2007/08/29 - 2007/08/29
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フーテンの若さんさん
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「何をするわけでもなく何ヶ月も居座りおって。彼らを見ていると、日本に帰ってちゃんと仕事をしろって後ろから殴りたくなるんだよね」
1週間のブータン旅行からネパールのカトマンズに帰ってくるなり、いきなり辛口なコメントを聞かされた。カトマンズの日本食レストランで知り合った年配の旅行者が、吐き捨てるようにこう言い放ったのである。
怒りの対象は、ネパールやインドにいる若い日本人の長期旅行者たち。定年まで頑張って働いた結果、やっと落ち着いて海外を訪れることができた彼のような年配者にとって、日本で働き盛りな若者たちがアジアで堕落する姿は腹が立ってしょうがないのだろう。
確かにカトマンズにいる長期旅行者は、特に何をするでもない。ロン髪やら髭面やら汚いヒッピー風の身なりで、安宿街であるタメルの辺りをいつもウロウロしている。日本食レストランでマンガを読みながら、朝飯兼昼飯のカツ丼を食べ、夕方になると宿でクサをしたり、ギターを弾いたり、ビール呑んだりして、後はもう寝るだけ。見事なまでに何もしない。彼らはある意味でもう旅行者とは呼べない存在だ。経験と驚きを求めて次々と移動する旅は、彼らの求めるところではもはやないのである。
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はて、自分はどうであろうか。一年以上も仕事をせずに、フラフラ放浪している身分の僕としては、沈没バックパッカーとは似たり寄ったりの存在。だから、この年配旅行者の発言には返す言葉がなく、ただ苦笑するしかなかった。
むしろ、つい先日までの僕は沈没者の仲間であったと思う。長期旅行者が集う溜まり場やホテルには、必ず顔を出していたし、気に入るところがあれば、最大10日間ぐらいはそこにいた。沈没しかけたことは一度や二度ではない。彼らといると、落ち着ける自分がいて、何だかほっと安心できたからだ。ところが、今回のネパール滞在中では、僕はそういう場所へは一切立ち寄ることはしなかった。
それはある本を読んだからで、もっと厳密に言えば、その本のたった一つのフレーズに強い衝撃を受けたからである。
下川祐二の「アジアの何とか」という文庫本。著者による旅エッセイで、その最後にこういう文章があった。
『金の北米、女の南米、耐えてアフリカ、歴史のアジア、何よりマシなヨーロッパ、豊かな青年、惨めな老後』 -
かつて下川さんが放浪旅行をしていたときに、旅行者間で知れ渡った文句であるらしい。おそらく今から20年ほど前の話だと思われる。
まず、前半部分の『金の北米、女の南米、耐えてアフリカ、歴史のアジア、何よりマシなヨーロッパ』。これには激しく同感できる。
僕の今回の旅は、オーストラリアから北米、中南米、欧州、アジアと東回りの世界一周コースで旅をしてきた。とにかく金のかかった北米の旅。南米(特にブラジルのサンパウロ)はまさに女一色であった。アフリカは、モロッコとエジプトしか行っていないが、それでもしんどかった。そしてヨーロッパ、アジアのことについても感じることは同じだ。旅人が思い感じることは、今も昔も変わらない。
『豊かな青年、惨めな老後』。この後半のわずか10文字の言葉で僕はさっぱり眠れなくなった。
世界を自由気ままに旅をするのは楽しいことだ。移動することが嫌になったら、前述のように沈没して何もしなければいい。しかし、旅の後の人生をどうするかという問題は常に付き纏う。旅は一過性のものであって、いつかは終わるもの。人生とは旅が全てではない。どんな旅行者たちも、真面目な生活に戻って、働かなければならない日が必ずやって来るのだ。
そんなことはとうに判っていたことだ。これまでは、そういったややこしくて、面倒くさい問題からは、ただひたすら逃げていた。旅に没頭して、なるだけ考えないようにして避けてきた。
でも、この文章を読んでから、立ち止まって改めて考えた。
僕はあと1ヶ月でもう35歳になる。いくら逃げても、歳は確実に取っていく。旅立つ前はまだ33歳だった。結婚やら、仕事やら、家族とかの問題を全て置き去りにしてきたものの、30代後半となると、いつまでも現実逃避して遊びほうけている歳ではない。アジアで出会った地元の青年たちは、僕より押並べて10歳ほど若かったが、所帯を持って、一所懸命家族のためにすでに働いていた。その姿は、僕には輝かんばかりに眩しく写った。
僕もそろそろ真剣に人生に向き合い、現実を直視するべき時ではなかろうか。何者かから逃げ回る時間の終わりがついに訪れたのだ。
そう考え始めたとき、僕は自分より若い長期旅行者たちが集う場所には足を運ばなくなった。いや、運べなくなったという表現が正しいだろう。
「これからの僕の人生は、海外でブラブラ過ごすものではない」
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ようやくその答えがはっきり出た。いわゆる青年期を(やっと34歳にもなって)僕は終えた。モラトリアム期間を卒業したのだ。これから過ごす壮年期は、海外で過ごすのではない。やはり生まれ育った日本で過ごしたい。日本が快く受け入れてくれるのかどうか、不安はかなりある。この先の人生が、惨めなものになるのか、豊かなものになるのかは自分でもよくわからない。でも決めた以上、僕はそこに向かうべきなのだ。
僕はついに日本へ帰る決断をした。この決断に至るまで1年4ヶ月を要した。旅を終える決断は、旅を始める決断よりも難しいものであった。
カトマンズからバンコクに立ち寄って、3日後に日本へ帰国する。これまでの旅との決別、そして新たな旅へ向かうために。 -
ついに帰国を決意した僕は、バンコクにいるはずだった。
いるはずだった、というのは実際には違うからで、まだカトマンズにいたりする。
朝、空港へ行くと、僕が搭乗する予定のカンマンズ発バンコク行きのロイヤルネパール航空のフライトは「欠航」と出ていた。これまで「ディレイト」という掲示板の文字は、何度も見かけたことがあるが、「キャンセル」という文字については、生まれて始めてお目にかかる。これは、ある意味貴重な経験だ。
カウンターのお姉さんに尋ねると、「2台しかない機体のうち、両方とも故障してしまっているのよ」と悪びれた表情なく言うではないか。いつ飛ぶのか?代替機はあるのか?と焦って尋ても、「詳しくは市内にあるオフィスで聞いてよ」と職員に有るまじき冷たい対応。釈然としないなか、空港からトンボ返りで、市内にあるロイヤルネパール航空のオフィスまで行ってみることにした。
オフィスには恐ろしい数の人が詰め掛けていた。まるでお祭り騒ぎのよう。本物のお祭りと違うのは、詰め掛けた人全員が徒労と怒りの表情に満ちていることであった。
ここ1週間ずっとメンテナンス中という名目で、飛行機は飛んでいないとのことだった。僕はずっとブータンにいたので、その事実をまるで知らなかった。中に入るのも大変そうなので、とりあえず外にいる下っ端そうな職員に聞いてみるも、「いつ飛ぶのか、さっぱりわかんないだべさ。詳しくは中で聞いてくれべさ」と何とも頼りない答え。
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憤慨している外国人たちの表情からして、状況は明らかに芳しくない。彼らに尋ねると、次のフライトがいつなのかそれすらもはっきり決まっていないのだという。つい先月も欠航があり、そのときは1ヶ月ぐらい欠航期間が続いたらしい。
僕は途方に暮れた。やっとこそ帰る決意をしたものの、突然の欠航。しかも次はいつ飛ぶかもわからない状態。これは「帰らせない」というネパールの神の意志が働いてのことなのか。はて、これからどうしたものか。いつ飛ぶかわからない飛行機を待つべきなのか。それとも意志に逆らって、違う手段を取るべきなのか。バンコクから日本行きのチケットはすでに押さえていて、31日のフライトである。いずれにせよ、もう間に合いそうにない・・・。
オフィスで何の成果も得られず、肩を落として安宿街であるタメルに戻ってきた。僕の落胆した気持ちとは対照的に、町は何だか騒々しい。ホテルの従業員に尋ねると、今日は祝日でお祭りの日だという。そうか、今日は本物のお祭りの日だったのか。でも、今の僕にはお祭りを楽しめる余裕などまったくないのだ。
僕の頭の中が、お祭り状態でパニックになっているのだから。まったくトホホな一日である。
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