2007/11/18 - 2007/11/18
833位(同エリア928件中)
たぬぽんさん
焼き物の町とは知りませんでした・・・
しかも7世紀から・・・
須恵器に関しては、全国の先駆け的な存在だったなんて。
岸辺なんて、JRで言えば各停しか停まらず、近くの阪急正雀駅も同様に各停しか停まらない、
そして車両工場とJR貨物操場くらいしか印象に残らないところでした。(ちょっとひどすぎるかな・・・^^;)
しかし、ちょいと岸辺を検索してみると、
散歩コースが紹介されていて、焼き物の町という説明も。
昼から時間があったので、せっかく見つけた近場の散歩コースを、
ぜひ踏破してみようと。
でも寒い・・・ほんと寒い。
最後のほうはもう寒さを早く凌ごうと歩いていました。
今回のコースはこちらで紹介。
ほぼルートどおりに行きました↓↓
http://www.suita.ed.jp/hak/bun/rekishi/bun_r9.html
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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14:14阪急正雀駅着。
各停しか停まりません。でも、10分に1本あるからいっか。 -
この駅には車両工場が併設されています。
7分ほど歩いていくと、岸辺駅に着きます。 -
JR岸辺駅です。
駅の南側に改札。
この周辺は少し栄えていますが、
北側は、行くだけでもかなりの時間・・・
JR貨物駅のため、線路をくぐるだけでも大変な時間がかかります。
ここから、
まずは「天津神社」へ。 -
岸辺の町並み。
路地裏、という言葉がすごく似合う町並みです。
車の運転にはものすごく技術がいりますね。
というか全く車が通りませんでした。
みなさん自転車ちりりん。 -
迷いに迷って「天津神社」に到着です。
ほんの小さな神社。
ちょっとした「岸辺」という地名の由来があります。
吉志部は、難波の「吉士」という氏族が住んだところか支配した地域ではないかとのこと(本居宣長)。
吉士は吉師・吉志とも書かれ、この天津神社の境内の灯篭に「難波吉師霊燈」と刻むのは、この本居宣長の説を地域が受け入れていたからだろう、と。
詳細は、表紙にも載せましたこのホームページ↓↓
http://www.suita.ed.jp/hak/bun/rekishi/bun_r9.html
でもほんと、小さな神社でわかりにくい路地にあるので詳細な地図を持っていったほうがいいかも・・・ -
JR京都線の南側から北側へ行くため、
ながーい地下道をくぐります。
夜歩くのは、少しこわいとこかも。
散歩コースの地図には、この「吹田操車場跡」というのがありましたが、
いまいち場所がわからずこれも迷いに迷いました。
工事中?発掘中?みたいです。
1億ものお金をかけています。 -
いいタイミングで貨物列車が通ったのでカシャっと。
-
コースどおりに進みます。
途中、「風災記念塔」というのは、
小学校の中にあるそうなので見られず。
「六観音・六地蔵」というのは、
探し回っても見つからず、断念。
次は「名次宮」です。
「名次神社」ともいうそうです。
かつては吉志部神社の御旅所として神輿の渡御があったといわれます。
小栗半官を乗せた牛車が吉志部にさしかかったとき、車を曳く縄が切れ、村人が縄をなって継いだのがこの宮のところだったことから「なつけ(き)」と呼ばれるようになった、と伝わっています。 -
しばらくは府道沿いを茨木方面へ。
めっちゃ寒いっすよー!!!!
完全に冬です。
手袋もコートもしなかったことが悔やまれます。
さらには雨も降り出してくるし・・・・ -
吉志部神社に向かう参堂が
府道の左に突然現れます。
信号のある交差点でもないので見過ごしやすいです。
この参堂、約400m続いています。
しかも他の道とも雰囲気が違います。
なんか「参堂やなー」という感じ・・・(?) -
「松に注意」の看板まで。
松並木を保存するため、こんな走りにくい道になったのでしょう。 -
吉志部神社に着きました。
ここに着くまでだいたい40分くらいかかりました。
駅から直接向かおうとしたらもっと早く着くと思いますが。
この境内には「吉志部瓦窯跡」「吹田市立博物館」があります。
あまりに寒いので先に博物館へ。
境内に入れば博物館へは看板が案内してくれます。
しかし、この周辺がそもそも瓦窯であったため、それが放置され始めてから山となってしまいました。そのため少し歩きにくいです。 -
吉志部瓦窯跡は国の指定史跡となっています。
延暦13年(794年)に桓武天皇が着手した平安京造営当初の瓦を生産するために吉志部瓦窯の操業が開始されました。 -
吹田市立博物館
入館は、今日は無料でした。
1970年の大阪万博の特別展示が行われていました。
航空写真で今の万博記念公園との違いをじっくり拝見・・・
万博の前はふつうの田舎町だったみたいです。
池がいっぱいでした。
それが万博を迎え、革命のごとく町は変貌を遂げたようです。
そして窯の歴史が。
数百万年くらい前、ここは海でした。
この海に粘土層がどんどん堆積しました。
やわらかい粘土層のため、周辺からの力に圧され、隆起していきました。
さらに西からの圧力で、豊中側の山のほうが高く、吹田側の山が低く出来上がりました。
粘土層の山のため、土器を作るのに非常に良質な土が取れ、
しかも丘陵という地形を生かし窯まで作り上げてしまったということです。
だからすべて「自家生産」の土器。
土師器・須恵器も作られていたみたいです。 -
こちら、吹田市立博物館のすぐ近く、
「ピンク火山灰層」
百万年前に九州から飛んできて積もった火山灰層。
厚さ約50cmの、若干ピンク色を帯びた白色で少し透明感がある土です。
地元では磨き砂として使われていたみたいです。
実際に手にとって触ることができます。
触った感じ、チョークの粉を触っているみたいです。 -
「吹田34号須恵器窯跡」
山の中を歩いていたら偶然見つけました。
もとはここから西1kmのところにあったものを、発掘調査のため、1981年にこの地へ移されました。 -
吉志部神社
今日は菊展か何かでしょうか、
みなさんの作品が展示されていました。 -
こちら、紫金山公園の中の一画。
なぜこんな区画されているかと・・・・
もともと吉志部瓦窯の一部なので、
「跡」として紹介してあります。
ちなみにこちらは「土坑」。
土をこねる、土を保存する、などの役割を持ったものです。 -
こちらは「瓦製作台」
ろくろを回す軸にあたるところです。
これ、建物の外にあったようで、丸瓦の製作に使われたと考えられるそうです。 -
そして公園全景
手前の方で長方形に区画されているところは、
建物のあったところです。
さて、ここから東へ行くと「七尾瓦窯跡」があるようですが、
もう寒いし探す気力も失せてきたので駅に戻ります。 -
岸辺駅前の銭湯
極楽湯です。
入浴料
土休日:750円(会員700円)
平日:700円(会員650円)
なんか、悔しく感じました^^;
吉志部の古い地層から湧き出た天然温泉ですよー
寒さにしみるあったか〜い温泉♪
ぽっかぽかですよ!! -
極楽湯の入り口で販売していた菓子パン。
土休日のみの営業のようです。
クリームパンを購入して阪急に乗り込んで、
自宅・石橋へ。
さ、さむかったな・・・今日。
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