2008/03/02 - 2008/03/02
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MechaGodzillaⅢ&703さん
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福山市<広島歴史博物館・草戸千軒>
広島県立歴史博物館は、広島県福山市丸之内一丁目の福山城公園内にある歴史博物館です。
●草戸千軒●
草戸千軒(くさどせんげん)とは、広島県福山市を流れる芦田川の河口に、鎌倉時代から室町時代にかけて存在した、幻の中世集落の名前です。
この集落の跡が草戸千軒町遺跡で、1961年から30年以上にわたる大規模な発掘調査が実施されてきました。
調査の結果、それまで知られていなかった中世の民衆生活の実態を物語る多くの資料が明らかになり、日本中世史研究の進展に大きな役割を果たしています。
●参照<芦田川 草戸千軒>旅行記
http://4travel.jp/traveler/godzilla/album/10155981/
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■半日旅行
福山市<広島歴史博物館・草戸千軒>
●広島県立歴史博物館●〜WEBサイトより〜
広島県立歴史博物館は、瀬戸内海のほぼ中央、広島県福山市の福山城公園内の文化ゾーンに位置しています。
川底に埋もれた中世の町として全国的に有名な草戸千軒町遺跡を中心に、瀬戸内地域の民衆生活と文化に視点を当てた博物館として、平成元年(1989)11月3日に開館しました。 -
福山市<広島歴史博物館・草戸千軒>
●草戸千軒●
鎌倉時代から室町時代にかけて(今からおよそ750〜450年前)存在した、中世の町の遺跡です。
瀬戸内海のほぼ中央、広島県福山市を流れる芦田川の中州とその周辺にある遺跡です。 -
福山市<広島歴史博物館・草戸千軒>
●草戸千軒?展示室●
町がもともと中州にあったわけではないのですが、大正末期から昭和初期にかけての河川改修工事で川の流れを付け替えた結果、遺跡の中心部が中州として孤立することになりました。
▼参照<芦田川 草戸千軒>
http://4travel.jp/traveler/godzilla/album/10155981/ -
福山市<広島歴史博物館・草戸千軒>
●草戸千軒?展示室●
鎌倉時代から室町時代にかけての町の跡から、そこでの生活の様子を示す数多くの資料が出土しています。
食事の道具、その食事を作る料理の道具、実際に食べた物の残りかす。暖房器具や化粧道具、履き物など身の回りの道具。職人たちが仕事に使った道具。貸したお金とその利子をメモした木の札など。
こうしたさまざまな資料から、この町で人々がどのような活動に従事していたのか、このまちがどんな役割を果たしていたのかが明らかになってきます。 -
福山市<広島歴史博物館・草戸千軒>
草戸千軒の町は、海上交通・河川交通・陸上交通の交わる芦田川の河口近くにありました。
そのため、芦田川下流域から福山湾岸にかけての地域経済の拠点として、さまざまな物資がこの町に持ち込まれ、取り引きされていました。
また、漆塗りや鍛冶などの手工業生産に従事する職人も、この町を活動拠点にしていました。
こうして、多くの物や人が集まる町には、お金も集まってきます。お金を貸して利子を取る、金融業に携わる人もいました。
このように、草戸千軒の町は商工業の盛んな、にぎやかで活気あふれる町だったのです。 -
福山市<広島歴史博物館・草戸千軒>
「船着場」
船着場近くの市場には、荷揚げした商品を一時的に置いておく差掛け小屋と、草葺の物売り小屋とがあります。
草葺小屋は自然木を利用した股木使用の掘立柱建物の屋根に葦を葺いたもので、壁はなく開放的です。
物売りについては、出土遺物などを考慮しました。
壺売りをはじめ、活魚・干魚・貝・海藻・塩・山鳥などを売る店、米・豆・野菜・莚(むしろ)などを売る店があります。
ほかに油や土器(かわらけ)を朸(おうご)で担いで売りに来ている人もいます。WEBサイトより -
福山市<広島歴史博物館・草戸千軒>
●伝説の町「草戸千軒」●
広島県福山市は、瀬戸内海北岸のほぼ中央に位置する地方都市です。
中国山地から瀬戸内海に流れ込む芦田川河口の三角州に開けた平野を中心に発展し、現在の人口は約38万人です。
▼参照<芦田川 草戸千軒>
http://4travel.jp/traveler/godzilla/album/10155981/ -
福山市<広島歴史博物館・草戸千軒>
「草戸千軒」とは、この芦田川河口の三角州上にかつて存在した町の名です。
「草戸千軒」の名は、江戸時代の中頃に記された『備陽六郡志』という書物の中に、洪水で滅びた伝説の町として登場します。
しかし、町に関しての具体的な記述はなく、『備陽六郡志』がまとめられた頃には、どのような町だったのかは既に忘れ去られていたようです。 -
福山市<広島歴史博物館・草戸千軒>
幻の町「草戸千軒」の存在が注目されるようになったのは、1930年前後のことです。
それまで福山市街地を曲がりながら流れていた芦田川を、市街地の西端にまっすぐ付け替える工事が行われ、その際に、工事現場から多量の古銭や石塔、中国産の陶磁器などが出土したのです。 -
福山市<広島歴史博物館・草戸千軒>
そして、浜本鶴賓氏や光藤珠夫氏など地元の熱心な研究者によって、ここが幻の町「草戸千軒」の跡であることが明らかにされていったのです。
しかし、当時は本格的な発掘調査を実施することもできず、遺跡は新しい川の流れの中に孤立することになり、水流によって次第に崩壊していきました。 -
福山市<広島歴史博物館・草戸千軒>
発掘調査によって、草戸千軒の集落に関係するさまざまな施設と、そこで使われた多様な生活用具が明らかになりました。
たとえば、井戸や建物、柵や溝、池やごみ捨て穴などの跡が発見され、町並みの様子が明らかになりました。 -
福山市<広島歴史博物館・草戸千軒>
また、そこで使われたさまざまな道具の出土によって、この集落での生活の様子が復原できるようになりました。
こうした、中世の民衆生活の実体を示す資料は、それまでの歴史研究ではほとんど明らかになっていなかったもので、多くの人々から注目されることになりました。 -
福山市<広島歴史博物館・草戸千軒>
出土遺物の量は膨大なもので、すべての資料の分析は未だ終了していません。整理が一段落し、点数が把握できるものだけでも50万点以上に及んでいます。 -
福山市<広島歴史博物館・草戸千軒>
この遺跡の特徴の一つは、地下水の豊富な場所にあったため、木製品や繊維製品といった有機質の遺物が非常に良好な状態で保存されていたことです。
調査の進行という面では水に悩まされましたが、そのおかげで、中世民衆の生活の実態を示す多くの情報が保存されることにもなったのです。 -
福山市<広島歴史博物館・草戸千軒>
その他に、焼き物をはじめとする数多くの生活用具が出土しましたが、それらが「草戸千軒」の町の周辺からだけもたらされていたのではなく、日本列島各地、されには東アジア一帯からもたらされた製品も数多くあったことが明らかになりました。
このことは、私たちが想像していた以上に、流通活動が活発に行われていたことを示しています。 -
福山市<広島歴史博物館・草戸千軒>
これらの出土資料によって、この集落は13世紀中葉に成立し、16世紀初頭に衰退した集落だということがわかりました。 -
福山市<広島歴史博物館・草戸千軒>
<復元された町並み>
出土遺物の中には「木簡」と呼ばれる文字の記された木札が数多く含まれております。
それを解読することによって、この集落の中に商取引や金融業を営む人物が存在し、福山湾岸や芦田川下流域の経済拠点だったことが明らかになりました。 -
福山市<広島歴史博物館・草戸千軒>
この他にも、鍛冶の道具、漆塗りの道具、大工道具なども出土しており、手工業に携わる職人たちの存在も確認できます。 -
福山市<広島歴史博物館・草戸千軒>
また、船着き場と考えられる場所も発見されていることから、港としての機能もあったようです。
したがって、この集落は「市」や「港」としての性格を併せもつ町だったと言えるでしょう。 -
福山市<広島歴史博物館・草戸千軒>
農業以外の生業に関係した人々の活動の様子は、従来の文字に書かれた記録を中心とした研究ではなかなか明らかにできませんでした。 -
福山市<広島歴史博物館・草戸千軒>
しかし、草戸千軒町遺跡の発掘調査をきっかけに、非農業民の活動が中世社会で大きな役割を果たしていたことがわかってきました。 -
福山市<広島歴史博物館・草戸千軒>
そして、それまでの農業を中心とした中世社会の見方は大きく変えられることになり、漁業・商業・工業・輸送業・金融業など、さまざまな活動に従事した人々の実像にも関心が向けられていくことになったのです。 -
福山市<広島歴史博物館・草戸千軒>
金属製品の中で目立つのは貨幣でしょう。中世の日本では、公式の貨幣は発行されていなかったため、ほとんどを中国から輸入した銅銭によってまかなっていました。
草戸千軒町遺跡からも、二万枚以上の銅銭が出土しています。
特に興味深いのは、保管された状態の銅銭がまとまって出土したものです。 -
福山市<広島歴史博物館・草戸千軒>
豊富な木製品が出土していることは、この遺跡の特徴の一つです。その種類もさまざまな範囲におよんでいます。
装身具類としては、櫛が出土しています。履物の出土も多く、下駄やわらじの他に「板金剛(いたこんごう)」と呼ばれる木の芯を藁で包んだ草履も出土しています。
こうした中世民衆の精神世界をうかがううことのできる資料は、それまでほとんど知られていなかったもので、草戸千軒町遺跡の資料は非常に貴重なものとなっています。 -
福山市<広島歴史博物館・草戸千軒>
「御堂」
御堂は町の人々によって建立されたもので、建てられてから30年ほど経過しています。
風雨によって傷んできているため、修復をしているという想定です。
御堂は『一遍上人絵伝』に描かれている方形(ほうぎょう)造りの堂としました。 -
福山市<広島歴史博物館・草戸千軒>
「御堂」
御堂のかたわらの墓地は『餓飢草紙』(がきぞうし)を参考にし、石積基壇の上に由緒ある五輪塔を立て、その周囲には小さな石塔を配し、石塔の後ろには板塔婆(いたとうば)を立てました。 -
福山市<広島歴史博物館・草戸千軒>
「御堂」
御堂の内部には、木造地蔵菩薩坐像を安置しています。WEBサイトより -
福山市<広島歴史博物館・草戸千軒>
信仰や呪術に関係する製品も出土しています。
人形・鬼形・舟形・刀形・陽物などの形代(かたしろ)や、まじないを記した呪符などの他、毬杖(ぎっちょう)や羽子板・独楽(こま)といった遊戯具も、呪術信仰と深い関係があったと考えられます。 -
福山市<広島歴史博物館・草戸千軒>
木の札に墨でメモ書きした木簡は、当時の商業・金融の様子を知るための手がかりを提供してくれます。
木簡の記述を分析することによって、この集落が福山湾岸や芦田川下流域の経済拠点であったことも明らかになりました。
町家は石敷道路の両側に広がります。
鍛冶屋の建物は掘立柱(ほったてばしら)ではありますが、柱等の部材も自然木ではなく、また建具にも加工を加えるなど、ある程度番匠(ばんしょう=大工)の技術が見られます。 -
福山市<広島歴史博物館・草戸千軒>
屋根は板葺で、棟は一木割材で押さえ、石を置いています。壁は土壁塗りです。
内部は仕事場の土間と生活空間の板の間とに分かれ、仕事場が神聖なことを意味するために境にはしめ縄を張っています。 -
福山市<広島歴史博物館・草戸千軒>
所在地 広島県福山市西町2−4−1
交通案内 JR福山駅下車、北口から西へ400m
山陽自動車道 福山東・福山西ICから約20分
開館時間 午前9時〜午後5時(入館は午後4:30)
休館日 月曜日(祝休日の場合は開館)
年末年始(12月28日〜1月4日)
その他展示替えなどのため、臨時に休館あり。
入館料 一般:290円(220円)
大学生:210円(160円)
高校生まで無料
※( )内は団体20名以上
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