2008/02/28 - 2008/02/28
130位(同エリア178件中)
カンゲンさん
マルタ共和国、面積316k?、人口40万人の地中海に浮かぶ島国、ミニ国家である。
マルタ騎士団がこの土地を有名にし、東西冷戦の終結を告げる歴史的なマルタ会談(1989年)の舞台でもある。
遠く地中海文明黎明期の神話の時代からフェニキア人、カルタゴ人、ローマ人、アラブ人、ノルマン人とめまぐるしく主を変えた時代を経て、19世紀初頭から、永くイギリスの支配下にあったが1964年に独立、2004年にはEUに加盟し2008年1月1日からは公式通貨がユーロに移行しました。
3月30日からはシェンゲン協定国になります。
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マルタ航空 KM681 チュニス・カルタゴ空港で
12:20 発 -
チュニジアともお別れです
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13:00 マルタ・ルア空港着
マルタ国際空港はヨーロッパでも屈指の長い滑走路を有する空港です。
また毎年、ヨーロッパ最大級の航空ショーが開催され多くのファンで賑わいます。 -
イムディーナ・ラバト
マルタ島の中央小高い丘の上にある古都イムディーナ・ラバトは、元々はフェニキア人が築いた砦をローマ人が町に発展させました。
後にアラブ人がイムディーナ(壁に囲まれた町)、ラバト(単に町)と呼び区別しましたがもとは一つの町です。
13、14世紀以来の中世の貴族の館が沢山残されていて本当に綺麗な町です。
オスマントルコに勝利した騎士団が、ヴァレッタに大規模な城塞を築き移ったためイムディーナは寂れてその静まり返った様子にいつしか「サイレントシティー」と呼ばれるように成りました。
ラバトの聖パウロ教会
ラバトは庶民の町です。教会はパリッシュ広場に面してあります。 -
聖パウロ教会は1572年に建設され、17世紀に再建されました。
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A.D.60年、聖パウロが船の遭難で漂着して3ヶ月間隠れ住んでいた洞窟
1990年、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世も訪問しております -
ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が座った席
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16世紀の壁のフレスコ画
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パリッシュ広場では小鳥の鳴き声を競っておりました
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小鳥の名を聞いてみました。「フィンチ」と言うそうです。
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お昼のレストラン
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野菜のパイ
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シーフードのパスタ
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赤い旗がシンボルの「労働党」の選挙事務所、「国民党」は青色
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ラバトの街並み
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敵に襲撃された時に弓矢で撃たれないように道は曲がっています
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イムディーナに入るメインゲートへの橋
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門の裏側にある3聖人
左は聖プブリウス(マルタで最初にキリスト教に改宗した知事)
中央は聖パウロ(左手が青いヘビにかまれている)
右は聖アガタ(カターニヤの守護聖人) -
案内図
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国立博物館
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貴族の家
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扉のノッカー
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マルタの女性
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大聖堂
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左の時計は月日を知らせております
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大聖堂の内部
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床にはお墓は、モザイクの大理石です。
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展望台から見たモスタの街とモスタドーム
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展望台から
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街並み
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宿泊した、コリンシア・サン・ジョージホテル
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この旅行記へのコメント (2)
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- パパスさん 2008/10/16 08:10:01
- はじめまして!
- カンゲンさん、はじめまして。
マルタ旅行記を懐かしく拝見しています。
で、目に留まったのが見覚えのある扉のノッカー!!
パパスと同じノッカーを写されているのに感激しました。
マルタ!
やはり素敵ですね!
パパス。
- カンゲンさん からの返信 2008/10/17 15:43:29
- RE: はじめまして!
- パパスさん、こんにちは。
ご訪問ありがとうございます。
ご指摘いただきまして、パパスさんのマルタ旅行記、早速に見直しました。
赤い扉に同じノッカーがあるのを見て驚き、感動しました。
パパスさんの旅行記を拝見させて頂いているにもかかわらず、見落としていた事、観察眼の不足を痛感しました。
ごめんなさい!!
旅!! いいですね。
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