2007/07/28 - 2007/07/29
267位(同エリア311件中)
ひま人さん
3回目の最終回の銀山街道であるが、世界遺産に登録が決定した。今回は赤名宿から九日市宿を経て、石見銀山大森町に着いた。旧道の赤名峠入り口(標識はない)に何とラブホテルが!
斉藤茂吉が「人磨のことをおもいて眠られず 赤名越えつつ行きいおもほゆ」と柿本人磨を思い、大森の銀山から2日目の宿場で
最初の馬替えをしたところだそうである。
そして先に進むと斉藤茂吉記念館があり、その南側が中国自然歩道に指定されている道が銀山街道である。
大森銀山は、産出量で石見国を代表するところから石見銀山と呼ばれ、江戸初期前半にその最盛期を迎えている。
戦国時代から大内氏、尼子氏、毛利氏と勢力を張り合っていたが、秀吉の天下から家康に移ると、貨幣の統一のため、鉱山の掌握を図り全国の鉱山を直轄地(天領)とし、石見銀山もその対象となった。家康の重臣、大久保長安が初代奉行となり、以後260年間幕府の直轄地(天領)として支配した。
ヨーロッパにも名を知ら、当時の世界の3割の産出量を誇っていた。世界遺産に登録されてからは、飛躍的に観光客が増加し、休日には相当な混雑になる。
写真は大森代官所跡、奥に石見銀山資料館がある。
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 観光バス 新幹線
-
広島から石見への街道の、作木の山中に広島県名勝の常清滝(じょうせいだき)がある。
「日本の滝100選」にも選ばれ、高さ126mの断崖から、三段に分かれ流れ落ちている。 -
赤名峠への街道、赤名宿へと通じる。
赤名峠は、出雲国(島根県)と備後国(広島県)の境にあたり、重要な幹線として、大森銀山からの銀銅の運搬道として、多くの人が往来した。 -
赤穴八幡宮、主祭神は別雷神ほか5神。
宝亀元年(770年)の創建。境内に銀杏と杉が連理となった樹齢1000年余の古木がある。 -
連光寺、浄土宗の寺。周りの石垣は、瀬戸山城で使われていた石垣を利用したもの。
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斉藤茂吉鴨山記念館。この建物の南側が旧銀山街道で、現在は中国自然歩道になっている。
鴨山は人磨終焉の地と言われ、斉藤茂吉が鴨山探索に情熱をそそいだ偉業を顕彰するため、平成3年5月に開館した。 -
石見銀山街道大森町地区、800m位奥にかつての銀山がある。
幕府の直轄地であったが、家並みは、武家屋敷、商家等混在して建っている。 -
石見銀山龍源寺間歩(坑道)、正徳5年(1715年)の開発。江戸時代の開堀の長さは600mに及び良質の銀鉱石が多く掘り出された。300mの地下坑道に入ると、天然冷蔵庫のようなヒンヤリした冷気で生き返る。
最盛期は坑道が600近くあったようだが、現在はこの坑道しか入れない。 -
羅漢寺五百羅漢、石窟五百羅漢は1743年月海淨印が発願。銀山で働いて亡くなった人々の霊や祖先の霊を、供養するため地元、大森代官所等の寄進により明和3年(1766年)25年かけて完成した。
羅漢はすべて表情が異なる。これらを護るため羅漢寺が建立された。 -
熊谷家住宅(重要文化財)、石見銀山で栄えた商家で、享和元年(1801年)火事の後、再建された。
銀山に関係した有力な商家であった。建造物、敷地と3300点に及ぶ家財が大田市に寄贈された。
熊谷家が日々の生活で使っていた道具、季節ごとに用いた道具など、当時の暮らしぶりを伝える家財を展示している。
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