サンクトペテルブルク旅行記(ブログ) 一覧に戻る
10月4日から9日にかけて、ロシアのサンクトペテルブルグ、フィンランドのハメーンリンナ、ヘルシンキに行ってきた。毎年この時期に親しい旅仲間と海外に出かけることになっていて、今年はそれがロシアとフィンランドとなった。出発は4日の午前11時。中部空港への集合は午前9時だったのだが、定刻10分前には全員が集合していた。 <br /> フィンランド航空に初搭乗。ヨーロッパにもっとも早いというだけあって、10時間足らずでヘルシンキ到着、そのままトランジットでサンクトペテルブルグに向かった。飛行会社はプルコボ航空。イリューシンじゃないか、結構事故の多い会社じゃないかと戦々恐々だったが、機体は古い737で、離陸から40分ほどであっという間に到着。初めてロシアの地を踏んだ。 <br /> サンクトペテルブルグは、旧レニングラードでかつてのロシア帝国の首都。人口が400万人ほどの大都会で、空港から市内までは、20キロほどだが、渋滞で1時間半かけて市内に入った。市内に入ってまずは夕食。初めてのロシア料理はマッシュルームスープとサラダ、メインは豚のシャリク(豚の串焼き)だった。シンプルでおいしかった。 <br /> 翌日は朝7時から我々のツアー恒例の散歩。まだ真っ暗の街を地図を片手に1時間ほどの散歩。主な建物はライトアップされ、一ブロックごとに景色が変わって、見るところは尽きなかった。メインの目的地であるエルミタージュ美術館にもたどり着いて、いよいよ期待が高まった。 <br /> 散歩が終わってホテルに戻って朝食。その後早速観光が始まった。最初の見学地はエカテリーナ宮殿。もとはそれなりに質素だったようだが、エカテリーナ女王の趣味できらびやかに建て替えられ、金をふんだんに使った豪華絢爛な建物だった。どこかで見たことがあると思ったが、パリのベルサイユ宮殿とよく似ている。建物のみならず庭園の配置も似ているというよりそっくりだった。ロシア皇帝や女王はフランスやイギリスにあこがれていたということがよくわかる。このあとの昼食はボルシチとビーフストロガノフというロシアを代表する料理。ストロガノフというのはサンクトペテルブルグのストロガノフ公爵の名前を取ったものというから地元料理だ。ボルシチはビーツという仲間で赤いカブのことで、スープの色もその赤が起因している。日本では野菜たっぷりのスープのことだと思っていたが、本場のは細かく煮込んだハムなどが入っていて少しイメージが違った。でもとてもおいしいものだった。 <br /> 昼食後、いよいよ期待のエルミタージュ宮殿へ。ところが、バンコックもびっくりの大渋滞に巻き込まれ、通常なら1時間程度だそうだが、2時間経ってもまだ到着できず、予約の関係で見ることができるのはこの日だけということもあって、さすがに焦った。 <br /> ようやく到着したのは午後3時を回ってから。4つの建物から構成される広い広い美術館を駆け足で回ることとなった。美術品はさすがに世界中の名作が集められ、見ごたえはあったが、世界の3大美術館のひとつといわれるほどの感動は正直言ってなかった。午後6時ちょうどまで鑑賞、実はこの夜には、もうひとつの鑑賞が待っていた。<br />エルミタージュ美術館の鑑賞のあとはロシアならではのクラシックバレエの鑑賞に向かった。本来の予定では午後5時には美術館をでて、一旦夕食の予定だったが、渋滞の影響で、食事は鑑賞後ということにして、先にバレエを見ることになった。劇場はエルミタージュ劇場。美術館と同じ建物の一部にある。座席が自由席のため、現地のガイドの勧めで19時半開演というのに1時間早く劇場に。席を確保して、一旦休憩。定刻になると劇場内は満席。3分の1は日本からの観光客が占めていた。この日のタイトルは「白鳥の湖」。本場のバレリーナのテクニックを堪能。中でも4人組の踊りは完璧で、魅了された。サンクトペテルブルグには、マリインスキー劇場や、ムソルグスキー劇場というよく知られた劇場があるが、その二ヶ所とも劇場が閉鎖中で、例年10月以降開場なのだそうだが、今年はなんと日本で公演中ということだった。それで3番目の規模のエルミタージュ劇場となったのだが、定員は400人程度の小さな劇場にもかかわらず、オーケストラピットにはフルオーケストラが控え、ステージは奥行が深くて、大劇場並みだった。日本ではおそらく数千人入る大劇場での公演だろうが、わずか400人程度の観客で楽しめたことは特筆ものだった。 <br /> 終演は10時過ぎ、歩いてホテルに戻り、遅い夕食となった。この日は金曜日ということでホテルのラウンジには人があふれ、大賑わい、われわれもラウンジの中の個室でキエフ風カツレツの弁当??を日本から持ち込んだ日本酒とともにいただいた。ロシアでも弁当というのがなんとも珍しかった(写真) <br /> 翌日はサンクトペテルブルグの市内めぐり、青銅の騎士像やピヨートル大帝像、聖イサク寺院などを見た後、夏の宮殿へ。ベルサイユ宮殿を強く意識して立てられたというだけあって、建物も庭園もよく似ている。有名な噴水はいたるところにあって、動力を使わないで水を循環させていることで知られているが、さすがに圧倒された。 <br />そのあとは一路空港へ。また渋滞でひやひやしながら、午後5時過ぎにプルコボ空港に到着。往路と同じくプルコボ航空機でフィンランド、ヘルシンキに向かった(写真)。やっぱりイリューシンじゃなく、737だったが、あまりに古い機体で、座席には灰皿もついていて、これはこれで怖い。 <br />ヘルシンキのバンター空港は、プルコボ空港に比べると大変おしゃれな空港で、空港内のレストランで夕食となった。<br />ヘルシンキのバンター空港を出たのは夜9時。そのままバスで100キロ近く離れたハメーンリンナの街に向かった。ハメーンリンナはシベリウスの生まれ育ったところで、人口5万人程度の小さな町、湖もありとてもきれいな街だった。フィンランドは日本の面積とほぼ同じ大きさの国土で人口はわずか500万人。北部の緯度の高いところでは無人の地帯も少なくないという小国だが、街はとても落ち着き、人の表情も豊か。ノキア以外目立った産業もなく、収入も平均で年5,600万円程度というが、住宅も車もとてもきれいで、ゆとりすら感じられる。 <br /> 泊まったホテルは湖に面し朝は、散歩する市民が行き交いながら、声をかけあう(写真)、紅葉真っ只中の澄んだ空気の中、湖を見ながら歩くのはとても気持ちがいい。このハメーンリンナは、古城のハメ城を中心に発展した町で、森と湖の国というフィンランドらしい、景観に恵まれた町だ。実業家ヒューゴ・スタンデルシェルド大佐が1883〜1910年にかけて多数の人馬を投入して造った人工的な造営公園であるアウランコ公園などのすばらしい環境の公園もあり(写真)、歩き回って楽しいところだった。昼食はおしゃれな街中のレストランでカマスのフリッター。そのあと、ムーミン谷博物館(写真)でムーミンのお土産を買い込み、IITALAのガラス工芸品のアウトレットなどをみて回った。フィンランドの製品はいずれもとてもデザインのセンスが良く、シンプルながら主張するところは主張して、きらりと光る。イタリアのセンスとは違う洗練されたものを感じる。これが小国でも豊かな理由かもしれない。夜は、町に戻り、ホテルから歩いて街中のレストランに行き、トナカイのステーキ。脂のない硬い肉だが、においはさほどなく、私は好みだ。フィンランドのお酒は主にビールとフィンランドウオッカ。強い酒にあいそうな肉だと思った。<br />ツアーの最終日は、フィンランドの首都ヘルシンキへ。ヘルシンキは人口約50万人の街だが、整然として、とてもきれいな印象だった。北欧というイメージにもよく合っている。ハメーンリンナを朝早く出てヘルシンキ市内に入り、最初にシベリウス公園へ。ヘルシンキの最大の観光地なのか、朝早くから、大勢の観光客が訪れていた。とはいえ、アルミのユニークなモニュメントとシベリウスの顔の像があるだけで、サッポロの時計台を見たような気分になった。いかにシベリウスがこの国の貴重な有名人かということはよくわかった。 <br /> そのあと、テンペリアウキオ教会に。ここは岩盤をくりぬいて作ったユニークな教会で、教会というよりホール。事実、コンサートなどがよく開かれているという(写真)。教会というイメージとはかけ離れた建物で、シベリウス公園、テンペリアウキオ教会ともにそのデザイン力には目を見張るものがあった。 <br /> 日本人のツアーらしい訪問地が次の「かもめ食堂」。この春封切られた映画の舞台となったところで、そんな話題がなければわざわざ訪ねることもなかったような小さな食堂だった。名物はシナモンロールとコーヒーのようだが、誰もが同じオーダーをしているのがなんとも日本人らしく思わず笑ってしまった。観光地は誰かに見出され、そのあとの訪問者の話題が話題を呼んで観光地となるが、映画を基点に日本人だけのヘルシンキの観光地ということで、お客も確かに日本人ばかり、地図を片手に日本人女性が訪れていたが、むべなるかなであった。CMでも放送されているので気づくかもしれない。ヘルシンキ市内の住宅地にあり、ほんとに目立たないので、見つけるのも難しいと思う(写真)。 <br /> 次に向かったのは、ヘルシンキの港。年に一度のニシン祭りに遭遇。これはラッキーだった。船の後ろから桟橋に垂直につけ、船の後尾をそのまま屋台にしたユニークな店が並んで、新鮮な魚を売っていた。いろいろ味わいたかったが、これから飛行機で帰ることを考えるとそんなに買い込むわけにもいかず、サラダなどでいつも出てきたスモークサーモンを買った。スモークがよく効いていて、一番の土産となったようで、薄く切らず、サイコロ状に切ってそのままいただいたが、なんとも贅沢なおいしさだった(写真)。最後はデパートとスーパーで買い物。地元のお菓子や、ムーミンのお菓子などを買い込んだ。昼食のあと空港へ。あっという間の5日間。異文化体験ならぬ、胃文化体験でもあったが、食べて、飲んで、鑑賞して、歩いて、不思議な空間を移動したような旅であった。終わり。<br />

ロシア・サンクトペテルブルグとフィンランドの旅

2いいね!

2007/10/04 - 2007/10/09

1599位(同エリア1810件中)

0

10

ワイン好き

ワイン好きさん

10月4日から9日にかけて、ロシアのサンクトペテルブルグ、フィンランドのハメーンリンナ、ヘルシンキに行ってきた。毎年この時期に親しい旅仲間と海外に出かけることになっていて、今年はそれがロシアとフィンランドとなった。出発は4日の午前11時。中部空港への集合は午前9時だったのだが、定刻10分前には全員が集合していた。
 フィンランド航空に初搭乗。ヨーロッパにもっとも早いというだけあって、10時間足らずでヘルシンキ到着、そのままトランジットでサンクトペテルブルグに向かった。飛行会社はプルコボ航空。イリューシンじゃないか、結構事故の多い会社じゃないかと戦々恐々だったが、機体は古い737で、離陸から40分ほどであっという間に到着。初めてロシアの地を踏んだ。
 サンクトペテルブルグは、旧レニングラードでかつてのロシア帝国の首都。人口が400万人ほどの大都会で、空港から市内までは、20キロほどだが、渋滞で1時間半かけて市内に入った。市内に入ってまずは夕食。初めてのロシア料理はマッシュルームスープとサラダ、メインは豚のシャリク(豚の串焼き)だった。シンプルでおいしかった。
 翌日は朝7時から我々のツアー恒例の散歩。まだ真っ暗の街を地図を片手に1時間ほどの散歩。主な建物はライトアップされ、一ブロックごとに景色が変わって、見るところは尽きなかった。メインの目的地であるエルミタージュ美術館にもたどり着いて、いよいよ期待が高まった。
 散歩が終わってホテルに戻って朝食。その後早速観光が始まった。最初の見学地はエカテリーナ宮殿。もとはそれなりに質素だったようだが、エカテリーナ女王の趣味できらびやかに建て替えられ、金をふんだんに使った豪華絢爛な建物だった。どこかで見たことがあると思ったが、パリのベルサイユ宮殿とよく似ている。建物のみならず庭園の配置も似ているというよりそっくりだった。ロシア皇帝や女王はフランスやイギリスにあこがれていたということがよくわかる。このあとの昼食はボルシチとビーフストロガノフというロシアを代表する料理。ストロガノフというのはサンクトペテルブルグのストロガノフ公爵の名前を取ったものというから地元料理だ。ボルシチはビーツという仲間で赤いカブのことで、スープの色もその赤が起因している。日本では野菜たっぷりのスープのことだと思っていたが、本場のは細かく煮込んだハムなどが入っていて少しイメージが違った。でもとてもおいしいものだった。
 昼食後、いよいよ期待のエルミタージュ宮殿へ。ところが、バンコックもびっくりの大渋滞に巻き込まれ、通常なら1時間程度だそうだが、2時間経ってもまだ到着できず、予約の関係で見ることができるのはこの日だけということもあって、さすがに焦った。
 ようやく到着したのは午後3時を回ってから。4つの建物から構成される広い広い美術館を駆け足で回ることとなった。美術品はさすがに世界中の名作が集められ、見ごたえはあったが、世界の3大美術館のひとつといわれるほどの感動は正直言ってなかった。午後6時ちょうどまで鑑賞、実はこの夜には、もうひとつの鑑賞が待っていた。
エルミタージュ美術館の鑑賞のあとはロシアならではのクラシックバレエの鑑賞に向かった。本来の予定では午後5時には美術館をでて、一旦夕食の予定だったが、渋滞の影響で、食事は鑑賞後ということにして、先にバレエを見ることになった。劇場はエルミタージュ劇場。美術館と同じ建物の一部にある。座席が自由席のため、現地のガイドの勧めで19時半開演というのに1時間早く劇場に。席を確保して、一旦休憩。定刻になると劇場内は満席。3分の1は日本からの観光客が占めていた。この日のタイトルは「白鳥の湖」。本場のバレリーナのテクニックを堪能。中でも4人組の踊りは完璧で、魅了された。サンクトペテルブルグには、マリインスキー劇場や、ムソルグスキー劇場というよく知られた劇場があるが、その二ヶ所とも劇場が閉鎖中で、例年10月以降開場なのだそうだが、今年はなんと日本で公演中ということだった。それで3番目の規模のエルミタージュ劇場となったのだが、定員は400人程度の小さな劇場にもかかわらず、オーケストラピットにはフルオーケストラが控え、ステージは奥行が深くて、大劇場並みだった。日本ではおそらく数千人入る大劇場での公演だろうが、わずか400人程度の観客で楽しめたことは特筆ものだった。
 終演は10時過ぎ、歩いてホテルに戻り、遅い夕食となった。この日は金曜日ということでホテルのラウンジには人があふれ、大賑わい、われわれもラウンジの中の個室でキエフ風カツレツの弁当??を日本から持ち込んだ日本酒とともにいただいた。ロシアでも弁当というのがなんとも珍しかった(写真)
 翌日はサンクトペテルブルグの市内めぐり、青銅の騎士像やピヨートル大帝像、聖イサク寺院などを見た後、夏の宮殿へ。ベルサイユ宮殿を強く意識して立てられたというだけあって、建物も庭園もよく似ている。有名な噴水はいたるところにあって、動力を使わないで水を循環させていることで知られているが、さすがに圧倒された。
そのあとは一路空港へ。また渋滞でひやひやしながら、午後5時過ぎにプルコボ空港に到着。往路と同じくプルコボ航空機でフィンランド、ヘルシンキに向かった(写真)。やっぱりイリューシンじゃなく、737だったが、あまりに古い機体で、座席には灰皿もついていて、これはこれで怖い。
ヘルシンキのバンター空港は、プルコボ空港に比べると大変おしゃれな空港で、空港内のレストランで夕食となった。
ヘルシンキのバンター空港を出たのは夜9時。そのままバスで100キロ近く離れたハメーンリンナの街に向かった。ハメーンリンナはシベリウスの生まれ育ったところで、人口5万人程度の小さな町、湖もありとてもきれいな街だった。フィンランドは日本の面積とほぼ同じ大きさの国土で人口はわずか500万人。北部の緯度の高いところでは無人の地帯も少なくないという小国だが、街はとても落ち着き、人の表情も豊か。ノキア以外目立った産業もなく、収入も平均で年5,600万円程度というが、住宅も車もとてもきれいで、ゆとりすら感じられる。
 泊まったホテルは湖に面し朝は、散歩する市民が行き交いながら、声をかけあう(写真)、紅葉真っ只中の澄んだ空気の中、湖を見ながら歩くのはとても気持ちがいい。このハメーンリンナは、古城のハメ城を中心に発展した町で、森と湖の国というフィンランドらしい、景観に恵まれた町だ。実業家ヒューゴ・スタンデルシェルド大佐が1883〜1910年にかけて多数の人馬を投入して造った人工的な造営公園であるアウランコ公園などのすばらしい環境の公園もあり(写真)、歩き回って楽しいところだった。昼食はおしゃれな街中のレストランでカマスのフリッター。そのあと、ムーミン谷博物館(写真)でムーミンのお土産を買い込み、IITALAのガラス工芸品のアウトレットなどをみて回った。フィンランドの製品はいずれもとてもデザインのセンスが良く、シンプルながら主張するところは主張して、きらりと光る。イタリアのセンスとは違う洗練されたものを感じる。これが小国でも豊かな理由かもしれない。夜は、町に戻り、ホテルから歩いて街中のレストランに行き、トナカイのステーキ。脂のない硬い肉だが、においはさほどなく、私は好みだ。フィンランドのお酒は主にビールとフィンランドウオッカ。強い酒にあいそうな肉だと思った。
ツアーの最終日は、フィンランドの首都ヘルシンキへ。ヘルシンキは人口約50万人の街だが、整然として、とてもきれいな印象だった。北欧というイメージにもよく合っている。ハメーンリンナを朝早く出てヘルシンキ市内に入り、最初にシベリウス公園へ。ヘルシンキの最大の観光地なのか、朝早くから、大勢の観光客が訪れていた。とはいえ、アルミのユニークなモニュメントとシベリウスの顔の像があるだけで、サッポロの時計台を見たような気分になった。いかにシベリウスがこの国の貴重な有名人かということはよくわかった。
 そのあと、テンペリアウキオ教会に。ここは岩盤をくりぬいて作ったユニークな教会で、教会というよりホール。事実、コンサートなどがよく開かれているという(写真)。教会というイメージとはかけ離れた建物で、シベリウス公園、テンペリアウキオ教会ともにそのデザイン力には目を見張るものがあった。
 日本人のツアーらしい訪問地が次の「かもめ食堂」。この春封切られた映画の舞台となったところで、そんな話題がなければわざわざ訪ねることもなかったような小さな食堂だった。名物はシナモンロールとコーヒーのようだが、誰もが同じオーダーをしているのがなんとも日本人らしく思わず笑ってしまった。観光地は誰かに見出され、そのあとの訪問者の話題が話題を呼んで観光地となるが、映画を基点に日本人だけのヘルシンキの観光地ということで、お客も確かに日本人ばかり、地図を片手に日本人女性が訪れていたが、むべなるかなであった。CMでも放送されているので気づくかもしれない。ヘルシンキ市内の住宅地にあり、ほんとに目立たないので、見つけるのも難しいと思う(写真)。
 次に向かったのは、ヘルシンキの港。年に一度のニシン祭りに遭遇。これはラッキーだった。船の後ろから桟橋に垂直につけ、船の後尾をそのまま屋台にしたユニークな店が並んで、新鮮な魚を売っていた。いろいろ味わいたかったが、これから飛行機で帰ることを考えるとそんなに買い込むわけにもいかず、サラダなどでいつも出てきたスモークサーモンを買った。スモークがよく効いていて、一番の土産となったようで、薄く切らず、サイコロ状に切ってそのままいただいたが、なんとも贅沢なおいしさだった(写真)。最後はデパートとスーパーで買い物。地元のお菓子や、ムーミンのお菓子などを買い込んだ。昼食のあと空港へ。あっという間の5日間。異文化体験ならぬ、胃文化体験でもあったが、食べて、飲んで、鑑賞して、歩いて、不思議な空間を移動したような旅であった。終わり。

同行者
友人
一人あたり費用
30万円 - 50万円
交通手段
観光バス
航空会社
フィンランド航空
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
  • 中部空港からフィンランド行きの航空機はA340。ほぼ満席だった。

    中部空港からフィンランド行きの航空機はA340。ほぼ満席だった。

  • フィンランド・ヘルシンキバンター空港からサンクトペテルブルグに向かうプルコボ航空機。

    フィンランド・ヘルシンキバンター空港からサンクトペテルブルグに向かうプルコボ航空機。

  • エカテリーナ宮殿。ベルサイユ宮殿を意識して作られたというだけあって、スケールも大きく、華麗で豪華な建物だった。

    エカテリーナ宮殿。ベルサイユ宮殿を意識して作られたというだけあって、スケールも大きく、華麗で豪華な建物だった。

  • 名物のボルシチ。ビーツの赤が鮮やかで、味わいは深かった。

    名物のボルシチ。ビーツの赤が鮮やかで、味わいは深かった。

  • お目当てのエルミタージュ博物館。実はエカテリーナ宮殿からの移動が大渋滞で、予約した午後2時を大幅に過ぎて到着。閉館まで2時間足らずの駆け足鑑賞となった。

    お目当てのエルミタージュ博物館。実はエカテリーナ宮殿からの移動が大渋滞で、予約した午後2時を大幅に過ぎて到着。閉館まで2時間足らずの駆け足鑑賞となった。

  • エルミタージュ美術館の内部。多くの著名な作品が各部屋に点在している。

    エルミタージュ美術館の内部。多くの著名な作品が各部屋に点在している。

  • 宿泊したアングレテレホテル(奥)と手前が5つ星のアストリアホテル。都心の真ん中の便利な場所にあった。歩いてエルミタージュ博物館にもいける。

    宿泊したアングレテレホテル(奥)と手前が5つ星のアストリアホテル。都心の真ん中の便利な場所にあった。歩いてエルミタージュ博物館にもいける。

  • 青銅の騎士像。サンクトペテルブルグの名前の由来にもなっているピョートル大帝の像。

    青銅の騎士像。サンクトペテルブルグの名前の由来にもなっているピョートル大帝の像。

  • 夏の宮殿の有名な噴水。どこに行っても噴水だらけで、圧倒される。10月半ばまでということで、いいタイミングで訪れることができた。

    夏の宮殿の有名な噴水。どこに行っても噴水だらけで、圧倒される。10月半ばまでということで、いいタイミングで訪れることができた。

  • フィンランド、ヘルシンキの町並み。大変美しくきれいな町並みだった。

    フィンランド、ヘルシンキの町並み。大変美しくきれいな町並みだった。

この旅行記のタグ

2いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

ロシアで使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
ロシア最安 422円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

ロシアの料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP