。
世界はひとつ。 -
相生橋です。
T字型の橋で、原爆投下の目標地点となりました。
形状が目につきやすい相生橋を目視確認し、原爆を投下したそうです。
しかし300m離れた島病院上空で炸裂。
変形した当時の相生橋は、資料館に保存されていました。 -
広島が投下地になったのは、連合国軍の捕虜収容所が無かったからということ。
候補地として他に小倉・新潟・京都・長崎が挙がっていたのですが、8月2日に決定し、6日に実行されました。
側で見ると、瓦礫がそのまま残っていたり、老朽化から補強されている姿を見ることができました。
昭和40年頃には老朽化から取り壊そうという声も挙がっていたそうです。
惨劇を経験した方たちの中には、見たくないという感情もあったと思います。
しかし、このように残されているからこそ伝えられるメッセージは計り知れないと思うのです。 -
最後に「動員学徒慰霊塔」。
労働力不足から、昭和19年に国は学徒勤労令を発します。
中学生以上が対象となり、軍需工場などでの労働を課せられたのです。 -
この後、デパ地下で買い物してホテルに戻りました。
TVを見ながら美味しくご飯が食べられる。
今日は暑かったなぁ〜とお風呂で汗を流してリラックスできる。
戦争にまつわる歴史を再確認し、今の生活が本当にありがたいものなんだと感じました。
そして同じ過ちを繰り返してはいけません。
色んなことを考えさせられる初日となりました。
でも、広島にして良かったと思ったのでした。
☆2日目に続く☆
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