2006/12/22 - 2006/12/27
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ライオンベラーさん
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年末に九州に渡りました。
ずっとずっと昔のそのまた昔に、高校の修学旅行で大宰府、唐津、長崎を訪れました。
その後、鹿児島や沖縄には行きましたが、北九州を訪れるのはそのとき以来です。
大分県、熊本県、宮崎県は未だ一度も訪れたことがありません。
今回は、急に思い立って車で行くことにしました。
10年来の愛車のカリーナ(この夏遂に別の車に買い換えました。)で行きましたが、下調べはほとんどしていません。
宿は3日目に別府のビジネスホテルのコンパクトシングル(3900円)を1泊予約しているだけです。
さあ、どんな旅になるのでしょうか、とにかく出発してみましょう!
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 自家用車
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-
12月22日金曜日、夕刻、九州へのドライブ旅行が始まりました。
辺りはもう真っ暗です。
国道2号線をひた走り、兵庫県を過ぎ、岡山県に入りました。
岡山を過ぎ、倉敷を過ぎました。
走りに走って時刻はもう10時を回っていました。
流石(さすが)にもう開いている店はほとんどなくなっていました。
ようやく閉店間際の店を見つけ、カツ丼ハーフセットを注文しました。
ああ、美味い!
広島県に入りました。
どこかで山陽自動車道のパーキングエリアに上がって、そこで一泊するつもりでしたが、2号線のバイパスを走っていると、何とそこにもパーキングエリアがありました。
尾道西PAです。
ラッキー! ラッキー!
今夜はここで一泊です。
夜が明けました。(写真)
さあ、今日こそは念願の九州上陸の日です。 -
2号線を走っていると、漁船が並んでいる風景に出会いました。
しばし、車を停めてひとりで旅情を味わいました。
ああ、旅は素晴らしい!
という気分になりました。
広島の街に入りました。
ここは、学生時代にイギリスの友人を連れて来たところです。 -
その一回きりで、それ以来一度もここを訪れていません。
街中を車で走り回った後、記念に駅の写真を撮ることにしました。
あれ、どうもタイミングが合いません。
4〜5回回って、ようやくこの写真を撮りました。
ここでかなりの時間をロスしてしまいました。
今度は、お好み焼きを食べに来たいと思いました。 -
さあ、遂に本州西端の地にやって来ました。
下関です。
下関もずっと以前に一度だけ、職場の同僚と来たことがあります。
残念ながらカーナビのDVDは全国版に入れ替えてなかったので、ほとんど白地図状態です。
こんなので果たして、ほとんど未知の地である九州を無事に回り切ることができるのでしょうか?
これからは、紙の地図だけが頼りです。 -
おおおおお!
関門橋です!
橋の向こうは九州です!
今、本当に九州を見ています!
まるで夢のようです!
実に感動的な場面です!
もし、この旅に出なかったら、このような感動は得られていません。
旅に出て本当によかったと思いました。 -
前回は、山口の旅館に泊まった後、幕末の奇兵隊がたどった道をたどったりして帰りました。
名物の河豚(ふぐ)を食べようと、料理店を何軒か調べて回ったけど、結局その価格を見ただけで、落胆してあきらめて帰ったような記憶があります。
今回の目的地は九州です。
とにかく寄り道せずに関門海峡を渡ることにしました。
しばらく街の中をぐるぐると走りながら、遂に関門トンネルの入り口を見つけました。 -
トンネルを出ると、そこは九州です。
感動の瞬間でした。
めかり公園展望台に上りました。
もうはや夕暮れです。
夕陽は海峡の向こう、日本海に沈んで行きます。
ああ、最高の夕陽です。
旅に出て、丁度(ちょうど)丸一日が過ぎようとしていました。 -
九州側から下関の方を見ています。
今は冬至の頃だから、これより左が西の方角ということになります。
源氏に追われた平家は、この夕陽の下の半島の続きのような部分(彦島)を本拠地にしていたそうです。
そして、最後の壇ノ浦(だんのうら)の合戦の時には、この海に800隻(せき)もの舟が、平家の赤旗を立ててひしめいていたといいます。
源氏の舟はこの右手の関門橋のさらに右の瀬戸内 -
海側に約500隻、源氏の白旗を立ててひしめいていたといいます。
この写真のような舟が合計1300隻も、ここで戦ったということになります。
何とも壮大な光景だったことでしょう。
そしてその人たちの屍(しかばね)がこの海の下に眠っていることになります。
ああ、何と恐ろしいことでしょう。 -
写真は関門橋です。(海峡部分の幅は約700m)
先程の夕陽はこの左側、瀬戸内海はこの右側です。
幕末の下関戦争の時には、イギリス、フランス、アメリカ、オランダの戦艦がこの橋のすぐ右側に、合計17隻ほど集まっていたそうです。
向こうの長州側に砲撃を行ったあと上陸して、砲台を占拠(せんきょ)しました。
連合国側から見ても、刀(かたな)で切られたりするので、怖(こわ)かったんでしょうか?
それとも全然怖くなかったんでしょうか? -
その後、国道で福岡まで行きました。
車を駐車場に停めて、しばらく街を歩いてみました。
ラーメンの屋台がたくさんありました。
地元の人と少し話しましたが、そのときお勧めの屋台を地図に書き込んでくれました。
かなり歩いてようやくのことでたどり着くことができましたが、何とその屋台は満員でした。
仕方なく、普通のラーメン屋に入って、焼きラーメンなるものを注文しました。 -
キャベツなどの具がたくさん入っていて、まずまずの美味しさだったので、満足でした。
それから、九州自動車道に上がって、PA(パーキングエリア)の駐車場で寝ました。
長距離旅行のときは、ぎりぎりまで車で走ることができるし、変な所に停めて、賊(ぞく)に襲われたりする心配もないので、ここが一番です。
でも、1日置きぐらいできちんとしたところに泊まらないと(ひとりで毎日は贅沢?)、夕刻に酒を飲んだりできないし、旅の疲れをとったり、旅の気分を味わったりすることもできません。 -
翌朝、水族館(マリンワールド)に行ってみましたが、残念ながら未だ早すぎました。(前2枚の写真)
その後、記念に博多駅の写真を撮りました。
ここでも広島駅と同じように、何回か回ってやっとタイミングよく撮ることができました。
ちなみに福岡市の人口は160万人で、日本で8番目だそうです。
これも古い話ですが、私が中学校の頃、福岡県内の同級生と文通をしていました。 -
文通は彼女が福岡の短大に入るときまで続きましたが、一度も会ったことがありません。
お互いに写真も交換していませんが、文通では気が合っていました。
彼女が書いてくれていた街はどんなところなんだろうと、いろいろと想像をめぐらせていました。
さあ、思い切って行ってみることにしましょう。
もちろん、家を訪ねたり、連絡をとったりはしません。
物語はお互いの心の中で美しく完結しています。 -
これ以上のストーリーはいらないのです。
いいようのない心の昂(たかぶ)りと懐(なつ)かしさを感じながら、彼女が住んでいた町に入りました。
そこは、周りの発展から取り残されたような、昔のままの静かな町でした。
と、いってもその様子は、当時の私の住んでいた町ととてもよく似ていました。
駅に行ってみました。
駅も当時の私の町の駅とそっくりでした。 -
これで、あの頃、自然に感覚を共有できていたということもうなづけました。
もしかして、彼女がこの車のナンバーを見て、私を思い出して、声をかけてくれるのではないだろうか?
そんなことまで思いましたが、こうなっては、もうそれは映画の世界になってしまいます。
現実には、そんなことはあり得るはずがありません。
感動と余韻(よいん)を残しながら、その町を発って、今夜の宿、別府に向かいました。 -
予約していたホテルに到着し、チェッウインしました。
改装工事中でしたが、何と改装後の新品の部屋を使うことができました。
設備も布団も新品です!
ルンルンルンのルンルンルン・・・。
さあ、まず有名らしい老舗(ろうほ)の竹瓦(たけがわら)温泉に行ってみることにしました。
入湯料は100円でした。 -
今日は花火大会だったので、温泉はとてもよく空いていました。
温泉を出た後、私も花火大会に行ってみました。
すごい人でした。
出店もたくさんありました。
たこ焼きと、地元在住のインド人の方の店でナンカレーとビールを買いました。(前の写真)
最高の美味さでした。 -
迫力ある野外コンサートを聞いた後、花火が始まりました。
素晴らしい夜でした。とてもラッキーでした。
部屋に戻ると、ふわふわほかほかの新品布団の上で、観光案内を見て、明日の予定を立てました。
フロントのところにあったパンフレットをもらって見ていくと、興味深いところが実にたくさんありました。
先ずはアフリカンサファリ。 -
実は、本当はここに行きたくて今回の旅を決意しました。
だから、ここだけは絶対に外す訳にはいきません。
その他、地獄めぐりや別府湾を眺望できる温泉、木製ジェットコースターがある遊園地、大型水族館やサル山など、本当に魅力たっぷりのものばかりです。
パンフレットを見ていて、何と千円札の福沢諭吉もこの近くの国東(くにさき)半島の出身だということを初めて知りました。へええ〜。
う〜ん、旅って本当にいいですね。(しみじみ) -
夜が明けました。
今、九州の別府にいます。
ああ、思えば遠くへ来たもんだ・・・。
この道路の向こうは別府湾です。
こちら側に行けば別府駅です。
よいしょと起きて、まず駅前の駅前高等温泉に行きました。
24時間開いていて、入湯料は100円です。 -
ああ、いい湯でした。
朝食を食べました。(姉妹ホテルで500円)
さあ、観光です。
まずは、「うみたまご」という水族館に行ってみました。
大きな水族館です。
私がこれまでに行ったどこよりも大きな水族館でした。 -
サメ展をやっていました。
ほとんどのサメは人間を襲ったりしないということを知りました。 -
海中では、こんなものの中に入って、サメを観察するそうです。
ああ、恐ろしい! -
その他の展示もとてもよく工夫がしてあって、はああ、という驚きの連続でした。
わざわざ遠くからでも、行ってみたいと思えるような水族館でした。 -
水槽の中には人間も泳いでいました。
本当はこれは魚にえさをやるショーです。
魚からこちらがどのように見えているのかも、水中カメラで撮って見せてくれました。
とても興味深いショーでした。
そのときまでは、まさか魚類が人間と感情のやり取りができるなどとは、思ってもみませんでした。
イルカなどの哺乳類は別ですが。
ところが・・・・! -
何と、魚は人間のサインに反応するのです!
これは、驚くべきことです。
単なる餌付け(えづけ)による反応ではないかと疑いたくもなりますが、いや、どうも、魚の中にもいわゆる喜怒哀楽の原型のようなものが存在するのではないかという気もしてきました。
生物学的には魚の脳にも大脳も中脳も小脳も、さらには間脳や延髄もあります。
と、すればある程度は人間と共通の感情のようなものがあっても不思議ではありません。 -
そもそも、人間も単なる餌付けに相当するような行動も多くあると思います。
例えば給料(間接的な餌(えさ))のために働くというような行動です。
こう考えてみると、魚が餌付けで行動することも、人間と同じ行為(こうい)だということになります。
ここで、魚に対するイメージが大きく変わってしまいました。
実に興味深いことです。 -
私は時々、とても馬鹿な発想をしてしまいます。
ここでも馬鹿な発想をしてしまいました。
それは水族館に人間水槽をつくるというものです。
水槽の中で、人間がいわゆるふんどし姿で古式泳法を行い、その解説を表示するというものです。
そうすると、古式泳法に関心のある人が、なるほどというように学習できて、いいと思うのですが・・・。
しかし「そんなものを見に水族館に来たのではない!」といわれて、非難されただけで終わるような気も -
します。 やはり、却下(きゃっか)でしょうか・・・。
屋上のイルカプールで、ボールを使ってイルカと遊んでみました。
やはり、イルカは犬かそれ以上に賢いように思いました。
馬とか鹿とかの先祖が海に入っていってイルカになったとすれば、馬や鹿と同じか、それ以上の知能があることもうなづけます。
水族館を出ました。 -
今度はそのすぐ裏にある高崎山自然動物園に行ってみました。
見渡す限りサル、サル、サルです。
人間のちょっとした動作に群れが一斉(いっせい)に反応します。 -
餌(えさ)をやりながら研究者らしい職員の人がマイクで解説してくれます。
それによると、何と、私たちに対するサルの反応をみれば、その人の心の状態が分かるそうです。
えええ? そんなことが本当にあるのでしょうか? -
私たちがここに来たとき、そのときの自分に対して持っているイメージのままで、このサルの群れに入り込んでしまうようです。
例えば、自分が人間社会でボス的な立場にいる人は、ここでもサルたちをそういう目で見て振る舞い、サルの方も、そのような振る舞いに対してそれを受け入れ、その人は、ボス的な人(サル?)として、認められるようです。
もし、人間社会で虐待(ぎゃくたい)を受けている人がいれば、その人の行動や仕草から、サルもそれを見抜いて、その人を虐待するような行動をとるようになるようです。
つまり、ここでのサルに対するその人の振舞い方を -
見れば、または、サルたちのその人に対する振る舞い方を見れば、現在のその人の立場や心の状態が分かってしまうようです。
これは実に興味深いことです。 -
サルの社会も人間の社会もとてもよく似ているということになります。
これは、遺伝子の共通部分が多いということからもふうん、なるほどと納得できてしまいます。
とすれば、人間社会の現象というか、法則性のようなものをこのサルの社会から学べるということになります。
ううん、実に面白いと思いました。
近くまで来たので、大分に行ってみることにしました。 -
大分駅です。
ここは、広島や博多と違って、車も少なくて、簡単に写真を撮ることができました。
さあ、ここまで来ると大分県を訪れたと言い切ってもいいでしょう。
さて、ここで気になるのは九州の中での大分の位置づけです。
その目安として、ここ大分市の人口を調べてみましょう。 -
面白いのでクイズを作ってみましょう。
( )に、大分、鹿児島、熊本、長崎、宮崎のどれかを入れてみてください。全国100位までの都市の内、九州は次の9都市です。 -
1位 福岡 140万人(全国8位)
2位 北九州 99万人(全国13位)
3位( )67万人(全国20位)
4位( )60万人(全国22位)
5位( )46万人(全国34位) -
6位( )44万人(全国37位)
7位 那覇 31万人(全国66位)
8位( )31万人(全国68位)
9位 佐世保 25万人(全国88位) -
答はこの旅行記の最後にあります。
さあ、時間もだいぶ遅くなってしまいました。
もう、地獄めぐりや木製ジェットコースターや別府 -
湾が見渡せる展望露天風呂に行く時間がなくなってしまっていました。
大急ぎでアフリカンサファリに行くことにしましょう。 -
できれば、その後で阿蘇山にも行ってみたいと思います。
しかし、カーナビがないのは辛(つら)い・・・
地図や表示を頼りに走るのですが、道は山道で、家は一軒もありません。 -
何度か通り過ぎたり戻ったりして、ようやくアフリカンサファリに到着しました。
入ってみて驚きました。
思ったよりも広い・・・! -
おお広い・・・!
実に広い・・・!
熊がいました!!!
山羊(やぎ)もいます!!! -
今度はライオンです!
オスもメスもたくさんいます。同数ぐらい?
本来は大人のオスは一頭で、ハーレム社会をつくります。 -
オスが複数いると、オス同士で緊張を生んで、とてもストレスが大きいのではないでしょうか?
凶暴な人間が数人、1つの部屋に閉じ込められたようなイメージではないでしょうか? -
ライオンが私の車と一緒に草食動物のエリアに、出てしまわないように、スタッフの車が、排気ガスを使って、彼らを追い払ってくれました。
キリンやシマウマやゾウなどもいましたが、トラ -
までいたのには驚きました。
アフリカンサファリという名前なので、子供たちが、クマやトラもアフリカにいると思ってしまうのではないでしょうか? -
サファリを出ると、大分(だいぶ)暗くなっていました。
おまけに雨まで降ってきます。
でも、せっかくここまで来たので、阿蘇まで行ってみることにしました。 -
何とか景色が素晴らしいというやまなみハイウェーらしき道を探し当てて走っているのですが、暗くて何も見えません。
全く意味のないことをしているように思えました。
本当にカーナビがないと、今どこにいるのかも分かりません。
山の中で、他の車も見当たりません。
山賊(さんぞく)が出ても、それは当然のことで、特に驚かないというような気持ちにさえなってきました。 -
阿蘇はとうとうあきらめて、熊本に出ました。
熊本は思いのほか、大きな街でした。
こじんまりとした地方都市のように思っていましたが、夜なお明るい大きな街でした。
やはり、旅に出ないと何も分かりません。
本当に人間にとって、旅は不可欠なものだということを実感しました。
そのまま国道を北上して、また福岡に出ました。 -
そして、2日前と同じPA(パーキングエリア)で眠りに着きました。
翌朝、関門海峡に戻ってきました。
この写真と前の写真は九州側から下関を見たものです。
日本海から瀬戸内、太平洋に向かう船は皆、ここを通るのです。
向こう岸までは、わずか700mしかありません。
さあ、これで九州ともお別れです。 -
橋を渡って、本州に帰ることにしましょう。
この関門橋を渡るのも、生まれて初めてです。
とても感慨深いものがありました。
この気持ちを味わいながら、ゆっくりと渡って行きました。
旅はもう早、5日目に入りました。
今回の旅では、福岡と大分と夜の熊本を見たことはとてもいい体験になりました。 -
また、別府の水族館とサル山とサファリに行ったし、別府の温泉を2軒も行ったし、花火大会の雰囲気を味わうこともできました。
そして、ずっと思い描いていた文通友達のいた町を訪ねることもできました。
残念ながら、阿蘇と昼間のやまなみハイウェーの風景と、昼間の熊本と、木製ジェットコースターと別府の眺望温泉と地獄めぐりに行けなかったことは大いに心残りでした。
是非また近いうちに訪れてみたいと思いました。 -
下関では海響館(かいきょうかん)という水族館に行ってみましたが、まだ開いてなかったので、少し散歩していると、大きな市場がありました。
この写真の建物が市場で、手前は養殖場です。 -
うわあ、すごい!
大きな市場です。
ああ、ここに水揚(あ)げされたばかりの魚介類がたくさん運ばれてきています。 -
もちろんとろけるように美味いに違いありません。
ここにあるもの全てを味わいつくしたいような気持ちになりました。 -
市場内にもいくつかの飲食店がありました。
覗(のぞ)いてみたけど、未だ開店していませんでした。
カモンワーフという名産品を集めた建物がありました。3階建てで40数軒入っています。
珍味の飲食店もたくさんあって、食通にとっては天国のようなところでしょう。
一度に食べられないので、回転焼風お好み焼きなるものをテイクアウトしました。 -
海峡を見ながら食べると大満足でした。
いい時間になったので、海響館に行ってみました。
いよいよ入場です。 -
まだ晦日(みそか)の26日なのに、もうはや正月の準備がしてありました。
別府のうみたまごのようなところでしょうか?
わくわくしてきました。 -
ああ、ガラスの向こうは本物の海峡です。
こちら側は水槽(すいそう)です。
暗くなってしまいましたが、下の部分は水中です。
この中に、海峡に住む魚が泳いでいます。 -
海中トンネルです。
今は、多くの水族館にこのようなトンネルがあります。 -
群れを見ているといろいろな発見があります。
-
群れを見ていると時間が経つのも忘れてしまいます。
-
展示方法が、本当によく工夫されています。
海中にいる気分です。 -
見ていると鮮魚の造り(刺身)を思い浮かべてしまいます。
-
やはり下関はふぐです。
-
このようなふぐが近海を泳いでいるのでしょう。
すごいことだと思いました。 -
これを見ていると、ふぐ料理は高くて当然だという気持ちにもなってきます。
-
ふぐ以外の魚もいます。
-
こぶだいです。
大脳も相応に大きそうです。
豊かな感情なんかもあるのでしょうか? -
うつぼの思う壺(つぼ)???
何か、訳がわからなくなってきました。 -
こんにちは。
-
カニの足は何本?
はさみは足?
それとも手? -
家にこんな水槽を作ると手入れが大変?
-
”さめざめ”というのはどんな意味だった?
-
この顔を魚が見るとどう思う?
-
アシカ?
それともオットセイ? -
いるかのジャンプ!
-
ショーが終わってアシカがいたので手を振ってみることにしました。
きっと、振り返してくれそうな気がします。 -
やっぱり振り返してくれました。
それを見ていた子供たちが、感動のあまり、
うわぁぁぁぁ〜〜!!!
と叫びまわっていました。 -
私はそ知らぬ顔で、もう一度アシカに手を振り返して、その場を去りました。
出口には、大きな鯨(くじら)の骨がありました。
そのあともう一度、カモンワーフに行って、回転寿司を食べました。
これまで数多くの回転寿司を食べて来ましたが、今でもここのが一番美味しかったと思っています。
口の中でとろけました。 -
下関を発って、2号線をひたすら東に戻りました。
途中、往路と同じ尾道西PAで一晩過ごしました。
時間的に心残りも多くありましたが、本当にいい旅でした。
是非また来たいと思いました。
(完)
※ 写真版 http://4travel.jp/traveler/wanyamapori/album/10196139/
※ 次回の旅は東京です。(http://4travel.jp/traveler/wanyamapori/album/10179452/)
〔九州の都市クイズの答〕
3位 熊本 4位 鹿児島 5位 大分 6位 長崎 8位 宮崎
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