2008/02/11 - 2008/02/11
231位(同エリア262件中)
のださん
聖徳記念絵画館というところがあり、その入館券を持っていますが、3月31日まで有効ということで、もうそろそろ行かなければいけないと思っていたので、今日行くことに。
ついでに周りで見るべきものを見ておこうと思い、検討した結果、四谷から入って、新宿御苑を通って、聖徳記念絵画館でしめる、というコースを採ります。
めちゃくちゃ歩く量が多い。
前半(午前中)は、寺社巡りが中心となりそうです。
江戸城の外堀を造るために、麹町の多くの寺社が四谷に移転してきたようです。
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四ッ谷駅を降りて新宿通りを西へ進み、佃煮の有明家があります。
詳しくは知りませんが、ここも老舗で評判が良いようです。 -
四谷中学校へ向かっていく途中の道路右側。
「二葉亭四迷旧居跡」の説明板が立っています。
ちょっと見つけにくいなあ。
四迷は、尾張藩士の子として市谷本村町の尾張徳川家上屋敷(http://4travel.jp/traveler/last-sam/pict/12546445/)で生まれました。
ここは父方の実家・水野家の跡。
明治13年(1880年)から1年間過ごしたとのことです。 -
この界隈は道がわかりにくい。
くねくね曲がりながら歩いていって、浄土宗・西念寺に到着。
服部半蔵が文禄2年(1593年)に創建しました。
元は清水谷にありましたが、江戸城拡張工事により現在地に移ってきました。 -
服部半蔵墓。
当寺院は元々「安養院」と呼んでいたそうですが、徳川家康の長男である岡崎三郎信康を供養するために建立したとのことです。
信康が自害した後出家したということですね。
西念と号したため西念寺となりました。
「槍の半蔵」とも称されていましたが、本堂には、服部半蔵が愛用していた槍が納められているそうです。
新宿通りを東へ進むと、半蔵門に突き当たります(http://4travel.jp/traveler/last-sam/pict/12396118/)。 -
本堂右側の道をちょっと入ると、岡崎三郎信康供養塔。
半蔵は結局介錯を果たせなかったという話も根強く残っているようです。
事実、ここの説明板ではその説を採っています。
信康も半蔵も、さぞかし無念だったでしょう。
信長に切腹を命じられたという話も、確証はないようです。 -
西念寺の西側を観音坂と言います。
この界隈は実に坂が多いですね。
歩くのも結構大変ですよ。
四谷というのは文字通り四つの谷があったことに由来するという説もあるらしくて、そうであれば坂が多いのも当然かもしれません。
坂を下っていくと右に真成院があり、そこの潮踏観音に由来する坂名だそうです。
江戸時代以前には四谷周辺が潮踏の里と呼ばれたとのことです。 -
こちらがその真成院。
潮の干満により台石が湿ったり乾いたりするので、潮踏観音は汐干観音とも呼ばれたそうです。 -
東福院坂。
坂を上っていくと左側に東福院があることから名付けられています。 -
坂を上って右側にある真言宗の愛染院へ参拝します。
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墓地の前に碑があり、塙保己一の名が見えますね。
これ自体は別に墓ではなく、こちらに先生のお墓がありますよ、ってことを示しているのでしょう。
塙保己一は江戸中期の盲目の国学者です。
7歳のときに失明し、13歳で江戸に出て、学問に励みます。
萩原宗固、賀茂真淵らに師事します。
和学講談所を設立し、「群書類従」を編纂します。
他に、内藤新宿の生みの親といわれる高松喜六の墓もあります。
甲州街道最初の宿場は高井戸で、遠いからもっと近くに造ろうぜ、ってことで願い出ました。
その新しい宿場の場所というのが内藤氏屋敷地、現在の新宿御苑です。
高松氏は、代々内藤新宿の名主を勤めました。 -
愛染院の向かい側に東福院。
ここは豆腐地蔵で有名です。
陰でよこしまなことをしている豆腐屋がいました。
ある和尚が豆腐を買うようになり、それ以来売上金を入れておく竹筒にシキミの葉が2、3枚入っているようになりました。
あの和尚がやったに違いない、そう思った豆腐屋の男は、あるとき和尚がやってくると、その手首を切り落としました。
和尚が逃げ帰った跡に血が垂れているので辿ってみると、東福院地蔵堂の前に地蔵がにっこり笑って立っており、それを見た豆腐屋の男はすっかり改心し、豆腐屋はますます繁盛するようになった、というお話。
どれが豆腐地蔵かわかりませんでした。
公開しているのかどうかも。 -
東福院坂を下りて、右、つまり西に進むと、やがて円通寺坂。
また坂ですよ。
このすぐ左にその円通寺があります。 -
円通寺坂を上っていって右側。
これもまたわかりにくい入り口ですが、祥山寺。
この界隈を若葉と言いますが、江戸時代に伊賀組の人々が居住しており、彼らの霊を供養する忍者地蔵があったことから、忍者寺として知られます。
明治中頃の三銭学校の跡地でもあります。
貧しい家庭の子弟を教育するため、毎日三銭の寄付を募り、祥山寺に学校を開きました。 -
東福院坂まで戻り、東福院坂とは逆の方向に入っていくと、須賀神社が見えます。
東福院坂は別名「天王坂」「須賀坂」などとも呼ばれますが、もちろんこの神社に由来します。
天王坂というのは、牛頭天王を祀っているからですね。 -
社殿内には、三十六歌仙の絵が掲げられています。
戦災でほとんどの社宝が焼失してしまいましたが、三十六歌仙の絵はかろうじて焼け残ったそうです。
四谷大番町の旗本で画家の大岡雲峰が天保7年(1836年)73歳のときに奉納したものだと言われています。
書は公家・千種有功によるものです。 -
ああ、こちらに絵の説明がありますね。
説明と言うか、見やすくしてくれています。
これはわかりやすくて良いです。 -
須賀神社から南に進み、曹洞宗の勝興寺にやってきました。
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首切り役人である山田朝右衛門の一族の墓があります。
「天寿院」とあるのが、安政の大獄で吉田松陰らを刎ねた七世浅右衛門吉年。
「萬昌院」とあるのが、六世朝右衛門吉昌。 -
勝興寺のすぐ南側に、西應寺。
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本堂裏の墓地に、「最後の剣客」と称された榊原鍵吉の墓があります。
安政3年(1856年)幕府が開設した講武所で剣術師範役に抜擢されます。
上野戦争では幕府遊撃隊頭取として活躍しましたが、戦後は徳川家と共に静岡に移住します。
明治3年に帰京し、明治6年には撃剣会を発足し、剣術の隆盛をはかります。
明治27年(1894年)9月11日に65歳で死去するまで髷を切らなかったそうです。 -
東へ進んで戒行寺。
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「鬼平」こと長谷川平蔵宣以の供養碑です。
長谷川平蔵宣以の名は過去帳に記録されていますが、お墓自体はないようです。
父である長谷川平蔵宣雄もこちらに葬られているそうです。
火付盗賊改方であった父・宣雄は目黒行人坂大火で放火犯を捕らえて(http://4travel.jp/traveler/last-sam/pict/12926432/)わずか10ヶ月で急逝します。
宣以は家督を継ぎ、寛政の改革で石川島人足寄場(現代で言うところの職業訓練施設・犯罪者更生施設のようなもの)を設置するという功績を果たします。
寛政7年に亡くなります。
享年50歳。 -
戒行寺から東へ下っていく坂を戒行寺坂と呼びます。
坂の途中に豆腐屋があり、質の高い油揚げを作っていたことから、別名油揚坂とも呼んだそうです。 -
戒行寺と道路を挟んで向かい側。
曹洞宗の日照山宗福寺。 -
名刀工として名高い源清麿の墓があります。
本名山浦環。
江戸に出て、幕臣である窪田清音に指示します。
四谷北伊賀町に移り住み、その切れ味は正宗のようだとして、「四谷正宗」と称されるようになります。
42歳で自害。 -
引き返して西へ進みます。
道路の南側にある、日蓮宗・本性寺へ到着。
こちらは北向き毘沙門天で有名です。
たしかに、私は南を向いており、毘沙門堂はこちらを向いているので、北向きということになります。
毘沙門天像は太田道灌の時代からあり、元は江戸城本丸にあったとのことです。
徳川家康が、北方の伊達氏が謀反を起こさぬよう、毘沙門天を北向きに安置して祈願したという説が伝わっています。
徳川綱吉の側室・春麗院殿の発願により、堂と共に寄進されました。 -
萩原宗固の墓。
養父母のお墓と並んでいるようです。
萩原宗固は国学者で、塙保己一の国学・和歌の師匠に当たります。
松平定信を養成したりもしたそうです。
市谷本村町で生まれ、四谷左門町・荒木町に居住した、とのことです。 -
本性寺から北へ進みます。
この界隈は左門町です。
左右から似たようなのぼりが突き出ています。
向かって右側(手前)が於岩稲荷陽運寺、左側(奥)が於岩稲荷田宮神社。
どうもよくわからないですが、この2つ、実は本家争いをしているとかいないとかいう話があるそうです。
何を争っているのかは知りません。 -
まずは陽運寺。
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「於岩稲荷水かけ福寿菩薩」と縁の井戸なるものが残っています。
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続いて於岩稲荷田宮神社。
今でも四谷怪談で演じる役者たちが無事に演じられるよう必ず参拝する、と紹介されるのは、多分こちらのほう。
ちなみにお参りしないと必ずたたりが起きるのだそうです。
お岩さんというのは実在の人物で、貞淑な女性で夫の田宮伊右衛門とも仲睦まじく、お墓は巣鴨の妙行寺にあるとのことです。
妙行寺は元は四谷にあり、お岩さんの家は妙行寺の檀家だったそうです。
お岩さんが田宮家の庭の屋敷社を信仰していたおかげで、禄高が少ない田宮家も隆盛を極めました。
これがたちまち江戸中の噂になり、一般の人も参拝するようになった、という話らしいです。 -
四谷怪談と当神社をめぐる記事が紹介されています。
お岩さんの死後200年近くたって、於岩稲荷の人気に目をつけた鶴屋南北が、善人じゃ面白くないから、っていうことで脚色をどぎつくした、ってことだそうですが、他にもいろいろ話があり、複雑すぎて私にはよくわかりません。 -
外苑東通りを渡って西へ進み、長善寺にやってきました。
通称笹寺、こちらのほうが通りが良いようです。
徳川秀忠が鷹狩りの途中で立ち寄り、境内一面に笹が生えていたので「笹寺」と名付けました。
秀忠の死後、夫人の崇源院が寄進したと伝えられる「めのう観音」が寺宝です。
赤瑪瑙材で彫られた、高さ4.9cmの小像だそうです。 -
勧進相撲創始碑、みたいなものがあるという話を聞いていましたが、はっきりと示したものがないので、わかりにくい。
こちらは、刻まれている文字が読みにくいが、「角力」と見えますので、多分これのことでしょう。
寛永元年(1624年)、伝説ではあるが初代横綱と言われる明石志賀之助が、四谷塩町で晴天6日間の興行を行ったのを、江戸勧進相撲の始まりとしているようです。
これは相撲大全に載っている話だそうで、嬉遊笑覧によると、「寛文元年(1661年)」だということです。
東京角力協会が建てたとのことですが、角力と書いてすもうと読ませるのは、多分かつては土俵の形が四角だったとかそんな理由なのでしょう。
沖縄角力は有名ですね。
明石志賀之助は実在しなかったとすると、勧進相撲の始まりというのもここではない可能性も当然高いです。
明石志賀之助の碑は、宇都宮の蒲生神社にあります(http://4travel.jp/traveler/last-sam/pict/12150184/)。 -
四谷3丁目交差点付近までやってまいりました。
ちょうど消防博物館の新宿通りを挟んで向かい側辺り。
「お岩水かけ観音」。
説明は読みにくくてよくわかりません。 -
交差点を渡り、消防博物館から真っ直ぐ北へ。
突き当たりからちょっとくねくね曲がって、浄土宗の紅葉山西迎寺へ到達。 -
入って右側に、阿弥陀如来座像。
名鋳物師と言われた椎名伊予守良寛が、元禄7年(1694年)に造立し、旗本である伏見勘七郎が父の供養のために寄進したものです。区内最大級の阿弥陀如来座像とのことです。 -
梵鐘。
椎名伊予守良寛が造り伏見勘七郎が寄進したという点は同じです。
こちらも史料価値は高いようです。 -
よくわからない道をくねくね曲がって、全勝寺。
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本堂前に、山県大弐記念碑。
山県大弐は、江戸中期の尊王思想家です。
吉田松陰も影響を受けています。
著書の「柳子新論」が、尊王思想を説いたり、幕府の失政を批判したりしたものであったので、藤井右門とともに捕らえられて、明和4年(1767年)、伝馬町の刑場で処刑されます。
これを明和事件と言います。 -
新坂。
全勝寺の跡地を削って新しくできたから名付けられたそうです。 -
新坂から真っ直ぐ南へ行くと、杉大門通りとなります。
この界隈を荒木町と言いますが、そのメインストリートかどうかは知りません。
まあ多分そうなのでしょう。
全勝寺の山門が杉材で造られていたことに由来するという話があるそうです。
四谷は杉林が多く杉材の産地として有名だった、とのことです。
荒木町はかつて花柳街として賑わったので、ざっと見たところスナックなどが多い感じです。 -
杉大門通りから少し東側。
金丸稲荷神社を見つけました。 -
金丸稲荷神社のすぐ隣の店、とんかつ鈴新と言うそうですが、松平容保の宣伝、と言ったらおかしいが、まあそのようなものが貼ってあります。
荒木町19番地辺りで生まれたそうです。
へえ、そいつは知らなかった。
とんかつ鈴新も、この界隈では親しまれている店のようです。 -
金丸稲荷神社のわき道を北へ道なりに進み、策の池に着きました。
天和3年(1683年)、美濃国高須藩・松平摂津守義行が幕府より現在の荒木町一帯を拝領し上屋敷としました。
松平摂津守(徳川家康という説も)が、ここで乗馬用の策(むち)を洗ったので、「策の池」と名付けられたという説があります。
祀られているのは「津の守弁財天」。
かつては大きな滝が流れ落ち、景勝地として知られていたそうですが、徐々に埋め立てられて、今はこの小さな池を残すのみ。 -
杉大門通りまで戻って、ランチを摂ります。
「鮨處八千代 四谷総本店」にします。
ここもそこそこ有名と言えば有名のようです。 -
大トロが入って大変お得な「今日のランチ」(1,050円)を勧められたので、それにします。
大トロのみならず他のネタも、口の中でとろけて非常においしい。
これは確かにお得です。
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