2008/02/19 - 2008/02/19
4位(同エリア5件中)
早島 潮さん
平成20年2月19日(火)
ド ウラ・エウロポスは現在はサルヒエと呼称されている。砂漠の広大な平原に城壁で囲 まれた遺跡がドウラ・エウロポスである。
紀元前300年頃、アレキサンダー大王の後継者の一人であるセレウコス1世がユーフラテス川中流にセレウコス朝の支配を堅固なものにするため、この地に軍事拠点を設けた。
この場所は古来セム語でドウラ(要塞)と呼ばれていたのを支配者セレウコスの誕生地エウロポスの名を付加えたのである。
町はその後西のローマ帝国、東のパルチア王国に翻弄されながらも発展していった。
紀元前211年に正式にローマの植民地になったが、ユーフラテス川流域の交易の要衝地としてさまざまな民族が移住してきて発展した。パルミラ、ギリシャ、ローマ、パルチアなどの文化が混合して独特の文化が花ひらいた。
3世紀半ば、東から勢力を伸ばしてきたササン朝ペルシャによってドウラ・エウロポスは破壊され衰退していった。
ドウラ・エウロポスの発掘で重要のなのはシナゴーグ(ユダヤ教教会)である。その壁画にはナイル川で拾われるモーセや預言者サムエルから油注ぎを受けるダビデなど旧約聖書の有名なシーンが描かれているからである。偶像崇拝につながるという理由から人物画を禁止しているユダヤ教でこのような人物画が発見されたのは稀有な例である。
この都市では16の宗教の聖なる場所が確認されているのである。商売のためには宗教に拘らない商人達の自由闊達な行動が窺える。
ドウラ・エウロポスを見学中に風が強くなってきて遠方に竜巻が発生しているのを目撃した。次第に近づいてきて強風が吹き荒れたがやがて通り過ぎて行き事なきを得た。
- 同行者
- その他
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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ドウラ・エウロポスのロケーション
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ドウラ・エウロポス遺跡。アーチが多用されている
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各派宗教施設の配置図。16種類の宗教が共存していたことを示す現場の説明図
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ドウラ・エウロポスから見たユーフラテス川
このあたりは船着場であった -
ドウラ・エウロポスから見たユーフラテス川
このあたりは船着場であった -
ドウラ・エウロポスのユダヤ教のシナゴーグの壁に
描かれていた人物の絵 -
ドウラ・エウロポスのユダヤ教のシナゴーグの壁に
描かれていた人物の絵 -
ドウラ・エウロポスのユダヤ教のシナゴーグの壁に
描かれていた人物の絵 -
ドウラ・エウロポス遺跡
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ドウラ・エウロポスより眺めたユーフラテス川と畑
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ドウラ・エウロポスより眺めたユーフラテス川と畑
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ドウラ・エウロポスと港
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突然発生した竜巻(写真中央)
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ドウラ・エウロポス遺跡。アルテミス神殿跡
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