平戸・生月島旅行記(ブログ) 一覧に戻る
歴史探訪でいつも面白いと思うのは日本と外国の接触です。<br />島国の日本は通常は外の世界と隔離されている。<br />だから時々ビックリ仰天する。そんな例は<br />?弥生時代の大陸からの移民とか、<br />?戦国時代末期の南蛮船到来とか<br />?江戸末期のペリー到来とか明治初期の御雇い外国人とか<br />?敗戦後のマッカーサー上陸とか<br />が顕著だと思います。<br /><br />日本側だけでなく相手側も興味津々に反応している。<br />現代では海外からの情報にはそれほど驚かなくなりましたが、<br />それは即ち日本の驚きの歴史が終焉したんだろうと思います。<br />再び鎖国することは出来ないでしょうし。<br /><br /><br />今回平戸を訪ねました。<br />西洋との接触と言う面では長崎が圧倒的に有名ですが、<br />その前に平戸時代がありました。<br /><br />つまりこんなお話です。<br />1543年にポルトガル船、種子島に漂着し西洋人が初めて日本に現れました。<br />そして交易が始まったのですが、中心は平戸でした。<br />1550年 ポルトガル船、平戸で交易開始<br />1561年 ポルトガルは平戸撤退し横瀬等へ、その後長崎(1579年)<br />1609年 オランダが平戸で交易を開始(ポルトガル人は日本より追放)<br />1641年 オランダ交易は長崎出島に移動<br />即ち、平戸にはそのころ商館、倉庫が立ち並ぶ貿易町でした。<br /><br />ポルトガル時代は11年、オランダ時代は32年ありました。<br /><br />行ってみて分かりましたが平戸って辺鄙なところにあります。<br />長崎からローカル線で3時間、福岡から4時間くらい移動に時間がかかります。<br />そして平戸は島です。<br />現代では九州本土からの橋(平戸大橋)が架かっていますが、約30年前までは渡し舟の世界でした。<br /><br />何故そんな辺鄙なところが貿易の中心地だったか。<br />それは海流、季節風、海路に答えがあるそうです。<br />昔から中国との交流に便利な場所で、遣唐使も行き帰り立ち寄る港だった。<br /><br />ポルトガル人も中国人の先導があって来航できたそうです。<br />そんな伝統があるから領主の松浦氏は昔から交易の専門家。<br />海賊経験も長く国際派だったからポルトガル人もオランダ人も受け入れ易かったとの話でした。<br />むしろ進んで招聘した。<br /><br /><br />平戸を訪問してなんとなく物足りないのはそんな交易の歴史を抱えている町なのにその時代の遺跡は皆無に近いのです。<br /><br />残っているのはオランダ時代のオランダ塀とオランダ井戸くらい。<br />商館、倉庫等の大建造物はすべて鎖国令で破壊。<br />多く居た混血児たちも鎖国令で海外追放されました。<br /><br />キリシタン禁止政策化、疑いの掛かり得る西洋文物は意識して破壊されたとのことでした。<br /><br />写真はオランダ塀。30mほどしかありません。でも日本的ではないことは一目で分かりますね。<br />欧州中世風な雰囲気。<br /><br />港を見下ろそうと思って小高い山に登ってみました。<br />その山の頂上付近は墓地になっており、真新しい御影石のお墓が沢山並んでいました。<br /><br />よく見ると殆ど全部十字架が着いてついているんです。<br />即ち、みなさんクリスチャン。<br /><br />ポルトガル人が持ってきたキリスト教が現代の平戸に残っている最大のお土産なんですね。<br /><br />日本におけるカトリック信者は人口の0.5%程度だそうですが、平戸では15%位いらっしゃるらしい。<br /><br /><br />平戸沖オランダ船の蜃気楼 三郎<br /><br /><br />と山上で感慨に耽っていたら、女房があんたいつまでぐずぐずしてるのよって水をかけてきました。<br />バスに乗り遅れるって言うんです。女房はギリギリが大嫌い。ここで喧嘩でした。

400年残った遺産は

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2008/04/27 - 2008/04/29

170位(同エリア344件中)

3

1

木場三郎

木場三郎さん

歴史探訪でいつも面白いと思うのは日本と外国の接触です。
島国の日本は通常は外の世界と隔離されている。
だから時々ビックリ仰天する。そんな例は
?弥生時代の大陸からの移民とか、
?戦国時代末期の南蛮船到来とか
?江戸末期のペリー到来とか明治初期の御雇い外国人とか
?敗戦後のマッカーサー上陸とか
が顕著だと思います。

日本側だけでなく相手側も興味津々に反応している。
現代では海外からの情報にはそれほど驚かなくなりましたが、
それは即ち日本の驚きの歴史が終焉したんだろうと思います。
再び鎖国することは出来ないでしょうし。


今回平戸を訪ねました。
西洋との接触と言う面では長崎が圧倒的に有名ですが、
その前に平戸時代がありました。

つまりこんなお話です。
1543年にポルトガル船、種子島に漂着し西洋人が初めて日本に現れました。
そして交易が始まったのですが、中心は平戸でした。
1550年 ポルトガル船、平戸で交易開始
1561年 ポルトガルは平戸撤退し横瀬等へ、その後長崎(1579年)
1609年 オランダが平戸で交易を開始(ポルトガル人は日本より追放)
1641年 オランダ交易は長崎出島に移動
即ち、平戸にはそのころ商館、倉庫が立ち並ぶ貿易町でした。

ポルトガル時代は11年、オランダ時代は32年ありました。

行ってみて分かりましたが平戸って辺鄙なところにあります。
長崎からローカル線で3時間、福岡から4時間くらい移動に時間がかかります。
そして平戸は島です。
現代では九州本土からの橋(平戸大橋)が架かっていますが、約30年前までは渡し舟の世界でした。

何故そんな辺鄙なところが貿易の中心地だったか。
それは海流、季節風、海路に答えがあるそうです。
昔から中国との交流に便利な場所で、遣唐使も行き帰り立ち寄る港だった。

ポルトガル人も中国人の先導があって来航できたそうです。
そんな伝統があるから領主の松浦氏は昔から交易の専門家。
海賊経験も長く国際派だったからポルトガル人もオランダ人も受け入れ易かったとの話でした。
むしろ進んで招聘した。


平戸を訪問してなんとなく物足りないのはそんな交易の歴史を抱えている町なのにその時代の遺跡は皆無に近いのです。

残っているのはオランダ時代のオランダ塀とオランダ井戸くらい。
商館、倉庫等の大建造物はすべて鎖国令で破壊。
多く居た混血児たちも鎖国令で海外追放されました。

キリシタン禁止政策化、疑いの掛かり得る西洋文物は意識して破壊されたとのことでした。

写真はオランダ塀。30mほどしかありません。でも日本的ではないことは一目で分かりますね。
欧州中世風な雰囲気。

港を見下ろそうと思って小高い山に登ってみました。
その山の頂上付近は墓地になっており、真新しい御影石のお墓が沢山並んでいました。

よく見ると殆ど全部十字架が着いてついているんです。
即ち、みなさんクリスチャン。

ポルトガル人が持ってきたキリスト教が現代の平戸に残っている最大のお土産なんですね。

日本におけるカトリック信者は人口の0.5%程度だそうですが、平戸では15%位いらっしゃるらしい。


平戸沖オランダ船の蜃気楼 三郎


と山上で感慨に耽っていたら、女房があんたいつまでぐずぐずしてるのよって水をかけてきました。
バスに乗り遅れるって言うんです。女房はギリギリが大嫌い。ここで喧嘩でした。

同行者
カップル・夫婦
交通手段
JALグループ

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  • 写真は平戸市街から見た平戸城です。<br />平戸城は平戸市街から見ると港を隔てた対岸にあります。<br />手前の建物は平戸市の文化会館だそうです。<br /><br />この建物は大問題ですね。<br />司馬遼太郎が街道をゆく「肥前の諸街道」のなかでこんなことを書いています。<br /><br />「景観の中の城として日本で最も美しいのは平戸城と思うがその城の下に醜怪なコンクリートの建造物が<br />あって信じがたいほどののさばりかたでのさばっている。県が建てた会館という」<br /><br />おっしゃるとおりですね。<br /><br />民間が私権を主張して建てた建物ではなく市が建てたことに驚きます。<br /><br />平戸は毎年観光客が減って困っていると聞きました。<br />当然です。<br /><br />景勝地にこんな市民会館を建てて重要な観光資源をぶち壊した。ほんとうに馬鹿ですね。<br /><br /><br />この平戸の例とは別に開発についてこんなことを思います。<br /><br />幕末から明治の初めに、初めて日本を知った西洋人の人々の日記類が沢山ありますが、<br />皆さん、一様に日本の風景の美しさを賛美しています。<br /><br />田園風景とか町並みの美しさとか。<br />しかし、開国以後、戦後の高度成長を経て現代ではわが国のそんな誇るべき風景はすべてと言って良いほど破壊された。<br /><br />土地を増やすために埋め立てやすい地域はすべて景観無視で埋め立てられた。<br /><br />安全の為に海岸線、河川の両岸はすべてコンクリートで護岸された。<br />美しい海岸線、堤防の無い麗らかな川は消え去った。<br /><br /><br />100年に一度の津波に備えて海岸線をコンクリートで護岸し、景観を台無しにする。<br />この場合は大変難しい問題があますね。だって安全か景観かの選択ですから。<br /><br /><br />安全優先は仕方ないんでしょうね。<br />私もその立場にいれば安全を優先するほうに一票を投じるでしょうね。<br /><br />でも例えば百年に一回程度の津波なら景観を優先する結論があっても良いと思います。<br /><br />安全性というと全ての議論に勝ってしまう風潮に疑問を呈したい。<br /><br /><br />いつも旅行すると景勝の地の乱開発にいらいらすることが多いです。<br /><br />でも最近はこんな風に思っています。<br />仕方が無い。もう過去の日本の自然を懐かしがるのはやめましょう。<br />現段階までの開発を踏まえた上で今後の新しい景観美を考えましょう。

    写真は平戸市街から見た平戸城です。
    平戸城は平戸市街から見ると港を隔てた対岸にあります。
    手前の建物は平戸市の文化会館だそうです。

    この建物は大問題ですね。
    司馬遼太郎が街道をゆく「肥前の諸街道」のなかでこんなことを書いています。

    「景観の中の城として日本で最も美しいのは平戸城と思うがその城の下に醜怪なコンクリートの建造物が
    あって信じがたいほどののさばりかたでのさばっている。県が建てた会館という」

    おっしゃるとおりですね。

    民間が私権を主張して建てた建物ではなく市が建てたことに驚きます。

    平戸は毎年観光客が減って困っていると聞きました。
    当然です。

    景勝地にこんな市民会館を建てて重要な観光資源をぶち壊した。ほんとうに馬鹿ですね。


    この平戸の例とは別に開発についてこんなことを思います。

    幕末から明治の初めに、初めて日本を知った西洋人の人々の日記類が沢山ありますが、
    皆さん、一様に日本の風景の美しさを賛美しています。

    田園風景とか町並みの美しさとか。
    しかし、開国以後、戦後の高度成長を経て現代ではわが国のそんな誇るべき風景はすべてと言って良いほど破壊された。

    土地を増やすために埋め立てやすい地域はすべて景観無視で埋め立てられた。

    安全の為に海岸線、河川の両岸はすべてコンクリートで護岸された。
    美しい海岸線、堤防の無い麗らかな川は消え去った。


    100年に一度の津波に備えて海岸線をコンクリートで護岸し、景観を台無しにする。
    この場合は大変難しい問題があますね。だって安全か景観かの選択ですから。


    安全優先は仕方ないんでしょうね。
    私もその立場にいれば安全を優先するほうに一票を投じるでしょうね。

    でも例えば百年に一回程度の津波なら景観を優先する結論があっても良いと思います。

    安全性というと全ての議論に勝ってしまう風潮に疑問を呈したい。


    いつも旅行すると景勝の地の乱開発にいらいらすることが多いです。

    でも最近はこんな風に思っています。
    仕方が無い。もう過去の日本の自然を懐かしがるのはやめましょう。
    現段階までの開発を踏まえた上で今後の新しい景観美を考えましょう。

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この旅行記へのコメント (3)

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  • 一歩人さん 2009/01/21 10:17:07
    一枚の不思議な旅行
    木場三郎さんへ
    初めまして。
    平戸の風景と思いきや
    歴史がつづられておりました。
    江戸東京が大好きな一歩人です。
    ありがとうございました。
    失礼しま〜す。

    一歩人

    一歩人さん からの返信 2009/01/21 10:20:49
    RE: 一枚の不思議な旅行
    > 木場三郎さんへ
    > 初めまして。
    > 平戸の風景と思いきや
    > 歴史がつづられておりました。
    > 江戸東京が大好きな一歩人です。
    > ありがとうございました。
    > 失礼しま〜す。

    旅行記をいくつか拝見。
    もしかして、絵が主役ということなのでしょうか。
    自問自答して気がつく私でした。
    素敵な絵をありがとうございました。
    失礼しま〜す。

    木場三郎

    木場三郎さん からの返信 2009/01/27 06:04:53
    RE: RE: 一枚の不思議な旅行
    > > 木場三郎さんへ
    > > 初めまして。
    > > 平戸の風景と思いきや
    > > 歴史がつづられておりました。
    > > 江戸東京が大好きな一歩人です。
    > > ありがとうございました。
    > > 失礼しま〜す。
    >
    > 旅行記をいくつか拝見。
    > もしかして、絵が主役ということなのでしょうか。
    > 自問自答して気がつく私でした。
    > 素敵な絵をありがとうございました。
    > 失礼しま〜す。

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