敦煌旅行記(ブログ) 一覧に戻る
トラピックス主催の「中国シルクロード秋の鉄道旅行」に参加して、旅行好きの紳士・淑女12名にめぐまれ和気藹々の楽しい旅行を楽しんできました。<br /> 特に寝台特急列車にて仏教美術の宝庫敦煌へ〜古のオアシス都市が点在する、祁連山脈と砂漠に挟まれた「加西回廊」を22時間で走破。車窓からシルクロードの大地を堪能してきました。〜<br /> 世界遺産兵馬俑坑、世界遺産莫高窟、鳴沙山・月牙泉をラクダに乗り観光等に感動し有意義の旅行でした。<br /><br />一日目<br /> →関空→上海・上海→西安→夕食(陝西料理)→西安寶館(宿泊)<br /><br />二日目<br /> →ホテル→西安北の城門(入場式典見学)→西安大学(井真成の墓誌見学)→華清池→昼食(四川料理)→世界遺産兵馬俑坑→夕食(餃子の宴)→唐歌舞ショー→西安寶館(宿泊)<br /><br />三日目<br /> ホテル→西安駅→寝台特急列車(祁連山脈と砂漠に挟まれた「加西回廊」を22時間走破、車中からシルクロードの大地堪能。昼食(和食弁当)、夕食(食堂車内)、朝食(食堂車内)→敦煌へ<br /><br />四日目<br /> →敦煌駅→世界遺産莫高窟→昼食(敦煌料理)→玉門関→漢代長城→鳴沙山・月牙泉(ラクダの乗る)→工芸品店→夕食(イスラム料理)→敦煌寶館(宿泊)<br /><br />五日目<br /> ホテル→白馬塔→総合民芸品店→敦煌空港→北京空港→ホテル→夕食(北京ダック料理)→華潤飯店(宿泊)<br /><br />六日目<br /> 朝食(バイキング料理)→北京空港→煙台空港→関空(帰国)→<br /><br />莫高窟<br /> 敦煌市の東南25kmに位置する鳴沙山(めいささん)の東の断崖に南北に1600mに渡って掘られた600あまりの洞窟があり、その中に2400余りの仏塑像が安置され、壁には一面に壁画が描かれ、総面積は45000平方メートルになる。<br /> 作られ始めたのは五胡十六国時代に敦煌が前秦の支配下にあった時期の355年あるいは366年とされる。仏教僧・楽&#20692;(らくそん、&#20692;は人偏に尊)が彫り始めたのが最初であり、その次に法良、その後の元代に至るまで1000年に渡って彫り続けられた。<br /> 現存する最古の窟は5世紀前半にここを支配した北涼の時代のもので、それ以前のものは後世に新たに掘った際に潰してしまったようである。窟のうち、北部は工人の住居となっており、ここには仏像や壁画は無い。<br /> 壁画の様式としては五胡十六国北涼、続く北魏時代には西方の影響が強く、仏伝・本生譚・千仏などが描かれ、北周・隋唐時代になると中国からの影響が強くなり、『釈迦説法図』などが描かれるようになる。期間的に最も長い唐がやはり一番多く225の窟が唐代のものと推定され、次に多いのが隋代の97である。<br /> 北宋から西夏支配期に入ると、敦煌の価値が下落したことで数も少なくなり西夏代のものは20、次の元代の物は7と推定されている。この頃になると敦煌はまったくの寂れた都市となっており、以後は長い間、莫高窟は忘れられた存在となる。<br /> この莫高窟が再び注目を浴びるのが、1900年の敦煌文献の発見によってである。<br /> しかしその後も莫高窟自体にはあまり注目が集まらず、その価値が認められ、保護が行き届くようになるのは中華人民共和国成立以後のこととなる。<br /> しかし、現在砂漠化が進み、も埋没も近いと見られている。<br />

中国シルクロード秋の鉄道紀行:世界遺産莫高窟

5いいね!

2007/09/11 - 2007/09/16

275位(同エリア489件中)

0

30

satoshi.s2

satoshi.s2さん

トラピックス主催の「中国シルクロード秋の鉄道旅行」に参加して、旅行好きの紳士・淑女12名にめぐまれ和気藹々の楽しい旅行を楽しんできました。
 特に寝台特急列車にて仏教美術の宝庫敦煌へ〜古のオアシス都市が点在する、祁連山脈と砂漠に挟まれた「加西回廊」を22時間で走破。車窓からシルクロードの大地を堪能してきました。〜
 世界遺産兵馬俑坑、世界遺産莫高窟、鳴沙山・月牙泉をラクダに乗り観光等に感動し有意義の旅行でした。

一日目
 →関空→上海・上海→西安→夕食(陝西料理)→西安寶館(宿泊)

二日目
 →ホテル→西安北の城門(入場式典見学)→西安大学(井真成の墓誌見学)→華清池→昼食(四川料理)→世界遺産兵馬俑坑→夕食(餃子の宴)→唐歌舞ショー→西安寶館(宿泊)

三日目
 ホテル→西安駅→寝台特急列車(祁連山脈と砂漠に挟まれた「加西回廊」を22時間走破、車中からシルクロードの大地堪能。昼食(和食弁当)、夕食(食堂車内)、朝食(食堂車内)→敦煌へ

四日目
 →敦煌駅→世界遺産莫高窟→昼食(敦煌料理)→玉門関→漢代長城→鳴沙山・月牙泉(ラクダの乗る)→工芸品店→夕食(イスラム料理)→敦煌寶館(宿泊)

五日目
 ホテル→白馬塔→総合民芸品店→敦煌空港→北京空港→ホテル→夕食(北京ダック料理)→華潤飯店(宿泊)

六日目
 朝食(バイキング料理)→北京空港→煙台空港→関空(帰国)→

莫高窟
 敦煌市の東南25kmに位置する鳴沙山(めいささん)の東の断崖に南北に1600mに渡って掘られた600あまりの洞窟があり、その中に2400余りの仏塑像が安置され、壁には一面に壁画が描かれ、総面積は45000平方メートルになる。
 作られ始めたのは五胡十六国時代に敦煌が前秦の支配下にあった時期の355年あるいは366年とされる。仏教僧・楽僔(らくそん、僔は人偏に尊)が彫り始めたのが最初であり、その次に法良、その後の元代に至るまで1000年に渡って彫り続けられた。
 現存する最古の窟は5世紀前半にここを支配した北涼の時代のもので、それ以前のものは後世に新たに掘った際に潰してしまったようである。窟のうち、北部は工人の住居となっており、ここには仏像や壁画は無い。
 壁画の様式としては五胡十六国北涼、続く北魏時代には西方の影響が強く、仏伝・本生譚・千仏などが描かれ、北周・隋唐時代になると中国からの影響が強くなり、『釈迦説法図』などが描かれるようになる。期間的に最も長い唐がやはり一番多く225の窟が唐代のものと推定され、次に多いのが隋代の97である。
 北宋から西夏支配期に入ると、敦煌の価値が下落したことで数も少なくなり西夏代のものは20、次の元代の物は7と推定されている。この頃になると敦煌はまったくの寂れた都市となっており、以後は長い間、莫高窟は忘れられた存在となる。
 この莫高窟が再び注目を浴びるのが、1900年の敦煌文献の発見によってである。
 しかしその後も莫高窟自体にはあまり注目が集まらず、その価値が認められ、保護が行き届くようになるのは中華人民共和国成立以後のこととなる。
 しかし、現在砂漠化が進み、も埋没も近いと見られている。

同行者
一人旅
一人あたり費用
15万円 - 20万円
交通手段
鉄道 観光バス
航空会社
中国東方航空
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

PR

この旅行記のタグ

5いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

中国で使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
中国最安 273円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

中国の料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから海外旅行記(ブログ)を探す

PAGE TOP