2007/11/24 - 2007/11/24
826位(同エリア2027件中)
めるくんさん
八王子城は北条氏四代目氏政公の弟氏照公が1582年頃に築城した広大な山城です。築城以前、氏照公は滝山城(八王子市丹木町)を拠点としてましたが、1569年武田信玄公に落城寸前まで攻められたため、より堅固な城が必要と悟り築城に至ったと考えられてます。しかし宿敵であった武田家は信玄公亡き後滅亡し、後に北条氏を脅かす存在となったのが天下統一を狙う豊臣秀吉公でした。そして遂に1590年6月23日早朝、豊臣軍15,000は八王子城に対して総攻撃を開始しました。一方守る北条軍は3,000〜4,000、奮闘しますが攻め手は多く、麓の曲輪が次々と陥落し遂に夕方頃には本丸も陥落しわずか一日での落城となりました。
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八王子城址管理センターです。JR中央線高尾駅から3キロくらいの距離です。高尾駅北口からバスに乗り、最寄バス停から徒歩15分程度で到着です。管理センターに史跡散策マップがありますので利用すると大変便利です。
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戦国時代末期、北条氏は小田原を本拠地として関東一円を納めていましたが、天下統一を目指す豊臣秀吉公に従わなかったため、豊臣軍の猛攻撃を受けることとなります。
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八王子城は主に居館地区と要害地区に分かれています。居館地区には氏照公の館があった御主殿跡などがあります。一方要害地区は敵に攻め込まれた時の詰城で本丸跡や曲輪跡(二の丸・三の丸等)があります。
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早速居館地区から散策です。画像は古道(大手道)です。管理棟から御主殿跡までは平坦な道で約10分くらいです。
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御主殿への虎口(城・館などの入り口)です。
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古道から御主殿にかかる曳き橋です。残念ながら補修工事中でした。橋の下は深い沢になっており、敵が攻め込んできた時には簡単に落とせる仕組みだったようです。
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再現された冠木門(御主殿入り口の門)です。結構簡素なようですが・・・
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御主殿跡です。サッカーをしている親子、サマーベッドで昼寝するオジサン、犬を遊ばせている家族、史跡には合わない光景ですが・・・
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御主殿の滝です。落城時、御主殿にいた北条方の武将や婦女子などが自刃し身を投じたそうです。当時は水量が多く激流だったらしいです。悲しい歴史の一幕です。
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居館地区を見学した後、今度は要害地区を巡ります。本丸跡までは30〜40分程度かかるそうです。
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急斜面を登ること約10分金子丸という曲輪に到着しました。ここは北条家家臣金子家重が守備していたそうです。奮闘むなしく豊臣方の前田利家公の部隊により討ち取られたそうです。
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登り始めて30分くらい、視界が開けるポイントがあります。(9合目付近)
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この日は気温が上がったため視界良好とまではいきませんが絶景です。空気が澄んだ日には新宿高層ビル群や相模湾まで見えるそうです。
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30分程度ですが随分高いところに来たものです。
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頂上付近には八王子権現を城の守護神として祀った八王子神社があります。
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八王子神社の先にある松木曲輪です。中の丸・二の丸とも言われてます。ここには北条家家臣中山家範が守備していましたが、ここも陥落してしまいます。
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八王子神社裏手の小宮曲輪です。北条家家臣狩野一庵が守備していましたが、豊臣方の上杉景勝公の部隊により落とされてしまいます。
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そして更に上を目指すと八王子城頂上(深沢山470M)の本丸跡に到達します。思ったより狭いスペースです。ここは城代横地吉信が守備していました。
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下山した後、八王子城(深沢山)の遠景を撮りました。
(本丸跡の更に先に大天守跡(詰めの城)という所があったことに気付いてしまいました。見落としてしまいました。残念!) -
先程の八王子城遠景を撮影した場所を曲がると、その先に氏照公と家臣達の墓所があります。ここの階段もきつかった・・・
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氏照公と家臣達の墓所です。実は八王子城落城時、氏照公は北条家当主氏政公から小田原城の守備を命じられていました。小田原城で八王子城落城の知らせを聞いた氏照公は、悲しみと悔しさのあまり崩れ落ちて泣き叫んだそうです。そして八王子城落城の翌月、北条氏の本拠地であった小田原城は戦わずして無条件降伏となり、氏政公・氏照公は豊臣秀吉公の命により切腹となります。
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麓にある宗関寺です。氏照公が創建したそうです。
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天気も良かったので、史跡・寺院を見ながら歩いて高尾駅に行くこととしました。画像は八幡神社です。鎌倉時代の武将梶原景時が、鎌倉の鶴岡八幡宮の立て替えの折りに、古い御神体を貰い受けて、ここに勧進して1191年建立したとのことです。
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梶原杉です。八幡神社建立の折りに植えられたそうです。残念ながら昭和47年枯死のため伐採されたそうです。因みに鎌倉時代この付近一帯は梶原氏の領地だったそうです。
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御霊明神です。梶原氏が鎌倉の御霊神社を勧進して建立したそうです。
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1569年武田軍と北条軍が戦った廿里(とどり)古戦場です。北条軍はこの戦いに破れ、かつての氏照公の居城であった滝山城が武田軍に落城寸前までに攻め込まれてしまいました。この敗戦が八王子城築城のきっかけとなったようです。
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廿里古戦場案内板から見たJR高尾駅方面です。残念ながら古戦場の形跡は全くありませんでした。
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この旅行記へのコメント (2)
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- もにかさん 2007/12/03 22:59:58
- なるほど・・・
- 中学の時の知人に北条さんという人がいましたが、末裔でしょうか?
それとも全滅だったのでしょうか???
それにしても、御主殿の滝…辛いものです。
体がバラバラになってしまったので、もう一度踊ってもらいます。
ヽ(゚∀゚)ノ しずzzz!
( へ)
く
- めるくんさん からの返信 2007/12/04 08:09:50
- 北条氏の末裔は・・・
- 氏政公と氏照公は豊臣秀吉公の命で切腹となりましたが、弟氏規公の家系が河内狭山藩の藩主として、北条家の家名を後世に伝えているそうです。そういえば先日アド町ック天国で甲府を取上げていたのですが、武田家の末裔が甲府市役所で働いていました。若年ながら大変腰の低い方で、戦国武将の末裔にはとても見えませんでした。(飲酒運転のフィギア織田信成君もそうかも・・・)
早いもので既に12月・・・本年も会社・仕事そっちのけで大旅行・小旅行・散策等沢山楽しみましたが、来年も多分同じかと思います。それと本年の締めとして、年末に上海へ行く予定となっております。そちらも後日UPそますのでご覧下さい。
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