2008/05/11 - 2008/05/11
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irisoさん
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◆まずは一言◆
街を歩くと新緑の匂いがツンとくる季節になると、私はある作家のことを思い出します。太宰治。青森県は金木町出身で津軽屈指の大地主の子息として生まれました。
太宰治は昭和14年から東京都三鷹市に住み始めました。近くに井の頭公園があり、よく万助橋を渡り通ったものでした。また太宰は玉川上水の流れも気に入っていたらしいです。それから三鷹陸橋からの眺めも・・・
昭和23年6月13日の深夜、大宰と山崎富栄は互いの体を紐で結んで抱き合い、玉川上水に入水自殺をしました。遺体は19日の早朝、玉川上水を下流(吉祥寺方面)へ下った新橋辺りで、近くにある明星学園の若い教師が2人の遺体を発見しました。太宰の遺体は棺に移され運ばれたそうですが、富栄の遺体は少し離れた道端に昼過ぎまでおかれていたそうです。その後、富栄の父・晴弘が1人で、変わり果てた娘の遺体に出会ったといわれています。
◆表紙の写真◆
むらさき橋~三鷹駅の中間地点・玉川上水の太宰の入水地点に置かれたモニュメント
以下もしよかったら、参考にして下さい。
◆太宰治について◆
明治42年~昭和23(1909~1948)小説家。青森県金木生まれ。東大仏文科中退。津軽屈指の大地主の子息として生まれる。青森中学校、弘前高等学校を経て、東大仏文科に進む。昭和7年、左翼運動より身を引き文学に打ち込む。昭和8年、「思ひ出」、昭和9年「葉」、昭和10年、「逆行」「道化の華」など発表。第一回芥川賞次席。この頃より次第に麻薬中毒がひどくなり、11年秋、入院。退院後、「HUMAN LOST」、「二十世紀旗手」を発表。昭和8年~12年までは、前期と言い、オーソドックスな作品を書く一方、ダンディズムを基に難解で斬新な作品を作った。その奇行と難解さが多くの誤解を生み、妻、友人、先輩の信頼を失い、(裏切られ)暫く筆を折り、沈黙の時期を過ごす。
昭和13年より、作風を変え、易しく明るい作品が多くなる。14年には、石原美知子と再婚。妻の実家のある甲府に一年弱住んだ後、昭和14年秋、三鷹下連雀の貸家に引っ越す。安定した生活をバックに「走れメロス」「富嶽百景」、「津軽」、「お伽草紙」などの力作を次々と世に出す。
昭和20年7月、甲府に疎開。さらに津軽の金木の生家に疎開。終戦を迎える。戦後は、旺盛な創作欲を見せ、「パンドラの匣」で明るい希望を語り始めたが、次第に戦後文化人達の便乗主義に失望し、「春の枯葉」「冬の花火」「十五年間」「苦悩の年間」などで批判精神を強める。21年11月、三鷹の家に戻り、活動を開始。「ヴィヨンの妻」「斜陽」とデカダンスな反俗、逆説の姿勢を示し文壇の寵児になったが、心身ともに疲労し、23年6月13日深更、山崎富栄とともに玉川上水に入水してはてた。墓は三鷹禅林寺の森鴎外の墓の斜め前にある。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
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三鷹橋から見る三鷹駅です。三鷹駅の下を潜って玉川上水が流れています。太宰のゆかりのある玉川上水はここから下流にあります。
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三鷹駅前郵便局。ここに太宰もよく来ていたという。
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この画像は三鷹駅前のCORALです。当時ここに山崎富栄が働いていた塚本美容院がありました。終戦後、山崎富栄は疎開先から戻ってきて、昭和22年3月三鷹駅前の屋台で太宰と知り合い、親しくなったそうです。ちなみに富栄の父・山崎晴弘は日本最初の美容学校「東京婦人美髪美容学校」(お茶の水美容学校)の設立者でした。富栄はその次女です。
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旧野川宅跡(現在は永塚葬儀社)。当時、山崎富栄はここの二階を間借りして住んでました。大宰は「千草」で飲むとそのまま富栄の部屋へ泊まるようになっりました。「人間失格」、「グッドバイ」(未完成)を仕上げたのもこの部屋ででした。これは現在の永塚葬儀社ですが、当時は木造二階建てでした。ちょうど二階の窓のところあたりに、山崎富栄の住まいがあったわけですねぇ。あぁなんと悲しい・・・
平成11年まで当時の建物は残されていたが老朽化のため取り壊されたそうです。 -
永塚葬儀社の前の前に「千草跡」の碑があったことを後に知りました。ショック・・・
ここから元町通りを左に少し歩くとすぐに玉川上水にでます。そこはまだ三鷹駅の目の前なので、武蔵野の町の風がふいていました。 -
そこから数百メートル下流(井の頭公園方面)に行くと太宰の入水場所がありますが、道行く人は家族連れや犬の散歩の人は、太宰にゆかりのある場所ということを知ってか知らずか、ささっと通り抜けていました。
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このすぐ先が太宰の入水場所です。
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入水地点近くの太宰治プレートです。
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玉川上水で寛ぐ太宰の写真と『乞食学生』が書かれています。
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平成9年6月入水した玉川上水沿いに金木町産の玉鹿石の モニュメントができました。
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何故モニュメントだけなのか?それは、金木町にいる家族が反対したからです。愛人と心中した場所に記念碑なんて考えられませんよね?!
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という訳で、モニュメントを違った角度から。
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太宰治は山崎富栄と心中しました。これが入水地点の玉川上水です。太宰はこの玉川上水が好きで川の流れを散歩がてらよく見に来ていたそうです。当時は水かさも多く「人食い川」とも呼ばれていました。現在では水も減り、穏やかな小川ですが・・・
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今度は太宰の生家を訪れてみましょう。むらさき橋通りを進んでいくと
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コンビニがあります。そこを左にはいると
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みたか・井心亭の看板が見えてきます。
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ここを右折すると
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平和通りになり、閑静な住宅街になります。そして3〜4分歩くと
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井心亭が現れます。全く人はいませんでした。静かな環境で私の一眼レフの音がうるさく聞こえました。しかし記録に残さないと・・・パシャ←うるさい!
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みたか井心亭の由来が書かれていました。
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井心亭の入り口付近に太宰のゆかりのある百日紅(さるすべり)のことが書いてありました。
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太宰はこの百日紅を見て生活をしていたのですねぇ。この世の中に太宰が直接見て触れたものが2つあります。一つは百日紅、もう一つは三鷹陸橋。
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「太宰が愛したさるすべり」の記が、井心亭の百日紅の側に掛かっていました。
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井心亭の反対側に旧太宰邸があったそうです。この映像で小道の左側の二軒目が太宰宅があった場所らしいです。(現在は民家)
昭和14年から亡くなる昭和23年まで妻の美知子と3人の子供と住んだ借家でした。6畳、4畳半、3 畳に縁側、台所という間取りと言われ、借家の並ぶうちでも最南西で畑に面していた家のため、西陽が射してなかなか住み心地がよかったと何か書物に書いてあったのを思い出しました。 -
三鷹駅から下りへ行く線路沿いに電車庫通りがあります。
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昭和4年、三鷹電車庫開設にともなって造られた電車庫の引込線と中央線線路をまたぐ全長90mの鉄骨の橋です。太宰は玉川上水の流れをみることと、この陸橋からの景色を好んで見ていたそうです。
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この三鷹陸橋の上で、黒マント姿の太宰の写真はあまりにも有名です。私はこの陸橋の上で空想にふけってしまった。20分くらいここでじっとしていました。
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と、その時、中央線の特別快速が轟音と共に通過していきました。
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私も高校時代はこの陸橋の下を中央線で国分寺から吉祥寺まで3年間通ったものでした。陸橋はいつも見守っていてくれたんだなぁ。
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反対側の階段はこんな感じ。
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この旅行記へのコメント (4)
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- SUR SHANGHAIさん 2008/05/27 08:15:27
- 太宰治
- …の故郷の金木に、GWの一時帰国の際にチラリと行ってきました。
斜陽館ばかりじゃなく、町自体ももう少し歩ければよかったなあ…。
道筋の茫漠とした田舎の風景が侘しさを誘う津軽半島。その中で太宰は育ったのかと思うと不思議な気持ちになりました。
その後の行く末をirisoさんの旅行記で拝見できて、これまた不思議な気持ちです。
- irisoさん からの返信 2008/05/28 16:47:50
- RE: 太宰治
- こんにちは、書き込みありがとうございます。
私も津軽〜金木町に今から10年ほど前に訪問しましたが、
その際は斜陽館は、まだ旅館として運営されていた頃でした。
もちろん私はそこに泊まり、一晩太宰がこの家で生活をしていたのだなぁ
としみじみ感じることができました。
背景を知ってから本を読み直すと、また味わい深く読むことができますね。
私のお気に入りは、斜陽、富国百景、人間失格などです。
iriso
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- ishicameraさん 2008/05/17 23:37:46
- 太宰と三鷹下連雀
- そうか、太宰は三鷹下連雀に暮らしていたのですね。
学生時代よく読んだのですが、同じ多摩地区に住んでいるのに、すっかり忘れていました。
玉川上水は訪ねてみたのですが、この旅行記のようにゆかりの地はまだめぐっていません。
休日にのんびり訪ねてみるのもいいですねぇ。
ちょっと学生時代に戻った気分になりました。
- irisoさん からの返信 2008/05/18 22:43:56
- RE: 太宰と三鷹下連雀
- カキコありがとうございます。ishicameraさん。
> 学生時代よく読んだのですが、同じ多摩地区に住んでいるのに、すっかり忘れていました。
私も大学の頃太宰の本を好んで読みました。特に富岳百景と斜陽と人間失格が好きでした。
> 玉川上水は訪ねてみたのですが、この旅行記のようにゆかりの地はまだめぐっていません。
ゆかりの地はとっても地味で見逃してしまいそうなくらいのものですので、メモや資料を片手にでないとわかりずらいですよぉ〜
> 休日にのんびり訪ねてみるのもいいですねぇ。
三鷹の中央通りには昔ながらの商店街があり、歩いているだけでも楽しめました。
iriso
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