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水前寺成趣園の裏に夏目漱石内坪井旧居とジェーンズ邸(熊本洋学校教師館)があります。市の努力で保存状態も良いのですが、ここまで足をのばす人は少ないようで、わびしいおもいがしました。建物自体もすこし規模・豪華さに欠けるようにおもいます。

漱石旧居とジェーンズ邸はさびしかった

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2008/04/11 - 2008/04/11

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水前寺成趣園の裏に夏目漱石内坪井旧居とジェーンズ邸(熊本洋学校教師館)があります。市の努力で保存状態も良いのですが、ここまで足をのばす人は少ないようで、わびしいおもいがしました。建物自体もすこし規模・豪華さに欠けるようにおもいます。

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  • 漱石旧居は水前寺公園のすぐ裏にあります。

    漱石旧居は水前寺公園のすぐ裏にあります。

  • 玄関。

    玄関。

  • 漱石は熊本の第五高等学校の英語教師として赴任してきました。

    漱石は熊本の第五高等学校の英語教師として赴任してきました。

  • 熊本で、漱石は6回引越したそうです。

    熊本で、漱石は6回引越したそうです。

  • 内坪井旧居は、漱石が5番目に住んだ家です。

    内坪井旧居は、漱石が5番目に住んだ家です。

  • この家で結婚し、長女をもうけました。

    この家で結婚し、長女をもうけました。

  • どこにでもありそうな日本家屋ですね。問題は、現代の日本では、どこにでもある、どころか、どこにでもなくなった、ということでしょう。

    どこにでもありそうな日本家屋ですね。問題は、現代の日本では、どこにでもある、どころか、どこにでもなくなった、ということでしょう。

  • 洋学校教師館は漱石旧居の隣にあります。どちらか(両方?)移転してきたのでしょう。

    洋学校教師館は漱石旧居の隣にあります。どちらか(両方?)移転してきたのでしょう。

    熊本洋学校教師館 (ジェーンズ邸 日赤記念館) 名所・史跡

  • 明治4年、熊本城の古城に開設。アメリカ人教師ジェーンズが居住。コロニア風、木造二階建て。。。

    明治4年、熊本城の古城に開設。アメリカ人教師ジェーンズが居住。コロニア風、木造二階建て。。。

  • シンガポール風?アメリカ南部にもありそうな形式。正式にはコロニア風というそうです。

    シンガポール風?アメリカ南部にもありそうな形式。正式にはコロニア風というそうです。

  • この葡萄の図柄が特徴とか。

    この葡萄の図柄が特徴とか。

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この旅行記へのコメント (4)

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  • ウインライさん 2010/08/10 16:31:58
    貴重な画像有難う御座いました。
    水前寺成趣園近くの漱石旧居は、明治30年9月11日から明治31年3月下旬まで半年程暮らした飽託郡大江村401の家と思われます。全体像のわかる画像はなかなか見当たらず、大変参考になりました。

    大江村401の家は、漱石夫妻にとって3番目の家でした。明治30年6月29日、漱石の父、小兵衛直克が亡くなり、夫婦で夏期休業を利用して熊本から上京し、虎ノ門の貴族院書記官長官舎に落ち着きました。しかし、気付かぬまま妊娠していた鏡子が長旅で流産し、そのまま、鎌倉材木座大木伯の別荘で保養することになりました。

    新学期を迎えるため、9月7日、漱石は保養中の鏡子を東京に残して、単身、新橋停車場を立ち、10日熊本に戻り、11日、漢詩人落合東郭の留守宅になっていた大江村401の家に転住しました。このとき、書生先を探していた俣野義郎(吾輩は猫である、の多々良三平のモデル)が夏目宅の初めての書生として離れに寄寓しました。

    10月25日には、落合東郭母堂と元田永孚子息夫妻に伴われて、鏡子夫人も熊本に戻りました。「漱石の思い出」によると「私が東京からこの新居に帰って参りますと、いままでいなかった書生さんが一人おります。これが「我輩は猫である」中の愛嬌者多々良三平だと噂されている俣野義郎さんです。」と記録されています。「来てみますとここはたいそう景色のいいところで、家の前は一面に畑、その先が見渡す限り桑畑が続いて、森の都と言われる熊本郊外の秋の景色はまた格別でした。そのかわり冬になるとずいぶんと寒く、みたこともないような大きな氷柱が、水車のあたりにのべったらに下がっておりました。」「漱石の思い出」 神社の境内のように簡素で、すがすがしさの漂う元田男爵家の邸内の一隅、大きな梧桐の下に、平屋造りの閑静な大江村の家はありました。鏡子夫人も「ここは大いに気に入って長くいたかった」(松岡譲:漱石先生 岩波書店 昭和9年)ようです。

    漱石は、前年の合羽町の家での正月の騒動に懲りて、明治30年の暮れから明治31年1月4日まで、山川信次郎と小天温泉へ出かけました(草枕の旅)。同じく前年の北九州への旅で衛生的とは言えない風呂場などに懲りていた鏡子夫人は同行せず、俣野義郎らと歌留多などして過ごしました。1月7日、旧友、狩野亮吉が教頭として来熊しました。狩野は大江村401の家に誘われていましたが、結局、後に漱石五番目の旧居となる内坪井町78番地へ落ち着きました。1月には、俣野の紹介で、同じく五高三年生、土屋忠治が夏目家の書生として加わりました。

    しかし、明治31年3月下旬、落合東郭が急に帰熊することになり、漱石一家は大江村401からの退去を余儀なくされ、4月から井川淵7番地で暮らします。

    この大江村401の家のあった土地(現・熊本市新屋敷1丁目16番地)は昭和27年に熊本中央病院が購入しました。その後、病院の増築のため、大江村401の家は水前寺公園の隣の動物園跡地に移転移築されて今日に至ります。

    nomonomo

    nomonomoさん からの返信 2010/08/10 22:21:11
    RE: 貴重な画像有難う御座いました。
    ウインライさま、

    詳細なご説明ありがとうございます。
    漱石は「引越し魔」と言われていたそうですね。
    現在、熊本市内に2軒、旧居跡があり、わたしも、どっちがどっちかわからなくなっていました。

    また、宜しく願います。
  • 義臣さん 2008/04/17 16:47:46
    洋学校
    nomonomoさんも此方へ行かれたのですね。
    私もここを目指して正月に行って来ました。
    館長さんの丁寧な説明でいい勉強になりましたが、
    時間切れで水前寺公園は行く事は出来ませんでした。
     でも 此方を見たので納得です。
                   義臣

    nomonomo

    nomonomoさん からの返信 2008/04/17 21:42:44
    RE: 洋学校
    義臣さま、

    義臣さまの洋学校の旅行記は、実は、今日発見して読ませていただきました。新島襄ほかの有名人が関係していたようで、当方の不勉強を恥じる次第です。

    今後ともよろしくお願いします。

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