2007/08/10 - 2007/08/10
209位(同エリア236件中)
のださん
夏休みが取れるかどうか微妙でしたが、結局取れることになりまして、本日から来週いっぱいにかけて休みです。
帰省もしないし、この暑い中泊りがけの旅行もする気にならない、と言うか予定すら立てていないので、ずっと東京にいます。
だから、やることはいつもと同じで、暑いさなかも快適に過ごせるミュージアム巡りですが、せっかく平日に休めるということで、土日祝には開いていない、つまり普段は入れないところを中心に回ってみようと思います。
本日は帝国データバンク史料館。
信用調査事業の最大手である帝国データバンク。
後藤武夫創業で、前身は帝国興信所。
その史料を一般公開しています。
今年できたばかりですし、あまり知られていないでしょうね。
火〜金曜日までしか開いていません。
帝国データバンクの本社は青山にありますが、史料館は東京支社にあり、こちらの最寄は各線市ヶ谷駅です。
帝国データバンク史料館だけというのも寂しいので、比較的近くにある消防博物館、そして新宿歴史博物館も回ります。
いつの時代も火事というのは怖いものです。
一瞬にしてすべてを失ってしまいます。
この機会に再び消防の大切さを学ぶのも良いでしょう。
新宿歴史博物館の入館料は300円ですが、ぐるっとパス参加施設ですので、パスを利用して実質無料で入ります。
あとの2館は入館無料です。
順番としては、まず地下鉄で四谷三丁目駅まで行って消防博物館に入り、歩いて新宿歴史博物館、帝国データバンク史料館へと進みます。
この暑い中、あまり歩きたくないなあ。
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東京メトロ丸の内線四谷三丁目駅直結で消防博物館入り口。
着いたのはすでに9:50くらい。
こちらの入り口はB1Fですが、もちろん1階にもあり、2階は四谷消防署だそうです。
地下鉄駅直結で、あまり汗もかかずに来られたと思ったら、涼しい屋内に入るとどっと汗が吹き出る。
私の身体はおかしいかもしれません。 -
受付で案内されたように6階へ。
6階は企画展示室で、今はすごろくで楽しめるようです。
子どもには良いでしょうね。 -
こんな感じですね。
しかし、すごろくで途中のものを抜かすと、それが気になってしまうので、すごろくではなく素直にQ&Aの形のほうが良いかもしれません。 -
半鐘。
現代はサイレンですが、当時は火事を見つけたらこれを鳴らして知らせたわけですね。 -
歌川芳虎(国芳の門下)の作品。
「め組」とあります。
徳川吉宗の命を受け、大岡越前守忠相が町火消の制度を発足させました。
吉宗も倹約家ですし、幕府財政難に見舞われていたということで、防火費用は町人自ら負担したそうですから、負担は大きかったでしょうね。
隅田川以西の江戸市街を約20町ごとに一組とし、全体を47組に分けました。
これを「いろは47組(のちに48組)」と言い、これをさらに番組に統括して10番組としました。
め組というのはその中の2番組に入ります。
芝地区を担当していたそうです。
「め組の喧嘩」というのもあり、芝居にもなっています。
「火事と喧嘩は江戸の華」と言いますが、組同士、そして定火消との争いも絶えなかったそうです。
定火消というのは、幕府が設けた官営の消防隊で、旗本がなりました。
歌川広重も、定火消の家の出身ですね。
実際に消火活動を行ったこともあるそうです。 -
これは刺子袢纏と呼ばれる防火衣。
木綿で作られていて、雑巾のような手触りです。
吸収性に富んでいるそうです。 -
刺子防火衣。
明治に入り、近代的な消防体制の確立を目指し、警視庁は8台の蒸気ポンプを所持しました。
蒸気ポンプを操作するために採用されたのが消防機関士附属(操作する人)。
仕事は洋装で行われ、刺子袢纏も刺子防火衣へと変わっていった、とのことです。 -
陽圧式防護衣。
耐薬品性を高めた防護衣で、1989年の化学機動中隊の発足と同時に採用されました。
陽圧って言葉初めて知ったな。
まだまだ勉強不足だ。 -
2004年から活動している特別消火中隊。
人命救助・消火活動の中核となる部隊、だそうです。
このノズルは3階で触ることができるとのことです。 -
5階に下ります。
5階は江戸の火消を展示しています。
今日は江戸だけに絞って見ることにします。
ここにはまたいつでも来ることができますし、後のフロアは後日来たときにとっておきます。
エレベーター前の纏(まとい)。
組を識別するために用いられ、各組1本ですね。
纏持ちという役目がありました。 -
消火活動を示した映像とジオラマがあります。
当時は現在のような放水ホースがあるわけもなく、延焼を防ぐために周りの建物をぶっ壊していたわけですね。
なんとも豪快ですが、そのときに使用された道具の一つが鳶口と言って、これを持っている者を鳶と呼びました。
現在でも鳶職と言いますが、当時は火消も兼ねていました。
江戸は火事が実に多かったようで、江戸っ子が宵越しの銭を持たなかったのも、一つには火事があるとすべてなくなってしまうからどうせならその日のうちに使ってしまえ、ってことなのでしょう。 -
火消には大きく3つの系統がありました。
大名火消、定火消、町火消、です。
それぞれの火の見櫓が並んでいます。
左から大名火消、定火消、町火消の火の見櫓です。
大名火消の場合、外様大名は設置できなかったそうです。 -
火災の際に身に付ける装束が並んでいます。
-
いろは48組と本所・深川16組の纏。
本所・深川というのは隅田川以東ですね。
現在の墨田区・江東区といったところでしょうか。 -
竜吐水は、当時の手押しポンプです。
実際はほとんど役に立たなかったようです。 -
5階では、屋外で消防庁のヘリコプターに入ってみることができます。
せっかくですので・・・ -
すげえ暑い・・・
私は一度ヘリコプターに乗ったことがありますが、なかなか良いものですよ。
後部座席じゃなく助手席(この言い方が正しいかどうかは知らないが)だったので、視界は全開。 -
後部座席。
病人やけが人はこちらに寝かせているわけですね。 -
10階の展望フロアも一応見学。
まあそんなに眺めが良いというほどでもないが、仕方ない。
新宿駅方向を見てみます。
博物館前を新宿通が走っていて、甲州街道へ続きます。
甲州街道の第一宿場は元々高井戸でしたが、日本橋からあまりに遠いということで、この界隈に新しく宿場が造られました。
信州高遠藩内藤家の屋敷があったことから、内藤新宿と呼ばれます。
内藤家の屋敷の一部は、今も新宿御苑として残っています。
宿場と言えば馬、ということで、馬糞をテーマにした歌や絵画も残っています。
たとえば名所江戸百景の「四ツ谷内藤新宿」など。
甲州街道は馬糞街道と呼ばれることもあったとかなかったとか。
新宿3丁目の交差点で甲州街道と青梅街道に分かれるところを「追分」と言います。
ちなみに、鶴屋南北作の東海道四谷怪談というお話があります。
四谷というのは別の場所ではなくてこの界隈の四谷ですが(現在の豊島区高田という説あり)、甲州街道なのになぜ東海道というタイトルなのでしょうか?
一説には、京都から見て江戸を「あづま」と呼んでいたから、「あづま(東)のかいどう」ということで、甲州街道を「あづまかいどう(東海道)」としてもおかしくない、とのことです。 -
消防博物館を出ることにします。
ここは子どもから大人まで楽しめます。
また来ます。
1階入り口はこんな感じですか。 -
新宿歴史博物館というのがまた中途半端に遠い。
四谷税務署の前の道を歩いていると、所々に内藤新宿の画がはめ込まれています。
四谷大木戸というのは、甲州街道の関所ですね。
玉川上水の水番所が置かれていました。
神田上水だけでは水不足ということで、多摩川からここまで水を引いてきました。
工事を買って出た兄弟は、「玉川」の姓を授かりました。 -
やっと着きました新宿歴史博物館。
曇っていましたが、着くころにまた日差しが戻ってきました。
現在は「'07新宿の遺跡―特集 柏木・角筈の遺跡―」という展示が行われています。
柏木・角筈というのは現在の新宿駅西側の元々の地名ですね。 -
最初に博物館の紹介ビデオを観ておくと良いと思います。
またここには来るだろうから、ここでも江戸に絞って見ます。
内藤新宿のジオラマがあります。
奥には当時のお菓子屋の復元。 -
歴史博物館を出て、ちょっと道が複雑に見えましたが、またひたすら歩いて帝国データバンク史料館に着きました。
靖国通沿いです。
こちらのビルの9階に案内されます。
9階に着くと、スーツ姿の人が多くて、Tシャツ姿のお前は場違いだ!と言われているようです。
まあ入ってみると関係ありません。
平日しか入れないからここをメインにするつもりでしたが、正直あまり期待はしていませんでした。
しかし、内容は充実していて、来て良かったと思いました。
普段は縁のない信用調査のことも学べました。
残念ながら子どもは楽しめないでしょうが、社会へ出て行く学生以上であれば、勉強になるのではないでしょうか?
出るころにはもう14時半。
いつも時間がかかってしまうな。 -
靖国通りを挟んで向かい側が防衛省・自衛隊市ヶ谷駐屯地。
市谷本村町という地域の大部分ですが、元は尾張徳川家の上屋敷でした。
戦後は極東国際軍事裁判が開かれ、A級戦犯が裁かれた場所でもあります。
帝国データバンク史料館で知ったことですが、三島由紀夫が市ヶ谷駐屯地で割腹自殺をする3ヶ月前、帝国興信所に取材に訪れたそうです。 -
地下鉄の市ヶ谷駅改札を入ります。
以前も見ましたが、「江戸歴史散歩コーナー」をちょっと見ていくことにします。
ここも一種の史料館ですね。
江戸城の石垣を再現しています。
床は、1859年に描かれた分間江戸大絵図を参考に作成されたものだそうです。 -
実際に通ったことがある場所というのはイメージがわきやすいですね。
半蔵門付近を見てみます。
定火消というのがありますね。
ああ、消防博物館で勉強したことが早速活きています。
井伊掃部ってのは・・・わかりますよね?
その手前に三宅という文字が見えますが、現在は国立劇場、最高裁判所がある場所です。
その横の坂は、現在三宅坂と呼ばれます。 -
こちらは湯島聖堂付近。
まだ橋はないようですね。 -
市ヶ谷駅周辺の1996年現在のジオラマを、床のプリントの当時の場所の真上に作っています。
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この旅行記へのコメント (2)
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- 一歩人さん 2009/02/06 10:55:01
- やっぱりのださんでした(第二話)
- のださんへ
こんにちわ、一歩人です。
消防博物館の口コミにと立ち寄りました。
丹念な歩き方、恐れ入りました。
ありがとうございました。
江戸東京火消紀行を立ち上げたばかりですが、
最近、口コミ投稿に一点集中しているもので、
あっちこっち、ネットサーフィンしております。
消防博物館はあきらめて、国際消防展で
口コミ頑張ります。失礼しま〜す。
- のださん からの返信 2009/02/06 19:49:46
- RE: やっぱりのださんでした(第二話)
- 一歩人さん、ありがとうございます。
国際消防展って何ですか?
ビッグサイトでやってるような名前ですね。
それでは、失礼します。
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