2007/08/17 - 2007/08/17
1534位(同エリア1579件中)
のださん
今日の「平日しか開いていない」ターゲットは、港区麻布台にある外務省外交史料館。
幕末以降の外交に関する公的文書を閲覧できるという貴重な場所です。
現在「岐路に立つ外交官」という企画展示が開催されています。
同時に六本木界隈の美術館を回ります。
まずは泉屋博古館分館。
住友家のコレクションを展示している美術館で、本館は京都にあり、その分館です。
現在の企画展は「花鳥礼賛」。
こちらはぐるっとパス参加施設ですので、パスで入ります。
そして国立新美術館。
詳しくは知りませんが、こちらは普通の美術館とは違い、公募展が主のようです。
私は今年、林田英樹館長の講演を拝聴しましたが、確かそのような話もされていたな。
現在の展示「日展100年」で、日展の100年の歴史をたどっています。
元々は文展と言って、日露戦争の勝利にわく日本が、欧米列強に肩を並べるようにする文化政策の一環として創設されたそうです。
日展は東京都美術館で開かれていたが、100年目の今年から国立新美術館に会場を移すということです。
あとはサントリー美術館。
「水と生きる」は3期に分かれていて、私は今日で3回目。
展示は分けるとしても前後期で、3期に分けるのはちょっとやりかたがあざとい気がしますよ。
私はまんまと乗せられてしまった。
位置と開館時間を考慮し、泉屋博古館分館→外務省外交史料館→国立新美術館→サントリー美術館の順に回りたいと思います。
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東京メトロ南北線六本木一丁目駅で下車し、やってきたのが泉屋博古館分館。
今は曇っていますね。
すでに11時。
今ぐるっとパスの有効期限は22日なので、使うのは多分これで最後でしょう。
ぐるっとパスも随分使ったなあ。
大倉集古館も比較的近くにあるので、これらを同日に回るというのも効率が良さそうです。 -
手っ取り早く、すぐそばの泉ガーデンビルに入って腹ごしらえをすることにします。
ここもねえ、マップを見てもよくわからなくて、ぐるぐる回ってしまいます。
しかも中はそんなに涼しくないぞ。 -
若干12歳で足利義満のハートを射止め、人目もはばからずベタベタしまくり、下級遊芸だった能を伝統芸能へと押し上げた立役者である「世阿弥」にしましょう。
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1,000円の日替わり定食。
今日は冷しゃぶです。
値段相応の味。
私はゴマだれにしましたが、ポン酢の方が良かったかもしれない。 -
さて、食事が終わって、上に都心環状線が走っている道路に出ました。
ここを南下するわけですが、この道路の名前は何と言うのかわかりません。
坂の名前は行合坂です。
双方から行合う道の坂だから、だそうです。
一旦下がってからまた上がるので、坂が向かい合っている、ということなのでしょうか? -
昼からは曇るという予報だったのに、思い切り晴れています。
外苑東通りまで出たら、左に曲がり、外交史料館の入り口です。
一瞬閉まっているのかと思いました。
ドアノブが熱い熱い。 -
こちらが建物。
展示室があります。
外交史料館別館、ということですが、資料室というのが別にあるみたいです。 -
入ると、吉田茂さんがどーんと。
今にもバカヤローと言われそうです。
吉田茂記念事業財団により寄贈された別館なので、特に吉田茂との結びつきが強いようです。 -
ここは驚くことに、フラッシュを使わなければ撮影可能です。
重要な公的文書なのに、何とも太っ腹。 -
日米和親条約の調印書・批准書のレプリカ。
日本側の原本は幕末の火災により消失したそうです。
アメリカ側原本は、アメリカ国立公文書館が所蔵しています。 -
日清戦争開始直前に締結された日英通商航海条約の調印書。
当時の外相は陸奥宗光です。
日本が朝鮮半島で勢力を拡大することでロシアを抑制させよう、というイギリスの極東外交戦略により、不平等条約の改正交渉が進みました。
これにより、領事裁判権(治外法権)の撤廃と関税自主権の一部回復が実現しました。
日本を欧米列強と対等の立場の国と認めたわけですね。
関税自主権の完全回復は、1911年まで待つ必要があります。 -
日清講和条約(下関条約)の調印書。
清国は、朝鮮国の独立、遼東半島・台湾・澎湖諸島の割譲、賠償金として約3億円の支払いなどを認めます。 -
日本へ割譲された遼東半島を清へ返還せよとする、露独仏による三国干渉が起こりました。
イギリスはロシアやフランスと対立することを避けて、どちら側にもつかず不干渉。
日本は結局勧告を受け入れざるを得ず、3000万両と引き換えに遼東半島を還付しました。
これをきっかけに、徳富蘇峰が平民主義から帝国主義へと変わっていったと言われます。 -
ポーツマスにて、猫ひろし、ではなくて、小村寿太郎とセルゲイ・ウィッテとの間で調印された日露講和条約の調印書。
斡旋したセオドア・ルーズベルトはノーベル平和賞を受賞していますね。
日本には戦争を持続させる力が残っておらず、足元を見られて賠償金は全く取れず。
国民は賠償金を期待していたので、寿太郎さんも頑張ったんですけどね、帰国したらただでは済まないみたいな雰囲気でした。
これが日比谷焼き打ち事件へとつながります。 -
時は変わって対戦直前。
東條英機内閣の東郷茂徳外務大臣から野村吉三郎駐米日本大使に託された日米交渉日本側甲案・乙案。
アメリカはこれらを拒絶し、いわゆるハル・ノートを突きつけてきます。
日本は受け入れることはできず、結局対米開戦を余儀なくされます。 -
重光葵、梅津美治郎両全権が戦艦ミズーリ上でサインした降伏文書。
マッカーサー司令官以下、各国代表の署名もあります。 -
1951年9月、ソ連を除く49ヶ国が署名したサンフランシスコ平和条約。
翌52年4月に発効します。
これにより日本は独立を回復します。
全権吉田茂総理大臣の受諾演説原稿。
面白い形をしていますね。 -
吉田茂コーナーもあります。
御下賜の鳩杖。
1965年、米寿の祝いとして御下賜されたそうです。 -
「伯爵牧野伸顕夫妻墓碑」の拓本。
牧野伸顕は、大久保利通の次男で、吉田茂の義父ですね。
いくつか大臣を経験しています。
今日行く予定の国立新美術館で日展の展示を観ますが、その最初の形にあたる文展、これは当時文部大臣だった牧野らが中心となって創設したそうです。 -
企画展示「岐路に立つ外交官」も観ておきます。
「いくいくベルサイユ」を思い出しますが、1919年、第一次世界大戦後に連合国と敗戦国ドイツとの間で締結されたヴェルサイユ講和条約。
その認証謄本だそうです。
パリ講和会議で全権として交渉に当たったのは、牧野伸顕です。 -
外交史料館を出て、外苑東通りを歩いていくことにします。
思い切り日が照っています。
この道路を進むと、向かって左側には国立新美術館、右側には東京ミッドタウン、つまりサントリー美術館があります。
今日の閉館時間はどちらも同じ20時ですが、日を避けるために左側に渡りますので、そのまま先に国立新美術館に行くことにします。 -
ここが国立新美術館ですか。
あの黒川紀章さんデザインの!
初めて見ましたが、面白い形ですね。
敷地に入るところにチケット売り場がありますが、すでにチケットは持っていますので中へ進むと・・・入館自体は無料ですね。
公募展も無料。
これは気軽に入れますね。
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