2008/05/11 - 2008/05/11
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みにくまさん
前日の土曜日には雨が降っていて観光できなかったのですが、日曜になり晴れたので、大阪城の見学に行きました。
先週は名古屋城を見に行ったので、日本三名城のうち2つを攻略しました。残るは熊本城ですね~、いつか行ってみたいです。
大阪城公園は、梅1250本、桜4500本が咲き乱れる花見の名所です。夜間はライトアップされ、黄金色に輝く天守閣が見られます。
以下は少し勉強した資料から
三名城(さんめいじょう)とは、江戸時代初期、城作りの名手と言われた加藤清正、藤堂高虎によって普請が行われた城のうちの、名古屋城、大坂城、熊本城の3城を指す呼び名。
両名が普請した城のうち、特に機能美にあふれた城を指している。最も優れた城は江戸城とも言われているが、江戸城を別格扱いとし、それに次ぐ三つの城を挙げている。
近年、姫路城をこの中に入れようと言う向きもあるが、姫路城は池田輝政の手によるので、本来の三名城の意味からはそれる。
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大阪城公園案内図
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売店
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大手門と千貫櫓
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橋の上から千貫櫓を
大阪城の大手口を守る重要な隅櫓の一つで、元和6年(1620年)に創建されたもので、昭和36年(1961年)の解体修理の際、土台の木材から「元和六年九月十三日御柱立つ」の墨書が見つかり、この建物の棟上げ式の日がはっきりした。
現存の城内古建築物の中で乾櫓とともに最も古いものである。
名称の由来については織田信長軍の石山本願寺攻めの時、一つの隅櫓からの横矢に悩まされ、あの櫓さえ落とせるなら銭千貫文与えても惜しくはないと話し合ったというエピソードが伝えられている。 -
西外堀
みにくま「うむ、いい眺めだ。」 -
大手門に向かう橋の上から
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南外堀
とても綺麗な堀だと思うのですが。 -
南外堀
この光景を見ているだけで癒されるのは私だけでしょうか。 -
大手門
大手門(おおてもん)とは、日本の城郭における内部二の丸または、三の丸などの曲輪へ通じる虎口に設けられた門。正門にあたる。(ウィキペディアより) -
大手門
日曜日の昼間としてはかなり人が少ない方だと思われます。 -
多聞櫓
このあたりに巨石があったはずなのですが、写真を撮り忘れたようです(T_T)/~~~ -
大手門枡形の巨石
大手門枡形は、大阪城の正門の防御施設として、特に立派な石垣で築かれている。大手門正面の見付石は、表面積およそ29畳敷(48m2)、推定重要108tもあり城内第4位の巨石である。これは、豊臣時代のものではなく、徳川時代の大阪城再建のとくに、瀬戸内海の島々から運ばれてきたものである。担当大名は、最初は熊本藩主加藤忠広でのちに久留米藩主有馬豊氏が築き直した。 -
多聞櫓
多聞櫓は長屋形式の建物で、石垣の上に城郭の主要な建物を防備する形で建てられていました。
その名前の由来は、戦国時代の武将松永久秀が大和国(奈良県)佐保山に築いた多聞城の形式からといわれています -
門の内部
この中も凄かったです。
扉は重厚でガッチリしたもので、柱も大きくて太い物でした。
この扉、夜間は締め切るのでしょうか。。 -
西の丸庭園入り口
ここは後ほど観光しました。
西の丸庭園旅行記は↓
http://4travel.jp/traveler/minikuma/album/10241763/ -
空
余り意味も無く撮影。
晴れ時々曇りです(^_^;) -
空堀
本丸の周りの堀です。
このあたりは水の無い空堀ですが、方向によっては水があります。 -
空堀
桜門周辺の内堀は水が入っていないんですね〜 -
空堀
このあたりのシルエットもとても美しいと思います。 -
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公園内を走っている電車
園内の決められたコースを巡回しているようです。 -
桜門
豊臣時代にも本丸の正門は桜門と呼ばれていた。桜の馬場という地名も知られている。
おそらく、この付近に桜の並木があったと思われる。
桜門は、徳川時代の本丸再築の寛永3年(1626年)に築かれたが、明治維新の城中大火(1868年)で焼失した。現在のものはその後明治20年(1887年)に再築されたものである。
なお、門の両側の塀は明治維新のとき焼失したままになっていたものを、昭和44年(1969年)の桜門修理の際、復元されたものである。 -
空堀
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桜門枡形の巨石(蛸石)
本丸の正門を守る重要な枡形で、特に立派な巨石が用いられている。桜門枡形にも大手口と同様、多門櫓があったが、明治元年(1868年)の城中大火の際に焼失してしまった。この枡形の築造は寛永元年(1624年)岡山藩主池田忠雄(姫路の池田輝政の三男)が担当したもので、備前(岡山県)産の良質花崗岩が用いられている。正面の石は蛸石とよばれる城内第一の巨石で、およそ36畳敷(60m2)推定質量130tもある。 -
旧大阪市立博物館
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本丸から天守閣を
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天守閣
この中にみにくま君がいるのが分かりますか(・・? -
天守閣
近くなってきました。 -
この木何の木?
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イチョウでした。
樹齢200年!!!!
これは、凄いんですか? -
天守閣
手前には大きな石がありますね。 -
天守閣
むむ、手前に人だかりがありますね〜。
近づいてみると・・・ -
大道芸人のお兄さんでした
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丁度演技が始まるところでした。
丸い筒を2つ横に並べその上に板を、その上にバケツを、さらに板を敷きました。
この上に立つそうです、右にいる女性は見物客の中から選ばれたアシスタントです。 -
乗りました!
釜・火の付いたバトン・短剣を投げています。
ちなみに、この日は風が強かったので、いつもより難易度が高かったのではないかと心配してみてましたw -
短剣をりんごに変えました。
このりんごをどうするかと思ったら・・・ -
回しながら、早業で食べてました!(^^)!
見物客も30−40人くらいいたでしょうか。 -
残念石
切り出したはいいが、結局使われることがなかったことから、残念石と呼ばれているそうです。 -
天守閣に登る手前
チケット売り場を通ってすぐです。
入場料600円です。 -
天守閣前階段
人が少ないです。花見の時期だととても込みそうですね〜。 -
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金明水井戸屋形
重要文化財です。
深さが33Mもあり、覗いても真っ暗で何も見えませんでした・・。
井戸は1624年に掘られ、屋形は1626年に作られたものだそうです。 -
天守閣を見上げる
なかなか迫力があります! -
天守閣入り口
天守閣に登って見学をしてきます。
その前に号砲の写真を〜 -
号砲
この大砲は、全長348cm、砲口の内径20cm、外径40cm先込め式の旧式砲で、材質は青銅の一種と見られる。
1863年、幕府の命令により、美作津山藩(岡山県津山市)の鋳工・百済清次郎らが製造し、大坂天保山砲台の備砲として据え付けられ、明治維新後、大坂城内に移されたものと伝える。
明治3年(1870年)から時刻を知らせる号砲として用いられ、はじめは、日に3度、明治7年からは正午のみ空砲が大阪市内にとどろきわたり、「お城のドン」、「お午のドン」の名で、市民に親しまれた。
案内の看板より
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