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1988年1月、パリ・オーステルリッツ駅午後8時発の「Paris-Madrid TALGO」に乗る。<br />この時は2等寝台車で、1つのコンパートメントに2段ベッドが2つあった。<br /><br />同じ部屋に、もう1人日本人のサラリーマン旅行者がいた。<br />食堂車で話をすると、なんとこの人は「一週間でヨーロッパ一周旅行」をしているとのこと(この話は貴重なネタなので、ここではこれだけ…)。<br /><br />マドリッド到着は、チャマルティン駅へ翌朝の8時40分。<br />つまり、約12時間かかったわけだ。<br /><br />でも、夜のそれほど遅くない適当な時間に出発して、夜行列車で寝て、翌朝到着するのは理想的な移動だね。<br />知らない町に着いたらどうするか、まずその日の宿を決める。<br /><br />しかも朝だから、安全だし、時間は十分ある。<br />新しい町の宿は、ガイドブックや友達の話などに頼ってはダメ。<br /><br />現地の観光案内所で紹介してもらうのが一番確実だ。<br />チャマルティン駅には大きな観光案内所があったが、この時代、それほどスムーズには英語が通じなかった。<br /><br />確かに、僕が英語を勉強していたロンドンの「インターナショナルハウス」という一流英語学校にも、たくさんのスペイン人、イタリア人がやってきてた。<br />スペインやイタリアフランスでは、1988年ごろは英語はあまり通じなかったよ。<br /><br />案内所で、「町の中心で、安いところ」と指定して宿を紹介してもらう。<br />すると、電話をかけて部屋を取って、紙に住所を書いて、市内地図にしるしを付けてくれた。<br /><br />チャマルティン駅から地下鉄に乗って、地下鉄「プエルタ・デル・ソル」駅へ。<br />そこから歩いて、集合住宅の3階にあった安宿へ行った。<br /><br />特に良くも悪くもない部屋だったが、ベッドの頭のにあたる壁にキリストの像があったのが記憶に残っている。<br />バストイレは部屋の外で、千ペセタ(このころ千円)程度だったね。<br /><br />部屋を決めて、すぐに町へ出て歩き出す。<br />まずちょっと危険だという噂の「マヨール広場」、続いて「王宮」、それから引き返して、「プラド美術館」それから「レティロ公園」をちらっと見る。<br /><br />プラド美術館では日本人の団体客がいたので、ガイドの日本語解説を後について聞いたりした。<br />ここでは、ゴヤの特別展でもあったのか、ゴヤだらけだったよ。<br /><br />そのころピカソのゲルニカが近くの別の美術館に展示してあって、それも見にいった。<br />ちょっと疲れたので、宿へ歩いていると、日本人の団体がぞろぞろと進んでいるのを見つける。<br /><br />興味を持って彼らの後をつけていくと、日本レストランへ入っていった。<br />その場所を記憶しておいて、夜の食事時間に行ってみた。<br /><br />それが「どん底」、新宿のどん底という飲み屋の支店だという。<br />ウェイトレスも日本人の女の子だった。<br /><br />カウンターに座って、「今朝パリから着いたばかりなんですよ」と言う。<br />すると、みんな優しくしてくれた。<br /><br />カウンターの男性が「これはお店からです!」と、なんだったか忘れたが、一品サービスしてくれたよ(笑)。<br />これでもわかるだろうが、その時代は日本人がスペインに行くということ自体が、今では南米に行くような距離感があった。<br /><br />僕だって、ロンドンからドーバーを渡って、パリを経由して寝台車でスペインへ入ったんだからね。<br />それだけの、距離感があって、日本から遠く離れたもの同士の連帯感があったんだ。<br /><br />【旅行哲学】長い旅をしてたどり着いて、はじめて持てる連帯感がある。<br /><br />http://homepage3.nifty.com/worldtraveller/europe/prado.htm<br />

プラド美術館@マドリッド/スペイン(パリからマドリッドへ到着して、町を歩くと「どん底」を見つける)

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1988/01 - 1988/01

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みどりのくつした

みどりのくつしたさん

1988年1月、パリ・オーステルリッツ駅午後8時発の「Paris-Madrid TALGO」に乗る。
この時は2等寝台車で、1つのコンパートメントに2段ベッドが2つあった。

同じ部屋に、もう1人日本人のサラリーマン旅行者がいた。
食堂車で話をすると、なんとこの人は「一週間でヨーロッパ一周旅行」をしているとのこと(この話は貴重なネタなので、ここではこれだけ…)。

マドリッド到着は、チャマルティン駅へ翌朝の8時40分。
つまり、約12時間かかったわけだ。

でも、夜のそれほど遅くない適当な時間に出発して、夜行列車で寝て、翌朝到着するのは理想的な移動だね。
知らない町に着いたらどうするか、まずその日の宿を決める。

しかも朝だから、安全だし、時間は十分ある。
新しい町の宿は、ガイドブックや友達の話などに頼ってはダメ。

現地の観光案内所で紹介してもらうのが一番確実だ。
チャマルティン駅には大きな観光案内所があったが、この時代、それほどスムーズには英語が通じなかった。

確かに、僕が英語を勉強していたロンドンの「インターナショナルハウス」という一流英語学校にも、たくさんのスペイン人、イタリア人がやってきてた。
スペインやイタリアフランスでは、1988年ごろは英語はあまり通じなかったよ。

案内所で、「町の中心で、安いところ」と指定して宿を紹介してもらう。
すると、電話をかけて部屋を取って、紙に住所を書いて、市内地図にしるしを付けてくれた。

チャマルティン駅から地下鉄に乗って、地下鉄「プエルタ・デル・ソル」駅へ。
そこから歩いて、集合住宅の3階にあった安宿へ行った。

特に良くも悪くもない部屋だったが、ベッドの頭のにあたる壁にキリストの像があったのが記憶に残っている。
バストイレは部屋の外で、千ペセタ(このころ千円)程度だったね。

部屋を決めて、すぐに町へ出て歩き出す。
まずちょっと危険だという噂の「マヨール広場」、続いて「王宮」、それから引き返して、「プラド美術館」それから「レティロ公園」をちらっと見る。

プラド美術館では日本人の団体客がいたので、ガイドの日本語解説を後について聞いたりした。
ここでは、ゴヤの特別展でもあったのか、ゴヤだらけだったよ。

そのころピカソのゲルニカが近くの別の美術館に展示してあって、それも見にいった。
ちょっと疲れたので、宿へ歩いていると、日本人の団体がぞろぞろと進んでいるのを見つける。

興味を持って彼らの後をつけていくと、日本レストランへ入っていった。
その場所を記憶しておいて、夜の食事時間に行ってみた。

それが「どん底」、新宿のどん底という飲み屋の支店だという。
ウェイトレスも日本人の女の子だった。

カウンターに座って、「今朝パリから着いたばかりなんですよ」と言う。
すると、みんな優しくしてくれた。

カウンターの男性が「これはお店からです!」と、なんだったか忘れたが、一品サービスしてくれたよ(笑)。
これでもわかるだろうが、その時代は日本人がスペインに行くということ自体が、今では南米に行くような距離感があった。

僕だって、ロンドンからドーバーを渡って、パリを経由して寝台車でスペインへ入ったんだからね。
それだけの、距離感があって、日本から遠く離れたもの同士の連帯感があったんだ。

【旅行哲学】長い旅をしてたどり着いて、はじめて持てる連帯感がある。

http://homepage3.nifty.com/worldtraveller/europe/prado.htm

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