2007/08/12 - 2007/08/14
170位(同エリア274件中)
MechaGodzillaⅢ&703さん
- MechaGodzillaⅢ&703さんTOP
- 旅行記1805冊
- クチコミ0件
- Q&A回答0件
- 4,031,858アクセス
- フォロワー326人
■■近畿地方1200Kmの車旅【18】■■
【再訪!備中高松城跡】 ★番外編岡山県
この城は、羽柴秀吉の水攻めで一般にもよく知られ、国の史跡に指定されています。
城主の清水宗治が切腹して城兵の命を救った話も、今に語り継がれています。
城跡は、清水宗治の首塚がある本丸跡だけ保存されていて周囲は水田でしたが、数年前に二の丸跡と推定される場所などを買い上げ、遊歩道や駐車場などを設け、さらに花菖蒲や蓮などを植え、史跡公園として整備しています。
【手記】
京都北嵯峨「直指庵」をあとにして、今回の近畿地方想い出探しのひとり旅、最後の目的地である大阪池田市の久安寺へ車を走らせました。そして、久安寺散策で今回のひとり旅は無事ジ・エンド・・・の予定でしたが・・・。
炎天下、近畿地方をぐるっと一周し終わって、身も心もグタグタ状態。しか〜し!宝塚インタより帰途に着いたところ、疲れ果てていた身体が、岡山に近づくにつれて次第に元気を取り戻しだしました。
じゃあ「時間にも余裕があるし、高松城に寄ってみようかな」と言うことで、気がついたら総社インタを降りていました。
この地も想い出が深く、昨年の5月にも訪れましたが、ここは「高松城跡旅行記」の仕切り直しということで、「再訪!備中高松城跡旅行記」をアップ致します。
●近畿地方ひとり旅ルート●
広島市出発
・山陽道
・近畿道
・南阪奈道
・大阪府太子町叡福寺
・千早赤坂村棚田
・楠木正成郷土資料館
・奈良県橿原考古学博物館
・橿原神宮
・欽明天皇陵猿石
・橿原オークホテル泊
・明日香村遺跡巡り
(亀石・石舞台古墳・板葺宮跡・亀形遺跡・橘寺・飛鳥資料館・飛鳥寺・万葉文化館など)
・三重県青蓮寺湖
・伊賀上野城公園&天守閣
・鈴鹿考古博物館&伊勢國国分寺跡
・鈴鹿サーキット
・紫香楽宮跡・信楽焼きたぬき
・滋賀大学
・石山寺
・野洲シティーホテル泊
・琵琶湖大橋・滋賀西教寺
・日吉大社・最乗院
・三井寺
・比叡山ドライブウェー
・京都府直指庵
・大阪久安寺
・山陽道
・岡山備中高松城跡←←←●当旅行記(●^0^●)/
以上、今回のひとり旅1200kmルートでした。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 自家用車
-
<近畿1200Kmの車旅【18】>
再訪「備中高松城跡へ」
大阪池田市の久安寺散策の後、宝塚インタから帰途の着きました。
西宮辺りでしょうか、反対車線が帰省ラッシュです。 -
再訪「備中高松城跡へ」
<岡山吉備SAにて>
備中高松城跡は想い出が深く、昨年の5月にも訪れましたが、ここは高松城跡旅行記仕切り直しということで、再訪!備中高松城跡旅行記をアップいたします。 -
再訪「備中高松城跡」
★番外編、岡山県備中高松城跡
吉備線備中高松駅の北に「太閤記」で有名な備中高松城水攻めの遺跡があります。 -
再訪「備中高松城跡」
<高松城水攻めの配置図> -
再訪「備中高松城跡」
<水攻め配置図>
羽柴秀吉とあります。この時期の軍師は黒田官兵衛です。 -
再訪「備中高松城跡」
<水攻め配置図>
秀吉が家臣に「官兵衛がその気になれば、わしが生きている間にも天下を取るだろう」と言った、このような逸話が残っています。
高松城水攻めを策したのも黒田官兵衛だったと言われています。 -
再訪「備中高松城跡」
<資料館>
資料館は毎日10時から15時まで無料開放
(月曜のみ休館) -
再訪「備中高松城跡」
<高松城水攻め>(1582年)
織田信長の命を受け羽柴秀吉は、3万の大軍をもって、備中国南東部に侵入し毛利方の諸城を次々に攻略するとともに、備中高松城を攻撃。秀吉は、高松城主の清水宗治に利をもって降伏するように勧めたが、義を重んじる宗治はこれに応じなかった。 -
再訪「備中高松城跡」
高松城は深田や沼沢の中に囲まれた平城で水面との比高がわずかに4mしかなく、人馬の進み難い要害の城であった。
秀吉は参謀・黒田官兵衛の献策に戦史にも稀な水攻めを断行し、兵糧攻めにした。 -
再訪「備中高松城跡」
秀吉は、備前国主宇喜多氏の家臣・千原九衛門勝則を奉行とし、約3kmにおよぶ堤もわずか12日間で完成させた。
時あたかも梅雨の頃で、増水した足守川の水を流し込み、たちまちにして188haの大湖水ができ城は孤立した。 -
再訪「備中高松城跡」
6月2日の未明、京都本能寺で信長は明智光秀に討たれた。
秀吉はこれをかたく秘めて「今日中に和を結べば毛利から領土はとらない。宗治の首級だけで城兵の命は助ける」という条件で宗治を説かした。 -
再訪「備中高松城跡」
宗治は「主家(毛利氏)の安泰と部下5千の命が助かるなら明日4日切腹する」と自刃を承諾。 WEBサイトより -
再訪「備中高松城跡」
<宗治蓮> -
再訪「備中高松城跡」
<宗治蓮> -
再訪「備中高松城跡」
-
再訪「備中高松城跡」
<清水宗治首塚>
城跡には清水宗治(しみずむねはる)の首塚といわれる石塔と五輪塔があります。 -
再訪「備中高松城跡」
<清水宗治首塚>
また、辞世の句が残されています。
「浮き世をば 今こそ渡れもののふの 名を高松の苔に残して」 -
再訪「備中高松城跡」
-
再訪「備中高松城跡」
<400年の眠りから目覚めた蓮池>
400年間地下に眠っていた蓮が育った蓮池だそうです。
高松城は深田や沼沢の中にかこまれた平城で、人馬の進み難い要害の城であった。 -
再訪「備中高松城跡」宗治蓮
<宗治蓮>
本丸と二の丸の間のこの場所は、低湿地。古来より蓮池と呼ばれていたそうです。
→拡大画面でご覧下さい。(^0^)! -
再訪「備中高松城跡」
<宗治蓮>
昭和57年に沼が復元がされた後、地下に眠っていた蓮の芽が発芽し「宗治蓮」と名づけられました。
→拡大画面でご覧下さい。(^0^)! -
再訪「備中高松城跡」
<宗治蓮>
まあ、島根の荒神谷遺跡にもそのような蓮の種がありました。
あちらは2000年もの長い間眠り続けた蓮の種が開花したそうですが。 -
再訪「備中高松城跡」
<宗治蓮>
→拡大画面でご覧下さい。(^0^)! -
再訪「備中高松城跡」
以前、妻とこの高松城跡を訪れました。私は3度目になります。想い出深いんです。 -
再訪「備中高松城跡」
<史跡ごうやぶ>
天正10年(1582)6月4日、宗治公ら他3名の切腹が決まった際、宗治公の僕、七郎二郎と、宗治の兄、月清の馬の口取、興十郎がお供を願い出たという。 -
再訪「備中高松城跡」
<史跡ごうやぶ>
しかしそれは許されなかったため、死地におもむく宗治公らの舟を追って、2人は「一足先に三途の川でお待ち申します」と、お互いに刺し違えて殉死したといわれている。
ごうやぶとは2人の死を遂げた場所のこと。WEBサイトより -
再訪「備中高松城跡」
<宗治自刃之跡>
義を貫き通した宗治が、切腹をしたという地は妙玄寺の境内にあります。 -
再訪「備中高松城跡」
備中高松城跡をあとにして吉備津神社へ -
「吉備津神社」
ここも以前、妻とともに訪れた地です。 -
「吉備津神社」
<北随神門>
国指定重要文化財。北の参道石段上に北向きに建つ、三間一戸の八脚門です。 -
「吉備津神社」
<矢置岩>(吉備津神社入り口)
◎吉備津彦命の温羅(うら)退治伝説
吉備津神社記をもとに、温羅退治の概要を記してみると、「吉備津彦命が吉備の中山にやってきて地域の人たちにたずねると、阿曽の鬼城一帯の山に温羅という悪物たちがいて、部落の娘をさらったり悪いことばかりをすると訴えたので、命(みこと)はさっそく温羅退治をはじめた。 -
吉備津神社
◎吉備津彦命の温羅(うら)退治伝説
命の軍は吉備の中山に陣をしいて、鬼城一帯の温羅をめがけて弓を射る。
これに対して温羅は命の軍へ大きな岩を投げつける。合戦はいつまでたっても勝負がつかない。 -
「吉備津神社」
<神社前のお土産物屋さん>
◎吉備津彦命の温羅(うら)退治伝説
そこで命は斥候を出して調査してみると、命たちの射る矢が温羅の投ずる岩と途中で衝突して鬼城まで達していないことがわかった。WEBサイトより
※昔話「桃太郎」のモデルとも言われている。
昨年はここで「きび団子」を買いました。 -
「吉備津神社前」
<宇賀神社>
神池に浮かぶ小島に吉備の国最古の稲荷社です。 -
「宇賀神社」
<神池>
この池にそりだした「しだれ松」と「しだれ桜」は写真家にとって名スポットだそうです。 -
「宇賀神社」
<神池> -
「吉備津神社前」
<犬養(毅)木堂像> -
「吉備津神社前」
<犬養(毅)木堂像>
近畿1200Kmの車旅 ≪完≫
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
MechaGodzillaⅢ&703さんの関連旅行記
総社・吉備路(岡山) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
38