2007/11 - 2007/11
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よっしーさん
百済の都が扶余にあったとき、仏教は日本に公伝した。
仏教の公伝を契機に、日本には沢山の文化が輸入された。
百済にとって最後の都となる扶余。
唐と新羅の連合軍によって最後は悲劇的な伝説も残る滅亡をするも、日本にとってはかけがえのない同盟国であった。
仏教の文物遺跡なども多く残り、なにか奈良の飛鳥の香りすら漂うところでした。
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定林寺址
典型的な百済の石塔です
扶余には沢山のお寺の遺跡はありますが、こんな感じで百済滅亡後は放置または破壊され、いまは多くは地中の遺跡となっています。
これが最も保存の良い石塔です -
定林寺の蓮池
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仏さんの腕のかけら
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石槽
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宮南池
百済、武王の時代に造成されたもの
韓国最古の人口造成池にして、離宮のにわともいおうものか -
陵山里古墳群
泗ビ時代の百済王墓と考えられている -
扶蘇山城の迎日楼
ここが百済の都城が置かれた泗ビ城 -
城壁も残っている
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住居跡の遺構
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扶蘇山西腹寺址
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滅亡した百済の再興のために天智天皇は百済の土地に、百済の王子を送ったがはかなくも倭水軍は唐・新羅の前に全滅した
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軍の倉庫跡
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扶蘇山のふもとはいまも発掘作業が進められている
これは百済の道路跡 -
百済聖王像
百済の首都を熊津(公州)から泗ビ(扶余)に遷都し、日本に仏教を伝えた王様
百済の仏教文化を大きく花咲かせましたが、新羅との戦いで戦死した
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この旅行記へのコメント (2)
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- はじめのいっぽさん 2014/05/17 21:14:40
- はじめまして
- 投票ありがとうございました。
扶余の記事を見つけ、うれしく思いました。
歴史的に日本とのつながりが深い土地ですよね。人々もとても温和な気質だったと聞きました。私も、扶余に行き、表紙に書かれているように奈良と同じ空気を感じました。
そのほかの文化遺産の旅行記も少しずつ参考にして、まだ行けていないところにチャレンジしたいと思います。
- よっしーさん からの返信 2014/05/21 13:01:57
- RE: はじめまして
- 扶余は、私が好きの遺跡地帯のひとつで、見ていただいてうれしいです^-^
遺跡ばかり取り上げていて、かなりマニアックになっていますが、今後ともよろしくお願いします。
遺跡の日記、楽しみにしております^^
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