2008/03/25 - 2008/03/25
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kokonoさん
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〔江戸〜現代〕までの飯碗展をを観てきました
場所は九州陶磁文化館です
展示期間は3月19日〜4月6日 観覧料 無料です
江戸時代の肥前磁器を中心に、現代までの「飯碗」を紹介してありました
・表紙写真は、禁裏御用〔きんりごよう〕の碗
京都の天皇家〔禁裏〕からの注文による意匠のもとで、三方向に菊花文を配置し、間を唐草などの連続文様ををほどこしたものがある、18世紀に有田の辻家が注文を受けて製作したもので、天皇家を中心とする公家の間で使われた、禁裏御用品は19世紀も同じ形式のものが継続して作られたそうです
ここでは飯碗として使用されたであろう大きさの碗を紹介していました
以上の事柄は添付の説明に記載されていました
【江戸初期〜18世紀前半】を掲載しました
18世紀後半〜20世紀〔明治・大正・昭和〕は
?へ引き続き掲載します。
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-
・禁裏御用〔きんりごよう〕の碗
色絵菊紋帆掛船文碗
有田・・辻窯・・18世紀末
染付菊唐草文碗
有田・・辻窯・・19世紀 -
・禁裏御用〔きんりごよう〕の碗
-
表紙写真です
・禁裏御用〔きんりごよう〕の碗
染付菊紋牡丹鶴文碗
有田・・辻窯・・19世紀後半
染付菊紋鶴花菱文碗
有田・・辻窯・・19世紀後半 -
【江戸初期の碗】
飯碗は、古くは木器や漆器が多く用いられたが、江戸時代になると肥前の陶器・磁器の
碗が多くもちいられるようになっていく
喫茶用なのか飯用なのか判然としないが、生産量や消費量からして、飯碗の可能性がある
標準の口径とされる11センチから12センチ前後のものを紹介されています
天目形〔てんもくなり〕の碗
「天目」とは、中国浙江省北西部にある天目山に由来する
この天目山の禅宗寺院に留学した僧侶が持ち帰った茶碗を「天目茶碗」とよんでいる
特徴は黒褐色の鉄釉がかかり、口縁にくびれ、〔いったん内にすぼまり、ふたたび外へ反る〕がある、いわゆる「すっぽん口」をもち、全体はすり鉢のように開く形をしている
肥前磁器でも初期には染付碗の天目形のものがみられるそうです
灰釉碗
有田・・天神森窯跡出土
1590〜1610年代
鉄釉碗
有田・・小淵上窯出土
1600〜1630年代
灰釉碗
有田・・清六の辻窯跡出土
1600〜1630年代
褐釉天目形碗
肥前・・17世紀前半
染付福字文天目形碗
有田・・1610〜1630年代
染付牡丹唐草文碗
有田・・窯ノ辻窯跡出土・・1610〜1630年代
瑠璃釉染付菊花文碗
染付山水文碗
有田・・天神森窯跡出土・・1610〜1630年代 -
・余禄として・・
【江戸時代の米飯料理】
1802年に刊行された〔名飯部類〕には148種類の料理が紹介されています
1803年に刊行された〔素人包丁〕では魚鳥飯、魚類粥雑吸、小鳥粥鳥類雑吸と
三部門に分けて合計50種類の料理が紹介されています
江戸時代の料理本には、【茶碗】と記された品目がみられます
これは現在の茶碗蒸しのような料理を意味していて陶磁器製の蓋付碗は
このような蒸し物料理に使われたと推測されるそうです -
-
【17世紀前半】
磁器生産が本格化すると陶器碗のなかでも とくに、絵唐津の碗などが減少していく
沓形や天目形のものもみられるが、これらは喫茶用の可能性が高い
磁器では染付碗が主体で、青磁碗や色絵碗は少ない
1630〜1650年代頃には、量産化するために高台を無釉としたものがみられるそうです
黒釉素麺手碗
肥前・・黒牟田窯か・・1600〜1640年代
染付鉄釉秋草文碗
白磁花菱文碗
有田・・1630〜1640年代 -
高台無釉の磁器碗
-
高台無釉の磁器碗
磁器の碗は、高台畳付を除いて全面に釉薬をかけるのが普通であるが、
1640〜50年代頃の碗には高台を無釉にして大量生産されているものがみられる
これは、1640年代に中国の明から清への王朝の交代期の内乱で、中国磁器の生産と
輸出が激減したために、肥前磁器を増産する必要にせまられて一時的に生じた現象で
あると考えられているそうです -
染付錆釉柳文碗
青磁染付碗
有田・・猿川窯跡出土・・1640〜1650年代 -
染付草花寿字文碗
有田・・猿川窯跡出土・・1640〜1650年代
染付山水文碗
染付山水文碗
有田・・猿川窯出土・・1640〜1650年代 -
【17世紀後半】
色絵をほどこした薄作りの上手の磁器碗が登場する
染付磁器の碗も量産され、一方陶器碗は明るいベージュの素地に呉須で絵を描いた
京焼風陶器の碗や透明釉をかけた無文の呉器手の碗などが生産されるようになる
おそらくこの頃までは陶磁器の碗は一部の富裕層にのみ流通するものであつたと
想像されるそうです
染付網目文碗
染付縞文碗
有田・・猿川窯跡出土・・1650〜1660年代 -
染付幾何学文碗
染付朝顔文碗
有田・・長吉谷窯跡出土・・1655〜1660年代 -
染付樹木文碗
染付草花文碗
染付山水文碗
有田・・長吉谷窯跡出土・・1655〜1660年代 -
染付朝顔文碗
染付山水文碗
有田・・長吉谷窯跡出土・・1655〜1660年代 -
染付網目文碗
染付草実文碗
有田・・長吉谷窯跡出土・・1655〜1660年代 -
灰釉碗
伊万里・・椎の峰3号窯跡出土
17世紀後半 -
呉須絵山水文碗
伊万里・・大川内山・・17世紀後半 -
染付草花文碗
有田・・1660〜1680年代
色絵竹雀花唐草文碗
1660〜1690年代
色絵人参文碗
1670〜1680年代 -
染付山水雨降雷文碗
有田・・1670〜1700年代
色絵梅鶯文碗
有田・・1680〜1700年代 -
【18世紀前半】
蓋付の豪華な色絵磁器の碗が登場する
また、粗製の碗の需要も、庶民へ磁器碗が普及していったことを示すかのように
大量に生産される
くらわんか碗、陶胎染付の碗、磁器では刷毛目の碗、銅緑釉の碗などが生産された
碗の種類が高級品から普及品まで広がりをもった時代といえるそうです
・「陶胎染付」〔とうたいそめつけ〕の碗
陶器の原料に、表面だけ磁器の土で化粧掛けをして呉須で絵を描き、透明釉をかけて
焼いたものを「陶胎染付」と呼んでいる
かっては、「ひび焼」「呉州手」などと呼ばれている
灰色を帯び、貫入が入ることが多く、独特の質感をもっている
急大村藩領であった波佐見の百貫窯や旧平戸藩領であった佐世保市の木原や江永では
18世紀前半に粗製の陶胎染付碗がつくられているそうです
・「蓋付碗」〔ふたつきわん〕の登場
18世紀になると蓋付の碗がさかんに生産されるようになる
呼び方には「奈良茶碗」「茶漬茶碗」「茶漬碗」などがあり、それらが主に米飯料理を
食べるためのものであったことがわかる
肥前磁器の蓋付碗は、薄手で色絵が施された極めて上質なものがある一方、
18世紀中頃には厚手で簡単な染付文様がほどこされた普及品も生産されるようになる
染付雪輪草花文碗
波佐見・・17世紀末〜18世紀初頭
染付雪輪草花文碗
波佐見・・18世紀初頭
陶胎染付山水文碗
波佐見・・百貫西窯出土・・1680〜1740年代 -
陶胎染付山水文碗
陶胎染付菊花文碗
波佐見・・百貫西窯出土・・1680〜1740年代 -
白磁碗
嬉野・・志田西山窯跡出土・・18世紀前半
染付菊花文碗
伊万里・・鍋島藩窯出土・・18世紀前半
染付草文碗
染付網目文碗
染付菊花文碗
嬉野・・吉田2号窯跡出土・・18世紀前半
染付網目文碗
伊万里・・鍋島藩窯出土・・18世紀前半 -
色絵牡丹文碗
有田・・1690〜1730年代
色絵蓮唐草文碗
色絵瑠璃釉蓮唐草文碗
有田・・1700〜1740年代
色絵牡丹文碗
有田・・1730〜1760年代 -
色絵唐草運気文蓋付碗
色絵花唐草花菱文蓋付碗
有田・・1700〜1740年代
色絵宝柘榴文蓋付碗
有田・・1700〜1730年代 -
色絵縞文蓋付碗
有田・・1710〜1750年代
染付菖蒲草花文蓋付碗
有田・・1720〜1760年代 -
【銅緑釉の碗】
旧鍋島藩領嬉野の内野山では銅の色をだした銅緑釉の碗を
大量に生産したこれらの陶器碗は庶民層へ広く流通したそうです
緑釉碗
嬉野・・内野山北窯跡出土・・18世紀前半 -
青磁染付桜花文蓋付碗
有田・・1690〜1740年代
青磁染付如意頭文蓋付碗
有田・・1730〜1750年代 -
【刷毛目の陶器碗】
褐色の素地に白い土を刷毛塗りして装飾する刷毛目の碗が17世紀後半に登場し
18世紀に盛んに生産される上質なものは旧諫早領現川の製品が知られるが、
肥前一帯で広く生産された
刷毛目碗
多久・・大山旧窯跡出土・・18世紀前半
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