2007/09/09 - 2007/09/10
130位(同エリア234件中)
義臣さん
安達が原の鬼婆
智恵子抄の智恵子の生まれ育った町
二本松市の安達町
団体旅行に参加行って来ました、
- 交通手段
- 観光バス
-
東北道を通過中、、
車両火災。。
クラシックなスポーツカー。。
懐かしくて、、それで悲しい風景 -
智恵子抄。。
青い空がある
安達町 -
安達が原の鬼婆伝説の
観世寺の五重塔、、
違いました。
安達ケ原ふるさと公園のです。 -
大木の隣に鬼婆伝説の
黒塚
が公園のように整備されてました
以前は田舎道のほとりの大木と石の塚だけでした
整備されたのですね。 -
-
観光に、、
-
観世音寺
「妊婦の生き胆を飲ませれば姫の病気が治せる」
易者の言葉を信じ
秋の夕暮れ、
一夜の宿を求めた若夫婦
しかも身ごもっている様子。
産気ずいて夫は薬を求めて外へ
老婆は、今だ、、とばかり出刃をふるう
苦しむ若妻、持っていたお守りから
別れた娘とわかり 気が狂い鬼になってしまった。
以来旅人を殺し 生血を 生肉をすすり食す
哀れ 安達が原の鬼婆と言われるように。。。 -
本堂
-
みちのくらしい温かみのある薬師堂
-
境内に沢山咲いてます
哀れ老婆の心を休まるように -
鬼婆の住んでいた岩屋の向こうに
初秋の青空。
鬼婆は旅の僧侶の如意輪観音の光の矢で
亡くなります。
公家の姫を思い
知らずに我が娘を危め 孫をも
鬼となった
哀れな女性の話で。 -
智恵子記念館まえ
バス停
海鼠壁が似合います。 -
静かな安達の町並み
-
福島県安達郡油井村
酒造業斉藤。。
後に長沼
長沼 智恵子の生家 -
明治19年 智恵子誕生
-
-
明治45年
高村 光太郎と出会う -
大正3年 高村 光太郎と生活始める
-
縁側で少女智恵子が空を見ている姿が
想像されます -
昭和13年10月5日
智恵子53歳で亡くなる
昭和16年
高村 光太郎 智恵子抄を刊行
-
-
土地の古老の昔話
光太郎さんは長沼家の財産を食いつぶした。
事実は?
完
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この旅行記へのコメント (9)
-
- いっちゃんさん 2007/09/14 10:17:46
- 昔は
- 鬼婆の安達ヶ原
安達ケ原ふるさと公園に整備されたんですね。
昔は今にも鬼婆が出てきそうな雰囲気でした。
千恵子の生家も整備されたようです。
生家の裏の小高い丘が公園になっていて
千恵子が良く散歩されたとされ
ここからの安達太良山は素晴しいです。
義臣さんの写真にもあるように
青い空が印象的です。
昔の福島勤務は隣町でした
懐かしい・・・。
いっちゃん
- 義臣さん からの返信 2007/09/14 19:35:24
- RE: 昔は
- 今晩は、ただいま。。我が家へ。。
ふるさと公園は広い、綺麗、でしたが、
団体ゆえゆっくり見ることが出来ませんでした。
裏の公園も時間切れ、
降りてきた人に聞いたら。
雲で、、見えなかったの事です。
数年前に行った時も雲で、
どうも私は安達太良に縁がなさそうで。
義臣
隣町にも何かありますか?
保原町には仕事で一度行った事があるのですが
観光は出来ませんでした。
- いっちゃんさん からの返信 2007/09/14 20:38:02
- RE: RE: 昔は
- 隣町・・・伊達群川俣町ですが、これと言って名所はありませんでした。
川俣町は絹の生産で明治時代から栄えた町で
福島市に日本銀行があるのも川俣町から絹糸を横浜港経由で輸出していたためだとか!
今でも織物の町ですが20年も前から中国製品に押され過疎化が進んでいました。
昔は東北線松川駅(松川事件で有名な)から川俣町まで支線があったようですが、終点川俣駅は町の中心に入れず町外れで止めたそうです。
蒸気機関車のばい煙が絹織物に影響するからとの理由だそうです。
廃線の頃使用されていた蒸気機関車が昔の駅近くに保存されていたのですが、その蒸気機関車が整備され真岡鉄道で活躍していると聞いた事があります。
余り情報にはなりませんが・・・。
保原町には工場建設で消防本部が広域で保原町にあり、よく通いました。
今では25年も前のことです。
いっちゃん
- いっちゃんさん からの返信 2007/09/14 21:01:32
- RE: 昔は
- 義臣さん、もう一つ思い出しました
保原町の隣に霊山町と言う町に
霊山と言う奇岩の名所があり秋には素晴しい景色が望めるのですが
その裏側と言うか山ろくに霊山神社があります
この霊山神社は菊の紋章でした。
訪ねた時、余り深く調べなかったのですが
皇室直属の神社?・・・と聞いたような!
知識が乏しくて(恥)
義臣さん・・興味があるのでは。
不確定情報ですみません。
いっちゃん
- 義臣さん からの返信 2007/09/15 07:09:14
- RE: 昔は
- 丁寧に有難う、
霊山神社は 南朝の北畠信房一族が祭られているとか?
かすかな記憶、 気になってる神社なので。
蒸気機関車、、あれが。。
真岡の祭りに今年はと思ってるので見られるかも知れませんね。
義臣
-
- MILFLORESさん 2007/09/14 04:14:40
- 鬼婆
- 「安達が原の鬼婆伝説」 初めて知りました。
日本の伝説や昔話って哀れで悲しいものが多いですよね・・・
怨んだり呪ったりっていうのも。
ちょっとかわいそうだけど、面白い話を教えていただきました。
MILFLORES
- 義臣さん からの返信 2007/09/14 11:01:46
- RE: 鬼婆
- MILFLORESさん
話は前後まだあるのですが私なりの解釈書いて見ました、
民話の本やお寺さんの印刷物でも
鬼婆が祐慶と言う人に退治されて、
良かったような書き方です、
私にはそれもですが
鬼婆の哀れが思われてあのように書いて見ました、
実の娘をお腹の孫を、、気が狂うのは、、判ります。
哀れ。。殺される方も哀れ、殺す方も哀れ、
義臣
-
- 前日光さん 2007/09/13 19:32:56
- 何年前か忘れましたが・・・
- 私も行きました。
黒塚も、智恵子の生家も。
黒塚では、劇のようなものを見た記憶があるのですが、
今でもやっていますか?
とても暑い日でしたが、空が広いなぁと思ったことを
覚えています。
智恵子の生家は、最初に行ったのはもう20年近く前に
なります。
全く整備されてなくて、その日は雨も降っていたので、
もう少しきちんとすればいいのにと思ったことを覚えて
います。
2度目に行ったときは、とてもきれいになっていましたが、
その時黒塚にも行ったのだと思います。
智恵子と光太郎がよく歩いたといわれている道があって、
そこは小高い丘になっていました。
ここで光太郎が、「樹下の二人」を詠んだようです。
「あれが安達太良山
あの光るのが阿武隈川、
こうやって二人静かに座っていると・・・ 」
っていうあの詩は、大学時代に勉強して、いったいどんな所が
智恵子の生家なのだろうと思いを馳せたことも、はるかな昔の
ことになってしまいました。
義臣さんの旅行記を見ていて、思わず懐かしくなり、長々と
書いてしまいました。
ありがとうございます。
- 義臣さん からの返信 2007/09/14 10:45:42
- RE: 何年前か忘れましたが・・・
- 前日光さんも思い出があるのですね。
確かに生家は綺麗になっていましたね。
私もやはり最初に行った時の記憶は此れでは無くて
どこか生活の匂いが有りました。
数年前の時は記念館も立派に出来て(内部撮影禁止)、
だんだん生家のイメージが博物館的になってきたようで寂しい限りです。
今回は団体と言う事もあって、時間に限りがあるので
ジックリ見ませんでした。
縁側で。。日なたぼっこのイメージ、で終わりです、
皆さんご存知の詩は書きませんでした、
意識して空の写真を入れてみました。
安達太良は雲でとうとう見ることが出来ませんで残念です。
展示の蓄音機は前回と同じ、レコード板は幾分新しい板で、
黒塚の近くのふるさと公園内の建物では舞台もあるようです、
此処で劇はやるのでしょうか?
長い書き込み大歓迎です、 有難う
義臣
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