2002/09/15 - 2002/09/21
5029位(同エリア6974件中)
ユッコさん
今回は2002年夏ローマ初訪問記です。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 航空会社
- 大韓航空
-
★今までの旅は、海外のいくつかの都市を巡ってはいるものの、ジャマイカ以外は"アメリカ合衆国″。初めての海外もグアム(ということはアメリカ)。むむむ、まるでお釈迦様の手のひらを抜け出せない孫悟空のよう。
同じ海外へ行くなら憧れのヨーロッパにいってみたい。そこで、ワールドカップをヒントにサッカー観戦でアメリカ好きの夫の関心をヨーロッパに向けさせる事に成功した。とくればセリエAを見たいと、行き先は私の選ぶ権利もなくローマに決定。
ヨーロッパと呼ばれる所ならどこでもいい、と思っていたけどいざ行けるとなると欲が出て、スイスやオーストリアに行きたかったと思えてきて、ちょっと興奮度が落ちた。
★とはいえ、初めて英語圏外の国、夫と二人でNHKのイタリア語会話を4月から学習。サッカーの日程変更の度に、飛行機とホテルの予約変更(も〜なんなんだ!)。準備から気合が入っていた。飛行機変更の為、結果2番目に安かった大韓航空で行く事に。結果的にこれが良かった。
皆さん、海外へは安心の日本の航空会社を利用します、などという人は、海外旅行に向いていません。大韓航空は最高です。価格良し、サービス良し(日本語OK)、機内食良しの3拍子。ウォンの貨幣価値が上がらぬうちに利用しましょう。仁川(インチョン)空港は広くてきれい。乗り換えの待ち時間も長くない。
夫、韓国旅行に来たかのようなはしゃぎぶり。目的忘れないでよ。 -
★無事にレオナルド・ダ・ビンチ空港に到着。
しかし、イタリアを甘く見てはいけない。入国審査に2時間待たされた。列もない。外に出ると、荷物がほっぽり出されていた。おいおい!
先制パンチでちょっとダメージを受けてしまって、不安になりながらも夫が調べておいてくれた電車でテルミニ駅に到着。街中の薄明かりが陰気な感じで歓迎されていない気がした。周りの人がみんなこっちを狙ってる気がする。警戒指数高まる。
私たちの宿は、サン・ピエトロ寺院のすぐそばのB&B。寺院行きのバスを見つけたけれど、バスチケットを買う発券機にお金を入れたら戻ってきた。他を探していたら、バスが行ってしまった。調子狂う出来事の連続に慌てる二人。今まで見たことない夫の動揺に、行動を促してとにかくここはタクシーで行こうと、声をかけてこないタクシーに乗った。 -
★車が出ると、薄暗い明かりにも目が慣れ、初めて見る古い石の建物が続く街並みを、忙しく首を動かし見物する。運転手さんは親切で、通りや広場の名前を教えてくれた。分かりにくい宿の場所も探し出してくれ、どうにか無事部屋に着いた。
ここは夫がネットで調べたB&B(ベッド&ブレックファスト)でサンピエトロ寺院が見えるという。確かに部屋までの階段の踊り場から良く見えた。普通のアパート暮らしが体験できるのだけど、部屋からバスルームまで台所を通らなきゃいけないし、蛇口のデザインが凝っていて操作がよく分からないし、余り汚したらいけない、物音立てたらいけない、お湯出しすぎたらいけない(バスタブの詮がピッタリしてない)、タオルどこですか?と聞くのが一苦労。
旅行番組を見てB&Bに憧れたけど、姉が言っていた「気を使って疲れるよ疲れるよ・・・・・・」という台詞が頭の中で巡った。 -
★時差ぼけのせいで早く目が覚め、夫と二人で散歩に出かける。アパートを出ると、目の前をドイツ人の団体旅行者が通ったので、それについて行った。着いた先はサン・ピエトロ寺院。
教会が開くのを待つらしい。寺院の前の広場は、荘厳で華麗で歴史があって広かった。
何と比較すればこの広さをわかっていただけるだろうか?とにかくこの広さは見てもらわないとわかりません。古代神殿みたいな石柱でぐるりと囲われている。石柱の上に屋根があり、屋根の上にそれぞれ決めポーズをつけた聖人らしき人たちの彫刻が沢山乗っている。度肝を抜かれた。 -
★7:00にいよいよご開帳。中へ入ると設計の緻密さに驚いた。朝陽が広場の前の大通りから差し込んできて、寺院の奥まで照らした。ルネサンス時代の高度な芸術性と、いかに寺院を崇高に見せるかという思惑が権力との結びつきを感じさせられた。
朝のお勤めをしている中、自由に観光客も見学できる。上も下も右も左も隙間なく豪華絢爛の装飾で埋め尽くされ、見るのに忙しかった。しかし、見慣れてくると何てことなくなるから不思議。 -
★興奮も冷めて、朝ごはんを食べに部屋へ戻った。朝は8:00〜9:00の間に台所にある物を勝手に食べるという事になっている。
★地下鉄に乗り、地図を見ながらスペイン広場・トレビの泉など有名どころへ行った。
「ローマの休日」ポイントは人があふれかえっている。一応またローマに帰れるよう、人垣からコインを投げた。
今度はバスに乗る。地下鉄・バス・トラム一週間乗り放題の券を買った。どの乗り物も、乗車券を入れたり見せたりする必要がない。したがって、券を買わないでもうまくすればただ乗りできるかもしれない。だから、昨日も券が買えないからって、乗ってしまえばただ乗りできたかもしれない。でも、たまに無賃乗車の抜き打ちチェックがあり、罰金を取られる事があるので油断はできない。昨日の夜、びびっていた私達はそこまで大胆になれなかった。 -
★街中は、名所がひしめき合っていて、次なる目的地へ、などと移動しなくても遺跡や名所に遭遇する。後で行った先をおさらいすると、すぐ近くにも見所があった事に気づき、悔しかったりする。街を保存するために、いたる所が修復工事をしている。古いものを簡単に壊してはいけないのだ。100年前は新しい方なので、住人はさぞ不便をしていると思う。でもこの美しさといったら!!
もしかして人によってはローマは汚いと言う人もいるかもしれない。通りという通りは路駐でいっぱいだし、ごみもうんこもいっぱい落ちて臭い。でも、すごく大きくて華麗な建物の前では、車やうんこは小さすぎてきっとローマ人は気にしないのだろう。
ちなみに車は小型車が主流で(隙間に路駐し易いためでしょう)、当然フィアット社をはじめヨーロッパの車が多かったけれど、日本のマーチもいっぱい走っていた。
★夜、ようやく楽しみの食事。
ガイドブックにあったお店に行って、店内がおしゃれなのに満足して入ってみた。しかし、メニューがわからない。適当に頼んだ前菜が、まずい…。パスタやピザも期待と違った。期待しすぎたのかな?
帰り道は薄明かりにもすっかり慣れ、夜景がとてもきれいに見えた。そろそろ歓迎され始めたようだ。 -
★朝、B&Bをチェックアウトして、次のホテルへ移動した。若い女の子達がレポーターのガイド本にお勧めしてあった宿なので、自信はあった。
張り切って電車で移動。駅を降りて私は方向を見失った。ようし、ここで勇気を出してNHKイタリア語会話の成果を発揮させよう!意を決しておばさんに声をかけた。
「スクージ、ドベピアッツァアルバニア?(すいません、アルバニア広場はどこですか?)」
そうしたら、周りにいた他の二人も寄ってきて、おばさん二人が容赦なくイタリア語でべらべら説明してくれた。そこをおじさんが制して話をまとめてくれた。親切な人たちなんだろうと思うけど、東洋人の旅行者に話し掛けられるという好奇心でうずうずしている人たちでいっぱいだ -
★閑静な住宅街に建つそのホテルは、期待どおり設備もインテリアも申し分なく、広いテラスもあって最高だった。一泊一人一万円ぐらい。日本では安いぐらいだけど、海外の宿にしては奮発した料金だった。
-
★少し休んだ後、近くの遺跡へ向かうことにした。
ローマには7つの丘があり、私達のホテルはアベンティーノの丘にある。そこからチルコ・マッシモという古代ローマの騎馬場跡の大きな原っぱへ向かうと、その先にパラツィーノの丘の遺跡が超パノラマに広がっている。ここに屋台のアイスクリーム屋さんがあったので、ようし、基本フレーズのドゥエジェラーティペルファボーレ(アイスクリーム2つ下さい)と言ってみようと思ったのに、トゥアイスクリーム?と店員が英語を喋るので使えなかった。
ちなみに私は極力外のトイレを避けて使わなかったけど、夫もはりきって店に入る度にドベイルバーニョ?(トイレはどこですか?)と聞いていた。
チルコ・マッシモを横切り、丘の脇の道を歩くと、今度はフォロ・ロマーノという遺跡がある。神殿の柱の一部や、凱旋門みたいのがいくつもあって、これが紀元前の建物なんだからすごい。通り抜けると、締めくくりにコロッセオがある。
★休憩に入ったバール(カフェとコンビニが合体した様な店)でパスタを頼んだけど、どう見てもアラブ系の人のお店だった。なかなか納得いくイタリアンにたどり着けない。食の開眼はまだ先になる。 -
★昼食を済まし、これから20:45開始のサッカーを見に行くために、テルミニ駅に移動。
なんでこんな昼間っから夜の試合に備えにゃならないのかっっ。
何故なら今夜はチャンピオンズリーグ開幕戦レアル−ローマのカードなんだけど、オフィシャルショップではチケットが既に完売していたので、早めに行ってダフ屋でチケットを購入しなくてはならず、夫の気がはやっていた。
★駅から出るスタジオオリンピコ(オリンピックスタジアム)行きのバスは満員。みんな試合に行く人だろうか?終点で降りるとそうでもなく、グッズ売りがちらほらでまだ人は集まっていない。
スタジアムに向かう橋を渡り、いつもは慎重な夫がどうした事か、いきなり最初のダフ屋からチケットを90ユーロで購入。本物か偽物か不安な気持ちで、スタジアムに到着。
ファンクラブらしき一団(この人たちは昼間から何故ここにいられるのか?)の中のおばさんにチケットをどこへ持っていけばいいのか尋ねると、なにやらイタリア語で皆がもめている。
その中にいた一人のお姉さんが片言の英語で、このチケットをどこで買ったのか聞かれた。そして、これには会員カードを添えないと入場できないので、私達は騙された事を告げられた。
その話題はファンクラブの一団を駆け巡り、イタリア語で盛んに議論されていた。そして私達は囲まれてイタリア語で質問攻めに遭った。勿論NHKのイタリア語会話程度の語学力で理解できるはずは無い。夫が自分で作っていた会話帳を握り締め、「サッカー」という項目を開いた。そこには
「旅の目的はサッカーを観ることです。」というフレーズがイタリア語で書いてあり、この場においてはなんと無力なんだろう、と切なかった。
その間にさっきのお姉さんがクラブの長らしきおじさんを連れてきて、私達に引き合わせてくれた。
おじさんは下げていたポシェットから何やら取り出したので、急場を救ってくれるアイテムかと期待したら、個包装のチョコを一つずつくれた(心の中で吉本新喜劇張りにこけた)。
お姉さんの説明によると、おじさんとお姉さんは入口のチェックをする人だから、特別に中へ入れる様、取り計らってくれるとの事!!17:30に入口ゲートへ来るように言われた。
どうやら救われたみたい?
なんとかこの取り計らいに対する感謝の気持ちを表そうと、私達はお礼のしるしに日本で買っておいた、¥100ショップの和風扇子をプレゼントした。
彼女はケベッラ!!(わあ素敵!!)と言って喜んでくれた。
旅の本に、親切にされたら安物でも和風の小物をあげるととても喜ばれる、とあった。まさに、うってつけの場面が訪れた。 -
★あまり確信をもてないまま約束の時間までそわそわしつつ、周りに人が増え、興奮したサポーター達がゲートの柵をよじ登ったり、歌ったり、騒がしくなってきた。まったく別のイタリア人に声をかけられて振り回されたり、知り合いになったり色々あったけど、ゲートが開き列も無い混沌とした中にさっきのおじさんを見つけ、我先に入ろうと叫び声を上げる人垣をかきわけ夫を入口に押し込んだ。ガードマンに遮られたけど、おじさんの口添えで中に無事入れたのを見届け、一安心し私は一人ホテルへ帰った。
-
★途中のバール2件でお惣菜を買っていたら、2件とも話しかけられた。一人になると益々声をかけられやすい。あーもっと会話が出来たら楽しいのにな〜、と思った。
★部屋でテレビを見て、先に寝た。ちなみにテレビは日本のアニメが沢山放映されていた。日本の自慢はこれだけか?
★翌朝、サンルームの優雅な朝食のひと時、興奮を抑えるのに一苦労の夫と、試合は観ないまでも、興奮の一端は味わった私はすごく力のこもったひそひそ話で、夕べの模様を聞いた。
八万人のA.S.ローマファンが花火や発煙筒を持ち、地鳴りみたいに応援が響いてまさにスタジアムが揺れたのを体験したらしい。レアルに3−0で負けたけど、念願のヨーロッパサッカーを肌で感じたのと、幸運にも会場に入れた出来事を振り返るととても愉快な気分になり、こんな楽しい旅は今まで経験した事が無い、ローマは最高!!とここでこの旅の終りまでを体験するまでもなくそう結論づけた。 -
★今日は歩いてメルカート(市場)を覗き、カラカラテルメを観た。カラカラテルメとは紀元前のスパリゾートみたいなもの。ここの公衆トイレの便座が無くて、仕方なく中腰で用を足した。イタリアでは珍しくないそうだけど、みんな問題ないのかな?水洗タンクが高い所にあって紐を引っ張るようになっているやつなんだけれど、引っ張ってから何の音沙汰も無いので不安になっていると、突然決壊したダムのようにすごい勢いの水が流れてきた。
-
★その後旧アッピア街道を歩いた。本当は街道をサイクリングするはずだったのに、レンタルは日曜のみだったので、紀元前の幅が狭く古い道を仕方なく歩いた。観光バスも出ていたけど、時間のタイミングが悪く最初のカタコンベがある教会に着いてしまった。しかし、お昼になってしまって、見学時間も休憩に入っていた。更に歩いて古いお城が点在している所まで来て、くたびれたので路線バスで帰った。
-
★バールでサンドイッチとビールを買い、部屋で食べた。軽食はどのバールで買ってもハズレはない。味覚が日本人と合うのでとてもありがたい。アメリカではいつも食べ物に苦しめられていた。
★その後、ホテルのすぐそばにマルタ騎士団の建物があり、そこの門の鍵穴も観光名所だったので行ってみた。場所は住宅街の一画であまり視界が開けていない。鍵穴ごときが…、とたかをくくっていたけれど、覗いてみるとなんと、鍵穴を額にしてサン・ピエトロ寺院のドーム屋根がきれいに収まっていた。こんなお気軽にびっくりできて、なんかものすごく嬉しくなった。
★古い教会、きれいな公園を通りながら丘を下り、真実の口に手を突っ込んで(やっぱり並んだ)ビットリオエマニエル2世城を登り、ガリレオが「それでも地球は回っている」と捨て台詞をはいた教会と、屋根に穴が開いているパンテオンと、老舗のエスプレッソの喫茶店と、ナボーナ広場のムーア人の噴水を観て、部屋に戻った。 -
★夜は、ピラミデ駅(ホテルの最寄り駅)の近くのピザ屋へ行った。
そこは陽気なお兄さん達のお店で、熱狂的なラッツィオファンだった。
ラッツィオとはセリエAのもう一つのローマのクラブチームで、A.S.ローマが巨人ならラッツィオはヤクルトといった所だろうか。でも、敵対心の点からいくとヤクルトファンよりは阪神ファンといった風で、ゆうべのA.S.ローマがボロ負けした事を痛快に思っているようだった。
店内にラッツィオグッズが飾られていて、テレビはゆうべの試合を放映していて、レアルが得点を決めると大喜びしていた。日本でピザ屋なんていったらおしゃれな内装と相場が決まっているが、スポーツバー崩れの大衆食堂といった感じ。でもピザは生地が日本と全然違ってすごくおいしかった。夫は、ピザの種類を私が悪魔のなんたらとか言う激辛トッピングにしてしまって不満だったようだ。 -
★今日は買物の日。
ホテルのすぐ近くにトラム(路面電車)の停留所があり、そこからS.ジョバンニ・イン・ラテラーノ大聖堂近くのメルカートへ向かった。市場では衣服や日用品など色々売っていて、夫が旅の恒例行事、皮ジャンを購入。私も靴を見たけど、いま一つ。ドラム缶みたいなかまで炒ってる焼き栗を食べた。
★再びトラムでオッタビアーノ方面に向かう。ところがものすごい時間がかかり一時間以上乗っていた。でもそろそろ足も疲れていたし、のんびり街中を眺めて丁度良かった。
途中、アコーディオンを演奏する少年が乗ってきて、乗客一人一人にチップを要求しながら回っている。だんだんこちらに近づいてきた。なんか得体の知れない怖さを感じて、私達への要求を断ってしまった。ひととおり要求し終わると、少年はトラムを降りて去っていった。あげれば良かったと、今なら思うけどあまりなれない経験だったので、嫌な気分が先にたってしまった。日本にはない世界を垣間見た気がした -
。★ようやく、オッタビアーノに到着し、ぶらぶらお店を見て回った。
その後夕食にバスでトラステベレ方面へ移動。下町らしく明かりが薄暗い。プチルミナリエみたいな飾り付けの路地があったり、風情があった。私達の入ったお店は、ピザ・マルゲリータが有名らしいけど、私はそんな気分ではなく、別のピザを注文。夫もガンベリ(海老)のリゾットを注文。オープンカフェの座席で薄暗い周りを見渡すと、皆一様にピンク色のおいしそうなピザを食べている。あれがいい!と思ったら、それがマルゲリータだった。くやしい思いの私を横目に夫は、こんなうまいもの食べた事が無い、と絶賛の嵐。運命の一食との出会いを果たす。
★帰りはホテルへ帰れる乗り物が無かったので、歩いて帰った。ホテルの近くの公園で、ライトアップされたサンピエトロの屋根をバックに野外オペラを開催していた。夜22:00近くだったにもかかわらず、大勢のお客さんが集まっていた。その日は平日で特別な日でもなく、前日も有名な演奏家がやってきていたポスターを見た。こんな身近に芸術を楽しめる環境が羨ましい。ローマ最後の夜が名残惜しかった。
間もなくその舞台は終わり、お開きと思いきや、別のステージで次の演目が始まった。
夜が長い人たちだな。 -
★いよいよ最後の日。かなり観光に時間を費やしたにもかかわらず、まだ行けなかった箇所がいくつか残った。
ホテルをチェックアウトし荷物をテルミニ駅に預けて、駅前の博物館を見学。
入口付近、建物の中、中庭至る所に遺跡がごろごろ落ちている。ミケランジェロの回廊、回廊ってゾクゾクする響きがあると思いませんか?
★最後の方で気が付いてとても残念な事をしたのが、街中の随所に、すごい勢いで水が流れっぱなしの古い蛇口がある。お腹壊したら最悪なので飲むのは遠慮していたけど、勇気を出して飲んでみた。うまーい。結構日中は暑いので、水を何度も買っていたけど、ペットボトルさえあればこれを補充しておけば良かったのだ。もったいない事した。勿論その後お腹はなんともなかった。 -
★その後ヴェネト通り、最初の日に訪れたスペイン広場、広場の向かいにあるガイドブックにでかでかと広告を載せている皮手袋の店、ポポロ広場と歩いた。★ 広場近くのレストランで、昼食。
私はローマ名物サルティンボッカ(豚肉の生ハム巻ソテー)、夫はゆうべの感動を持ち越して再びガンベリのリゾット。この味を求め、死ぬ前に必ずもう一度これを食べに来ると誓う。私はゆうべの店のマルゲリータが心残りになっているので、やはりローマ再訪を誓う。
★最後にサンタンジェロ城へ移動。その途中、川沿いに最高裁判所を見かけた。古くて彫刻がいっぱい乗っかっていて荘厳なんだけど、装飾がごてごてしすぎてしつこーい。急にあのあっさりした日本文化に郷愁の念が涌いた。
サンピエトロ前からバスでテルミニ駅へ向かう。この旅はサンピエトロから始まり、終わった。
★そして無事日本に到着。
空港の荷物を受け取るベルトコンベア-の前で、
「お荷物の取り違えの無いようお気をつけ下さ〜い。」と何度も叫んでいた。
あのローマでの荷物受取の場面を思い出し、本当に日本人て気が利くというのか、おせっかいというのか、平和な国だなぁ、と思った
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
21