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美しき町並みに出会う!中央ヨーロッパ14日間  <br /> ヨーロッパ  12泊 14日〜   <br />中央ヨーロッパの5カ国を巡る。 <br /><br />ベルリンからアウトバーンという高速道路を経由して南下し、東ドイツ第2の人口を誇る都市、ライプチヒにやってきました。ここはバッハが晩年の27年間を過ごしたところで、国際的な見本市が毎年開かれることでも有名です。ライプチヒはザクセン州において古くから交易で栄え、文化・芸術活動の中心となったエネルギー溢れる街。ゲーテが敬称して「小さなパリ」と呼んだ美しい街。若き日のゲーテが足繁く通い「ファウスト」にも登場する居酒屋「アウアーパッハスケラー」や、バッハが27年間合唱長として活躍したトーマス教会、オペラ座やゲヴァントハウスオーケストラ、800年以上もの歴史をもつ見本市でも知られています。1989年、ライプチヒで月曜デモが行われ、これがドイツ統一への、まさに第一歩となり、現在は東西ヨーロッパの架け橋という役割を担う重要な都市として注目されています。1409年創設のライプチヒ大学は、ハイデルベルグに次いでドイツで2番目に古く、歴史と伝統のある名門校です。卒業生には、ゲーテ、作曲家ロベルト・シューマン、リヒャルト・ワーグナーや哲学者レッシング、ニーチェ、博学者ライプニッツなどの著名人が名を連ね、森鴎外が通ったことでも知られています。旧東ドイツの古都・ライプチヒは、バッハが聖歌隊指揮者を務めたことのあるトーマス教会や、ゲーテの「ファウスト」に登場する居酒屋「アウアーバッハ・ケラー」、古くからの書籍見本市、コンサート・ホール「ゲヴァント・ハウス」などで知られる文化の都である。同市は、競争率250倍という激しい競争に勝ち抜いて、自動車メーカーの老舗BMW社の新工場を誘致することに成功した。 <br /><br />◆ドイツでは戦後ドイツを分断していたベルリンの壁やポツダム観光、旧ザクセン王国の首都ドレスデンの見所観光!さらにマイセン焼博物館も観光。 <br />◆サウンド・オブ・ミュージックの世界が広がる美しい湖水地方【ザルツカンマーグート観光】に観光。 <br />◆中世の雰囲気漂うドナウ河上流のドナウベント観光では「センテンドレ」へ。スロバキアの中世の香り漂う古都「ブラチスラバ」へ観光。 <br />◆ベルリン・ザルツブルク・ウイーン・ブダペストなど、それぞれ2連泊しての観光もお楽しむ。<br /><br />1.  関西空港発 ベルリン着 <br /> 関西空港発「アリタリア航空」にてミラノへ。乗り継ぎ、ベルリンへ。  <br /> ベルリンへ 夜/到着後、ホテルへ <br /><br />2.食事(朝:アメリカン) 【世界遺産ベルリン観光】(約4時間) <br />  ★戦後ドイツを分断していた ベルリンの壁、古代ギリシャ遺跡を再現した☆ペルガモン博物館、★ブランデンブルク門、 高さ114?の ベルガモン博物館。<br />  昼食 ソーセージ料理 レストランにて昼食後、<br />  ポツダムへ。 <br />  【ポツダム観光】(約2時間) <br />  (1945年にポツダム会談が行なわれた☆ツェツェリンホフ宮殿、★サンスーシー宮殿) <br />  【※注】ツェツェリンホフ宮殿が予約方の際にはサンスーシー宮殿またはサンスーシー新宮殿に入場観光。<br /> 再びベルリンへ。宿泊:(ベルリン泊)  <br /><br />3 食事(朝:アメリカン)  ベルリン発 バッハの故郷ライプチヒへ<br /> 途中 デッサウの世界遺産 バウハウスを見学<br /> ライプチヒ 12:00/レストランにて昼食。<br />  バッハゆかりの 聖トーマス教会 ファサード 大時計が美しい旧庁舎 観光後、ドレスデンへ。<br /> 17:00/ホテル着。♪夕食はビーフ料理。宿泊:(ドレスデン泊)  <br /><br />【警告】<br /> 油の高騰により燃油特別深運賃が高騰しているが、20008年7月から更に急高騰し、総旅費の半分以上になる場合が発生している。ゆえに当分海外良好は見送った方がよい。<br /><br />■ここに掲載の写真および記事の無断転載を禁じます。<br />copyright(C)2006 Taketori no Okina YK. All rights reserved.

中央ヨーロッパ14日間 ?ライプチヒ

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2008/04/01 - 2008/04/01

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koi

koiさん

美しき町並みに出会う!中央ヨーロッパ14日間
ヨーロッパ 12泊 14日〜
中央ヨーロッパの5カ国を巡る。

ベルリンからアウトバーンという高速道路を経由して南下し、東ドイツ第2の人口を誇る都市、ライプチヒにやってきました。ここはバッハが晩年の27年間を過ごしたところで、国際的な見本市が毎年開かれることでも有名です。ライプチヒはザクセン州において古くから交易で栄え、文化・芸術活動の中心となったエネルギー溢れる街。ゲーテが敬称して「小さなパリ」と呼んだ美しい街。若き日のゲーテが足繁く通い「ファウスト」にも登場する居酒屋「アウアーパッハスケラー」や、バッハが27年間合唱長として活躍したトーマス教会、オペラ座やゲヴァントハウスオーケストラ、800年以上もの歴史をもつ見本市でも知られています。1989年、ライプチヒで月曜デモが行われ、これがドイツ統一への、まさに第一歩となり、現在は東西ヨーロッパの架け橋という役割を担う重要な都市として注目されています。1409年創設のライプチヒ大学は、ハイデルベルグに次いでドイツで2番目に古く、歴史と伝統のある名門校です。卒業生には、ゲーテ、作曲家ロベルト・シューマン、リヒャルト・ワーグナーや哲学者レッシング、ニーチェ、博学者ライプニッツなどの著名人が名を連ね、森鴎外が通ったことでも知られています。旧東ドイツの古都・ライプチヒは、バッハが聖歌隊指揮者を務めたことのあるトーマス教会や、ゲーテの「ファウスト」に登場する居酒屋「アウアーバッハ・ケラー」、古くからの書籍見本市、コンサート・ホール「ゲヴァント・ハウス」などで知られる文化の都である。同市は、競争率250倍という激しい競争に勝ち抜いて、自動車メーカーの老舗BMW社の新工場を誘致することに成功した。

◆ドイツでは戦後ドイツを分断していたベルリンの壁やポツダム観光、旧ザクセン王国の首都ドレスデンの見所観光!さらにマイセン焼博物館も観光。
◆サウンド・オブ・ミュージックの世界が広がる美しい湖水地方【ザルツカンマーグート観光】に観光。
◆中世の雰囲気漂うドナウ河上流のドナウベント観光では「センテンドレ」へ。スロバキアの中世の香り漂う古都「ブラチスラバ」へ観光。
◆ベルリン・ザルツブルク・ウイーン・ブダペストなど、それぞれ2連泊しての観光もお楽しむ。

1. 関西空港発 ベルリン着
 関西空港発「アリタリア航空」にてミラノへ。乗り継ぎ、ベルリンへ。
 ベルリンへ 夜/到着後、ホテルへ

2.食事(朝:アメリカン) 【世界遺産ベルリン観光】(約4時間)
  ★戦後ドイツを分断していた ベルリンの壁、古代ギリシャ遺跡を再現した☆ペルガモン博物館、★ブランデンブルク門、 高さ114?の ベルガモン博物館。
  昼食 ソーセージ料理 レストランにて昼食後、
  ポツダムへ。
  【ポツダム観光】(約2時間)
  (1945年にポツダム会談が行なわれた☆ツェツェリンホフ宮殿、★サンスーシー宮殿)
  【※注】ツェツェリンホフ宮殿が予約方の際にはサンスーシー宮殿またはサンスーシー新宮殿に入場観光。
 再びベルリンへ。宿泊:(ベルリン泊)

3 食事(朝:アメリカン)  ベルリン発 バッハの故郷ライプチヒへ
 途中 デッサウの世界遺産 バウハウスを見学
 ライプチヒ 12:00/レストランにて昼食。
  バッハゆかりの 聖トーマス教会 ファサード 大時計が美しい旧庁舎 観光後、ドレスデンへ。
 17:00/ホテル着。♪夕食はビーフ料理。宿泊:(ドレスデン泊)

【警告】
 油の高騰により燃油特別深運賃が高騰しているが、20008年7月から更に急高騰し、総旅費の半分以上になる場合が発生している。ゆえに当分海外良好は見送った方がよい。

■ここに掲載の写真および記事の無断転載を禁じます。
copyright(C)2006 Taketori no Okina YK. All rights reserved.

  • アウトバーン<br /><br />ベルリンからアウトバーンという高速道路を経由して南下しました。最高速度が無しという高速道路です。途中この道路がサーキットコースとなっている所があって道路横に観客席がありました。何という合理的な国でしょうか。車の性能を知るのに特別な道路では本当のテストは出来ませんね。このドイツの考え方に感動しました。また、環境に優しい発電所に関してもアウトバーンの周辺で沢山の風力発電所が設置されていました。さすが、環境にも配慮した合理主義のドイツといったところでしょうか。日本の皆さん、この様に速度制限のない無料の高速道路、環境に良い風力発電、市内乗り物の一定価格で料金徴収機無しの乗り物など提案してみてはどうでしょうか。

    アウトバーン

    ベルリンからアウトバーンという高速道路を経由して南下しました。最高速度が無しという高速道路です。途中この道路がサーキットコースとなっている所があって道路横に観客席がありました。何という合理的な国でしょうか。車の性能を知るのに特別な道路では本当のテストは出来ませんね。このドイツの考え方に感動しました。また、環境に優しい発電所に関してもアウトバーンの周辺で沢山の風力発電所が設置されていました。さすが、環境にも配慮した合理主義のドイツといったところでしょうか。日本の皆さん、この様に速度制限のない無料の高速道路、環境に良い風力発電、市内乗り物の一定価格で料金徴収機無しの乗り物など提案してみてはどうでしょうか。

  • バッハ博物館<br /><br />バッハが晩年の27年間を過ごしたところ。

    バッハ博物館

    バッハが晩年の27年間を過ごしたところ。

  • バッハ博物館<br /><br /><br />アンゼルム・フォイエルバッハ=Paul Johann Anselm von Feuerbach 1775(安永4)年〜1833(天保4)年<br /><br /> <br /><br />

    バッハ博物館


    アンゼルム・フォイエルバッハ=Paul Johann Anselm von Feuerbach 1775(安永4)年〜1833(天保4)年



  • バッハ博物館<br />

    バッハ博物館

  • トーマス教会<br /><br />バッハの墓地、バッハ博物館があるということだったが残念ながら時間がとれず外からの見物だけとなった。

    トーマス教会

    バッハの墓地、バッハ博物館があるということだったが残念ながら時間がとれず外からの見物だけとなった。

  • ニコライ教会<br /><br />1165年の建造、ここから東西統一運動が始まった。楽聖バッハが30年ほど音楽監督を務めたというトーマス教会、聖ニコライ教会、旧市役所、ゲーテ銅像などを見物した。<br />東西ドイツ統一前のニコライ教会では月曜日に市民が集会を開いていた1989年秋のこと、平和の祈りの後、市民たちは通りに出てデモを行いました。そのとき当局は武装した兵士を派遣して包囲しました。銃撃による弾圧許可も出ていました。しかし、市民たちは「私たちが国民である」「民衆が主人である」と叫び民主主義と自由を訴えました。包囲している兵士たちは銃を構えながらも引き金を引くことはできませんでした。この平和の祈りと集会こそが11月9日のベルリンの壁崩壊につながり、1年後の1990年のドイツ統一の原動力となりました。

    ニコライ教会

    1165年の建造、ここから東西統一運動が始まった。楽聖バッハが30年ほど音楽監督を務めたというトーマス教会、聖ニコライ教会、旧市役所、ゲーテ銅像などを見物した。
    東西ドイツ統一前のニコライ教会では月曜日に市民が集会を開いていた1989年秋のこと、平和の祈りの後、市民たちは通りに出てデモを行いました。そのとき当局は武装した兵士を派遣して包囲しました。銃撃による弾圧許可も出ていました。しかし、市民たちは「私たちが国民である」「民衆が主人である」と叫び民主主義と自由を訴えました。包囲している兵士たちは銃を構えながらも引き金を引くことはできませんでした。この平和の祈りと集会こそが11月9日のベルリンの壁崩壊につながり、1年後の1990年のドイツ統一の原動力となりました。

  • ゲーテ像 <br /><br />ライプチヒ旧庁舎の横にあった。ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテという名前だそうだ。若い頃のゲーテ像で、16歳でライプチヒ大学に入学した。その頃のガールフレンドの顔も彫られている。<br />

    ゲーテ像 

    ライプチヒ旧庁舎の横にあった。ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテという名前だそうだ。若い頃のゲーテ像で、16歳でライプチヒ大学に入学した。その頃のガールフレンドの顔も彫られている。

  • 地下鉄工事の排出管パイプ<br /><br />地下鉄工事中に市内のあちこちで渋滞や公害が発生しないように、このパイプで工事で出る廃材を排出する管だそうです。

    地下鉄工事の排出管パイプ

    地下鉄工事中に市内のあちこちで渋滞や公害が発生しないように、このパイプで工事で出る廃材を排出する管だそうです。

  • バッハの立像です。なんだか非常に偉そうであります・・・ <br />不思議な集団<br /> 本当にひたすら読みふけっているんです・・・ <br />

    バッハの立像です。なんだか非常に偉そうであります・・・
    不思議な集団
    本当にひたすら読みふけっているんです・・・

  • ドイツカメラのライカ、ローライ、カール・ツァイス。 <br /><br />イエナ(JENA)は、レンズメーカー、カール・ツァイスの本拠地Carl Zeiss19世紀前半にその歴史を遡る由緒<br />ある光学メーカーであり、優れた光学技術者の卓越せる見識によって、20世紀のはじめに世界随一の光学複合企業に「泣く子も黙るカール・ツァイス・レンズ」と評されマニアにはよだれがでそうで、このレンズ付きカメラはプレミアそのものです。このカール・ツァイスレンズは、日本のソニーがカメラのレンズとして使っています。このレンズは、大変優秀でレンズの切れが良く綺麗に映る。この4トラで挿入している写真として採用しているカメラレンズは、ソニーのカメラが採用のカール ツァイスレンズと松下(パナソニック)のカメラが採用のライカである。いずれもドイツのレンズメーカーである。<br /><br /> カール・ツァイス<br />カール・フリードリヒ・ツァイスは1846年イェーナに顕微鏡製造のための工房を開設し、イェーナ大学の植物学者で細胞説で有名なマティアス・ヤコブ・シュライデンの助言と激励を受けつつ顕微鏡など大学の研究室で使われる光学機器を製作し、高い評価を受けるようになった。イェーナ大学の講師エルンスト・アッベと学術実験用の機器製作を通じて知り合い、共同で光学機器の性能向上技術を開発した。1884年頃からはフリードリッヒ・オットー・ショットがガラス工学技術を提供することとなり、良質のガラスをレンズの材料とすることによって世界最高水準の光学機器会社としてさらに発展することとなった。また1923年8月カール・ツァイスの技師ヴァルター・バウアースフェルト(Walther Bauersfeld )は世界初の近代的プラネタリウム「ツァイス1型」を製造した。ソニーサイバーショット用のレンズは、カール・ツァイスレンズの「ディスタゴン」、またソニーハンディカムとソニーα用カメラのカール・ツァイスレンズは「バリオゾナー」でヌケの良い透明感ある画質や、繊細な階調で美しく陰影を表現でき、被写体を立体的に描写できます。あのプロ用の66版のカメラであるハッセルブラッドVシリーズも「ディスタゴン」をつかっている。 <br /> 20世紀初頭から第二次世界大戦までの期間、カール・ツァイスは世界の最先端を走る光学機器会社として君臨した。しかし、第二次世界大戦におけるドイツ敗戦の影響は、カール・ツァイスにおいても多大な影響を及ぼした。第二次世界大戦の敗戦直後、ドイツの東西分断により、ドイツ東部にあったイェーナはソ連占領統治下に置かれる。しかしアメリカ軍はカール・ツァイスの光学技術をソ連にそのまま渡すことを阻止するためソ連軍に先んじてイェーナに入り、技術者の多くを半ば強制的にオーバーコッヘンに移動させ、ツァイス・オプトン社として光学機器の生産を引き継いだ。一方ソ連軍はイェーナの工場群を接収、残った技術者もソ連に送った。これによってカール・ツァイスは東西に分裂した。東側はイェーナに半官半民の「人民公社カール・ツァイス・イェーナ」を設立、このイェーナのカール・ツァイス社は東ドイツの誇る光学機器メーカーとして存続した。その後どちらがツァイスの名やコンタックス等商標の権利を持つか裁判で長年にわたって争うこととなる。東西統一のその後は、1989〜1990年に渡って行われたドイツ東西統一により、東西に分かれていたカール・ツァイスも統合の道を歩むことになる。イェーナにあったツァイスは経営に行き詰まっており、実質的にオーバーコッヘンのツァイスが吸収する形となった。現在もカール・ツァイス本社はオーバーコッヘンに置かれている。<br /> カール・ツァイスは、被写体の美しさをあますところなく表現するために選ばれたドイツの「カール・ツァイスレンズ」である。その優れた描写力は、シーンの空気感まで再現すると賞賛され、世界中の写真家に支持され続けています。さらに、サイバーショットのカール・ツァイスレンズは、高精細な「解像力」はもちろん、「MTF(コントラストの再現性)」も重視して設計。ひずみや諸収差も最小限に、画像のすみずみまで高コントラストで鮮明な画像を描きだします。また被写体のコントラストと、レンズを通して結像した像のコントラストをより近づけることで、よりリアルな色彩での描写を実現しています。さらに独自のマルチコーティング技術を施し、独自の優れた多層膜コーティング「T(ティースター)コーティング」が施されレンズ表面の反射光を抑えてフレアやゴーストを最小限にしてより多くの自然な光をCCDに導き、忠実な色再現とヌケの良い画像が撮影できます。<br /><br /> ライカ<br />ライカ(Leica )とは、ドイツの光学機器メーカーとそのブランドである。エルンスト・ライツ1世(Ernst Leitz I、1843年-1929年)によってヴェッツラーに創業されたエルンスト・ライツ光学機器製造会社(Ernst Leitz Optische Werke)が、その販売するカメラに「Leitz Camera(ライツ社のカメラ)」と名付けたことに由来するブランドである。2000年、松下電器産業とデジタルAV機器用レンズに関する技術協力契約を締結、「 ディコマー(DICOMAR )」レンズを搭載したデジタルビデオカメラなど3機種を開発・発売している。さらに2001年にはデジタルカメラ分野においても提携を行い、レンズの光学系はライカと共同開発を行いライカのライセンスを受けて生産を行っているほか、松下からのOEM供給によるライカブランドでの販売も行っている。<br /><br /> ローライ <br />フランケ&ハイデッケ初期のパンフレットローライは、ドイツにて1920年創立されたカメラメーカーである。創業者はパウル・フランケ(1888-1950年) とラインホルト・ハイデッケ(R1881-1960年)。二眼レフの元祖となったローライフレックスシリーズが有名であり、2006年現在でも二眼レフカメラを製造している。コンパクトカメラブームを巻き起こしたローライ35シリーズも有名である。現在では世界で初めて6×6cm判オートフォーカスカメラを世に送り出すなど6×6cm判新鋭一眼レフカメラなども製造している。日本での輸入代理店は駒村商会である。レンズは世界中で高い評価を受けているカール・ツァイスやシュナイダー・クロイツナッハ社製で、ローライ独自のHFT(High-Fidelity-Transfer )と呼ばれる高精密蒸着多層コーティングを施して採用している。二眼レフ<br /><br /> ローライフレックス6×6シリーズ<br />ローライの名を世界に知らしめた6×6cm二眼レフは、このシリーズが世界の元祖である。アタッチメントは初期の製品ではφ28.5mmカブセ式、初期と80mmF2.8を除くテッサー/クセナー装着モデルではバヨネットI型、プラナー75mmF3.5/クセノター75mmF3.5装着モデルはバヨネットII型、ビオメター80mmF2.8/プラナー80mmF2.8/クセノター80mmF2.8装着モデル及びテレローライフレックスではバヨネットIII型、ワイドアングルローライフレックス及びローライフレックス4.0FWではバヨネットIV型を使用する。バヨネットII型用、バヨネットIII型用にムターという名称の1.5倍の望遠、0.7倍の広角フロントコンバージョンレンズがある。テッサー80mmF2.8は専用バヨネットを使用する。<br /><br />ローライフレックススタンダート(1932年発売)117フィルムを使用し6枚撮り、または120フィルムを使用し12枚撮り。シャッターレバーはシャッターレリーズと逆方向に動かすとシャッターチャージするようになっており迅速に撮影が出来、この操作系は後にローライコードシリーズに引き継がれた。フィルム装填は赤窓式。巻き上げはクランク式で、クランクが止まるところまで1回巻き上げると巻き上げ完了。レンズは前期型がテッサー7.5cmF4.5またはテッサー7.5cmF3.8、後期型はテッサー75mmF3.5。シャッターは前期型はコンパーで最高速1/300秒、後期型はコンパーラピッドで最高速1/500秒。後期型ではスクリーンに水準器が仕込まれている。ファインダーフッドの前枠のみ挙げるとスポーツファインダーとなる。目の位置はファインダー枠中心の鏡に自分の目玉を写すことで規定する。テッサーレンズは、特許上は2枚目と3枚目の間が絞りとなる。通称「鷲の目」と呼ばれシャープさが特徴であり、このレンズの登場によって多くの人々が「普通によく写る」レンズを手に入れたと言われる。他のレンズメーカーにも多大な影響を与え、コピーや類似したレンズが数多く造られた。名称は構成レンズ数から来ている。<br /><br />【警告】<br /> 油の高騰により燃油特別深運賃が高騰しているが、20008年7月から更に急高騰し、総旅費の半分以上になる場合が発生している。ゆえに当分海外良好は見送った方がよい。<br /><br />■ここに掲載の写真および記事の無断転載を禁じます。<br />copyright(C)2006 Taketori no Okina YK. All rights reserved.    

    ドイツカメラのライカ、ローライ、カール・ツァイス。

    イエナ(JENA)は、レンズメーカー、カール・ツァイスの本拠地Carl Zeiss19世紀前半にその歴史を遡る由緒
    ある光学メーカーであり、優れた光学技術者の卓越せる見識によって、20世紀のはじめに世界随一の光学複合企業に「泣く子も黙るカール・ツァイス・レンズ」と評されマニアにはよだれがでそうで、このレンズ付きカメラはプレミアそのものです。このカール・ツァイスレンズは、日本のソニーがカメラのレンズとして使っています。このレンズは、大変優秀でレンズの切れが良く綺麗に映る。この4トラで挿入している写真として採用しているカメラレンズは、ソニーのカメラが採用のカール ツァイスレンズと松下(パナソニック)のカメラが採用のライカである。いずれもドイツのレンズメーカーである。

     カール・ツァイス
    カール・フリードリヒ・ツァイスは1846年イェーナに顕微鏡製造のための工房を開設し、イェーナ大学の植物学者で細胞説で有名なマティアス・ヤコブ・シュライデンの助言と激励を受けつつ顕微鏡など大学の研究室で使われる光学機器を製作し、高い評価を受けるようになった。イェーナ大学の講師エルンスト・アッベと学術実験用の機器製作を通じて知り合い、共同で光学機器の性能向上技術を開発した。1884年頃からはフリードリッヒ・オットー・ショットがガラス工学技術を提供することとなり、良質のガラスをレンズの材料とすることによって世界最高水準の光学機器会社としてさらに発展することとなった。また1923年8月カール・ツァイスの技師ヴァルター・バウアースフェルト(Walther Bauersfeld )は世界初の近代的プラネタリウム「ツァイス1型」を製造した。ソニーサイバーショット用のレンズは、カール・ツァイスレンズの「ディスタゴン」、またソニーハンディカムとソニーα用カメラのカール・ツァイスレンズは「バリオゾナー」でヌケの良い透明感ある画質や、繊細な階調で美しく陰影を表現でき、被写体を立体的に描写できます。あのプロ用の66版のカメラであるハッセルブラッドVシリーズも「ディスタゴン」をつかっている。
     20世紀初頭から第二次世界大戦までの期間、カール・ツァイスは世界の最先端を走る光学機器会社として君臨した。しかし、第二次世界大戦におけるドイツ敗戦の影響は、カール・ツァイスにおいても多大な影響を及ぼした。第二次世界大戦の敗戦直後、ドイツの東西分断により、ドイツ東部にあったイェーナはソ連占領統治下に置かれる。しかしアメリカ軍はカール・ツァイスの光学技術をソ連にそのまま渡すことを阻止するためソ連軍に先んじてイェーナに入り、技術者の多くを半ば強制的にオーバーコッヘンに移動させ、ツァイス・オプトン社として光学機器の生産を引き継いだ。一方ソ連軍はイェーナの工場群を接収、残った技術者もソ連に送った。これによってカール・ツァイスは東西に分裂した。東側はイェーナに半官半民の「人民公社カール・ツァイス・イェーナ」を設立、このイェーナのカール・ツァイス社は東ドイツの誇る光学機器メーカーとして存続した。その後どちらがツァイスの名やコンタックス等商標の権利を持つか裁判で長年にわたって争うこととなる。東西統一のその後は、1989〜1990年に渡って行われたドイツ東西統一により、東西に分かれていたカール・ツァイスも統合の道を歩むことになる。イェーナにあったツァイスは経営に行き詰まっており、実質的にオーバーコッヘンのツァイスが吸収する形となった。現在もカール・ツァイス本社はオーバーコッヘンに置かれている。
     カール・ツァイスは、被写体の美しさをあますところなく表現するために選ばれたドイツの「カール・ツァイスレンズ」である。その優れた描写力は、シーンの空気感まで再現すると賞賛され、世界中の写真家に支持され続けています。さらに、サイバーショットのカール・ツァイスレンズは、高精細な「解像力」はもちろん、「MTF(コントラストの再現性)」も重視して設計。ひずみや諸収差も最小限に、画像のすみずみまで高コントラストで鮮明な画像を描きだします。また被写体のコントラストと、レンズを通して結像した像のコントラストをより近づけることで、よりリアルな色彩での描写を実現しています。さらに独自のマルチコーティング技術を施し、独自の優れた多層膜コーティング「T(ティースター)コーティング」が施されレンズ表面の反射光を抑えてフレアやゴーストを最小限にしてより多くの自然な光をCCDに導き、忠実な色再現とヌケの良い画像が撮影できます。

     ライカ
    ライカ(Leica )とは、ドイツの光学機器メーカーとそのブランドである。エルンスト・ライツ1世(Ernst Leitz I、1843年-1929年)によってヴェッツラーに創業されたエルンスト・ライツ光学機器製造会社(Ernst Leitz Optische Werke)が、その販売するカメラに「Leitz Camera(ライツ社のカメラ)」と名付けたことに由来するブランドである。2000年、松下電器産業とデジタルAV機器用レンズに関する技術協力契約を締結、「 ディコマー(DICOMAR )」レンズを搭載したデジタルビデオカメラなど3機種を開発・発売している。さらに2001年にはデジタルカメラ分野においても提携を行い、レンズの光学系はライカと共同開発を行いライカのライセンスを受けて生産を行っているほか、松下からのOEM供給によるライカブランドでの販売も行っている。

     ローライ
    フランケ&ハイデッケ初期のパンフレットローライは、ドイツにて1920年創立されたカメラメーカーである。創業者はパウル・フランケ(1888-1950年) とラインホルト・ハイデッケ(R1881-1960年)。二眼レフの元祖となったローライフレックスシリーズが有名であり、2006年現在でも二眼レフカメラを製造している。コンパクトカメラブームを巻き起こしたローライ35シリーズも有名である。現在では世界で初めて6×6cm判オートフォーカスカメラを世に送り出すなど6×6cm判新鋭一眼レフカメラなども製造している。日本での輸入代理店は駒村商会である。レンズは世界中で高い評価を受けているカール・ツァイスやシュナイダー・クロイツナッハ社製で、ローライ独自のHFT(High-Fidelity-Transfer )と呼ばれる高精密蒸着多層コーティングを施して採用している。二眼レフ

    ローライフレックス6×6シリーズ
    ローライの名を世界に知らしめた6×6cm二眼レフは、このシリーズが世界の元祖である。アタッチメントは初期の製品ではφ28.5mmカブセ式、初期と80mmF2.8を除くテッサー/クセナー装着モデルではバヨネットI型、プラナー75mmF3.5/クセノター75mmF3.5装着モデルはバヨネットII型、ビオメター80mmF2.8/プラナー80mmF2.8/クセノター80mmF2.8装着モデル及びテレローライフレックスではバヨネットIII型、ワイドアングルローライフレックス及びローライフレックス4.0FWではバヨネットIV型を使用する。バヨネットII型用、バヨネットIII型用にムターという名称の1.5倍の望遠、0.7倍の広角フロントコンバージョンレンズがある。テッサー80mmF2.8は専用バヨネットを使用する。

    ローライフレックススタンダート(1932年発売)117フィルムを使用し6枚撮り、または120フィルムを使用し12枚撮り。シャッターレバーはシャッターレリーズと逆方向に動かすとシャッターチャージするようになっており迅速に撮影が出来、この操作系は後にローライコードシリーズに引き継がれた。フィルム装填は赤窓式。巻き上げはクランク式で、クランクが止まるところまで1回巻き上げると巻き上げ完了。レンズは前期型がテッサー7.5cmF4.5またはテッサー7.5cmF3.8、後期型はテッサー75mmF3.5。シャッターは前期型はコンパーで最高速1/300秒、後期型はコンパーラピッドで最高速1/500秒。後期型ではスクリーンに水準器が仕込まれている。ファインダーフッドの前枠のみ挙げるとスポーツファインダーとなる。目の位置はファインダー枠中心の鏡に自分の目玉を写すことで規定する。テッサーレンズは、特許上は2枚目と3枚目の間が絞りとなる。通称「鷲の目」と呼ばれシャープさが特徴であり、このレンズの登場によって多くの人々が「普通によく写る」レンズを手に入れたと言われる。他のレンズメーカーにも多大な影響を与え、コピーや類似したレンズが数多く造られた。名称は構成レンズ数から来ている。

    【警告】
     油の高騰により燃油特別深運賃が高騰しているが、20008年7月から更に急高騰し、総旅費の半分以上になる場合が発生している。ゆえに当分海外良好は見送った方がよい。

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