2008/04/04 - 2008/04/04
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しんちゃんさん
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九段坂の南側一帯にある北の丸公園には日本武道館、科学技術館、東京国立近代美術館、国立公文社館等があります。夜桜で有名な千鳥ヶ淵を歩きました。見学者の数は千鳥ヶ淵の内側と外側では“雲泥の差”外側の「千鳥ヶ淵緑道」は大々々々渋滞の見学でした。そのため九段坂から半蔵門駅まで歩きました。ブタさんのマーク、「日テレ」日本テレビの撮影の方にも出会いました。帰りは、東京駅は皇居を挟んで反対側にあり、歩くと30分と聞きました。そのため地下鉄を乗り継いで帰りました。江戸の2008年の桜はもう終りを告げていました。写真は千鳥ヶ淵の夜桜をボートで観賞する多くのカップルです。「羨ましい・・・」
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九段下の都営新宿線を降りて、南側に九段会館がありました。昔は軍人会館と言い、探索すれば「長〜いお話」になりますので、あっさり通り過ぎます。「九段会館軍歌祭」は【http://tksu1co.fc2web.com/zakkicho050313.html】九段会館は【http://www.kudankaikan.or.jp/】建築学分野からは【http://www.linkclub.or.jp/~hiro335/a_map/tokyo_49.html】いろいろあります。
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牛ヶ淵と日本武道館の屋根
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九段坂から北の丸公園に入る、「田安門」
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牛ヶ淵
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北の丸公園入り口、翌日某大学入学式が行われるようでした。
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石碑からです。【怡和園の由来 幕末の江戸城、北の丸には、田安家(西側)清水家(東側)の屋敷があった。明治維新になって日本陸軍創設に伴い、田安家の跡に近衛歩兵第一連隊、清水家の跡に同第二連隊の兵営が建てられ、終戦までこの地に駐屯して皇居の守護に任じていた。ここは近衛歩兵第一連隊の地域で、明治中頃までは土を盛り上げただけの土堤であったものを、明治四十一年に手を入れて、広場や四阿(あずまや)を設け、花卉(かき)を植えて小庭園を造り、時の連隊長由比光衛大佐はこれに怡和園(いわえん)と命名し、この石碑を建てた。爾来(じらい)将兵の散策や憩いの庭として、また体操や訓練の場として長く親しまれていた。
戦後北の丸公園造園の際、この庭園は現状の如くその様相を変え、石碑は地中に埋められたが、その後僅かに出ていた石碑の頭部を発見し、これを発掘して再建した。因(ちな)みに「怡和(いわ)」とは、「喜び和らぐ」の意である。平成元年九月吉日 近衛歩兵第一連隊会誌す】 -
知らないで、北の丸公園の掘りの内側に来ました。
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ライトアップが眩しい堀の内側でした。
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気を取り直して、千鳥ヶ淵の外側見学です。
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靖国神社とは違って、ちょっとピンクが多かった。
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多くの方々を撮ろうとしたら、白いコートの女性が目立ってしまった!
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照明により同じ桜でも色が違って写りました。
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ボート乗り場が遠くに見えます。
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皇居の石垣に光ゴケがあるそうです。この辺と思います。
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花大根の花も優雅に咲いていましたが、見返る方はあまり居ませんでした。
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日テレ(日本テレビ)撮影の方が放送の準備をしていました。「いつ放送されるんですか?」「野球放送の後です」ん〜自宅に帰って見れるかな?
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暗い中で、モニター画面を見つめる、若い女性。「何してるんですか?」仕事途中なのに、ずけずけとしんちゃんが質問します。ディレクターだそうです。映像をチェックしていました。
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ボート乗り場は午後7時30分で閉店。8時まで乗船可能です。
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一眼レフを持った、美人女性発見「趣味ですか?プロですか?」アマチュアだそうす。桜を写している場面を写してしまいました。
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ボート乗り場からのお堀
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しんちゃんの「心霊写真」!!雨は降っていません。シャボン玉もありません。二つの玉は、なんなのでしょうか?
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目には同じ色の“桜”もライトアップの照明によりこんなにも違いが・・・
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地元の方々のボランティア団体が桜基金を募っていました。すかさず、美人のお嬢さんをゲット!
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しんちゃんのカメラですが・・・・
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彼女のカメラを覗いたら白いんです。しんちゃんのは「こんな色ですけど・・・」「負けた!」別にバトルはしていませんが、メーカーと設定により、違いがはっきり出るんですね!某M社でした。
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江戸の桜はこの日から天気が悪くなり、散る一方でした。変わって北関東は満開を迎えるのでした。
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千鳥ヶ淵、南端の道路わきにシダレザクラが咲いていました。
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掲示板の地図にて、地下鉄半蔵門駅を探していたら「滝廉太郎居住地跡」の指標を発見、回り道してみました。
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「滝廉太郎」居住地跡だそうです。説明版からです【滝廉太郎居住地跡 滝廉太郎は、この交差点から西に100m程の所(一番町六番町ライオンズマンション一番町第二)に、明治27(1894)年ごろから34(1901)年4月まで居住していました。今日でも愛唱されています名曲「花」「荒城の月」「箱根八里」「お正月」「鳩ぽっぽ」など、彼の作品の多くはそこで作られました。滝廉太郎は明治12(1879)年東京に生まれ、幼少期より音楽に対する才能を示し、同27年東京高等師範学校付属音楽学校専修科(後の東京音楽学校)に入学しました。・・・・・下記へ続く
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続きです・・・優秀な成績で卒業した後は、母校の助教授として後進の指導にあたりました。明治34年、文部省の留学生としてドイツのライブチヒ国立音楽学校に学びました。しかし、病を得て帰国し、大分の父母の元に帰り療養しましたが、家族の手厚い看護もむなしく、同34(1903)年6月29日死去しました。日本の芸術歌曲の創始者ともいわれています。滝廉太郎が、一番町に暮らしていたことを偲び、毎年9月下旬には地元町会の主催で「滝廉太郎を偲ぶ会」がこの場所で開催されています。平成17年8月 千代田区教育委員会】
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偶然発見した「滝廉太郎居住地跡」を後にして地下鉄半蔵門駅から帰宅しました。完
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