2007/12/08 - 2007/12/08
445位(同エリア609件中)
のださん
朝倉彫塑館から書道博物館まで回ります。
途中には、江戸時代から続く老舗がありますので、ちょっと立ち寄ります。
前半の寺院巡りに時間がかかり過ぎて、すでに11時を過ぎています。
時間がかかるのは、道がわかりにくいというのもあると思います。
谷中というのは、都心では珍しく区画整理がなされていない地域だそうで、それも一因なのでしょう。
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やっとこさ朝倉彫塑館に到着。
朝倉文夫の自宅兼アトリエを一般公開している美術館。
建物は朝倉文夫自身の設計によるものです。
外壁は真っ黒ですが、これは実はコールタール。
通常は表には出ない材質を外壁として使うところに、彼の非凡さが表れています。
屋上の彫刻物も挨拶してくれているようで楽しいですね。 -
入り口前で出迎えてくれるのは「雲」という1908年(明治41年)の作品だそうです。
館内の展示物は撮影禁止です。 -
中庭も目の保養になります。
朝倉彫塑館は、展示物よりもむしろ建築物を楽しむところであるような気がします。
日本建築と西洋建築に分かれており、数寄屋造の住居棟と鉄筋コンクリート造のアトリエ棟から成っています。
木造部分には残念ながら入ることができません。
住居とアトリエに囲まれる形で中庭が存在します。
「五典の水庭」と言って、朝倉が自己反省の場として使っていたそうで、儒教に基づき「仁」「義」「礼」「智」「信」の5つの巨石が配されています。
手前に見える仁石ですけども、実は浮いているのだそうです。
「仁も過ぎれば弱となる」 -
屋上に上がります。
2本のオリーブの木が迎えてくれます。
これは朝倉自身で植えたもので、60年は経っていると思います。
このオリーブもそこそこ知られているそうです。 -
よく見ると少し実がなっていますね。
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屋上にも庭園があるとは、なかなかやりますね。
現存する最古の屋上庭園なのだそうです。
入る時に迎えてくれた彫刻物が背中を向けています。
「彫刻家は粘土で物を作り
園芸は土で植物を育てる
どちらも土で命を作りだしている」
朝倉文夫の言葉です。 -
中庭を見下ろしてみます。
朝倉彫塑館は、国の名勝に指定される運びとなっているのだそうです。
彫塑館の中でも中庭は特に人気なのでしょうね。
名勝の名にふさわしいと思います。
朝倉の設計論を「アサクリック」と称するそうです。
アサクリックに浸ることができて満足です。 -
谷中霊園方面を眺めます。
今度は霊園をちょこっとだけ歩きます。 -
朝倉彫塑館を出て、直接はつながっていないのでぐるっと回る必要がありますが、幸田露伴居宅跡の説明板が立っています。
実際にこの位置だったかどうかはわかりませんが、この近くということでしょう。
ここに住んだのは、明治24年1月からの2年間なのだそうです。
ここから毎日五重塔を眺め、明治24年11月に発表したのが「五重塔」。
実際は新聞紙上の連載ですね。 -
そしてまたてくてく歩いて、天王寺五重塔跡までやってきました。
最初の五重塔は、寛永21年・正保元年(1644年)に完成し、明和9年(1772年)に目黒行人坂の大火で焼失しました。
それから19年後の、寛政3年(1791年)に近江国高島郡の棟梁八田清兵衛ら48人によって五重塔は再建され、この塔が幸田露伴の「五重塔」のモデルとなったことはよく知られています。
ちなみに「五重塔」の主人公の一人は「十兵衛」ですが、それはいいとして。
震災、戦災をくぐり抜けましたが、昭和32年(1957年)7月6日、放火により焼失しました。
この放火は心中事件によるもので、当然社会的には大いに非難を浴びたようです。 -
安立院。
元は天王寺の塔頭で、だから今でも山号は長耀山なのでしょう。
非公開のようですが、幕末に活躍した浅野梅堂の墓があるそうです。
浅野梅堂は学者で文人画家でもあり、中国書画の研究にも力を入れました。 -
天王寺。
元は日蓮宗で、長耀山感応寺尊重院と称し、道灌山の関小次郎長耀に由来する古刹、ということですが、この後訪問する予定の善性寺の話とよく似ていて、日蓮が関家に泊まった時にしゃもじが云々(http://4travel.jp/traveler/last-sam/pict/13111422/)、という話があるらしくて、関小次郎長耀と関善左衛門は同一人物か、という疑問も生まれますが、不勉強でよくわかりません。
元禄12年(1699年)、強制的に天台宗に改宗させられ、寛永寺の末寺となり、山号も護国山となりました。
改宗の理由は、表向きは住職が僧侶でありながら女性と関わった、というものですが、実際は不受不施派の拠点だったからです。
不受不施派は、信者以外からの施しは受けない、信者でなければ仏徳も授けないという教義で、幕府の命令にも従わず、一切の関わりを拒否しました。
そこで邪教とみなされ幕府の弾圧を受けました。 -
天王寺は、目黒滝泉寺・湯島天神とともに、江戸三富と呼ばれ、富くじが大流行しました。
谷中墓地というのも、元は大部分が天王寺の境内でした。
境内に入り、一際目を引くのが、銅造釈迦如来坐像。
日蓮宗の寺だった頃に建てられた丈六です。
天王寺大仏として親しまれました。 -
天王寺墓地に入ります。
道路に面しているのが神谷伝兵衛の墓。
電気ブランで名を馳せた人物です。
浅草にある神谷バーにはまだ行ったことがなく、電気ブランも飲んだことがありません。
いつか試してみようと思います。 -
ものすごく探し回って、やっと探し当てた朝倉文夫墓。
どうしても今日のうちに墓参りしておきたかった。 -
千人塚。
遺体となって、東京大学医学部で解剖された方々を弔うものだそうです。 -
隣接して東京大学医学部納骨堂。
天王寺では毎年解剖体慰霊祭が行われるそうです。 -
植物学者・牧野富太郎の墓。
南方熊楠と同時代に生きた博士です。 -
線路方面に歩いていきます。
芋坂の標柱が立っています。
線路の向こう側にも芋坂というのがあると聞いているから、ということはこの跨線橋も芋坂ということでしょうか?
芋坂というのは、この辺で自然薯(山芋)が採れたことに因みます。
橋を渡っていきます。 -
芋坂を下っていって荒川区に入り、道路の向こう側にあるのが善性寺。
創建に関しては午前中に瑞輪寺で知りました(http://4travel.jp/traveler/last-sam/pict/13111422/)。
徳川6代将軍家宣の生母・お保良の方(長昌院)が葬られて以来、徳川家ゆかりの寺となりました。
家宣の弟・松平清武が隠棲していて、将軍のお成りがしばしばあったことから、門前の音無川にかけられ、今も残る橋を「将軍橋」と言います。 -
山門くぐって、左側に、不滅の69連勝という大記録を持つ大横綱・双葉山(本名:穐吉定次)の墓。
今話題の時津風です。
双葉山の引退会見の音声を聴いたことがある記憶があります。
朝倉彫塑館にも、朝倉文夫と親交が深かった双葉山の像があり、双葉山のために新調したいすも残っています。 -
日蓮宗の家に生まれ、ジャーナリストから総理大臣まで上り詰めた石橋湛山の墓です。
日中の関係向上に力を入れて、周恩来と会談もしています。
総理大臣在任時に脳梗塞に襲われ、2ヶ月で退陣してしまいます。
この次のトップが岸信介。
石橋湛山が生きていれば、今のかの国をどう見るのか興味があります。 -
「本賢院」とありますが、松平清武の墓です。
越智松平家の始祖です。
徳川家光の次男・綱重が手をつけたお保良が家宣を産み、再び懐妊したのが寛文3年(1663年)。
ちょうど綱重が正室を迎えたばかりで、お保良は越智喜清に嫁がされます。
お保良は越智家で、綱重の子、つまり後の館林藩主・松平清武を産みます。
お保良は産後の肥立ちが悪く、翌年28歳で亡くなってしまいます。
この隣には、松平家諸霊之墓もあります。 -
「舊濱田藩殉難諸士碑」。
清武を祖とする松平家は浜田藩に入封しました。
浜田藩最後の藩主・松平武聡は徳川慶喜の実弟です。
善性寺というのは彰義隊の屯所でもあり、多くの犠牲を生みました。
旧浜田藩有志によって建てられたのがこの石碑です。
善性寺は、上野戦争、先の大戦の影響で、敷地が随分小さくなったそうです。 -
その善性寺の向かい側に、「羽二重団子」。
元禄の時代に団子の文化が流行しましたが、文政2年(1819年)に初代庄五郎が創業したのが「藤の木茶屋」。
ここの団子が、上質な絹で紡がれた羽二重のようにきめ細かいと称賛され、それがそのまま店の名前に冠されるまでになりました。
以来現在まで老舗として人々の舌を楽しませています。 -
脇の芋坂に、「正岡子規・泉鏡花と当店」という説明板が立っています。
彼らや夏目漱石など、そうそうたる面々に愛されたのがこの店です。
子規の歌に注目してみます。
「根岸名物芋坂團子賣りきれ申し候の笹の雪」
今は東日暮里ですが、以前はここも根岸だったの?
根岸には「笹乃雪」という、これまた名店があります。
しょうがない、ここで団子を食べて、笹乃雪に行って遅めのランチだ。 -
店内には、昔をしのばせる遺物が展示されています。
彰義隊士が使っていたものも多いですね。
彰義隊士は敗走して芋坂を駆け下りて、この店に逃げ込んで、野良着に変装して出て行ったそうです。 -
店内から見える庭も雰囲気が良いです。
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「天保九年」(1838年)とありますね。
羽二重団子、御隠殿、笹乃雪、と続きます。
当時は「藤の木茶屋」ですね。 -
「芋坂も団子も月のゆかりかな」
by 正岡子規
抹茶セットを注文。
特にこしあんはおいしいと思います。 -
宝暦4年(1754年)、寛永寺第七世門主公遵法親王の隠居所として建てられた「御隠殿」。
その正門前に音無川が流れ、かけられたのは御隠殿橋。
その説明板が立っているのがここです。 -
その御隠殿跡碑が建っている場所にやってきました。
ここは根岸薬師寺の一画なのかな?
建物は上野戦争で焼失し、その面影はありません。
敷地は三千数百坪もあったそうです。 -
ねぎし三平堂。
林家三平の記念館です。
生まれ育った自宅の3階が展示室となっているようですが、今日は入りません。
「ドーもスイません」ということで、土曜日、水曜日、日曜日に開堂しているとのことです。
いっ平が堂長なのか。 -
この界隈では正岡子規の名は外せませんが、その子規庵。
明治27年(1894年)に移り住み、明治35年に没するまで過ごしたところです。
子規が36歳という若さで亡くなったのはちょっと信じられない気もします。
加賀藩の下屋敷があったところで、子規も
「加賀様を 大家に持って 梅の花」
と詠んでいます。
戦災で焼失しましたが、昭和24年、子規庵保存会により復元しました。 -
子規庵の向かい側に、書道博物館があります。
洋画家であり書家でもあった中村不折が、大正2年(1913年)から昭和18年(1943年)で没するまで住んだところです。
昭和11年(1936年)開館しました。
小山正太郎、浅井忠らに師事します。
もちろん正岡子規らとも交流しています。
太平洋画会を設立したりもしていますが、書家としてのほうが有名、なのかな? -
常設展示は本館にありますが、途中に中庭。
中村不折像もあります。 -
そしてついにやってきました笹乃雪。
初代玉屋忠兵衛が上野の宮様のお供をして京都より江戸に来て初めて絹ごし豆富を作り、豆富茶屋を根岸に開いたのが始まり。
宮様が称賛するには、「笹の上に積もりし雪の如き美しさよ」。
以来笹乃雪と名乗ります。
300年以上も続く老舗です。
現在15時ですが、遅めのランチを摂ります。 -
店前にも正岡子規の句碑が。
直筆なのだそうです。
井戸水が湧いていますが、この水を使っているということなのかな? -
座敷に通されました。
羽二重団子のように外に出ることはできないが、座敷からは庭を眺めることができます。 -
朝顔セットを注文。
高野や冷奴など前菜が出てきました。
豆腐ではなく豆富と書くのは、食べるものに「腐る」って字はけしからん、ということで豆富にした、のだそうです。 -
メニューにもしっかりと正岡子規の句が。
-
あんかけ豆富、雲水、胡麻豆富。
あんかけ豆富が二碗なのは、上野の宮様が「二碗持ってきなさい」と言ったからだそうで、それ以来伝統となっています。
確かにいくらでもいけるくらいうまい。
雲水というのは蒸したものなのかな?
胡麻豆富も甘くておいしいです。 -
豆富のお茶漬けの後、豆富のアイスクリーム。
これは出したばかりなのか、カチカチに固くて食べにくい。
ちょっと画竜点睛を欠いてしまったかな。
でも、豆腐、いや、豆富づくしの料理には満足です。 -
笹乃雪の前の尾竹橋通りを挟んで向かい側に根岸小学校があります。
その前の庚申塔。
庚申塔は江戸時代に盛んに建てられました。
ここにあるのは、寛文期のもの2基、元禄期のもの1基、そして青面金剛です。
庚申は干支の組み合わせで、申(さる)だから、しばしば見ざる、言わざる、聞かざるが彫られています。
庚申講を3年続けた記念に建立するという約束もありました。
庚申の夜は男女の同衾や肉食を禁じており、その禁を破ってできたのが石川五右衛門だという俗説も生まれました。 -
入谷まで歩いてきました。
「入谷朝顔発祥之地碑」と「入谷乾山窯元之碑」。
あまり碑という感じでもないな。
尾形乾山は晩年入谷で窯元を開き、その頃の作品を「入谷乾山」と呼んだそうです。
ちなみに乾山というのは、京の鳴滝に窯を築いたとき、鳴滝が京の北西(乾)の方角にあったことから、乾の山、ということで乾山と号した、という話です。
今日の予定では、この後入谷から日比谷線で日比谷まで行って、出光美術館の「乾山の芸術と光琳」という展覧会を観ようと思っていましたが、もう16時になろうとしているので、断念。
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この旅行記へのコメント (1)
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- 一歩人さん 2009/02/05 05:14:47
- いつ来ても一枚一枚が楽しい写真ありがとうございます
- のださんへ
一枚一枚がクチコミのようで、
勉強になります。
実は、天王寺のクチコミを書こうと
偵察?に来た一歩人です。
最近のださんのファンになってます。
谷中は大好きな町です。
ありがとうございました。
失礼しま〜す。
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